第12話 和希vs谷見家

 カツくんのお母さんと約束した土曜日は、立春。おばあちゃんに相談したら

「行っといで。帰りは遅くなるんだろうけど、今日はおじいちゃんもおばあちゃんもいないからね。帰ってきても鍵は開いてないよ。女の子一人じゃ不用心だからね。」

「? 私、どこに泊まってくるの?」

「今時、ホテルでも何でもあるでしょう? じゃあ、行っといで。あちら様に迷惑かけるんじゃないよ。」

「でも、お泊りって……。」

「修行!!」

「……はい……。」

 なんか解せない。でも、修行と言われては仕方がない。

 確かに、おばあちゃんはおじいちゃんと一緒に、午後から出かけることになっている。明日、ちょっと遠くの神社でのお祭りに参加するためだ。

 数年に一度、媛巫女の称号を持つ女性が、全国から全員参加する大きなお祭りがある。8人いる媛巫女は、それぞれ神話にゆかりのある地域の神社でお勤めをしている。おばあちゃんは8人のうちの一人だ。私はそのおばあちゃんのあとを引き継ぐんだ。不安感がまさってくる。

 今回のお祭りは日付が変わった瞬間から禊が始まって、日の出とともに祈祷が始まり、お昼12時くらいまでの祭祀で、おばあちゃんはその足で帰ってくる。おじいちゃんは、付き添い。もう年なのにこんな強行軍なんてと思うけど、うちの神社の行事もあるから仕方ないのかもしれない。私が早くサポートできる立場にならないと。


 泊まる場所はともかくとして、カツくんのお母さんとのお出かけだ。年上の女性と街を歩くのに、いつもみたいな格好じゃダメだ。きちんとした格好をしないと。でも、それらしいのは成人式のワンピースくらいしか持ってないから、選択肢は他にない。

 ということで、ワンピースの上にコートを羽織って出かける。女の子として着られる、私の一張羅。


 朝9時。おばさまとの待ち合わせの駅に来たら、もうおばさまが来ていた。

「すみません、お待たせしました。」

「私も今来たところよ。じゃあ、付き合ってもらいましょうかね。その前に、携帯の電源切ってくれる? こんな楽しいこと、勝明に邪魔されたらたまらないわ。」

 言われたとおり、携帯の電源を落とした。いずれにせよ、年上の女性と歩くのに携帯を気にするのは失礼だ。

 おばさまは私と世間話をしながら、歩き出した。

「ちょっとここに寄るわね」と、大きな通り沿いのレディース服のお店に入り、おばさまが店員さんと話している間に、マネキンが着ている服を見る。

 質のいい上品な服。ベーシックなデザイン、女性の体をきれいに見せてくれそうなライン。

 ちょっと大人っぽくて、アヤネの持ってる服と雰囲気がぜんぜん違う。

 アヤネの服は、ヒラヒラふわふわのが多いけど、このお店の服は縦のラインが強調されてる感じ。コートの裾もふわりと広がっているわけではなく、ストレートにちかい、どちらかというとマニッシュな感じで、女性であることを強調していない。でも、女性的なラインは捨てていない。私でも手を出しやすそうなデザインだ。こんな服を着こなせるような、素敵な女性になれるかな。なりたいな。

 おばさまのお話が終わったようだ。

「お待たせしました。さあ、行きましょうか。」


 ちょっと歩いたところにあった、おばさまが入っていった一軒目は、なんとエステサロン。

 従業員のお姉さんに、「徹底的に磨いてあげて」と指示している。

「はい、社長」

「え? おばさまが社長さんなんですか?!」

「まあね。じゃあ、終わった頃にまた来るわね。」


 それから、たっぷり2時間コースだそうだ。下着まで脱いで、バスローブ姿でお姉さんの前に出ると、サウナに入ってからシャワー。フェイシャルマッサージ、頭の先から足の先までを含む全身マッサージ、全身パック。普段触れられないところにまでローションを塗られ、「ひゃっ!」と思わず声が出る。

 お姉さんの手が全身をくまなく滑り、体がムズムズするのと気持ちいいのと、恥ずかしいのとで、なんとも言葉にできない。

 お姉さんは褒め上手で、

「無駄なお肉が全然ないですね、理想的だわ。」

 と言ってくれたけど、女性としてはもう少し胸のあたりのお肉がほしいところ。

 そう言ったら、

「そんなの、男性の価値観ですよ? 女性から見ると、すごく理想的な体型だと思います」

 お姉さんは褒めちぎってくれて、もしかしたらそうかも、と思わせてくれる。


 そうこうしている間に2時間近くがすぎた。

 終わってバスローブを着た頃に、おばさまが現れた。その手には、可愛い下着のショップの袋!目測でサイズがわかるんだそうだ。

 確かに、サイズはぴったりだった。Aカップというのはちょっと微妙だけど。おばさま、侮れない。

 おばさまはその袋の中から一セット取り出して、バスローブ姿の私に手渡した。

「着替えるときにこれ着けてね。女の子の服装は、可愛い下着から始まるんだから。」

 おばさまはアヤネのようなことを言う。


 そこから、また最初に寄ったレディース服の店。今度は、ちょっと広めの試着室に通された。

 頭の中が?????になっている私に、さっきおばさまと話していた店員さんが、ニッコリして

「まずはこちらをお試しください。」

 と、コーディネート一式を渡してくれる。帽子、ニットのトップス、裾がちょっと広めの、ウエストでリボンを結ぶタイプのフルレングスのワイドパンツ。トップスはINして、脚長効果。上から羽織るジャケット。大学に来ていけそうなコーディネート。

 備え付けの鏡で見てみると、体にぴったりだ。顔も明るく見えるような色使い。

「あの、こんな感じになりましたけど……。」

 おどおどしながら試着室から顔だけ出してみる。

「まあ、ちゃんと見せてちょうだい?」

 おばさまに言われたとおり試着室を出てみると、別のコーディネート一式を持った店員さんと、おばさまと、もう一人、シングルのスーツをカッコよく着こなす男性がいた。

 カツくんのお父さんだ!。

 着慣れない服を着て、そこはかとなく圧迫感を感じるカツくんのご両親を前にして、緊張がマックスになった。

「あの……。」

「また会いましたね、勝明の父です。いつもお世話になっているようで。」

 私の緊張をほぐそうとしてくれているみたい。

「いえ、私の方こそ、いつも送っていただいて。」と、頭を下げる。

 おじさまは、目を細めてにっこり笑って

「これからも、勝明をよろしく頼みます。」

 と言った。気さくな方で、笑った目がカツくんとそっくりだ。

「どう? いい子でしょ?」

 とおばさまが言うのに、ウンウンと頷くおじさま。恥ずかしい。


「一着目、OK。じゃあ、二着目。」

 というおばさまの声で、店員さんが2つ目のコーディネートを手渡してくれた。アヤネの女子会の時の着せ替えごっこみたいなのかな? 2つ目のコーディネートに着替える。こっちは、さっきよりカジュアルな、ボーイッシュな中にも女性らしいラインを残したシャツに、ロングタイトスカート。これを、合計3回繰り返し、そのたびにおばさまがOKを出していく。おじさまはそんなおばさまの姿をニコニコして見ている。なんだか、愛情が目に見える気がする。


 最後のコーディネートは、お出かけ着。チャコールグレーの、オフショルダーの肩を細いリボンで留めた、裾に軽くフレアが入った光沢のあるブラウスと、膝丈セミフレアスカートのセットアップ。よく見ないとワンピースにしか見えなそうな感じ。シンプルで、その分着る人を選びそう。上から羽織るショールもシンプル。靴も飾り気がなく、ちょっとかかとが高くて、大人っぽい。

 無駄な飾りがない分、小物をアクセントに使う。ネックレスとイヤリング、それにアンクレット。シンプルな靴を履いた足元にキラっと輝いて、いいアクセントになっている。

 アウターのコートは、シングルのちょっとだけ裾の広がったライン。丈は私の身長に合った、大人っぽい膝丈ロング。高級そうな、滑らかなカシミアの白いステンカラーで、襟元と袖口にウサギのファーがついていて、ふわふわして暖かい。


 生地とファーの手触りを楽しんでいると、おばさまが店員さんに言った。

「頼んだコーディネート3パターンとも、彼女に誂えたみたいにぴったりじゃない。

 あなたも腕をあげたわね。合格です。来月から、副店長に昇格ね。」

「あ、ありがとうございます! 頑張ります!!」


 意味がわからない。

「あ、あの、おばさま?」


「ああ、あなたに昇格試験の課題になってもらったのよ。お礼に、今日のコーディネートは今後あなたに着てもらうことにするわね。」

「そんな、いただくわけには……。」

「誤解しないでね? あなたがこれを着て街を歩くと、うちの店の広告になるのよ。

 ここの商品は、流行を追わずにオーソドックスなシルエットだから、長く着られるはずよ。いいものを長く大事に使ってもらった方が、こちらも嬉しいもの。

 それにね、大きな声じゃ言えないんだけど、これみんな試作品なのよ。ちょっと若めのデザインを来年販売の秋冬のラインに乗せるかどうか、あなたを使ってテストさせてもらったんだから、気にしないで使ってちょうだいね?」


 そして、最後に付け加えた。

「あなた、大学でいつも男装してるんでしょ? そんな子をかわいく女装させて、ドキドキおどおどしてるのを見るのって、楽しいじゃない。」

 それを聞いて、おじさまが声を上げて笑った。


 おばさまはカツくんと同じことを主張する。

 うん、間違いなく親子だ。カツくんよりずっと上手な感じはするけど。

 そして、他の人で楽しむ癖がある。


「おばさま、先日一緒にお邪魔した須藤さんなんですけど、私に女の子の服とか、お化粧とか教えてくれるので、きっと彼女は魔法使いだって思ってたんです。」

「だったら、私はさしずめ魔女ってところかしらね?」

 今度は、おじさまとおばさまの二人が同時に声を上げて笑った。


「ここからのおじさんはただの荷物持ちだから、気にしちゃだめよ? いないものと思ってね? じゃあ、次行きましょうか。」

「あの、おばさま、このお店って……。」

「ああ、言ってなかったわね。

 おじさんがオーナーで代表取締役、おばさんが社長でデザインやってるの。だからおじさんにも一緒にいてもらったのよね。人事に関する決定だから、おばさん一人で決める訳にはいかないものね。」

 私は最後に試したコーディネートを、服からアクセサリー、バッグ、靴まで身に着けたまま店を出て、おじさまは私が今まで着てたワンピースや、お店で試したコーディネート一式を車のトランクに積んだ。おばさまは助手席に乗り込む。

 あれ? この車ってカツくんの……。

「勝明がいつも乗ってる車。あなたを乗せるのに使ってるでしょ?

 そうじゃない時は、勝明に荷物運ばせたり、運転させたりもするし。

 だから、勝明が車の免許を取りたがったのも、私達にとっては渡りに船だったの。動ける人間は多いほうがいいもの。

 勝明があなたと出会ってから、いろんなことがうまく回ってるのよね。

 車だと小回りが効くし、思い立ったときに運転手になってもらって店舗を回れるし、私がいなくても荷物だけ運んでもらうこともできるしね。

 難しい話はあとにしましょう。さあ、乗って乗って。美味しいもの食べに行くんだから。」

「今日は、勝明さんはどうされてるんですか?」

「家でお留守番よ。今日はお出かけする予定もないはずだから、羽を伸ばしてるか、ネットの動画でも見てるか、新しくて面白いことでも見つけてるんじゃないかしら。」


 連れて行かれたのは、天ぷらを出してくれる高級店。お店の前で躊躇していると、

「うちは娘がいないから、こうして一緒にランチする若い相手もいないのよねぇ……。」

「一度、若い女の子とうまいものを食べてみたかったんだよなぁ……」

 おばさまがおじさまに肘鉄を食らわす。おじさまは大げさに痛そうにお腹をさする。いかにもユーモラスな夫婦のやり取り。このお二人相手に、とても「いや」とは言えない。

 カツくんは、このお二人のもとで育てられてきたんだな。

「ありがとうございます、おごちそうになります」という他になかった。


 初めての高級店で緊張している私に、おばさまはそれぞれのお店に対する思いを語ってくれた。

 何よりも、日本で、日本人の手でということにこだわっていること。

 例えば、服なら日本製にこだわる。生地も縫製も日本で。日本人の縫い子さんしかいない工場にしか発注しない。その分値は張るけど、品質はものすごくいい。

 オーダーなら紳士服も作る。おじさまのスーツのお仕立てがいいのは、そのせいだ。体にフィットしたスーツは、量産品では手に入らない。襟の先から袖の先まで行き届いている、オーソドックスでシンプルだけど、一番腕がわかる紳士服のスーツ。

 メイドインジャパンは、どんなものよりも価値の高いブランドだ。コストはかかるかもしれないけど、日本人の手で、日本人の体にあった、日本人のためのものを、と熱く語ってくれた。


「富木さん、うちの製品の布を1000円安いのにして、1000円安く売ったら、どうなると思う? 一着あたりの利益は変わらないよ。」

 おじさまの質問は、ひっかけ問題なのだろうか?

「安かったらその分売れると思いますが……。」

「残念。やってみたことはないけど、おそらく逆に、売れなくなると思うんだよ。」

「え?」

「うちの価格帯から1000円くらい安くなったからって、それを理由に買い始める人なんてほとんどいない気がするんだよね。でも、質が落ちて上客さんが去っていったら、利益はガタンと減る。やる理由が無いんだよ。うちのお客様は、価格ではなく、価値を見て買ってくださっているんだ。」

「そうなんですか。」

 価格と価値の釣り合い。奥が深い。

「うちで買ってくれるお客様は、それなりの品質を、それに見合う価格で求めてくださっているの。それに対して、お客様と接するスタッフが服を価格だけで判断するような人たちだと、お客様と価値観があわなくなるでしょ? これ以上ない品質のものを売っているという、製品に対する自信を持った上で接客してもらう。だから、スタッフの教育にも手を抜かない。メイドインジャパンのものをお客様に提供する、メイドインジャパンの気遣い、心遣いができるスタッフを育てるの。

 サンプル品の服も処分するくらいなら、それを着こなしてくれる方にプレゼントして、よさを理解してもらってるわけ。運が良ければ差し上げたお客様が気に入ってくれて、他のものも注文してくれるかもしれないでしょ? 着た人の雰囲気に合った、上質なものだと、そのお友達がお客さんになってくれるかもしれない。宣伝効果は大きいの。

 そして、スタッフにもお得意先のお客様にも、提携しているエステや飲食店に定期的に会社の経費でご招待するの。自腹じゃ絶対行きたくない値段だけど、タダなら体験できるでしょ? お客様やスタッフに上質なものに触れてもらうのは、お客様に本物のメイドインジャパンに触れていただくため。お客様にいいものに触れていただいて、うちの服の良さにも目を向けていただく。それぞれのスタッフも、お互いの仕事ぶりを見て自己研鑽する。富木さんを今日連れてきたのも、そういう場所。だから、本当に気にしないでね。」

 そして、私もいつの間にか自分のことを話していた。神社のこと、祖父母のこと、大学でのこと。日本人としての価値観は、神社と共通するところがある。

 気づかない間に美味しく食べ終わっていたのは、カツくんと似ているおじさまとおばさまの雰囲気に安心したからだろう。

「それにしてもあの勝明が、こんな素敵なお嬢さんとお付き合いするとはな。」

「いえ、あの、お付き合いとかじゃ……。」

「いいのよ、わかってるから。勝明はね、前にも言ったように、自分の気持ちには疎い子なの。あなたみたいなしっかりした子がお友達になってくれて、おばさんは嬉しいのよ?」

「はあ……。」

 なんだか、品定めされている気がする。おばさま、やっぱり策士だ。侮れない。ただの他愛もない会話なのに、なんでも見抜かれているように感じる。剣を抜いてもいないのに相手を威圧する、居合の達人みたいなものだろうか。食事のときの作法も、ちゃんと身につけていてよかった。


 ……そういえば、お店? 服屋? もしかして、あのドライブ……。

「あの……。間違ってたらごめんなさい。

 勝明さんが前、倉庫のような建物に段ボールを車で運ぶバイトをしていて、それに付き合わされたことがあるですが、あの中身って、お店に何か関係がありますか?

 勝明さんは企業秘密だって、とぼけてたのですが、本当は何ですか?」

「段ボール運び?

 ああ、ゆうちゃんが前に言ってたのって、富木さんのことだったのね。

 モデルさんみたいな別嬪べっぴんさんをいきなり連れてきたことがあるからびっくりしたって。

 また連れてきて今度は上がってもらってよ、といっても、勝明が嫌がるからつまらない、って。」

「ゆうちゃん、さん、って誰ですか?」

「あそこ、うちの縫製工場なんだけど、そこを切り盛りしている女性よ。

 私と年がほとんど変わらないんだけど、おばさんって本人に言うと激怒するから、気をつけてね。」

「は、はぁ。」

「企業秘密というのも本当で、型紙とかサンプル品とかが入ってるんだけど、勝明もそこまでもったいぶる必要はないのに、もう。

 余計な心配かけさせちゃってごめんね。」

「勝明にそういうことを期待するだけ無駄だよ。」

 あの朴念仁ぼくねんじんっぷり、親御さんも諦めてるの!?

 やはり、そうだったのか。


「そうだ、あの、おばさま、先程のエステは……?」

「あそこは私が主体になって経営してるの。自分のデザインした服を着てもらう女性には、徹底的にキレイになってほしいじゃない? おばさんは、女性をキレイにして、喜んでもらいたいのよね。」

「せめてエステ代は……。」

「あれも、新人の研修なのよ。だから、あなたは練習台なの。付き合ってくれて嬉しいわ。職員同士でやってても、上達はしないものね。」

「はあ……」

「あなた、自分が女の子だってこと隠してきたでしょう? でも、いつまでもずっとそのままじゃいられない。いざというときに、女性として胸を張って、自信を持っていてほしいの。私の仕事は、そういう自信のない女の子が、自信を持つためのお手伝いをちょっとだけすること。」


 そうか。神社では、参拝した人の心を調えて、背中を押す。おばさまの仕事は、女性に自信を持たせて、背中を押してあげる仕事ってことだ。つまり、私自身に自信がないと、人の背中を押してあげるなんておこがましいこと。媛巫女として在るためには、人前で胸を張っていられるだけの自信が必要だ。それも、女性として。

 今まで、自分が女性であることを隠してきた。狙われてるかもしれないと、怯えてきた。でも、それじゃだめだ。怯えちゃだめだ。怖がっちゃだめだ。

 だって、私は媛巫女になるんだから。

 人の心の拠り所になる神様のお手伝いをするんだから。


「大事なことを教わりました。ありがとうございます。」と頭を下げた。

 おじさまとおばさまはキョトンとして、顔を見合わせていた。


 食事のあとに向かったのは、美容院。ここもおばさまの事業の系列のお店だそうだ。

「若いカットモデルを連れてきたわ。とびっきりキレイにしてあげて。」

 その一言で、おばさまは私の持っていたバッグやコートを取り上げた。私は美容師さんに連れられて椅子に座らされ、襟元にタオルを巻かれ、撥水素材のケープを着せられ、そのままシャンプー台へ連れて行かれた。

 髪を洗われて、頭皮マッサージとコンディショナー。気持ちよくて、寝落ちしそうになった。

 椅子から立ち上がったら、今度は鏡の前に座って、軽くドライヤーで乾かしたあと、カット。ショートカットで、でも女性らしく整えてくれる美容師さんの一連の動作を、おばさまがしっかり見ている。

 美容師さんが声をかけてくれる。

「クセのないバージンヘアーで、きれいな髪をなさってますね。長く伸ばすと、日本人形みたいな感じになりますよ。」

 無駄な動きがない、迷いのない手さばき。全体を見ながら細かいところを調整していく。客に不安感を与えず、リラックスさせた状態で作業をする。一人ひとりの顔立ち、髪型、なりたいイメージを頭に入れ、狂いなく手を動かしていく。

 カットのあとはブローで髪の流れを整え、その後はメイクに入る。いつもアヤネとやっているときに身に着けた基本の上に、今日はアイメイクを丁寧にやってくれた。眉を整え、ビューラーでまつげを巻いてマスカラ。目尻のところにだけアイライン。

「お肌がすごくキレイ。スベスベしてますね。お化粧映えする顔立ちですよ。意思が強い目をしてらっしゃるから、ここぞというときは強調すると効果がありそう。でも、ご自分でやるときは、キツくならないように注意したほうがいいかもしれませんね。」

「練習します……。」

「お友達と一緒に研究するのも楽しいんですよね。ご自分に似合う色の組み合わせを見つけたり、身につける服の色を少しだけ取り入れたりするのもいいですよ。」

「お化粧って、顔だけ見るんじゃないんですね。」

「その日の服全体を見て考えるのも楽しいんですよ。和服の帯締めや髪飾りに、着ている和服の中に入ってる一色を取り入れるのと同じ。全体として統一感が出るんですよね。例えば今日のお召し物だと、アイシャドウやアイブロウの何処かにグレーを足すとか。」


 顔だけじゃなく、ファッション全体を考えて施す、隠れたワンポイントになるメイク。

 今のその人だけじゃなく、人生全体を考えた上で、ささやかだけど一つの節目になるような祭事。

 共通項がある。

 今日は、学ぶことばかりだ。おばあちゃんの言ってた「修行」って、幅広くて奥が深いな。

 媛巫女のやることは、決して特別なことじゃない。日常の生活のすべてに考え方のヒントが隠れてる。でも、そのヒントを拾い集めて自分の中で形にしないと、媛巫女としてはやっていけないということなんだろう。


 メイクも一通り終わり、今まで見たことのない私が鏡の向こうからこちらを見つめている。その後ろから、おばさまがこちらに話しかけてくる。

「どう? 今のお気持ちは?」

「自分じゃないみたいです……。こんな自分、初めて。」

「女の子っていいでしょう? 女の子でいることって、誇らしいわよね?」

「はいっ!」

 今は、本気でそう思っている。自分が女の子でいられることが誇らしい。やっぱりおばさまは魔女だった。



 夕食は高級お寿司だった。ここのお店も提携関係にあるみたい。

 ついカツくんのお兄さんのことを聞いてみたら、おじさまが真面目な顔をした。

「弘樹がただの遊び人だと思うかい?」

「え? 何か裏があるんですか?」

「和希さんが今日一日つきあってくれたから、話しちゃうか。本当は自分でこの結論にたどり着いてほしかったんだけどな。大人はみんな、えげつないんだ。」

「実は仕事だったんですか?」

 かなり意外。

 道楽息子と言っていたから、失礼だけど、一家の黒歴史かと思ってたのに。

「何だろう……。バイヤーさん? でも、写真家とは関係ありませんよね。」

「惜しい。

 こんな話を聞いたことないかい?

 創作料理で知られている、とある二ツ星レストランは、シェフを世界各地に派遣しているんだ。何でだと思う?」

「創作料理ですよね。いろいろなものを食べるため?」

「正解。世界各地の料理を体験し、お店で反映できることが何かないか、ひたすら探し回ってるんだ。

 創作料理だから、ネタ切れだけは避けたいんだ。」

「だとしたら、弘樹さんも似たような理由で?」

「半分は正解だ、

 実は、服作りのアイディアに役立ちそうな写真をいろいろ集めてもらっている。

 どのような人が、どのような生活をして、どのような服を着ているか。

 他の服屋さんが出している服ででよさげな特徴があったら、そこを頂く。

 まるごと真似するような恥ずかしいことはしないが、様々な服からアイディアのいいとこ取りをするのは問題ないだろう。

 他にも、世界各地の料理のいいところ、参考になりそうなところも撮ってもらって、使うようにしているんだ。お友達のお店の皆さんにもアイディアを提供してるんだ。

 別に本場のものを出す必要ないんだ。受け入れられやすいよう、アレンジする必要がある。」

 そうなのか。

「もう半分は何ですか?」

「弘樹を鍛えてるんだよ。

 慣れない環境でもなんとかできるよう、多少のトラブルがあっても切り抜けられるよう、人生経験も積んでもらってるんだ。

 自営業はかなりストレスがたまるし、アクシデントだってある。

 簡単に潰れるようなら替えを探さないといけないんだ。

 旅費はある程度は出すけど、本人にも少しは生活費を稼がせてる。

 弘樹が日本に戻ってきたときにはバイトばっかりだよ。」

「和希ちゃんも谷見家の人間になるなら、もっとしたたかにならないといけないよ?」

「おばさま!?」

 ボクが谷見家の人間って、もしかして、もしかして!?!?!?!

「勝明は見ての通りあんなのだから、しっかりした人に支えてもらってほしいな、なんておばさんはずっと思ってたんだけど、和希ちゃんなら大丈夫そうかな。」

「え?」

「これからも、勝明をよろしく頼むよ。」

「おじさまも何を言ってるんですか!?」

「これで谷見家も安泰だ。

 めざせ、谷見財閥で日本征服!」

「あんた、何バカなこと言ってるのよ。

 いっつも、疲れた、もう嫌だ、とか愚痴ってるくせに。」

「ははははは。」

 もう本気か冗談かわからないよ。


 谷見家の皆さんはやることがえげつない。


 後半から味がわからなくなった夕食を終えたあと、カツくんのご両親に連れられて谷見家についたのは、夜9時近くのこと。

 ご両親は、私にくださった洋服などをカツくんの車のトランクに積んだまま、自分達だけ別の車に乗り換えた。明日から海外出張で朝早い出発であるため、空港のそばのホテルを予約しているからと、そのまま行ってしまうという。私を外へおいたまま。

「勝明に送ってもらうといい、荷物も車に積んであるままだから、荷物運びにはちょうどいいだろう?」

 おじさまがそう言って、車に乗り込んだ。

 おばさまは、おじさまに聞こえないように、こっそり


「いい? 女の子には、度胸試しが必要なことが、必ずあるの。勇気を出して飛び込むチャンスがあったら、無駄にしちゃダメ。

 困ったことがあったら、バッグの中に入ってるもので打開できるかもしれないから。頑張るのよ? 勝明は偉そうなことを言う割に肝心なところでへたれるから、もう一気に押し倒しちゃっていいから。」

 とささやいていった。手にしているバッグは、先ほどおばさまから洋服と一緒にいただいたバッグだ。

 一気に押し倒しちゃっていい??


 私が谷見家の玄関に立つのを見届けてから、二人は去っていった。

 とりあえずチャイムを押そう、と思って、手が止まった。

 いまの私のこの格好、おじさまとおばさまが褒めてくださったとは言え、カツくんの目

 にはどう映るんだろう。いつもと違って、髪型もメイクもバッチリだ。エステにまで行って、お肌もツルツルになってる。

 いつも、男の子の格好をしてきた。成人式でのワンピースのときは、カツくんはちょっと複雑そうな目で私を見てた。彼にとっては、私は性別不詳の富木和希じゃないといけないんだと思った。

 どうしよう。カツくんにどう見られるかが気になる。カツくんに、女性としてみてもらいたい自分がいる。どうしたらいい?

 そう逡巡しているうちに、体が冷え切ってきた。手がかじかみ、体がガタガタと震えてきた。たまらず、助けを求めるようにチャイムを押した。


「はい?」と返事をしたのは、カツくん。少しホッとして、

「カズキです。」と名乗ったら、家の中からドタドタと足音が聞こえてきた。

 慌てたように鍵を開ける音がして、カツくんが顔を出す。

「カズちゃん!! どうしたの、こんな時間に。」

 そう言ったあと、彼の目が点になる。

「カズちゃん、その格好、母さんの?」

「うん……、髪型もメイクもしてくださったの。おかしいかな?」

「ううん、大人っぽい。カズちゃんにピッタリだ。」

 カツくんは、本気でそう言ってるみたい。よかった。


「父さんと母さんは? 出張だって聞いてたけど。」

「私を玄関の前でおろして、そのまま行かれたよ。」

「カズちゃんを置いてっちゃったの?! じゃあ、すぐ家まで送っていくよ。」

「それがね……、今日は誰もいなくて、不用心だから、おばあちゃんがどこか他所で泊まってこいって……。」

「はあ?」

「カツくん、とりあえず、上げてもらってもいい? 寒くて……。」

「ああ、そうだ。入って入って。温かい飲み物準備するから。」



 カツくんは、私をリビングに通してソファに座らせ、温かい紅茶を淹れてくれた。

「部屋が温まるまで、ちょっと待ってて」

 と、エアコンを強めに設定してくれて、赤外線ヒーターをつけて、私の方へ向けてくれた。

 お陰で、ちょっとずつ体が温まってきた。


「どれくらい外にいたんですか? 冷え切ってるんじゃないですか?」

「うん、寒かった。」

「早く呼び鈴押してくれればよかったのに。」

「だって私、こんな格好だから。」

「女の子らしくて、きれいじゃないですか。」


 きれい、と言われたことで、ちょっと自信が出てきた。今言わなきゃ、言えなくなってしまう。


「私が神社の跡を継ぐ媛巫女の修行中だってことは、知ってるでしょ?

 自分が神様だったら人間にどうしてほしいかな、人間に何をしてあげたいかなって思ってたの。

 日本には八百万の神々がいらっしゃるって言うけど、信心深い人って確実に減っていて、神頼みばっかりする人が増えたと思うの。普段から神様に対する感謝とか、信心とか、崇敬とか、そういうのが無くなって、いざという時にだけ頼る人が多いじゃない? それじゃ、神様の心は離れていくでしょ?

 今日、おじさまとおばさまのお話を聞いて、いろんな人と触れ合って、思ったの。

 神様って、一時的にこちらから手を伸ばすだけじゃなくて、本当はいつも寄り添っていないといけないんだって。

 技術を身につけるのもそう、見る目を養うのもそう、品質を保つのもそう。自分から常に向き合って求めてないと、本当に神様が手を貸してくれることはない。その場だけを取り繕うために神様がいるんじゃない、自分が本気で頑張ったら、ちょっとだけ手助けして、本気で護ってくれるのが神様なんじゃないかなって。

 で、私が継ぐことになる媛巫女ってね、神様にお仕えする女性として、神様と人間の橋渡しをする役割だと思うの。

 本当に頑張ってる人に、神様が背中を押してあげるために私がいるの。

 あなたの人生に幸あれって祈るために、私がいるの。

 この地域を、この国を、人々をお護りくださいって、神様をお祭りするために私がいるの。

 で、男性とは違う力を持った女性として、自分を磨いていかなきゃいけないと思ったの。


 上手に言えないんだけど……。

 だから、大学以外では、性別不詳の富木和希はお終いにするの。

 私、女性として修行したい。女性として成長したい。

 今までありがとね、カツくん。カツくんがいつも送ってくれて嬉しかった。友達にしてくれて嬉しかった。

 でも、カツくんと今まで一緒にいたのは、性別不詳の富木和希だもんね。


 成人式のときカツくんが私に距離を感じたっていってたでしょ。複雑そうな顔してた。きっと、女の子の私を受け入れられないんだろうなって思った。

 でもね、今ここにいる女の子の私も、大学での性別不詳の私も、どっちも私なの。だから、できたらこれからは女の子として、私を私として見てほしい。

 無理なら、無理でいい。だめなら、だめでいいよ。私、誰よりもカツくんのそばにいたくて頑張ってきたけど、もう友達にもなれないって言うなら、諦める。」


 最後は涙声になった。普段は男の子なのに、こんな時にだけ女を全面に出すなんて。だから女はずるいんだ、とか言われたくないから、一生懸命我慢した。




「カズちゃんは、友達でいたいんですか?」

 予想外の言葉が返ってきて、涙が一気に引っ込んだ。


「俺、叱られたんです、須藤さんと小郡さんに。」

「え? 」

 いつのことだろう。

「出来損ないとか、唐変木とかも言われました。」

「どういうこと?」


「俺が、ちゃんとカズちゃんのことを見てないって。女性として成長しつつあるのに、それを認めてないって。」


「……。」


「最初は、やっぱり難しかった。でも、成人式の日にワンピース着たカズちゃんを見て、改めて女の人だって認識して。」


「うん。」


「で、成人式のカズちゃんを待ってる間に、今までカズちゃんのうわべだけしか見てなかったって気付いたんです。

 どんな格好してても、私は私っていうカズちゃんの言葉の意味がわかった気がした。俺はそれまで、男の子のカズちゃんとして接してて、他の同級生たちと同じ見方しかしてなかった。そのくせ、自分のことを須藤さんや小郡さんよりも近くにいると思い込んでいた。おかしいですよね。 

 で、まず、スマホで「ひめみこ」っていう言葉の意味を調べたんです。そしたら、漢字変換の時点で、「皇女」って言う文字が出てきて、驚きました。実は、ただ事じゃないんじゃないかって。

 カズちゃんに近づきたくて、神社の勉強もしました。どこにでもあるし、今まで正直気にもしてなかった。でも、日本人の信仰心の拠点、というか、支えなのはわかってきました。

 まだ深くは理解できてないけど、神社は天皇に繋がることもわかりました。天皇は、海外の要人をもてなすとか、慰問とか、手を振るとかじゃなくて、本当は国家、国民の安寧のために祈るのが仕事だって。」


「うん。」


「で、カズちゃんが媛巫女としてたくさんの人の心の拠り所とか、支えになるとすれば、俺はカズちゃんのそばで、カズちゃんを支えたいと思ったんです。たくさんの人を支えることはできないけど、せめてカズちゃん一人だけは全力で支えられる男になりたいんです。

 だからカズちゃん、俺、男としてカズちゃんの一番そばにいたいです。女性として成長するカズちゃんを、一番近くで、男として応援したいです。そばで一緒に成長したいです。

 俺じゃ、カズちゃんの支えになることはできませんか?」


「カツくん、私と一緒にいてくれるの?」


「一緒にいさせてください。俺、カズちゃんが立派な媛巫女になる姿を一番近くで見たいです。」


 涙が止まらない私の髪を、カツくんはずっと撫で続けてくれた。




 涙がおさまってちゃんと言葉が出るようになってから、やっとカツくんとまともに会話ができた。

「おばさまがね、女の子として自信が持てるように、たくさん頑張ってくださったの。

 だから、今日は女の子として、カツくんの前に立ちたかったの。

 大学での私がどういう格好してても、ちゃんと女の子だって見てほしかったの。

 すごく勇気要ったんだよ? 」


「わかってますよ。

 カズちゃんはちゃんと女の子です。」


「…………そうだ、おばさまがね、バッグの中にあるもので事態を打開できるかもっておっしゃってたんだけど。何をくださったのかな。」



 バッグのなかを、二人で覗いてみた。


 エステサロンのボディクリーム。肌がしっとりして、ちょっとパールのような光沢が出る、いい香りがするやつ。


 美容院のメイク道具一式。 下地からマスカラ、ブラシやビューラーなんかの小道具も。


 あと、見慣れない、薄っぺらい銀色のパッケージがある。


「??? カツくん、これなんだと思う? 」

 親指と人差し指でつまんで、目の高さに上げて、差し出してみた。


「そっ!!」


「そ?」

 明らかに、声が裏返っている。こんなに慌てたカツくんを見るのは初めてだ。


「それは、こんどーさん……。」


「近藤さん? 誰?」


「コンドームですよ……。」


「? 今度産むの?」


「……そう、今は産まないための。要は、避妊具です。」


 言葉は知ってたけど、実際に耳で聞くのにはインパクトが強すぎる言葉が帰ってきた。

「避妊具ぅ!? なんで?」


 思わず、手にしたものを落としそうになる。

「母さん、なんか言ってなかった?」

「別れ際に、押し倒しちゃっていいのよって……。」

「それかぁ……。

 カズちゃん、今日泊まるところないんですよね?」


「そう。」


「うちで、ベッドがあってエアコンがあるところって、俺の部屋しかないんですよね。親の部屋を使うわけにはいかないんで。」


「……。」


「俺のベッド使ってください。俺、寝袋持ってきて床に寝るんで。」


「だめだよ、私が床で寝る。」


「じゃあ、一緒にベッドで寝ますか?」


「……。」

 思わず俯いてしまう。


「そんな気分じゃないでしょ?」


「うん……。」


「だから、一緒には寝ませんよ。俺が床で寝ます。

 パジャマ、俺のでいいですか?」


「うん……。」


 カツくんはちょっと立って、肌触りのいいパジャマを持ってきてくれた。

「じゃあ、これ。

 あ、ちょっと待って。

 着替える前に、コート脱いで、立ってくるっと回ってみてください。」


「こう?」


「…………。」


「どうしたの?」


「わかってたけど、カズちゃんやっぱりきれいだなと思って。」


「……嬉しい。カツくんにそう言われると、女の子に生まれて良かったって思える。」


「じゃあ、メイク落として、着替えてきてください。俺のパジャマを着たカズちゃんも楽しみだ。」



 カツくんのパジャマは、やっぱりブカブカだった。肩が落ちて、袖口からは指先しか見えないし、ズボンもブカブカで、裾を2回折り曲げなければいけなかった。

 カツくんの部屋へ行く前に、

「気持ちが落ち着いて、ゆっくり眠れるんですよ」

 と言いながら、カツくんがホットミルクを注いでくれた。ちょっとだけ、ウイスキーの香りがした。

 猫舌な私が、熱いミルクをふうふうしながらちょっとずつ飲んでるのを、カツくんがにこやかに見ていた。


 カツくんの部屋に入ると、エアコンが効いて、暖かかった。

「おやすみなさい」

 と言って私がベッドに入ると、それを確認してから電気を消し、カツくんも寝袋に入った。


 

 すごく時間がたった気がするのに、眠れない。何度寝返りを打っただろう。やっぱり、自分だけがベッドに寝ているのは気がひける。エアコンが効いているとは言え、カツくんは寝袋の中だ。硬い床で、彼だって落ち着いて眠れるはずがない。

 おばさまが、女の子には度胸試しが必要なことがあるって言ってた。もしかしたら、今がそうなのかもしれない。


「カツくん、もう寝た?」

 と聞いてみた。

「どうかしましたか?」

 カツくんの声がする。彼も眠れなかったのかな。

 思い切って言ってみる。

「カツくん、あのね……、寒いの。」


「エアコン強めにしますか?」

 えーい、女は度胸! おばさま、私頑張ってみます!!

「ううん、エアコンはいらない。……抱っこして。」

 ちょっと間が空いてから、カツくんが応えた。

「……いいんですか?」

「添い寝だけね。」

 カツくんが寝袋から起き上がる気配がする。

「それじゃ済まないかもしれませんよ。シングルベッドなんだから、密着するし。」

 それじゃ済まない……かも。正直なところ、怖い。男の人と手を繋いだこともないのに。

「……じゃあ、キスまでなら。近藤さん使うようなことは絶対ダメだよ?」

「わかってますよ。男に二言はありません。」


 カツくんがベッドに上がってきた。私は端に寄って、カツくんの場所を作る。それでもシングルベッドは狭くて、やっぱりお互いの体が密着する。パジャマを着ていても、体温を感じて恥ずかしい。カツくんは、狭いからと腕枕をしてくれた。

「カズちゃん、冷え性?」

「どうして?」

「つま先、冷たいですよ?」

 そう言いながら、カツくんは足先で私の足を温めてくれる。

「寒いからいいよ」

 と言うと、足を私の足にピッタリくっつけてきた。

「すぐ温まりますよ、人間の体温が一番暖かく感じるんです。」

「でも、カツくんが冷えちゃう。」

「カズちゃん、うるさいですよ。」

 文句を言おうと思ったら、唇を塞がれた。

 あっけにとられる私に、

「おやすみなさい。」と言って、カツくんが目を閉じた。

「カツくん?」

「?」

「キス、おかわりしていい?」

 カツくんは、今度はさっきよりちょっと長いキスをしてくれて、私は安心して眠りについた。



 ふわふわ温かい中で、エステの夢を見てた。


 お姉さんが、素肌の上から全身マッサージしてくれる。

「胸のあたり、もう少しお肉がほしいんですよね」

 と言うと、胸のあたりを撫でながら

「そんなことありませんよ、理想的。きれいですよ」

 と言ってくれる。


 やっぱりお姉さんは褒め上手だ。その気にさせてくれる。


 マッサージというより優しく撫でられてるみたい。思わず声が出そうになる。


 手で撫でるだけじゃなくて、何かに触れられてるような気もする。その何かが触れるところが、時々チクンとする。それが、一つずつ全身をめぐる。

 なんだか、引っ張られるような、つねられるような。


「痛くないですか?」と聞かれるので

「大丈夫です」と答える。


 お姉さんの手は、全身至るところに伸びていって、足は特に丹念にマッサージしてくれる。太ももから、足首、つま先まで。特に足首は念入りに。


 さっきのチクン、とした感覚が、太ももにまで伸びてくる。

「……!」

 思わず息を止めると、

「大丈夫ですか?」

 と聞いてくれて、なんとなく安心して

「大丈夫です」

 と答える。


 お姉さんの手が、太ももの内側を這ってくる。

「イヤだ、恥ずかしいです」

 というと、耳元で

「大丈夫ですよ、力を抜いてくださいね」

 と言われたので、お姉さんの言うとおりにする。



 と、唇に何か降りてきた。同時に、何かが差し入れられる違和感。

 ん? 夢???

 そぉっと目を開けてみる。


 カツくん!?


 私、カツくんとキスしてる!


 それも、すっごいの!!


 驚いた瞬間、足の間の、誰にも触れられたところのないところに何かが入って来るのを感じた。


 思わず、カツくんの背中に手を回した。


「大丈夫ですか?」

 と聞いてきたので、恥ずかしくてカツくんの胸に顔を埋めた。

「恥ずかしい……」

 と言うと、カツくんがちょっと笑った気配がして、私の中からそこにいた何かが去っていった。


「もう、おとなしく寝ましょうか。」

 そういうカツくんの腕枕で、頷くのと同時に私は落ちるように眠りについた。






 翌朝目が覚めた私は、全裸の胸に毛布を当てて、必死に体を隠しながらカツくんを睨んでいた。

 腰から下だけ同じ毛布を掛けてあぐらをかいているカツくんは、余裕綽々なのが悔しい。

 私だけ、いっぱいいっぱいだ。

 ベッドの周りには、私がカツくんから借りていたパジャマと、カツくんの着ていたパジャマ、それに、おばさまがくださった可愛い下着が散らばっている。


「カツくんの嘘つき! 添い寝とキスだけって言ったじゃない!!」


「いや、ほんとに添い寝とキスだけだったじゃないですか。」

 カツくんは、寝癖のついた頭を軽く掻く。

「だって、全身キスされるなんて思ってなかったもん。いつの間にか全裸だし、全身キスマークだらけだし。」


「それは、カズちゃんが全身いい匂いなのがいけないんです。肌がパールで輝いてたし。近くで見たいじゃないですか。」


「全身撫でてたよね?」


「キスしやすいように手を添えてただけです。」


「脚ばっかりあんなに責めなくてもいいでしょ?」


「あれは、アンクレットを愛でていただけです。」

 開き直ったカツくんの顔を見ると、なんだか憎めない。


「近藤さんだって、使うようなことしないって言ってたじゃない。」


「使うようなことしてませんよ?」


「してないの!?」


「あれは指です。」


「……なんでそんなのに詳しいの?」


「エロゲ検定3段ですから。」


「…………でもなんか悔しい。」


「何がですか?」


「カツくんが、そういう知識を私以外の女で仕入れてるのが。」

 と、ちょっとだけヤキモチを焼いてみる。


「ゲームで、予習ですよ?」


「予習するの!?」


「予習してないと、実践はできないでしょ?」


「まあ、そうだけど。なんか悔しいなあ。」


「カズちゃんも一緒に予習しますか?」


「それはパス。」


「エロゲーばっかりやってるとか、オタクっぽいイメージかもしれないですけど、俺、一途なんですよ。」


「そうなの?」


「頑固だとも言われるけど。自分のものにしておきたいんです。だから、カズちゃんの体中にキスマーク付けときました。これで、俺のものですからね。」


「キスマーク、消えたらどうするの?」


「また付けるまでです。でも、近藤さんを使うようなことはしないので、安心してください。」


「安心してていいのね?」


「それは、俺が、自分のことを一人前だと思えるようになったときのために取っておきます。

 ちゃんと、カズちゃんを支えることができる自信がつくまで。

 それが、就職したときなのか、それよりもっと後なのかわかりませんけど、それまでずっとキスマークつけます。」


「そんなこと、今から言っちゃっていいの?」


「俺の勘は外れたことないんですよ。生まれてから一度も。試験のヤマも外したことありません。」


「試験と一緒にしちゃだめだよ。カツくん、まだ大学生なんだよ? これから、かわいい女の子と出会うかもしれないじゃない。そんなこと今から言っちゃだめだよ。」


「じゃあ、カズちゃんは他の男になびくんだ?」


「それは……。」


「安心してください、俺の勘は外れないんです。それに」


「それに?」


「こういうことって、意志だと思うんですよね。恋愛って言うけど、恋と愛との間には明確な差がある。

 恋は発情で、愛は意志だと思うんです。言ったでしょ、俺は一途だって。」



「…………じゃあ、私たちはお付き合いをすることになったのかな?」


「当たり前でしょう、カズちゃんにはこんなに唾をつけたんだから、他の男には渡しませんよ。」


「だって、付き合ってって一言も言われてないよ?」


「あ……。」


「ね?」


 カツくんは、下半身に毛布をかけたままベッドの上に正座をした。

「カズちゃん、俺と将来を見据えたお付き合いをしてください。」

 と頭を下げる。

 私は慌てて、毛布で胸を隠したまま正座をし、

「よろしくお願いします」

 と頭を下げた。丸出しの背中が寒くて、体がブルっと震えた。


「でも、近藤さんは使わないけど、それ以外のことは覚悟しておいてくださいね?」

 カツくんは、ベッドから立ち上がりながらニヤリと笑って私と目を合わせた。私はカツくんを正視できなくて、おでこまで毛布を引っ張り上げた。


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