第6話 雨降って地ぬかるむ?
二年生になって新しい授業にも慣れてきたある日の空き時間、谷見に空き教室に連れ込まれた。
自習室じゃないということは、他の誰にも聞かれたくないってことか?いやに深刻そうな顔をしている。
「何だ突然? なんかあったのか?」
「それが、聞いてくださいよ、小郡さん……。」
谷見が言うには、こういうことらしい。
いつも自習室にいる先輩の一人が、富木さんをゲットする宣言をしたというのだ。そいつはいつもきれいな女性を取っ替え引っ替えしていて、数人を侍らせているという。
谷見と同じく飛び級だし、いい男だということで、特に名が売れている先輩らしい。
数回挨拶をした覚えがある、あの先輩かな。だったら理解できる。確かにいい男で、男の色気もある。
で、なんで富木さんをゲットする話につながるんだ?
谷見の話は続く。
なんでも、その先輩が言うには
「女にはもう飽きた。お前の友達、富木って言ったかな、あいつ紹介してくれ。」
「いやでも、あいつ、どうみても男っすよ。なんで富木さんなんっすか。」と言うと、
「これからは可愛い男の子の時代だ。」と答えたという。
富木さんを、キャップを脱がせてメガネを外させ、髪を撫で、頬を堪能し、耳たぶに指を走らせ…………
と、延々と富木さんの「可愛がり方」を話すのだそうだ。
先輩の頭の中では、もう全裸にされているのかもしれない、あんなこともこんなこともされてるのかもしれない。
「俺、どうしたらいいんすか、小郡さん!」
半分泣きそうな顔で詰め寄ってくる。
「どうしたらいいって、お前はどうしたいんだよ」
「わかんないんすよ。」
「はあ?」
「正直、カズちゃんはいつも一緒だし、家まで送るのも毎日だし、電話だって良くするし、いい友達で。」
「で? その先輩っていうのは、富木さんを任せてもいいくらいの男なのか?」
「それが……。」
「じゃあ、想像してみろよ? その先輩が、毎日富木さんを送って帰るんだ。二人きりってことは、口説く時間もたくさんあるぞ?」
「……。」
「代わりに、お前と富木さんに接点は無くなるだろ?」
「そうっすね。」
「毎日のように自習室に行くとしても、目的がお前じゃなくてその先輩になるな。」
「……。」
「お前は、いちゃいちゃしてる二人を横で指くわえて見てる羽目になるんだ。」
「……。」
「例えばだ、その先輩が可愛い男の子だと思って手を出した富木さんが実は女性だと知ったら、その先輩はどう出る?」
「……。」
「そのまま付き合ってすぐにポイ捨てするか、なんだ女かって言い放つか、いずれにしても富木さんの心はボロボロだな。」
谷見はよく言えばウブなやつだ。今でも、本気で「オトモダチ」のつもりだったのだろう。周囲にはこんなにだだ漏れだというのに。
谷見が泣きそうな顔になって頭を抱えた。こればかりは、俺が答えを出してやるわけにもいかない。自分で答えを見つけないと、本人も納得しないだろう。
「時間に余裕はないんだろう? さっさと答えを導き出さないと、その先輩に掻っ攫われるぞ?」
そう言って谷見の肩を叩いた俺は、空き教室をあとにし、そのまま綾音にメールした。
「件名:ミッション 本文:富木さんを焚きつけろ! 今がチャンスっぽいぞ」
綾音からすぐに返信が来た。
「件名:Re.ミッション 本文:任しといて!」
☆ ☆ ☆
空き時間に図書館で本を読んでいたら、綾音が深刻な顔をして隣に座った。
顔を近づけて、小声で話しかけてくる。
「ねえ和希、今のままでいいの?」
「何が?」
「谷見くんよ、いろんな人が狙ってるみたいよ? これ、確かな情報。」
「え?」
思いがけない話だった。カツくんを狙ってる人がいる?
「ほら、彼飛び級で入学したでしょ? それだけでもすごく目立つし、背も高めじゃない? 他の学部生とか、上級生とかから目をつけられてるって。」
「そうなの?!」
思わず大きな声が出てしまって、口を押さえてあたりを見回してしまう。
「それに、実際に谷見くんに言い寄る人が出てきたらどうする? 色気があって、いい香りのするオトナのお姉さんが、谷見くんを狙ってくるの。
彼、そういう経験無さそうだから、コロッていっちゃうかもよ?」
「まさか、カツくんに限って……。」
「わかんないよ? 女の人から押し倒しちゃうなんて話もよく聞くし。」
「でも……。」
顔から血の気が引くのがわかる。
綾音みたいな性格だったら、平気で押し倒すだろうな。
「他に彼女ができちゃったら、あの自習室のいつもの席には、和希は座れなくなる。」
「……。」
「送ってくれることもなくなるよね。第一、ただのオトモダチなんだし。」
「……。」
「そうすると、谷見くんとの接点もなくなっちゃうね。」
カツくんといられなくなる。恐怖で震える気がする。
毎日一緒にいてくれることで、安心できてた。今まで当たり前になってたんだ。失うかもしれないと思うと、言葉も出なくなる。
「…………アヤネ、ボク、どうしたらいい?」
「どうしたらって?」
「カツくんと一緒にいたいよ……。カツくんの隣を他のひとが歩くなんて嫌。」
これがボクの本心だったんだ。
「当たって砕けることはできるよ? 骨は拾ってあげるから。」
「当たって砕ける?」
「もう、一気に乗っかっちゃったらぁ?」
「無理だよ、ふしだらな子だって思われちゃうよ。」
一気に乗っかっちゃうって、そういうことだよね? どこで? いつ? 頭の中では、自分の部屋しか浮かばないけど、カツくん来たことないし……。
「欲しいものがあったら、自分から行動しなきゃ! 合宿免許のときだって、わざわざスマホ買ってまで、毎朝電話で起こしてあげてたんでしょ? 谷見くんに一番近い女の子は、カズキなんだから!
乗っかるのは行きすぎかもしれないけど、徐々に距離を縮めるとかさ。それだったらできるでしょ?」
「それならできるかも……。やってみる!」
アヤネが言うには、こうだ。
「まずは、食べ物をはんぶんこに挑戦しようか。帰りに、コンビニに寄ってもらうの。ポッキーとかのスナック菓子買って、一個どうぞってするの。
それができたら、一個のおまんじゅうとか菓子パンを、二人で半分ずつ分ける。
今度は、自分がかじったのを食べさせてみる。『これ美味しいよ? たべてみて?』とか言って。口開けさせて、アーンってして餌付けできたら最高ね。
これで第一段階クリア。
次は飲み物。まず二人で違うものを買って、それぞれ飲む。「ねえ、それ美味しい?」って言って、躊躇なく一口飲ませてもらえるようになれば、第二段階クリアね。
自分の飲みさしを飲ませてあげるって異性の相手にはやらないから、距離の目安になるんだよ。」
「その後はどうしたらいい?」
「うーん、運転中の彼をじっと見つめてみるとか。ちゃんと、首を傾げるんだよ?
で、信号待ちなんかで『どうしたの?』とか聞かれたら、なんでもないって前を向くの。こっちの視線を彼が意識してくれればOK。
それをしばらく繰り返したあとは、車から降りるときに、耳貸してって言って、ひそひそ言うの。送ってくれてありがとねって。内容は、なんでもいいんだよ。おやすみ、とか、また明日ね、とか。
ここまで来たら、しばらくこの状態で足踏みして。
ある日突然、耳貸して、からの頬にチュウ。そのまま車から降りて、ドア締めてから、投げキッス。
走って玄関に駆け込む。
こんな感じのプランでどう?」
「わかった、やってみる!!」
「応援してるよ。」
「じゃあ、うまくいったら報告するね!」
☆ ☆ ☆
「小郡さん、昨日の彼女、何かおかしかったですけど、また誰かが余計なことを吹き込んだのでしょうか?」
彼女、というのは富木さんのことだろう。今は授業前のちょっとした空き時間。周囲に人が多いので、下手に名前を出さない方がいい。
「昨日の帰りに、彼女が真面目な顔で急にコンビニに入って、ペットボトルのお茶一本とクリームパン一つを買ってきたんですよ。そして、パンを半分にして、『どうぞ』と渡してくれたんですね。」
「ん? 特に問題ないだろ。」
「そしたら、俺が一口しか食べてないのに、彼女が『これ美味しいよ』と自分の食べかけを渡してくるんですよ。」
「は、はあ。」
こういうことをやらせるのは綾音しかいないよな。ろくでもないことを吹き込んだに違いない。
「俺の手元にまだパンが残ってるじゃないですか?
そう言ったら、彼女、顔真っ赤にしちゃって、
『やっぱりボク、まだ無理……』
ボソっと、こう言ってたんですよ。
何が無理か聞こうと思ったんですけど、それどころじゃなさそうでしてね。
すごく気まずかったんだけど、逃げて行かなかっただけよかったんですよ。」
「で、何て返事したの?」
「『ほら、俺の分、まだ残ってますよ?』と冷静に言いましたよ?」
「まあ、そうするしか無いよな。」
☆ ☆ ☆
時は半日遡る。
「アヤネ……。ボク、もうダメかも……。
もう生きていく自信ありません。」
あの後、あまりの悲しさ、みじめさに耐えられなくてアヤネに電話してしまった。
「カズキ、どうしたの?
やけに深刻そうだけど。」
「実は――」
クリームパンを半分にして、一口食べて残りを渡そうとした話をした。
話をしながら泣きそうになったけど、アヤネはボクを決して叱らなかった。
「いい? 誰でも失敗はするものなの。
でも、私は骨を拾うって言ったよね? 友達を裏切るようなことはしないから、安心してね。」
「アヤネ……ボク、もう手遅れかな?」
「谷見くんはどんな反応したの?」
「手元にパンが残ってるって。」
「よし! よかったじゃない!」
「え?」
「『富木さん、気持ち悪いですよ』みたいに拒絶したわけじゃないんでしょ?
いけるって! 全然余裕だって!」
「え? 本当?」
「うんうん。全然問題なし!
あのアンポンタン、数日中に忘れるから、全然気にしちゃだめだからね?」
「そうなの?」
「カズキ? 谷見くんのこと、どう思ってる?
ただの友達?」
「うーん。
たぶん違うと思う。」
「もう谷見くんと会えない、って聞いたらどう思う?」
「そんなの絶対いや!」
「谷見くんがカズキ以外の彼女作ったら?」
「いや!」
「谷見くんが好きな気持ち、ちゃんとあるじゃない。
だいじょうぶ。この魔法使いに任せない。
もう一回、チャンス作ってあげるから!」
「アヤネ……ありがとう……。」
「ねえ、泣かなくていいから。もう。
明日ひどい顔になっちゃうよ?」
☆ ☆ ☆
授業前の空き時間に、谷見に理由なく聞いてみた。
「なあ谷見。俺さ、免許取ったっきり、全然車乗ってないけど、谷見はどう?」
「毎週のように親の車乗って練習しろ、って言われてますよ。
来週末は100キロ乗らないといけないんですけど、目的なく乗るのってだるいんですよね。」
親の車、ねえ。意外と親の送り迎えでもやらされるのかな?
親に免許取れと言われるような奴だ、何か事情があるんだろう。マザコンみたいだし。
その時、俺にある閃きが走る。
「そうだ。富木さん乗せて走ったらいいのに。」
「カズちゃんと?」
「合宿中に毎日電話してたんだろ? 成果を見せてあげてもいいと思うんだよね。
富木さんの家に行って、適当にそのあたりを乗って、富木さんを家に返す。
簡単な話だと思うけどな。富木さんが忙しくても、一時間くらいは時間割いてくれると思うよ。」
「意外と悪くないですね。
よし、聞いてみますよ。」
谷見と富木さんが一緒にいるようにセッティングしろと綾音に言われていた。
そんな簡単にできるかよ、と思ってたけど、意外とあっさりいってよかった。
☆ ☆ ☆
「ボク、できました!」
富木さんから電話が来た。
何のことか予想がつくけど、あえてとぼけてみよう。
「何が?」
「コンビニでお菓子と飲み物買って、カツくんの車でドライブ行ってきました!」
「へぇー。」
「運転すると緊張するからパサパサするものは嫌だって言ったから、ガムがわりにアタリメ買ってきてって――」
「谷見くんらしいねー。」
指定がマニアックすぎる。
「そして、うっかり手持ちがないふりして、ペットボトルのお茶を一本しか買わなかったの。」
ぷっ。
なかなかの策士だ。
「ごめんね、って言ったら、いいよ、って。
二人で飲めたんだ。」
「まあ、よかったんじゃない?」
「アヤネのお陰だよー。
ほんと、うまくいくんだね。」
「だから言ったでしょ?」
「こんどもまたお願いします! アヤネ先生!」
「そうだねー。
次は何しようかなー。」
「早速教えていただけるんですか?」
「うーん。
じゃあ、いつもより10センチ、近寄ってみるのはどうかな。」
「10センチでいいんですか?」
「人間にはパーソナルスペースというのがあって、自分のすぐ近くの空間は自分だけのの空間にしたいんだって。」
「へぇー。」
「パーソナルスペースは男女や文化によっても違うみたいで、もちろんその人の性格にもよるんだって。そして、人はできるだけパーソナルスペースを確保するようにするんだって。親しい他人と一緒に歩くとき、不思議なくらい一定の距離を保って歩いてるでしょ? 満員電車だと仕方ないけど、可能なら最低限の距離を空けるんだ。」
「言われてみたらそうだね。
うん、そうかも。」
「そ、し、て。」
ここで一拍溜めて。
「富木さんには谷見君を犯してもらうの。」
富木さんには見えないけど、今日一番の笑顔になる。
「え? え?
えええええええ――――――?????」
「富木さん、何想像してるのかな?
パーソナルスペースを犯してもらおうと思ったんだけど?」
「そ、そうだったのね。
よかった。」
「幅の狭い歩道とか、壁があるような時に、10センチ谷見くんの方によるの。
谷見くんは無意識のうちに、普通の人相手のパーソナルスペースを取ってると思うんだよね。
だから、その空間を犯すの。
恋人が手を繋いだり、腕を絡めたりするのは、相手に対しパーソナルスペースを取らないからなの。でも、カップルは他人からちゃんと離れるでしょ? 相手ごとにパーソナルスペースを変えているわけ。
谷見くんが、富木さんに対してはパーソナルスペースをとらなくていいと思ってくれたら、一歩進んだことになると思うだよね。」
「ボク、感動しました!
早速実践してみます!」
一週間くらい前、ネットニュースに出てた雑学ネタがこう役に立つとは。
☆ ☆ ☆
授業が終わった後、谷見が俺を手招きした。
ちょっと真面目な顔をしているから、真面目な話なんだろう。
「小郡さん、また誰か余計なことをカズちゃんに吹き込んだみたいですよ。
まさか小郡さんじゃないですよね?」
「はぁ? 余計なことって何?
それに、俺は何かやれと富木さんに指示した覚えないけど?」
「いやぁ、カズちゃんが最近やけに積極的で。」
「よかったじゃないっすか。」
「一緒に歩いていると、ずりずりと近寄って来るんですよね。
それも、何か怖い顔して来るんですよ。
マジ怖いっす。」
「そりゃあ、怖いっすなあ。」
「怒らせた覚えはないんだけど、いやあ、何か悪いことしてたら嫌だと思って。
本当に小郡さんじゃないんですね?」
「俺じゃない。
俺がそういうことをするキャラじゃないの、わかってるよね?」
「そうすると、やっぱり須藤さんですか。
前もカズちゃんが奇妙な行動を取ってたことあって。
怖い顔して、唐突に飲みかけのペットボトル渡してきたりとか。
あれも須藤さんの入れ知恵だったんですね。」
「それしかないね。」
「え? 小郡さん、聞いてなかったんですか?」
「初耳。」
「だったら、少なくても怖い顔して迫ってくるのはやめるよう、それとなく伝わるようにしてもらえないっすか?
精神衛生上よろしくないですよ。」
「それくらいはやるよ。
綾音の暴走を抑えられるのは俺しかいないから。」
これも付け加えた方がいいかな?
誤解があったら後味が悪い。
「あとさ、怖い顔じゃなくて、緊張した顔だと思うよ。
ドキドキしながら、本当にやっていいのかどうか、嫌がられないかどうか。
悩んで、緊張して、それで勇気出していろいろやってるんだろうから。
嫌じゃなかったら受け入れてやってよ。
悪気があってやってるわけじゃないんだから。」
「そうか。」
「嫌じゃないんだろ?」
「まあ、嫌じゃないですな。」
「わかった。そうアヤネに伝えておくよ。」
俺も鬼畜への道を一歩、進んじゃえ。
「怖い顔が嫌なら、谷見こそ富木さんに迫ったらどうだ?」
「ちょ、何言ってるんですか!」
「腕を絡めてみるとか。」
「大丈夫ですか? 嫌がられないですかね?」
「近寄って来るんだろ? だったら問題ないって。
怖い顔をして迫られるよりは、迫られて真っ赤な顔をして目を回す富木さんを見る方がいいだろ?」
「そう言われてみたらそうですな。
気が向いたらやってみますよ。」
ついに俺にもアヤネ病が感染してしまったみたいだ。
真っ赤な顔になって慌てふためく初々しさは、俺にはもうない。
有無を言わさず姉妹に両側から挟まれるのがお約束だからな。
昨日の寝る前なんか左右両腕で一柱ずつ腕枕で、さらに両足に姉妹の足が絡みついてくる設定だ。
両手に花で羨ましいって? まあ、そう言われたらそうなんだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます