第13話

 どれぐらいの人が、一番最初にこの世界、ネットゲームの世界に足を踏み込んだ時の事を覚えているだろうか。

 初めてメールアドレスを打ち込んだ瞬間、偏った知識のせいでドキドキしなかっただろうか。

 パスワード、間違えていないか心配で何度も紙にかかなかっただろうか。

 ようこそと書かれた画面を、美しいグラフィックを、ただ茫然と目に焼き付けなかっただろうか。

 ムービーで流れた画像は、誰か他のプレイヤーなのかと思わなかっただろうか。

 悩みながら、名前を入れて、キャラクターを選んで。

 文字通り、誰も私をしらない世界に足を踏み入れて。

 

 その時、君は何を思った?

 眩いばかりの、画面一杯の世界を見て。

 私は――。

 私は、この誰も『三浦由奈』を知らない新しい世界で、『かのん』として居場所を作ろうと思ったんだ。

 

「三つは揃ったけど……。残り、四十五万リゴンでしょ?」


 マイルームの机の上に置かれた氷の月を眺めながら、私は険しい顔つきでため息を吐く。

 クリア条件のうち、三つはクリア。

 残るは、あと一つ。

 ここで氷の月入手方法について、おさらいしてみよう。

 氷の月を手に入れる方法は今の所、二つある。

 一つは、お金で氷の月を買い取る事。価格は平均五十万リゴン。因みに、私の所持金は現在五万リゴン。

 道のりは遠いし、売れるものは、既にない状態である。

 リアルマネー投下も考えたんだけど、相場として五十万リゴンはバイトもしていない高校生が易々と手に入れれる金額ではない事は確かだ。

 さて。では、残り一つの方を出そう。

 それは、ボスの討伐。

 氷の月は、一定の確率でボスからドロップするアイテムの一つだ。

 ボスの名前は、ジャスロガン。

 レベル80以上のプレイヤー推奨の氷ダンジョンにいるボスである。

 一定間隔で湧くボスは、状態異常のデバフを駆使し、高い攻撃力をプレイヤーに直撃させる。

 全部、攻略系のサイトで見た知識だけど、書いてある事全て、今の私ではどうしようもない事ばかりだ。

 

「計画がないと、無理な気がしてきた」


 氷の月獲得計画。

 お金もレベルも足りない今、どちらかを、または両方を上げるしかない。

 両者ともに、容易に用意出来る内容じゃないのが、また腹立たしいけど。

 今度こそ、諦めたくない。

 その為には、計画を立てる事は必須だ。

 取りあえず、最初はレベルもお金も得れる方法を。

 

 私は、机から体を起こし、部屋に設備されている黒板へカーソルを合わせメニューを開く。

 ダンジョンのリスト。

 まずは、敵を倒して、お金と経験値をある程度地道に稼がなきゃいなけないわけ。

 勿論、これもネットから得た知識だ。

 だけど、この知識は大分前に得た知識。

 私は、このネットゲームを始める前、ゲームと言うゲームをやった事がなかった。

 携帯のアプリでパズルとかは少しやってたけど、RPGやアクション系なんて、一度も触った事もない。

 家にはゲーム機なんて、妹が携帯ゲーム機を持ってるぐらい。

 私は欲しがる事もなければ、親だって漠然とゲームは『良くない』と言う認識を持っている人達。

 いい子で真面目な『お姉ちゃん』は、興味がいくらあってもそんな『良くない』モノを強請れるわけがない。

 ゲームについての知識も何も知らない私は、このゲームを始める前、熱心に色々調べたものだ。

 ノート一杯に書き出したりして。

 けど、実際そのノートを開いたのは最初だけ。

 

「あ、あった」


 初心者用ダンジョンをいくつかセレクトし、ボスが出る出ない等の情報を見る。

 今のレベルなら、初心者ダンジョンの敵ぐらいなら攻撃を受けても死ぬ事ないだろう。

 最初は、こんなダンジョンがある事も知らなくて、レベル制限なんてかかってもいない転送システムに戸惑った私は、ダンジョン名でダンジョンを選んだ。

 今も良く覚えている。

 スカイリゾン庭園。

 このゲームを始めた時、画面一杯に広がった青空の映像が忘れられなくて。

 私は名前だけでそのダンジョンを選んでしまったのだ。

 そこで、大人しくゲームオーバーになってれば、きっと未来は変わってたかもしれない。

 

 スカイリゾン庭園は、レベル60以上のプレイヤー推奨のダンジョンである。

 つまり、私が足を踏み入れるには少々どころか、大分早い所だった。

 敵は強いし、何より操作が良く分からなかった。どうプレイしていいのかすら知らなくて。

 途方に暮れてた私を助けてくれたのが、源十郎太さん。

 私が『姫』に溺れた最初のきっかけだった。


「ヘイレム・ゴルバ大草原か……。あー。いいかも」


 彼が悪いわけじゃない。彼がした事は純粋に人助けだった。

 だけど、弱い私は、施しの受け方を直ぐに間違えた。

 

「ボスはゴーレム? ゴーレムって強いんだっけ?」


 リアルの私は、目立たない女の子だった。

 高校に入学したばかりの私は、友達も中々出来ずにクラスの隅にいた。

 けど、これは中学校でも一緒。

 気が弱くて、おどおどして。声を出すことが苦手。

 私の声は、何処か可笑しい。

 高いと言うか、鼻声と言うか。アニメの様な声が口から出る。

 その度に、色々な人にからかわれては笑われた。

 普通に喋れないの? 私にとっては、普通に喋っているのに。

 それ、可愛いって思ってる? 可愛いとか、関係ないのに。

 声はコンプレックスの塊だった。

 だから、人と喋る事が苦手。特に、男子は容赦なく、この声を馬鹿にするし、笑い出す。子供特有の手加減を知らない悪戯に言葉のナイフ。やられる事、言われる事全てに傷ついた。

 女子だって、同じたけど、特に性別も体格も違う男子は圧倒的で、とても怖かった。

 

 男の人が苦手。

 それは、このゲームを始める前は本当だった。

 子供だからこそ、狭い世界で、同じレベルの子としか出会わないのだから、仕方がない事だけど。

 だから、最初は、源十郎太さんも怖くて、信じきれなくて。

 でも、彼は本当に、誠心誠意込めて、私を助けてくれた。

 なのに、私は。

 

「魔法の攻撃力ダウンか。これぐらいなら、別にいいかなー。回復薬は、ここで使うと後々痛いし、どうしよう」


 辛い思いを、私はこれだけしてきたんですよ。

 私は、いつしか、その辛いリアルを言い訳に置き換えてしまった。

 私は、悪くなかったんだ。

 私の声を馬鹿にしない。私の話をきいてくれる。それだけで、嬉しかったのに。

 いつしか、それは自分の行為を正当化する道具にしようとしてしまった。

 

「どうせダンジョン入るなら、クエストとか受けといた方がいいのかな? ゴーレム討伐のクエストあるか、見てこよ」


 人に頼るたび、媚びる度に、私の何かが削れて剥がれて行く。

 それを人は『プライド』と呼ぶ事は、遠い未来に知る事になるのを私は知らない。

 いつしか、嬉しいが、当たり前になって、それが楽しいに変わった。楽しいが、楽に変わった。楽がまた、当たり前になる。

 その度に、私が私でいるためのものが消えて行く。

 消えた事なんて気づかずに、私は私を騙す為に、新しい願い事にすり替える。

 

 私はいつしか、この誰も『三浦由奈』を知らない新しい世界で、『三浦由奈』を正当化する場所を作ろうと願っていたのだ。


 


「な、何とか、倒せるけど……」


 ここは、ヘイレム・ゴルバ大草原。

 一通り、エリアのモンスターを倒して回復薬をのんでため息をついているが、経験値は溜まってもレベルが上がる様子はない。

 敵が弱いせいか、残念ながら経験値も予想していたものより随分と少ない。

 本当のビギナーズたちがレベルが上がる音を聞きながら、思わずまたため息が出てくる。

 落とす金額だって、たった二桁。

 弱いから、仕方がないんだけど、これじゃ、五十万リゴンなんて、夢のまた夢だ。

 

「どうしようかなぁ……」


 ゴーレムを倒した所で、こんな場所のボスなのだ。

 得れる金額と経験値なんて、知れている。

 もっと、ざっくり、そして、効率よく。

 

 んーと、唸っていると、私の中に神が降りて来た。

 名案ならぬ、妙案が降りて来たのだ。

 

 あ、そうだ。

 ジャスロガン、狩りに行けばよくない?

 最初は無理だと諦めていたけど、そもそも、その考えが間違いじゃない?

 初心者ダンジョンがこれぐらいなら、行ける気になってくる。

 私、弱いけど。レベル80って書いてあったけど、レベル100以上推奨のヘル・デ・ロッテ神殿の中枢部にたどり着いた実力があるわけだし!

 

 果たして、降りて来たのは幸運の女神なのか死神か。はたまた、笑いの神なのか。

 この時の私にはまだ知る由は無かった。

 ゲーム初心者の恐ろしいところは、ラッキーは常に起きると信じている事。

 ラッキーは本当に偶然であるのかどうか、検証しない事、考えない事。

 人は中々変われないのだと、心から私はこの時知る事になるのだった。

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