好きなもの

 彼女の第一印象は「綺麗な首」だった。

 身体つきは量産型の女子高校生といったところで、話してみれば明るい性格ではあったが、成績や運動神経というような面で飛び抜けて秀でたものは何一つなく、同じクラスになるまではその他大勢でしかなかった。

 その観念が覆されたのは、同じクラスで偶然にも男女ペアの委員会に所属したことがきっかけでよく話すようになった時だ。流れで連絡先を交換し、月に何度か放課後の時間を共有するようになってからようやく彼女のことが気になりだした。

 体型については前述の通りだったが、それにそぐわなかったのが首だった。そもそも首に脂肪はつきにくいのだが、それでも成熟した女性の頭部を支えているとは到底思えないような細い細い首は、僕が少し力を加えても細木のようにポキリと折れてしまいそうだった。

 身体とはアンバランスな首から視線を下に下降すれば、浮き彫りになった胸鎖乳突筋を暑さから解放されたいとばかりに開け放たれたYシャツの隙間から拝むことができる。

 目眩がするような強烈な第一印象を抱いてから数ヶ月経ち、お互いの趣味や好みを知り得るようになってから、僕たちはなんとなく付き合うことになった。同じ委員会になったということで他の女友達よりも距離が縮まったことが一因であるが、主因はやはり「男女が並んでいればそれはもう恋人」という、社会にいる限り切っては切れない固定概念に振り回されてお互いの気骨が折れてしまったことだろう。付き合うと口さがなく囃し立てるクラスメイトはほぼいなくなったが、その間で僕たちの関係に特別大きな変化は訪れなかった。

 普通の「恋人」たちがするような、複雑な絡みの手つなぎも、キスも、僕たちはしない。あくまでただの「友達」だったのが、周囲の思う通りに「恋人」という名前の関係にすり替わっただけだった。

 しかし僕は友達の首に惹かれていた。

 ひょっとしたらそれは彼女自体が好きなだけで、首に惹かれるのはその延長なのかもしれないと思って、一時期は彼女の他の部位に座視していた時期もあったけれど、結局は顔も胸も、彼女の首を見たときのように僕の心を揺さぶることはなかった。

 僕は彼女の首だけに恋をしてしまっていたのだ。



「ふと思ったんだけど、好きなものって最初に食べる? それとも最後?」

「どうしたんだ藪から棒に」

 愛しの彼女からの短兵急な質問に驚いてしまって、返答するつもりが逆に質問で返してしまった。

「いやーなんとなく気になってしまって。それで、実際のところはどうなんですか?」

「うーん……最後かな」

 そう言いながら、昼食のカレーライスを頬張る。家で3日置いたカレーライスも美味しいが、学食で食べる出来たてもまた格別だ。そして何より今日のような季節外れの猛暑日でも安全に食べられるところが最高にアトラクティヴ。

 彼女はというと、僕の返しに弁当のトマトをつつきながらニンマリと笑っている。

「今日、同じ質問を何人かの友達にしたんだよ。そしたらどういう結果になったと思う?」

 現代社会で出題される統計に関する文章題のような質問に当惑する。そういうのは一回授業でやったところを出題するのがセオリーだろう。事前情報もなしにそういうことを聞くのはルール違反な気がする。

「わからん。答えを教えてくれ」

「正解は、ひとりっ子なら最後に、兄弟持ちなら最初に好きなものを食べるって答えたんだよ」

 なるほど。ひとりっ子なら好きなものを横取りする人物もいないし、逆に兄弟がいれば横取りされてしまうから自ずと先に食べるというわけか。なるほど納得。

「それで、君はそれを聞いて回って、何を知りたかったんだよ」

 不信感を声に乗せて発すると、彼女は顎に手を当てて、いかにも「返答に悩んでます」というポーズをとった。

「つまりカレーライスライスは万人に愛されていて、トマトは万人に嫌われているっていうことを証明したかったんだよ!」

 そう言って彼女はトマトの入った弁当箱の蓋を閉じた。

「トマトはわかるけど、カレーライスは最後に残せないだろ。大体はカレーライスだけでしか食べないんだから」

「あ、そっか。失念した」

 彼女の後ろから冷やかしの目で見る僕の友人と目が合ったが、とにかく僕らはそういうどうでもいいような会話をする関係だった。



「それじゃあまた明日」

 遮光板なしで太陽が見られるようになる午後六時、本屋を出たところで彼女はそう言った。

 つい先ほどまで冷房に当てられてひんやりとしていた体表は、ミンミンゼミの温度で徐々に汗を滲ませていく。まばらに点在する人はどれも暑さに疲ている、という顔をしていた。

 僕たちはこうやって放課後に連れ添って本屋に行くことがある。これが友人たちにからかわれる最たる所以なのだが、本の趣味が合うのだからこればかりは仕方がない。

 それじゃあ、と彼女が角を曲がるまで見守る。それから僕は逆方向に歩いて行って、普段は使わない細道を曲がりに曲がる。そうして召還された一本道には、僕から無防備に背中を向けて歩いている彼女がいた。

 足音でバレないように抜き足差し足忍び足で尾行しようかとも考えたけれど、幸いとでも言うべきか、遠くの工事現場の音で僕の足音どころが彼女の足音までもが完全にかき消されていたので普通に歩くことにした。

 彼女は扇風機ほどの大きさから徐々に女子高校生ほどの大きさになっていく。そこまで成長した彼女に、僕はこのストーカー行為に終止符を打つことにした。

「やっぱり、ここら辺は人が少ないし送っていくよ」

 そう言って僕が彼女の肩に手をかけると、彼女は口から心臓が飛び出そうな勢いで飛び跳ねて、心臓は出てこなかったけど今まで聞いたこともないような声をあげた。

「すっっっっっっっっっっごいびっくりした!」

「ちゃんと声はかけたんだけど」

「向こうの工事の音がうるさかったから聞こえなかったよ。ていうか帰り道反対方向じゃん。私のことはお気になさらずにどうぞお帰り下さい」

「いや気にするよ」

 彼女だし。

 言ってから恥ずかしさが地平線の彼方まで伸びていった。なんでこんなことを言ってしまったんだ。今時のバカップルでもメールでこんなこと言わないぞ。

 僕の方を振り返った彼女は暑さのせいだけとは思えないくらいに頰を赤くして、ダラダラと汗を流しながらニヤニヤとしていた。

「彼女である私を送っていくということは私の両親にご挨拶か送り狼かのどっちかということですかね?」

 要するに恥ずかしいのだろう。僕も恥ずかしい。

「か、勘違いするなよな。か弱い乙女を黄昏時に一人にするのは危ないから送るって言ってるだけで、別に彼女とか関係性は一切関連性がないわけで」

「あ、そっか。連続……」

 そこまで声を発したところで、彼女はハッとしたように口元を押さえた。そして辺りを見回して人に聞かれないように声を潜める。そんなことをしなくても工事現場の騒音で誰にも聞こえないろうに。

「連続殺人事件があったもんね」



 ここは特に取り柄もない都会に近いだけの田舎町だけれど、最近、世間を賑わせている事柄がある。

 八件の連続殺人事件。

 仕事帰りのOLがホテル街近くの路地裏で殺害されたのを皮切りに、今日までで八人が殺害されている。

 殺害された人物は全員が女性であり、その誰もが絞殺されている。

 三週間ほど前に初めて起こったこの連続殺人事件と悪の権化に対し、警察は巡回を毎日執り行い、自治体やPTAも夕方頃になると公共施設付近で学生達の早期帰宅を促している所を見かけるが、未だに犯人逮捕には直結しないらしい。



「そういうことだから、早く帰ろう。二人以上なら狙われないし」

「そうだね」

 そうやって僕たちは前を向いて歩いていく。汗ばんだ手と手を繋いだのは友達が怖がってるんじゃないかと思ったからだ。バカップルだからとかは関係ない。多分。

「いやあ助かったよ。ここら辺って昼間でも薄暗いし、殺人鬼に遭遇でもしたらどうしようかと思ってたところなんだよね」

 お気楽な彼女が言う。僕もまったくその通りだと賛同してみた。道を一本挟んだ向こうでは三人目が殺害されたんだから世界は狭いものだ。

「怖いんなら、親に迎えにきてもらえばいいのに」

「うちの両親はガソリン代に対しても貧乏性なもんで。徒歩一時間くらいの距離なら自転車を使うよ」

 賛同したが、適量の塩くらいには文明の利器を活用してほしい。

「それにしても今日は暑いな」

 学校指定のネクタイをほどいて、シャツのボタンを開ける。中のシャツも脱ぐことができれば大分楽にはなるだろうけど、ここでシャツを脱ぐのは変態行為に等しいだろうからやめることにした。

「今日が一年で一番暑いらしいから、今日を乗り越えれば今年はなんとか乗り越えられるね」

「暑いのは乗り越えられるだろうけど、寒い日は乗り越えられそうにないよ」

 彼女の返しもなく、僕も話題の引き出しが少ないもので、自然と沈黙が流れてしまう。

 ふと、思い出したことがあって、僕は彼女の手を離す。突然温もりを失った彼女は立ち止まって僕の方を振り返る。

「今日の昼さ、好きなものは最後に食べるって言ったじゃないか。君は……何か好きなものはある?」

「沢山あるよ。帰り道にひとつずつ言ったら退屈しないくらいには」

「仮に今、僕の目の前に好きな食べ物が沢山あったとして、僕はどうすると思う?」

 しばしの考察タイムを経て、彼女は口を開く。

「頭の中で順位をつけて、順位の低いものから食べていく?」

「正解。でも、僕は胃袋がそれほど大きくないからそんなに沢山食べられないだろうし、食べられる範囲を決めて、よっぽど順位の低いものは食べないことにするよ」

 視線を落として、先ほどほどいたネクタイを両手で弄ぶ。必死に出した引き出しの中身ももう尽きてしまいそうだ。

「僕はさ、君のことが好きだよ」

「おうおうあんちゃんいきなりなんだい? 私のハートを射止めたいんかい?」

「突然のラップはびっくりするからやめてくれよ」

「すすすしゅきって言うのはライクの方ですか?」

 彼女はひょっとこのような顔をして明後日の方向を向いている。恥ずかしい時の顔のバリエーションが話題よりも多いのはどういうことなんだ。

「ラブの方だよ。......ひとつだけ質問なんだけどさ、その好きなものが人であった場合、僕が最初に順位の低い人を選ぶのは悪いこと?」

「悪いことじゃな……あっ浮気?」

「いや、好きなものが食べ物じゃなかったら、なにか変わるのかなと思ってさ」

 家、この辺だったよねと彼女にここから先は一人で帰るように促す。

「それじゃあまた明日」

 彼女は本屋で言った時と同じようにそう言って、僕に背を向けて歩きだした。

 僕は走って彼女に追いついてそれから、持っていたネクタイで彼女の首を力任せに絞めあげた。

 彼女は息だけで何かを必死に訴えているが、僕の耳のついている方とは別の方向に向かって言っているし、工事現場の騒音のせいでよく聞こえない。必死にこっちを見ようとしている健気な彼女を見ると、僕もあるはずのない母性をくすぐられてネクタイを緩めてあげたくなるけど、逃走される危険を冒してまでそんなことをするメリットはない。

「最初のOLは近所のお姉さんだった」

 母と同じ縫い物教室に通っていた主婦、小学校時代に同じ塾だった他校の子、友人とよく行くファミレスの店員、集団登校の最前線を歩いている班長らしき小学生、高校受験の時前の席だった子——。

 僕は無意識に今までの殺人を自供してしまっていた。まあここまでうまく言っているんだから、万一にも逃げられる心配はないだろう。彼女への冥土の土産には丁度いいかもしれない。

「みんな首が綺麗だったんだ。美人と呼ばれる人もいただろうけど、どうでもよかった。僕にとって、首だけは、魅力的だったんだよ」

 美味しそうな食べ物を見れば食べたくなるのと同じように、ただの欲求として綺麗な首を絞めてみたいと思うようになった。

 でも僕だって自分で料理をして食べることと飲食店で食い逃げをすることの違いくらいはわかる。当然漠然とした罪の意識だってあったけれど、初めて首を絞めた時にそんな気持ちは消し飛んでしまった。淡々とした作業と恍惚とした興奮は、言ってみれば調理をしながら食事をしている気分だった。

「あれ?」

 僕のメモリーを逡巡していると、気付けば服に大粒の涙と洪水のようなよだれを垂れ流していた彼女はぐったりとしていて、首に蛇のように巻きついたネクタイからなんとか逃れようともがいていた手は力なく振り子のように揺れていた。どうやら気絶してしまったらしい。

 一旦その場に下ろして逃げないのを確認してから、彼女を近場の小路に引きずっていく。

 それからリュックの中に入れてあった手袋を取り出して、自分の両手にはめる。

 気絶してからは、自分の手で絞めることにしていた。

 うっすらと索条痕のついた彼女の首に両手を当てて徐々に体重を乗せる。気道にわずかに残っていたと思われる空気が口笛のような音と共に出てきたっきり、彼女が音を発することはなかった。

 僕が捕まったとしても捕まらなかったとしても、僕が行う殺人はきっとこれで最後だろう。断定ができないのは、彼女以外に綺麗な首を持つ女性が出てきたら、僕はその首を絞めずにいる自信がないからだ。僕の脳髄は欲求を満たした時の快楽をしっかりと覚えてしまっている。仮に僕の理性が抑えたとしても、本能がほしいおもちゃを買ってもらえない子どものように駄々をこねて、いずれはまた同じようなことを起こしてしまうと、そう断言できる。

「趣味も合ってさ、僕たち、いい友達でいられたと思うんだよね」

 だからこそ、これまで生かしておいたんだ。

 好きなものは最後までとっておきたいから。

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