第19話

「ちょっと。もう三十分も経ってるんだけど……」


 私は部屋にある時計を睨みながら、約束の噴水前で声を上げる。

 時刻は既に八時を三十分も過ぎているにも関わらず、私は未だ一人である。

 あいつ、人を誘っておきながら遅刻するとか、何様なわけ!?

 時計も満足に読めないの! あの駄犬はっ!

 

「帰ろっかなぁ……」


 でも、行き違いになったら悪いし。

 あの駄犬馬鹿だから、正直に私が来るまでずっと待ってそうだし。

 忠犬ハチ公みたいに、何年も待たれたら、可哀そうだし……。人として、普通にかわいそうだし。

 そんな事思いながら待つなんて、私も大概馬鹿だ。

 

「早く、来なさいよ……。駄犬」


 だけど、その日私の前に喜介が現れる事はなかった。

 

「……流石に、今日は無理か」

 

 流石に二時間待ってこないのなら今日は来ることはないだろう。

 フレンド登録もしてないし、彼がログインをしているかどうかすら私は知らないわけだし。

 もしかしたら、何かあったかも。

 風邪とか。何か急用? とか入ったりとか。

 変な意地なんて張らずにフレンド登録ぐらいしてあげればよかったのに。

 昔の私なら、フレンド登録が上限まで近づく度に喜んでたのに。

 姫の時の私と変わりたくてやった事が、こんな風に空回りするのって、何かやだな。

 

「さて、どうしようかなぁ……」


 しかし、予定がなくなった今、自分が何処に行くべきか迷ってしまう。

 先ほど悩んだ強化の事を調べるとか?

 でも、何か気分じゃないんだよねぇ……。

 強くなりたいんだけど、今はそれじゃない。

 昨日の喜介の姿が脳裏に浮かんで消えないのだ。

 あの、ゴーレムの正面に立ち、あのゴーレムの顔面に大剣を叩きつけた、彼の姿が。

 何だろう。この何とも言えない晴れない様な気持ちは。

 この心臓が焼き切れるほどの、熱い熱い、高ぶり焦がす熱は。

 私はもしかして……。

 

「……違う違う。何言いそうになってるんだろ」


 ぎゅっと胸を抑えつけ、私は呆れた様に笑う。

 ちょっとだけ、期待してる私がいるなんて、まだ認めたくはない。


 私は、まだ、昨日の戦いに、昨日味わった勝利の味に、興奮しているだなんて。


 まだ、私はきっと甘い考えを持っている。自分に都合のいい事を考えている。

 わかっているのに、頭の中で加速していく『強さ』への欲が――。

 私も、喜介の様に敵の正面に立ってる程の強さへの欲が。

 

 私は、今、どれぐらい強いんだろうか?

 

 まだ、レベルがたった25だと言うのに。弱いも強いも分からない程のヒヨッコだと言うのに。

 ぺろりと、舌が出る。

 貪欲でなければ、姫なんてやっていなかっただろう。

 自惚れも、此処まで来ると大概にして欲しいものだ。

 



 でも、自惚れを止める術なんて持っているはすがないわけで。

 そうでなければ、姫なんてなれるわけもなかったわけで。

 

「……来てしまった」


 ここはジャスロガンのいる氷河洞窟ダンジョンである。

 何の対策もせずに、無謀にも足を踏み入れてしまった自分に心底呆れてしまうが、来てしまえばそんなもの。

 元々、来る予定だったし。

 居ても居なくてもどっちでもいい喜介がいないだけだし。

 今回は負けてもいいし。偵察のつもりで来ただけだし。

 いい訳なんて掃いて捨てる程出てくる。

 

「さて……」


 取りあえず、雑魚敵でも倒してみる?

 群れで来られるのは勘弁願いたいので、一匹で離れた場所を闊歩している奴に喧嘩でも売ってやるか。

 きょろきょろと、エリア内を眺め要ると、遠くの淵に強そうには見えない魚型モンスターが一匹、地面を這っているを見つけてしまう。

 個体として、でかくはないし、HPも低そう。

 隣のエリアへ移る入口も近いし、ヤバかったらそこに掛け込めれる。

 よし。あの魚、採用っ!

 かのん、行きますっ!



 

「ちょ、ちょっと待って!?」


 喧嘩を売った魚の猛攻撃に思わず叫びながらエリアを駆け回ってるんだけど、何でっ!?

 攻撃力は、確かにそれ程、強くはないけど魔法っ! 魔法吐きまくるの聞いてないんだけどっ!

 下手に近寄ったら氷で壁つられて隣のエリアにも入れないし、かといって攻撃しようとすると私を氷で固められるし、何なの、これっ!

 

「つ、付いてこないでよねっ!」


 先に手を出したのは私なのだが、こんなの、聞いてないっ!

 強いとか弱いとかじゃなくて、どうし様もない感じなの、何これっ!

 遠距離攻撃なら何とかなるんだろうけど、闘拳士の私にはそんなものはない。

 ないと、攻撃、出来ないっ!

 これ、詰んでないっ!?

 

「きゃっ!」


 何かが私の足を取る。

 足が……。

 

「え……っ」


 右足が、凍ってる。

 嘘でしょ? あの雑魚モンスターが吐いた魔法が、右足に被弾したのだ。

 魔法で固まった氷は簡単には剥がれないし、溶ける事もない。

 魚の形をしたモンスターは、動けない私に徐々に距離を詰めて迫ってくる。

 あ、アイテムっ! 状態異常を消す、アイテムっ!!

 どれだ!? どれ使えば、氷は溶けるのっ!?

 これでも、ない、あれでも、ないっ!!

 使った事のないアイテムの山に、私は気だけが焦っていく。

 どれだと、どれだと、スクロールを飛ばしてると、私の前に影が出来た。顔を上げれば、目の前には魚が。

 あれ? この魚、こんなにも大きかったけ?

 小さく見えた個体は、いつしかかのんの身長を超えていた。

 

 それが、私の前に立つ。

 前に立って、私を見下ろしている。

 

 もう、アイテムなんて漁る暇なんてない。

 氷を溶かしている暇なんて、ない。

 詰んだ。完全に、詰んだ。どうしようもない。

 でも。

 どうせ、勝てない勝負なのら……。

 

「黙って、負ける訳、ないでしょっ!」


 私は、凍っていない左足で魚を蹴り上げる。魚が浮いた瞬間、通常攻撃、パンチの連打っ!!

 連続コンボの方法は、既に調べている。

 ただ息をしてるだけで、強くなれるわけじゃない事を、私は良く知っているのだ。

 これで、最後にスキルを……。

 

「あ、れ?」


 かのんの左手が、動かない。


「何でっ!?」


 まだ、コンボがっ!

 そう思って、左手を見れば……。

 

「凍ってる……」


 こいつ、私がコンボしている間に魔法をっ!?

 

「……嘘でしょ?」


 はっと、顔を上げれば、私の周りには無数の魔法陣が空中を彷徨っているではないか。

 いつの間に?

 こちらの攻撃の間に、魔法なんて使えるものなの!?

 足も手も動かない。

 この攻撃に耐えうるHPも、きっと残ってはいないんだ。

 もう駄目だと、目を強く瞑った時、一発の銃声が鳴り響く。

 

「何」


 目を開けると、二発、三発と続き、目の前の魚が突然横に倒れた。

 それに続くように、私の周りに張り巡っていた魔法陣も一個、また一個と音もなく消えて行く。

 一体何が、どうなってるんだ?

 状態を呑み込めないまま、茫然と魚を見ていると、背中に三発の銃痕。

 まさか、これでこの魚が倒れたの?

 眉間に皺を寄せていると、隣のエリアへの入り口に人影が見えた。

 コツコツと、踵を鳴らし、誰かが私に近づいてきている。

 誰かが、私を助けてくれたの?

 でも、助けてくれるだなんて、一体誰が?

 まさか……。

 昔のギルドメンバーの誰か? そんな妄想が、脳裏をよぎる。

 あり得ない話ではない。態々知らない他人を、助ける方がよっぽどあり得ない話ではないか。

 そうなると、もう怖くて顔を上げられるわけがなかった。

 助けて、笑うつもりなの? 弱い私が一人で、こんな場所に来て、指を指して笑うつもりなの?

 足音は、近くで止まり、ため息が聞こえる。

 

「ポチ、お前のせいで嫁が煩いんだけど」


 へ? ぽ、ポチ?

 思わず、顔を上げると、私でも知っている顔が。

 黒い兎耳に、青色の髪。

 どんな女性プレイヤーキャラよりも美しいアバター。

 

「……レン様?」


 この世界で、最も有名なプレイヤーの一人、黒兎人族のサイレンが、私の目の前に立っていたのだ。

 

「……あれ? ポチ、じゃない」


 これって、どう言う事なわけっ!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る