第14話 媛巫女就任
春分の日。
今日は、富木さんの若媛巫女就任の儀式が行われる。最も近しい友人の俺たちは、他にもたくさんの神職の方がいる中、特別に参列を許された。
俺と谷見は、谷見の両親の店で誂えてもらったスーツ姿。谷見の父親は、若者メンズ向けのセミオーダーにも手を出したいから、パターンを作るのに協力しろ、と言う。
「うちの息子はちょっと背が高いし、小郡君は、こういうのも申し訳ないが、平均より少し背が低いからな。間をとったら幅広いサイズに対応できる、ってわけだ。
もし付き合ってもらえると言うなら、現物支給になっちゃうけど、バイト代をはたいて他所で出来合いのスーツを買うよりもずっといいものを作れるから、考えてみてくれないか?」
と言われて協力したけど、あんなに手がかかるとは正直思わなかった。
「採寸の当日はブリーフかボクサーパンツを履いて来るように」と言われたから綾音にそう言ったら、
「晴人のブリーフ姿なんて美味しい姿は、私が最初に見るの!!」と言って聞かず、結局採寸の前日に綾音の前で履いて見せることになった。案の定のことになり、夜も姉妹から案の定のことをされた。
しかし、採寸のときにブリーフでなければならない意味がわかった。立体的な体に合わせるために、股下や渡り、腕周り、肩周りなどを細かく測る。特に下半身の計測は、トランクスだとまずいことになる。
「あなた達の体のサイズは全部わかったわよー」と、谷見のお母さんがおどけて言ったが、本当に体の隅々までのサイズを測るのだ。
それをもとに細かいパーツを組み合わせ、何度も仮縫いを繰り返し、袖丈、裾丈、裾幅などを調節し、ベンツの空きを調節し、動きを計算してゆとりを調節する。襟をぴったり体に沿わせつつ、首の後ろは抜けるように。肩のラインもぴったりだ。仕立て屋の技術はものすごい。
確かに、自分に合ったスーツは見た目もいいし、動きやすいし、何よりフィット感が違う。こんなスーツを着てしまうと、もう市販のスーツでは満足できないだろう。
それに、パターンを作ってもらったということは、いつでも自分の体型にピッタリのスーツを仕立ててもらえるということだ。上質なスーツに負けないような自分になろうと努力もするし、体型を維持するモチベーションにもなる。今後スーツを仕立てるとすると、必然的に谷見家にお願いすることになる。長い付き合いの顧客はこうやって掴むのか。
綾音も、谷見のお母さんと一緒に選んだ布でオーダーした、綾音に合ったデザインのスーツ。さすがに谷見のお母さんだ、綾音によく似合うシルエットをいくつか提案してくれた。就活のことも考えながら細かいデザインを決めたのは綾音だ。彼女も何度も仮縫いに通い、大きな胸を強調しすぎない、清楚な印象の持てる、綾音の体にピッタリの服に出来上がった。綾音は就活のためにいずれ必要になるからと、バイト代を奮発しようと思っていたようだが、
「若者向けの試作品だから。就活スーツの練習台になってもらって助かったわ。」と、受け取ってもらえなかったそうだ。趣味で服を縫うこともある綾音は、ある程度生地の相場を知っているから、恐縮していた。せめて生地代だけでも、と言っても、受け取ってもらえなかったらしい。
就活スーツということで、いつものヒラヒラした感じの服ではなかったが、惚気じゃないけど何を着ても綾音はやっぱりかわいい。みんなに自慢したくなる。彼氏の欲目かもしれないが。
そうやって時間と手間をかけて作ってもらったスーツで、3人で参列するのだ。富木さんの晴れの儀式のためには、この服が一番ふさわしいと思う。
綾音によると、富木さんは5日前から様々な儀式を経て、昨夜遅く禊を終え、さらに儀式を終えたあと、これから若媛巫女として正式に認められる儀式に臨むという。
「一番きれいな体で」神様の前に立たなければならないから、一週間以上、デートはおろか電話もできなかったと谷見が愚痴っていた。
一度媛巫女に就任したら、辞めることは許されない。彼女のおばあさんもそうして生きてきたし、彼女もそうして生きていくのだ。今日の儀式は、彼女の決意の現れなのだ。
数時間かけての祈り、拝礼、祝詞、様々な行事の中で神々の承認を得た後、ようやく若媛巫女として認められるのが、最後のこの儀式。時間は短いけど、晴れて媛巫女の仲間入りをする富木さんの姿を、俺たちはすぐ近くで見ることになる。
裏の世界で夜伽巫、夜伽巫女として神使にお仕えする俺や綾音にとって、周りを神職さんに囲まれるのは複雑な気持ちではあるが、内心、同志のような気分だ。神様にお仕えする立場には、裏も表もないはずだから。
今日は、天気予報では晴れだったにも関わらず、このあたりは雨がぱらついている。参拝のときに雨が降るのは、穢を落とす縁起のいいものだと聞いた。俺たちも一緒に禊を受けている、ということだ。
やがて緋袴に紋の入った白い袿と唐衣姿の、威厳のある富木さんのおばあさんが現れ、その後ろから、桜の襲の袿と萌葱色の唐衣に身を包んだ富木さんが姿を表した。手には檜扇、髪はかもじをつけて後ろへ流し、花かんざしをつけている。若々しく、華やかで、堂々としている。
儀式は厳かに行われた。朗々と響く祝詞。祈り。息をするのも憚られるような緊張感に包まれる。
富木さんとおばあさんの前には、御神体の鏡。本当に神様に見つめられているようだ。
富木さんが神様に認められた、気配がしたような気がする。その瞬間、あたりの緊張感が一気に緩んだのを体で感じた。同時に、不思議なことに雲の切れ目から太陽が顔を出し、あたりが眩い光に包まれた。
これが、生身で感じる神様の気配。いつも夜伽をする姉妹ではなく、初めて他の神様の存在を感じた一瞬だった。
格が全然違うのがよくわかる。富木さんは、この神様にお仕えするんだ。俺と姉妹との関係が子供のお遊びに感じられるくらいの強烈な圧迫感。これは、生半可な覚悟では向き合えない。
それでも、富木さんの神様は、俺たちにも優しくあたたかい春の風をふわりと送ってくれた。
それを感じた俺と綾音は、お互いに顔を見合わせ、富木さんを支えていく決心をした。夜伽巫、夜伽巫女として、親しい友人として。
儀式が終わって、富木さんがこちらを向くと、谷見がじっと見つめていたのがわかったようだ。かすかに微笑んで、頷いた気がした。
彼女は、臨席した人に深々とお辞儀をすると、そのまま真っ直ぐに顔を上げて去っていった。
その後ろ姿を見て、思った。富木さんの両親がこの神社を去ったのは、この神様を恐れたからだ、と。富木さんのお母さんがお仕えするには、この神様の力は強すぎたのだ。どの神様にも、人間との相性というものがある。力の釣り合い、というものがある。
神様の御神体は鏡だと言うけれど、神様は文字通り鏡のようなものなのかもしれない。
後ろめたい気持ちで向き合えば、その後ろめたさで心が焼き尽くされる。
相手が強ければ強いほど、自分の心も強くないといけない。
彼女のお母さんはこの神様に向き合うことができなかった、だから選ばれなかった、ということなのだろう。
ほう、っと一息ついて、少しすると富木さんのおじいさんがやってきた。装束を外す前に、富木さんに会わせてもらえるという。
おじいさんのあとに続くと、控え室のようなところに来た。その中で、富木さんとおばあさんが椅子に腰掛けていた。
俺たちは一度おばあさんにお辞儀をしてから、部屋に入っていった。
「カズキ、おめでとう! 若媛巫女さんだね!!」
綾音が富木さんの手を取る。さすがに疲れもあったのか、富木さんは立ち上がるのも大変そうだった。装束も重そうだ。
「ありがとう。緊張しちゃったけど、認めてもらえたみたい。」
今、彼女は「認めてもらえた」と言った。様々な儀式を行う中で、彼女も神様の気配を感じ、あるいは神様の声を受け取ることができるようになったのだろう。本当の意味で、媛巫女の仲間入りをし、これからずっと媛巫女として生きていくのだ。
いつもの大学や女子会での姿とは違う、富木さんの姿。谷見は特に、見惚れてしまっているようだ。何も話せないでいる。
「事前の儀式とか、大変だったでしょ?」
「大変といえば大変だけど、全部意味があることだから。生まれてからここまで、ぜーんぶ修行だったんだなって、今なら思えるよ。」
「なんか、悟りを開いちゃったような感じ?」
「んー、でも、これからもずっと修行だからね。
そうだ、あなた達二人早く結婚しないと。私が取り仕切る結婚式はあなた達が最初って決めてるんだから。」
「やーだ、カズキってば、まだ早いよ。」
ゾクッと殺気がした。
場の雰囲気のせいか、姉妹はずっとおとなしくしてたけど、カチンときたせいか、黙っていられなかったようだ。姉妹からは早く結婚するように言われているのに、フォローしておかないと大変なことになる。
「そんなこと、ないんじゃない? 俺達の結婚まで含めて一連の儀式ということでいいんじゃない? 俺は明日でも構わないけど?」
綾音が段々うつむいてきて、徐々に赤くなってきた。
「まあ、ほら、最初は緊張するからさ、知ってる人のほうがいいんじゃないんですか?」
谷見がいつものような微妙にずれた発言をする。天然なのか、狙ってやってるのか。
「ここで結婚式しておいて、気が向いたら後でパーティーしてもいいんだし。ウェディングドレス着たかったらそっちで着ればいいんじゃない?」
富木さんもノリノリだ。
永遠に続きかねない、気まずい無言の時間。
しばらくしたら、綾音が顔をあげた
「ねえカズキ、また今度、相談していい? 女同士で、話があるから。」
「いいよ?」
綾音がやけに真剣そうな口調で言っているけど、富木さん、何で俺のほうをチラチラ見るのかな? これはやっぱり、俺も結婚式の相談に参加しないといけないコースなのかな? それも、アヤネの服を着て。
次の女子会のテーマは、これになりそうだ。
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