第5話 年末年始は、やはり

「今年の授業が終わったら鍋パーティーしようよ!」

 綾音の提案で、今日は俺の家で4人でパーティーだ。

 メインとそれ以外を一人一種類ずつチョイス。

 タラ、鮭、豚バラ薄切り、鶏のつくね。しいたけ、ネギ、春菊、豆腐、しらたき。

 大量に作って余らせても仕方がないので、これくらいでいいだろう。

 3人は、それぞれ食材を持って集まってきた。谷見の運転で、車でやってきたのだ。

 綾音は、

「冷蔵庫借りるねー。デザート作ってきたから、あとのお楽しみだよー!」

 と、何かを冷蔵庫に入れて、食卓へ向かった。




 先に準備してあった土鍋を前に、綾音が大はしゃぎだ。

「はい!豚バラ、いっきまーす!」

 片手を上げて盛り上がるのもいいけど、こいつ、大丈夫か?

「え? みんなノリ悪いよ?

 普通、肉から料理していくんでしょ?

 土鍋だから油引かないんだよね?」

「あれ? 須藤さんの家では、そうなの?」

「いつもお母さんが下準備してるけど、あれ? 違うの?」

 やばい。すごーく、やばいニオイがする。

「生でいける豆腐は最後でしょ? もしかして、つくねが正解?」

 三人の視線が猛烈に痛い。

「わかった。俺がやるよ。

 それに、長いままの豚バラを入れると、食べる時大変だぞ? 長いままだから。」

「そう言えば白菜忘れてましたねえ。」

「あ、そうだったー。晴人、冷蔵庫にある?」

 冷蔵庫の中身を思い出す。

 確かあった。

「あるなら切ってくるー!」

 カタン。

 富木さんがプルプルしてる。

 普段は表情にほとんど出ない子なのに、今日はいつもと違う。

「カツくん? 鍋、作ったことある?」

「男の料理なら大丈夫だ。アルミ鍋の鍋焼きうどんとか。」

「わかった。

 綾音ちゃん? 私が手伝ってあげるから。

 小郡さんは、お鍋の方の準備しててね。」

 すごい殺気がする。

 雰囲気に飲まれたまま、台所に連行されていく綾音。

「ありゃあ、鍋奉行というより、鍋将軍ですなあ。

 でしたら、拙者はアク代官と行きますか。

 小郡さんが鍋奉行ってことで。」

「なら、綾音は待ち娘かな?」

「町娘にセクハラするのが本来の悪代官の仕事、今日の拙者はアク取りに徹しますか。」

『ちゃんと斜めに切る! 幅は揃えて!』

 さっきから台所から大声が聞こえるが、気にしてはいけない。

「鍋将軍に逆らうわけにはいきませんな。

 それより、鍋に調味料、何入れますか?

 さすがに水だけで味付けは各自、なんて言いませんよね?」

 言われてみたらそうだ。鍋のストレートつゆ、なんて気の利いたものは買ってきていない。

「白菜入れるなら、塩分ないとらちが明かないですよ。浸透圧しんとうあつで脱水しないと。」

「浸透圧って、どこかで聞いたことがあるような。」

「高校化学でやりませんでしたっけ? 細胞の周囲の塩分濃度が濃いと、細胞内の水が外に向かうよう圧力がかかるので、細胞の水が抜けて縮むんですね。漬物の原理ですな。逆に、塩分濃度が薄いと、細胞外の水が細胞の中に入っていくよう、圧力がかかるんですよ。風呂に入ると手がふやけるのと同じ原理です。」

「ほう。」

「だから、白菜などの葉物野菜やモヤシを料理する時は、塩分をかけると一気に縮むので、早くできるんですよ。」

「だったら、醤油とみそでも入れておく?」

「鍋将軍のご機嫌を伺ってからですな。」


 綾音が鍋将軍にビシバシやられるのを見ながら、恐る恐る富木さんに横から声をかけてみた。

「富木さん、ダシどうする?味付けておいたほうがいいよね?」

 鬼軍曹だった富木さんの顔が一瞬緩んだ。

「そうですね。……小郡さん、昆布茶とかってありますか?」

 ああ、あった。

「疲れてダシ取るのも大変なときがあるから買っておいたほうがいい!」という姉妹の意見もあって、この棚のあたりにあったはず……。

「あるんですね? じゃあ、それ使いましょう。適度に塩分も入ってるし、ダシにはもってこいなんです。濃さは小郡さんに任せます。」

「やっとくよ。」


 バタン。

「うわぁーん、はるとぉ~」

 きれいに切られた具材の皿を持った綾音が、泣きそうな目で俺を見る。

「信じられない。」

 もっときれいに切ってある具材の皿を持った富木さんが、ため息をつきながら呆れた目で俺を見る。

「カズちゃん、お疲れっす。」

 何事もなかったかのような表情で、谷見が返事する。

 綾音と一緒のときは俺が調理係だから、綾音の腕は俺も初めて知った。結婚したら、一緒に台所に立つことになるのか、それとも俺が料理係になるのか……。いや、特訓次第だ。野菜を切るのも、富木さんに習えばこんなにきれいにできたじゃないか! と、自分を慰めてみる。俺の好みに合わせて料理を仕込んでいく楽しみが増えたじゃないか。……晴人のくせに生意気だ、なんて言われそうだけど。



 俺が昆布茶と醤油少々を入れて調味したスープを、富木さんが味見して「よし」と一言。いつもと眼力が違う。

「小郡さん、他に消費しときたい野菜とかありますか?」

「んー、大根がちょっと余っちゃってるんだよね」

「じゃあ、カツくん、それすりおろして」

「らじゃー。」

「あ、大根おろすの?! 私じゃダメ?」

「どうやっておろすの?」

「こう、横に寝かせて、シャッ、シャッ、シャッ、と。」

「やっぱり、カツくんお願い。」

「えー? 何それ。」

「すりおろし方によって味が変わってくるんですけど、須藤さんの言った今のやり方は繊維が残るのでアウトなんですよ。」

「じゃあ、すりおろした大根おろしで、大根おろしアート作っていい? シロクマとか。」

「これくらいはいいんじゃない?」

「まあ、いいですな。」

 他には何も頼まれない綾音。いつもと力関係が全然違う。見ていてニヤニヤしてしまう。


 谷見がおろした大根の水気を切って、綾音がささっとシロクマを作っていく。こういうことは綾音はうまい。鍋には直接関係ないスキルだけど。


 つけダレと薬味は昨日俺が準備しておいた。

 ポン酢ダレ、ピリ辛中華ごまダレ、ネギ塩ダレの3種類くらいあればいいだろう。もちろん手作りだ。

 中華ゴマダレは、すりごまと練りごまを合わせたものに少しマヨネーズをいれて、中華ダシでゆるめて、ラー油を少し入れる。ネギ塩ダレは、白ネギのみじん切りを塩でしんなりさせたら、少し多めの油で炒めてネギ油をつくり、これに塩と昆布ダシで味付け。ネギは焦がしすぎてはいけない。

 そして、欠かせないのは薬味。七味、しょうが、さっき綾音が作ったおろし大根のシロクマ、それに富木さんが一押しとしてもってきた自家製ゆず胡椒をそれぞれの小皿に一人前ずつ盛る。

 そして、それぞれの呑水とんすい(レンゲ)、水やジュース用のグラス。いつもは食器棚の中で眠ってるこいつらも、初めて出番を迎える。食器たちが、なんとなくだが、誇らしそうだ。


 一人ひとりに食器と薬味が用意され、好い加減に温まってきた鍋に、順番に食材をいれていく。ここからは、鍋奉行に任命された俺の仕事だ。とは言え、鍋将軍の目は光っているが。

 まずは、火が通りにくい白菜の芯。それから、スープに甘みを出すためのネギ。味を染み込ませるために、しらたきも早い段階で入れておく。

 できるだけ縦に白菜の葉で壁を作るようにして、えのきとしいたけ。さすが鍋将軍、食べやすく一口大に切ってある。それから、鍋が少し煮立ってきたら豚バラ、鮭、タラを、くっつかないように、白菜と一緒にバランス良く。あとは、食べながら、空いたところにつくねや春菊、豆腐などを足していく。鍋将軍様は満足そうだ。

 一旦土鍋に蓋をして、煮えるのを待つ。その間に、お疲れ様の乾杯だ。

「カンパーイ!」

 4人で、ジュースのグラスを合わせる。

 今年は、春から色々あった。入学してすぐ、男たちを蹴散らしたことがきっかけで、綾音と富木さんが仲良くなった。俺は、たまたま隣に座った谷見と仲良くなり、一緒に免許を取りに行った。谷見の自習室で良くつるむようにもなった。去年まではお互い知らなかった4人が知り合って、一つの鍋を囲む。不思議なこともあるものだ。


 感慨にふけっていると、

「鍋がふいてきたよー」

 と、綾音が蓋を一気に開けようとしたので、3人で

「ダメー!」

 と声を揃える。俺は場の雰囲気を乱すまいと、

「綾音、鍋の中身がまだ煮えてないと思うから、蓋をちょっとだけずらしとこう? 蒸らす感覚で火を通すんだ。今のうちに、自分のタレと薬味の準備しといたら?」

 となだめると、

「そうだね、そうしよっかな。えーっと、なにを使おっかなー?」

 と、ご機嫌も損ねなくて済んだようだ。

 つけダレに薬味を混ぜている綾音を横目に、ふう、と汗を拭う仕草をしてみせると、鍋将軍とアク代官が吹き出しそうになっていた。


 鍋の吹く音が大きくなってきた。せーの、で綾音に開けさせる。鍋奉行としては、待ち娘のご機嫌も損ねないほうがいいだろう。


「おおおーーー!」

 と一斉に声が上がる。

 綾音が張り切って、

「じゃあ、や――」

 と言いかけて、向かいの鍋将軍に睨まれて沈黙してしまった。

「カツくん、アク取って。」

 鍋将軍の指示に、

「オッケーでぇす! ついにこのアク代官の出番ですなあ。」

 と、楽しそうにアクを取る谷見。今までにない状況だから、楽しむことにしたのだろう。

 一通りアクを取り終わったら、それぞれの器に取っていく。取り箸が2膳準備してあったので、綾音の分は俺が、谷見の分は富木さんが一緒に取り分ける。富木さんも俺も鍋に関してはこだわりがあるから、煮え加減、食べるバランスにもうるさい。特に富木さんは、

「この具材はポン酢のほうが美味しく食べられるよ。こっちはごまダレがおすすめ。」など、味付けにもこだわりがある。それに黙って従っている谷見も、意外と居心地が良さそうだ。


「晴人―」

 と、横から情けない声が聞こえてきた。どうしたのだろう。

「せっかく取ってくれたんだけどぉ、しいたけ食べらんないの。」

「はぁ? いつもは平気で食べてるじゃない。」

「お鍋のしいたけは苦手。大きいから。食感も苦手なの。」

「……じゃあ、貸して?」

「食べてくれるの!? やったー!」

「ほら、あーんしてごらん?」

「えーー?」

「あーん。」

「あーん……。……食べれたー。みんなで食べると美味しいねー。」

 ……気づいたら、向かいの二人が目が点になっている。

 場をつくろうように、谷見が富木さんに声をかけた。

「カズちゃんは? 嫌いなものありませんか? あーんしてあげましょうか?」

「私はなんでも食べれるから大丈夫。ほら、カツくん、そこに灰汁浮いてるから。」

「ほれ、そこのアク。苦しゅうない、近う寄れ。」

 いつも通りの谷見と、ちょっと強気の富木さん。俺と富木さんで、鍋の空いたところに具材を足す。きのこ類、野菜、豚肉、つくね、鮭、タラ。だんだん取り箸を使わなくなってきて、ワイワイやりながら4人で一つの鍋をつつく。

 いつもは一人で摂る食事も、こうして友人と囲むといつもより美味しく感じる。気の許せる仲間が一緒だと、こんなに楽しい食事に変わるのは不思議だ。冗談を言って笑ったり、ジュースだけどグラスを傾けたり。両親と食事を囲むときは、こんなにリラックスはできない。料理の味はもちろんだけど、食事のときの雰囲気も味のスパイスだ、ということだ。

 いずれ綾音と一緒になった暁には、きっと二人で、そしていつかは家族で楽しく食卓を囲むことになるのだろう。その日が楽しみだ。


 ある程度具がなくなってきたところで、雑炊を作ることにする。今までの具材でいいダシが出ているし、絶対に美味しい雑炊になる。


「そろそろ雑炊にしようか。ご飯洗ってくるね。」

 鍋の具が終わりに近づいたのを見計らって、席を立とうとしたら、綾音が袖を掴んだ。

「あら、小郡さん、ご飯洗う派なんですね。」

「晴人、ご飯洗うってなに? ご飯そのまま入れるんじゃだめなの?」

 ああ、綾音は知らないのか。

「ご飯って、粘り気があるだろ? ご飯を洗って粘り気を取るとね、雑炊がサラッと仕上がるんだ。ダシもよく吸うから、美味しくなるんだよ。」

「ボクはどっちでも食べれるんですけどね、今日はサラッとしてるほうが、みんなの口に合うかもしれませんね。」

「さーんせーい。」

 谷見が合いの手を入れる。こいつはサラッとしてるほうがいいんだろうな。

「カツくんがきれいにアクを取ってくれてるから、雑味がなくて美味しい雑炊になりますよ。」

 鍋将軍がうまくアク代官を褒める。


「じゃあ、綾音、手伝ってくれる? 青ネギを小口切りにしてほしいんだ。」

「わかったー。」

「じゃあ、雑炊は小郡さんにお任せしますね。」

「拙者は残った具を片付けることにしますか。」


 台所に入った俺は、綾音に青ネギを渡して、小口切りにするように促した。

「小口切り、わかるよね?」

「わかるよ、そのくらい! バカにしてるの?!」

 ぶう、と、綾音が頬をふくらませる。

 ここで俺が上位に立っているのが、不思議な気がする。きっと明日になれば、

「晴人のくせに偉そうだった!」

 とか言うんだろう。優位に立っている今を、楽しんでおくことにしよう。


 ネギを切っている綾音の横で、ザルに開けたご飯を水洗いする。塊ができず、一粒一粒がバラバラになるように。ぬめりを取って、サラサラの状態になったら下ごしらえは終了。水気を切って、ネギと卵と一緒に食卓へ運ぶ。


 鍋のスープに少しだけ塩を入れて味を調え、火にかけて、煮立ったところで洗ったご飯を入れる。つゆだくサラサラ系の雑炊を目指すのだ。

 はじめに数度混ぜ、その後は粘りを出さないように、辛抱強く待つ。ふつふつと煮立ってきてご飯がスープを吸ったら、もう一度全体を混ぜ、卵を回しかけ、火を消して蓋をし、少し蒸らして卵を半熟状態に仕上げ、上にネギをパラパラとかける。美味しそうな香りが鼻をくすぐる。渾身の雑炊の出来上がりだ。

 玉杓子で一人ひとりに取り分けると、みんなの嬉しそうな顔。一人で食べるときには、だれもこんな顔はしてくれないからな。「美味しい顔」がそろうと、こちらも嬉しい。何度でも料理を振る舞いたくなる。いずれまた、一緒に食事を摂る機会を設けることにしよう。

「おいしーねー!」

 と、綾音がフウフウしながら雑炊を口に運ぶ。

「こりゃあ絶品ですな。」

 谷見が美味そうに食べる。

「おかわり、いただいていいですか?」

 まさかの富木さんのおかわり。鍋将軍も、いつもと違う環境で疲れたのだろう。

「お疲れ様。」

 と労いながら、雑炊をよそう。

 結局、土鍋は空になった。みんな満足そうだ。特に綾音は、

「うーん、余は満足じゃ。」

 と、お腹をさすっている。お前は殿様か、とツッコミを入れたくなる。




「じゃあ、片付けましょうか。」

 富木さんの一言で、みんなが立ち上がった。

「俺がやっとくからいいよ。」

 と言っても、みんな聞かずにテキパキと片付けをしていく。

 洗い物の係、ふきんで水気を拭く係、戸棚にしまう係。それを指示するのは綾音だ。さっきまでのダメダメな綾音とは違って、凛々しい顔をしている。

「晴人、何やってるの、さっさと動く!」

「はいはい。」

 いつもの力関係に戻ったようだ。


「お片付け終わりー! みんな、お疲れ様でした!!」

 食卓をきれいに拭き上げて、綾音が宣言し、拍手が起きた。



「じゃあ、最後に綾音ちゃん特製デザートを出しちゃうからね。晴人はコーヒー係ね。」

 綾音が冷蔵庫に入れていたデザートを出してきた。少し大きめの、ガラスのデザートボウルに盛り付けられた……なんというんだ、これ?

「おお、トライフルですな。」

 谷見が食いついた。

「トライフル?」

「イギリスの古い言葉で、つまらないものって言う意味なんですが、これがまた美味いんですよね。須藤さんがこんなの作ってきてくれるなんて、俺、感激っす!」


 フルーツ、クリーム、スポンジケーキなどが層になっている。これを、4人で取り分けて食べるのだという。

 デザートスプーンと皿を4人分準備して綾音に渡したあと、俺はコーヒーを注ぎ、一人ひとりに配っていく。綾音はクリームと砂糖必須。富木さんはクリームのみ。俺と谷見はブラックで。こうして一人ひとりのコーヒーの好みまでわかるような仲になったのだ。それが、感慨深い。


 綾音がそれぞれにトライフルを取り分けていく。盛り付けの美しさにもこだわりがあるらしく、待ち娘から、デザートのつぼねに昇格、というところか。

 さすがに腹一杯になったあとだから、3口くらいで食べられそうな量をそれぞれの皿に盛り付けていく。デザートフォークをつけて配っていき、綾音が

「おかわりもあるからねー。」

 と声をかける。

 フルーツやスポンジケーキをクリームにつけて、口に運ぶ。いつも通り、俺の好みの味だ。スイーツの腕は、綾音にはまだかなわない。

「んー、これまた絶品ですな。」

「綾音ちゃんはデザート系が得意なんだね。」

 富木さんが感心しきりだ。

「晴人には、ヨーグルトムース作ってあげたこともあるんだよー。ね、晴人。」

「うん、あれも美味かったな。フルーツがいっぱい入ってて。」

「なんだか、お二人の間に熱―い空気を感じますな……。」

 やばい、惚気に聞こえたか?

 富木さんが口を挟んできた。

「今度はボクが習わなくちゃ。ボク、そういうスキルはないんですよね。」

「トライフルは簡単だよ。クリームとスポンジと、フルーツ缶があればできちゃうし、全部売ってるのでできちゃうし、見栄えもいいしね。」

「須藤さん、おかわりください。」

 谷見が皿を綾音に差し出した。

「おい谷見、まだ食うのか。」

「別腹ですよ、別腹。このコーヒーとのマッチングが、たまりませんなぁ。」

「はーい、さっきくらいの量でいい?」

「いや、さっきの倍で。」

「……そんなに食うのか……。」

「だって、美味いですよ? これくらい、いくらでもいけますな。」

 それを聞いた富木さんが、密かに闘志を燃やしているように見える。きっと、綾音に色々聞きまくるんだろう。


「そういえば、冬休みの予定って、決まってますか?」

 今更だが、富木さんが聞いてきた。

「特に決まってないな。単発のバイト探しておけばよかったな。」

「忘れてたー! クリスマスバイトと正月バイト、割がいいんだった!」

「だったら、うちくる?」

 ちょっと考え込んだあと、富木さんが切り出した。

「須藤さんなら、いけると思う、かも。聞いてみないとわからないけど。」

「おっ? 拙者もいけますか?」

「女の子じゃないから無理ですよ。」

「マジ? マジで?

 女子の憧れ、新年巫女バイト?」

「何ですって?

 これは、見に行かないと男がすたりますな。」

「巫女姿、晴人は興味あるよね?」

 他の人に気づかれないようにニヤケる綾音。

「じゃあ、人が空いてそうな時を狙っていきますか。」


 ◎ ◎ ◎


 その日の夜、俺は巫女装束姿で振袖のネット通販サイトを漁り、姉妹好みの振り袖を探す羽目になった。古典柄がいいのかと思ったら、姉妹揃って「思いっきりガーリーでキュートでスイートなの!」と注文してきた。振袖で着飾って神社に参拝しにきた姉妹が、おみくじだけじゃなくて巫女バイトしている俺もお持ち帰りして、さんざんセクハラするといる設定で楽しみたいそうで。


 いつもの展開である。


 ◎ ◎ ◎


 鍋パーティーの翌日の午後から、綾音と富木さんは、富木さんの神社で巫女のバイトだ。神社のおじいちゃんと既に会っていたせいか、二つ返事で即採用になったそうで。と言っても、綾音は年内は雑用、年明けからはお守りなどの販売がメインになるという。富木さんは、御朱印係だそうだ。そういえば、富木さんは字がきれいだっけ。そういう勉強もしてきたのだろう。


 俺と綾音は、毎晩電話で話をする。会えない日も、その日にあったことを報告し合う。電話で繋がっているだけでも、安心感が違うのだ。

 今日は、一人で着付けができるようになる日のはずだ。


「あのね、和希がびっくりしてたの。」

「なんで?」

「巫女装束、着慣れてない? って。大体、袴の前後から教えないといけないのに、教えなくてもわかってるし、裾の決める位置もバッチリだって。」

「まあ、そりゃあねえ。」

 俺の部屋で巫女ごっこをする俺達は、巫女装束を着るのも着せるのも手慣れているはずだ。着物の作りもしっかり頭に入っているし、どう着れば一番きれいに見えるかも計算している。

「でもね、私はシルク着せてもらってるけど、他の子たちはポリなんだよ。」

「なんか違うの?」

「肌触りとか、落ち感とか、照りとか、生地の硬さとかね。和希が、最初に着たとき慣れてそうだったから、シルクに変更したんだって言ってた。」

「良かったじゃん。巫女ごっこの賜物だよ。」

「その代わり、汚さないようにしないといけないけどね。シルクは着心地が良い分、手入れが大事だから。」

「じゃあ、巫女装束を汚さない、一口で食べられるものを差し入れたほうがいいな。近々、谷見と一緒に差し入れに行くよ。」

「やったー! 晴人の料理だ!」

「谷見も一緒に作るから、明後日な。」

「わかった、和希にも言っとくね。あ、そうだ。和希、きれいだよー。びっくりしないでね。」

 ん? 富木さん? 巫女装束着ても、細くて凹凸なさそうだし、むっちりな綾音と比べると、あっさり巫女さんっぽいけどな……。

 そんなことを話しながら、その日の夜は更けていった。


 ◎ ◎ ◎



 2日後、富木さんの神社に行った。振袖姿の女の子を多く横目に見ながら、神札授与所に顔を出して綾音を探し出す。

「綾音、これ陣中見舞い。」

 と言って、包みを見せると、綾音の顔が輝いた。

「和希、和希、二人が来たよ!」

 と言って、綾音が話しかけたのは、長い髪を後ろに束ねた、背筋のすっと伸びた細身の巫女さん。

「はーい。」

 と言って振り向いたのは、白めのおしろいに、小さめに挿した赤い口紅が愛らしい、どこかで見た顔。

「カズちゃんですか! 髪長いですよ!?」

 と、谷見が目を丸くする。

「変かな。一応、ボクの仕事着なんだけど。」

「そんなことないです、カズちゃんのこんな姿想像してなかったから。」

 綾音が口を挟む。

「カツラだと、大学の子が来ても気づかないでしょ? 変装にもなるんだよね。じゃあ、晴人、谷見くん、応接間でいただくね。あっちの玄関から入ってきてね。」


 応接間に入ったら、富木さんがお茶と小皿を出してくれていた。

「ねえねえ、何食べさせてくれるの?」

 綾音が急かす。

 俺は、谷見と目を合わせて、包みからお重を出した。

「4人で食べるなら、これくらいあればいいだろ?」


 中身は、稲荷寿司、卵焼き、唐揚げ、ちくわにきゅうりを詰めたもの、ポテトサラダをロースハムで巻いてピンで留めたもの、うずらの卵のフライ。朝早くから、谷見と二人で頑張った、自信作だ。


「片手で食べられるものがいいと思って、二人でそれぞれ作ったんすよ。」

 谷見が得意そうだ。


「稲荷寿司は、昨夜から炊いて皮に味を染み込ませておいたから美味しいよ。皮が裏返しになってるのは、谷見が作ったやつな。野菜は片手でっていうのが難しいから、こんな形にしたんだ。でも、二人の口にはちょっと大きいかもな。」


「ホントだ、皮が裏返しになってる。普通のもいいけど、こういう変わったのもいいね。ちくわの真ん中からきゅうりが覗いてるのもかわいい。食べやすそう。」

「俺が作ったのは、五目稲荷です。具がたくさん入ってますよ。あと、ちくわ。俺が作ったのはそれだけですけど。」

「俺のは、さっぱり目に、生姜とみょうがと大葉ゴマな。皮でわかりやすくしてあるから、好みでとって食べてくれるといいよ。」



 昨夜、稲荷寿司の下ごしらえとして、油揚げの上から麺棒を転がし、対角線上に包丁をいれて三角形にし、袋状に開いた上で油抜き、味付けをしておいた。同時に、五目稲荷用の具も準備する。一晩置くことで、しっかりした味になる。

 朝起きてからは谷見が来て、稲荷寿司の中身、ポテトサラダ、きゅうり入りちくわ、だし巻き卵、ウズラの卵のフライ、唐揚げ。

 だし巻き卵は、卵に少し片栗粉を入れて、冷えてもせっかくの出汁が出ないように、ふんわりしたものを食べられるようにする。いなり寿司以外は、爪楊枝やピックなどで手に取りやすくしておいてやる。こういう心遣いは、裏方男子として必要だろう。ポテトサラダも水気が出ないように、茹ですぎずにホクホクのところを、マヨネーズを少なめにして、ハーブ塩で味付け。とにかく、巫女装束を汚さないことを考えて作った。

 稲荷寿司は、まず寿司飯を半分ずつにし、薬味でさっぱり食べられるものと、五目ずしの2種類を用意。見た目でわかるように、皮が表向きの方に薬味入りを、皮を裏返しにしたものに五目ずしを詰めてきた。


「小郡さんはほんとに料理上手なんですなぁ。」

「まあな、俺、ほとんど自炊だから。」

「須藤さんとは?」

「一緒に作ることは滅多にないかな。」

「ああ、それで……。」

「は?」

「ああ、いやいや……。」



 綾音が手もみをしながら「どれから行こっかなー。」とお重の中を見回している。

 富木さんは、せっせと五目稲荷とちくわを小皿に取っている。


 富木さんの手元をじっと見ていた綾音が、小皿から一つ「味見ー」と言って五目稲荷を横取りした。

「一個もーらい!」

「それはボクのお稲荷さんだよ!」

「いいじゃん、減るもんじゃなし。」

「減ってるしー!」


 俺は、綾音の耳元で囁いた。

「綾音、それ以上食うと腹に来るぞ。」

 綾音が慌ててお腹を抑えた。



 一通り食べ終わったあと、お重の底にちくわが一本入っていた。

 俺は入れた覚えがない。ということは、谷見か?


「ジャーン! ちくわを持ってきましたー!」

「???」

 みんな、頭の上にはてなマークが飛んでいる。

「ここで! 恋人同士のお二人に! ポッキーゲームをやってもらおうと思います!!」

「は?」

 俺と綾音が? ここで、二人の前で?

 谷見以外の皆、ポカーンとなっている。

「ポッキーゲームって知ってるでしょ? 両端からポッキー食べていくの。」

「知ってるけど……」

「それのちくわ版ですよ。

 初笑いということで、頑張っちゃってください!」

 綾音が頷く。俺も頷く。

 俺が持ち上げたちくわを綾音が咥える。逆側を俺が咥える。

「レッツ、スタート!」

 脳天気に谷見が片腕を上げて音頭を取る。

 富木さんは顔を真っ赤にして両手で顔を覆ってるが、指の間はすきまだらけ。

 一応男だし、一口とりあえず食ってみる。

「んーーー!」

 綾音の顔が一気に赤くなる。

 もう一口。

 綾音がにやけた。

 俺の口の中に綾音の息が!

 今度は俺の顔が赤くなる。

「やっとちくわゲームの醍醐味に気づいて頂けたようですね。」

 まさか!

「ちくわって中が空いてるじゃないですか。ふーふーすると、お互いの息遣いがわかっちゃうんですね!」

 あいつ、そこまで読み切ってたのか!

 谷見にやられっぱなしなんて許せない!

 綾音とアイコンタクトをして、一気にちくわを食べた。

 キスはしてやらなかった。

「おい谷見! やりすぎだぞ!」

「え? でも、みんな楽しかったでしょ?」

 誰も反論しない。

「ネタがバレちゃったからもう出来ないし、結果オーライってことで。」

 何か悔しい。

 でも、馬鹿騒ぎって悪くないかな。


 ◎ ◎ ◎


 その晩、ボクはおじいちゃんの部屋を訪ねた。

 他のバイト巫女さんがあの部屋をこっそり覗いていたらしく、噂がかなり広まっていた。ボクがあれをやっていなくて、本当によかった。

「おじいちゃん? 日中はごめんね。

 ちくわゲームとか、ハメを外しすぎちゃって。」

「ただの悪ふざけだったら追い出したけど、何も言えなかったさ。」

「え?」

「本当に、友達に恵まれたなぁ。」

「え?」

「ちくわゲームとやらの二人、若い割には生き方が真剣だ。」

「そうなの?」

「ああ。全てを受け入れ、人生にまっすぐ向かい合ってる。

 二人とも心から神様を喜ばせている以上、神職としては何も言えないなぁ。」

「え? 今、なんて……?」

「まあいいさ。

 あと、いつも来てくれてる男の子。」

「谷見くん?」

「彼は素直になりきれてないけど、根は素直でしっかりした、いい子だな。」

「え?」

 さっきから、ずっとまともに返事できていない。

「そうことなので、今回は不問にするけど、次やったら承知しないからな!」

「はいっ!」

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