ひどいね

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 知り合いには言えないのでここで投下します。

 僕が彼女に出会ったのは、小学5年生の時だった。

 入学式を迎えた新一年生と同じように小学校にやってきたそいつは、今でも鮮明に思い出せるほどに整った顔立ちで僕たち5年1組の面々と相対していた。

「——というわけで、彼女は君たちの仲間になるわけだ。今までずっと同じ仲間でやってきたところに新しい仲間ができて、とまどってはいるだろうが、輪から外すようなことはしないでやってくれ」

 ジャージ姿のいかにも熱血漢な風貌をした担任は、非常に熱くそう語った。

「君からも何か一言あるだろう。さあ、これからの仲間に挨拶をしてくれ」

 担任が促すが、彼女は反応を見せなかった。緊張しているのだろうかと、机の下で隠れて漫画を読んでいた僕は顔をあげた。

 ところがそうではなかった。彼女は自分の横に立っている担任教師の更にその向こう、窓の外を見ていた。そこにはベランダがあるのだが、一体そこに転校生の興味を惹く何があるのだろう、と僕が体を傾けて視点を合わせてみると、そこには2匹の鳥がいた。肌寒い外でお互いに身体を寄せ合う姿は暖をとっているようにも見えるし、愛し合う番にも見えた。

 普通の学生生活の中であればそれに興味を惹かれるのは何ら不思議のない行動だったが、彼女は転校生で、おまけに人前に立っている。そんな状況で物怖じせず、他の事に気を取られているところと可愛らしい顔がクラスの皆の気に入ったのだろうか。彼女はすぐに僕たちの中に溶け込んでいた。


 便宜上、彼女をA子としよう。A子は当初思っていた以上に、皆が思っていたよりももっと変わった人間だった。

 僕とA子は幸か不幸か家が近かったため、集団登校だとかで一緒に行動することが多かった。そのせいか僕は他の同級生よりも遥かに多く、彼女の奇行に遭遇することが多かった。

 その中でも特に変わったことがあり、それが今日、僕がこの場にこれを投稿するきっかけにもなった訳なのだ。

 これも便宜上B太と呼んでおく。僕らの同級生であるB太は、バレンタインが過ぎたころインフルエンザに感染し、1週間の出席停止となっていた。そのため、授業で毎日配られるプリントを、同じ地区に住む子どもが1人づつ交代で届けることになったのだ。

 その同じ地区に住む子どもというのに僕とA子も含まれており、僕の順番が回ってきた日、初日に順番が回ってきたはずのA子もなぜか付いてきた。

 B太とは直接顔を合わせることはなかったが、隔離部屋の外から会話することができた。

「B太ももうすぐ学校にこれるな。まあ、今は欠席してるヤツも多いから、戻ってきたとしてもすぐに学年閉鎖になりそうだけど」

「えー。俺、早く外でサッカーしたいのに、そんなことになったらできねーじゃんか」

「もし閉鎖になったらこっそり公園に行ってサッカーしよう。先生もわざわざ見回りなんてしないだろうし」

「それもそうだな」

 学校にいた時と変わらない他愛もない話。ただ1つ違うとすれば、扉の向こうで話をしている相手が本当にB太なのかと疑ってしまうほど、声が老人のようにしわがれて、掠れていることだ。時折咳き込む声も聞こえる。僕の中では風邪のせいだと早々に結論を出していたが、そのことを疑問に思ったのか、B太の家に入ったときからずっと黙りこくっていたA子が口を開いた。

「今日のB太くん、へん」

「なんだよ急に」

「だってだって、枯れ葉が地面に擦れたみたいな声してる。こんなのB太くんじゃないもん」

「A子。俺が赤ずきんのおばあさんを食べた狼だって言うのか? 風邪のせいで喉の調子が悪いだけだよ。こんなのすぐ治るさ」

「そうなんだ。ひどいね」

 これが僕の記憶する中で、A子が初めて人の死を予知した日だった。

 B太はその後1週間、2週間と学校を休んだ。そして春休みも眼前といった時、担任からB太が死んだと伝えられた。B太はインフルエンザの合併症で肺炎にも罹っていたが、風邪だと思い込んでおり気付くのがかなり遅くなったため、急激に体調が悪化したときにはもう手遅れだったと後から墓前で聞いた。


 それからも、近所の人当たりの良いお爺さん・暴走族に所属する怖い高校生・すれ違っただけの知らない人……、みんな死に方は病気や事故など様々で、今思えばあり得ない考えではあったが、小学生の僕は、A子が呪い殺したのだと信じて疑わなかった。

 A子はいつも人が死ぬ前、その人に向かって「ひどいね」という言葉を投げかけていた。それが不気味で仕方がなかった。

 誰かにこの事を言おうかと考えたこともあった。しかし、クラスメイトの前ではそれをしなかったのか、転入当時から変わらず「ちょっと変わってるけど面白いいい子」という評価を受けているA子がそんな不気味な人間であることなど誰一人として信用するはずもなく、逆に僻んでいるのではと不当に僕の評価を下げることに繋がりかねないという自衛意識が働いて、かと言って状況を打破することも叶わなかった僕は、中学入学を機にA子から逃げるように距離を置いた。しかしA子は僕に話かけ、その度に死ぬ人間の話を出して、そしてあの呪いの言葉を言い放った。

 A子と出逢って数年が経っていた。人の死を知るのはもう限界だった。


 そんな中でも、中学生だった僕は人並みに気になる女の子と出会い、なんとかデートに漕ぎ着けていた。明日がデートだという日の帰り道、A子は僕の後ろを黙って付いてきていた。何か言いたいことがあると決まって彼女は僕が堪え兼ねて話かけるまでずっと後ろを付いてきていた。どうせまた死ぬ人間の話をされるのだと経験で知っていた僕はA子を無視して振り返りもせずに歩き続けた。デートの前日にA子のせいで気分を害したくなかった。

 通学路である住宅街で、蝉だけが喚いていた。

「あのさ」

 いつまで経っても振り返らない僕にA子の方が堪らなくなったのか、一言だけ喋った。しかしそれ以降言葉を発することはなかった。どうやら僕に会話をする許可を求めているらしい。

 僕も根本から彼女を嫌っているわけではなかった。人の死を口走ること以外はみんなの言う通り「ちょっと変な子」で、そのおかしさも顔の良さとまともな倫理観で笑い話にできる人間だったのだ。

「なに?」

 良心に耐えきれずに言葉を返すと、A子は声音を喜びに変えて食い気味に言葉を続けた。

「あのねあのね、今日お泊り会したいなって思ったの。君がほしいって言ってたゲームもあるし、いいでしょ? 2人で徹夜でゲームしようよ」

 だめに決まってる。明日はデートなのに、徹夜なんてして遅刻したらどうしてくれるつもりだ。そもそも、気になる子がいるっていうのに、幼馴染とはいえ、女の子と1つ屋根の下で夜を共にするなんて、僕の誠実さが疑われる。

「無理だよ。明日はその、でっ、デートがあるから。徹夜して遅刻なんて以ての外だ」

「そう」

 ひと呼吸あけて彼女は続ける。「ひどいね」

 なにが「なにが酷いって言うんだ、酷いのはお前だ! いつもいつも頼んでもいないのに勝手に人の死を僕に教えやがって! お前がそんな事を言うから人が死ぬんだ! どうして僕までお前に苦しめられなきゃならないんだ! 全部お前のせいだ人殺し!」

 口をついて出た怒りの感情が、まさかここまで饒舌になるとは思わなくて、自分でもびっくりしてしまった。びっくりしすぎて口は開いたままで、そこからまた怒りがこぼれ落ちていく。

「だいたい、なんだよ『酷いね』って。なにが酷いんだよ。酷いのはお前だよ! 今度は誰を殺すんだ。僕か? いいやお前が死ねばいいんだ! 今まで散々色んな人を殺した罰なんだ!」

 僕が言った言葉は、何年経っても鮮明に覚えている。僕は一字一句違わずにこう言っていた。今思い返せば支離滅裂な、それでいて感情的なこの言葉を、A子はどんな風に捉えたのだろう。

 彼女はくっついてしまいそうなほど眉根を寄せて、もう一度だけ「酷いね」と言って、走って行ってしまった。

 曲がり角でA子の姿が見えなくなってしまってから、蝉がまた鳴き出した。背中からの汗が、家に帰っても止まらなかった。


 僕はA子と別れる前の顔が忘れられなくて、結局徹夜でデートに挑むことになり、結果は散々だった。遅刻をした上に映画のチケットは家に忘れるし、財布もすっからかんで代替プランもなく、仕方なしに本来のプランでは最後に予定していた砂浜に行けば、この炎天下じゃ化粧が崩れるとため息をつかれてしまった。意中の彼女は、僕と集合してから1時間で友人を誘って帰ってしまった。

 驚くべきことに、その子はA子に雰囲気がよく似ていた。


 予定よりもはるかに早く帰宅すると、両親は何やら慌ただしかった。どうしたのかと尋ねれば、落ち着いて聞いてほしいと前置きをした。A子行方がわからなくなったのだという。それだけでなく、彼女の両親は自宅で何者かによって殺害されていたそうだ。

 昼になって、母方の祖母が、母親との約束のためにA子宅を訪れたところ、誰も出なかったため不審に思い、合鍵を使って入ったところ、それらが発覚したという。

 両親の「A子と最後に会ったのはいつか」という問いに、僕は昨日の帰り道にA子と会ったことだけを伝えた。


 あれから7年が経ったが、A子は未だに見つかっていない。法律的にはもう死亡の扱いになっていることだろう。

 A子が亡くなった記念というととても不謹慎だが、これで僕の中で1つの区切りを作りたくて、今日ここに投稿させてもらった。

 ひょっとしたらA子は死んでいないのかもしれない。現に彼女の遺体は見つかっていない。

 A子はきっと、どこかで彼女ががもう「ひどいね」と言わなくてもいいように、人助けをしていると信じている。


 そう締め括って、僕は一度大きく伸びをした。頭にドクドクと血が巡っていくのを実感してから、7年前を思い出す。現実はそんな綺麗な幕閉じをしなかった。


 父親はベッドの上で寝ている隙を抵抗する間も無く腹部を貫かれていた。致命傷ではあったが即死ではなく、しばらくの間は大声を上げたり地を這うような呻き声をあげていたそうだ。異変に気付いた母親はベッドが逃げだしたが、部屋を出てすぐのところで足がもつれたのか転び、犯人は馬乗りになって何度も刺していた。両親の寝室の、クローゼットの中に潜んでいたA子はそう語った。


 夜中、A子は「助けて。家に来て」と僕にメールを送った。

 喧嘩をした相手であっても、助けてと言われては無視するわけにもいかず、僕は光で穴だらけになっている暗闇を走った。

 A子宅のリビングに通じる窓をノックすると、何日も眠っていないような顔をしたA子は、鍵を開けて僕を中へと招いた。室内は外よりも暗く、カーテンの隙間から満月の光がテーブルの上に置かれていた鉄臭いステンレスをわずかに淡く照らしているだけだった。彼女は立ちくらみでも起こしたような動きでソファーに腰をかけた。

 そうして、ポツリポツリと話を始めた。

 母親を襲っている隙に、キッチンから持ち出してあった包丁で犯人を切りつけたこと。よろめいて逃げようとした犯人が母親にそうしたように馬乗りになって、何度も何度も刺したこと。

 混乱のためか焦点の合わない目で、初めて合った時と同じように、僕には気付くことのできない何かを見つめて、犯人の血を浴びた寝巻きを握り締めて、堪え切れない嗚咽と涙を零して。

「なにも知らなければ、わたしだけ生き残ることなんてなかったのに、死ぬとわかった途端にこわくなった。今までの人は仕方ないことなんだって諦めてたのに、自分の番になったら怖気づいて、生き残ろうって中途半端にもがいたせいでこうなった。わたしがちゃんとしてれば、お父さんもお母さんも死ななかったのに。その気になれば、2人とも死なずにすんだのに。2人が殺されてるとき、わたし、クローゼットの中で怖くて見てるだけだった!」

 そんなA子を、かわいそうだと思った。あんなに憎んでいた悪魔が、両親を亡くして初めて人間に見えた。

 だから殺してあげた。仇を取った包丁で両親と同じように刺して。彼女は数年間調律をしていないチューバのような声を少しあげただけで、すぐに動かなくなった。

 こんなにもあっさりと命は尽きるのだと、この時初めて知った。

 それから、A子が修学旅行で使っていた旅行バックにA子の遺体を詰めた。一度家に帰って、軍手と大きなスコップとを持ち出して、誰かの私有地である山に忍び込んだ。

 ドラマのように、人ひとり分の身長ほどの穴を掘り、そこにトランクごと放り込んでまた埋めた。

 この山は誰かの私有地ではあるが、管理が杜撰で、手入れも滅多にしないということを以前聞いたことがあった。見つかる頃には僕が殺したという証拠も残っていないだろうと思っていたが、警察は犯人が死んでいた上にA子がリビングに血を残したまま消えた理由について、犯人は複数犯であったという結論に達して、もうひとりの犯人もわからないまま未解決事件に持ち込んだ。

 A子の言っていた「ひどいね」という言葉の意味とはなんだったのか、どうして人の死を予知する真似ができたのか、そもそもA子は本当に予知が可能だったのか。その全てを知ることはできなかったが、ただひとつ言えることは、長年降り積もった言葉が呪いとなって、結果的にA子を殺すことになったということだ。僕に「それ」を言わなければ、ただの幼馴染でいたのなら、A子だけでも死なずにすんだだろう。

 酷いのは始めから、他でもないA子だった。


 水分補給をしてからパソコンに目を戻すと、早速いくつかのコメントが寄せられていた。僕がどの事件の関係者であるかという議論が中心であったが、誰かが当時の事件のニュースのURLを貼り付けたことで、僕に対していくつかの質問コメントが寄せられていた。

 休憩を終えてコメントに返信しようとした時、最新のコメントに目が入る。

「ひどいね」

 それと同時に、後ろでも同じ言葉が聞こえた。

 何年も調律などされていないチューバのような声に、僕は聞き覚えがあった。

 そうして、僕は ゆっく りと後ろ を



































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