20話:ゴミ屑の命
至る所にゴミが散らばっていた。
散らばっていたという表現は正しくないかもしれない、無断で放棄されたゴミは空家に住む住人達が窓から放り投げたのだろう。
放り投げられ誰も片づける気がないゴミの数々は積み重なり山となっていた。
誰も管理しない無法地帯は得体の知れない物体を齧る汚らしいネズミや羽虫が辺りに飛び交い、酷い汚臭が漂っている。
普通の人なら一生のうちに絶対に立ち寄らない、立ち寄りたくない、そんな場所にヤガミハルトは居た。
「――しんで、な、い」
ゴミ山の上から擦れた声を出すハルトは『まだ』生きていた。
結局、ベランダから飛び降り自殺(未遂)することになり、胸に深々と殺人者のナイフが突き刺さり、生きているのが不思議な状態だったが、ハルトはまだ息をしていた。
――『なぜ』生きているのか、と言う理由は、実はハルトは二つの心臓を持つ魔王だったからでも、密かに取得していた風の魔法を駆使し衝撃を和らげたから――でもない。
数々の偶然が重なり、ハルトは辛うじて死ななかったのだ。
まず、ベランダから飛び出したハルトは何も顧みらず全力で飛び出したことで宙を飛んだ身体は真っ直ぐ進み、半分ほど落ちた所で前方の建物の壁に肩から激突した。
壁にぶつかりさらに半分の距離を落ちて地面に叩き付けられたが、落下地点にはゴミの山があり、衝撃はさらに分散された。
そして、もう一つの偶然は胸に突き刺さるナイフが突き刺さっているモノ………。
(――白い飛竜の鱗)
モニカから見せてもらった後、何だかんだで返せるタイミングがなくて、上着の中に仕舞っておいた白い鱗。
その鱗がハルトを守るようにナイフは鱗に突き刺さり、ハルト自身の身体には傷一つ付かなかったのだ。
数々の偶然が重なった奇跡が死の運命を変えてくれた。
(――モニカに礼を言わないと)
白い少女のことを考えてハルトは力をもらう。
最後に見た少女の顔は涙で歪んだ酷い顔だったことを思い出す、もしも自分が死んだらモニカは泣いてくれるだろうか?
疑問に思うまでもない、白い少女は最後に見た表情よりもっと酷い顔で泣いてくれるだろう。
それくらいに今回の世界では仲良くなれたと実感できた。
(――モニカに会わないといけない)
彼女の泣く姿を想像するだけでハルトの心は痛んだ。
喜びを全身で表現する彼女は、悲しみも全身で表現するのだろう。
そんなのはつらすぎる。
(――会いに行かなきゃ)
彼女には笑顔が似合う。
花の咲いたような笑顔を見れば、それだけで勇気と元気がもらえる。
それにモニカとは約束をしたのだ、大通りで落ち合おうとハルトは約束した。
(――モニカがつらい時、苦しい時、俺が傍に居てやらないと)
それは、最初の世界でモニカとした約束。
泣きそうなときでも、泣きそうじゃない時でも傍に居ると誓った約束。
この世界では消えてしまった約束。
ハルトの中でだけ生きてる約束。
約束を果たさなきゃいけない。
「――っあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
モニカの元へ行くために、力を描き集めて身体を動かす。
身体の奥底から必死で描き集めて出来たのは自分の身体をゴロンと転がるように動かすことだけ。
それだけの微かな力でも不安定なゴミ山は崩れ去り、ハルトの身体を地面に投げ出した。
そのまま、ゴミの山に埋もれそうになるのを慌てて両手で這うように抜け出す。
得体の知れない汚物や液体が散らばる汚い地面を這い進み。崩れそうなゴミ山がない場所まで来てほっと一息を付く。
一息付いて、自分の身体の『異常』に気付いた。
「――………なん、だ。どう、なって」
地面には何かを引きずった、赤い線が出来ていた。
赤い線はハルトの身体に続いている。
頭も大丈夫。両腕も大丈夫だ。心臓も守ってくれた。なら、なら………。
――ハルトの左足がズタズタに引き裂かれていた。
灼熱の様な熱はあるが、感覚がない。
血まみれの足は骨と肉がどうなっているか分からないくらいに『赤』で覆い尽くされていた。
奇妙な形に歪んでいるのも赤色のせいに違いない。
「――………なん、で」
擦れた声で疑問の言葉を呟く、もしかしたらゴミの山に不自然な姿勢で着地したのかもしれない。
もしかしたら、着地した場所にガラスの破片や鉄くずのような尖ったものがあって皮膚を突き破ったのかもしれない。
怪我をした理由は分からない。分かっているのは、
「――………さむい」
身体が冷えていた。極寒の地に居る様な寒さ………ではない。
血の気が引き、急速に急激に自分の中の『熱』そのものが消失していくような寒さ。
不味いことが起こっているのだとは分かる、だが、どうしようもない。どうすることもできない。
右手で自分の脇腹を触った。
そこからも微かに熱が漏れている気がする。
脇腹を抉った刺し傷が落下の衝撃で酷くなっているのかもしれない。
地面に赤が染み込んでゆく。
ゆっくりゆっくりと自分の中の命が地面に染み込んでいくのを止められない。
今回の死因は分かった、失血死だ。
人間は三割の血液を失うと命の危機にさらされると言われる。
それくらいの量をぶちまけてしまったのだろう。
寒い。気持ち悪い。熱い。熱くて寒い。吐きそうだ。痛い。震えが止まらない。
緩やかに『死』が近づいてくるのが分かる。
数々の偶然と奇跡で乗り越えても、死ぬのが遅くなっただけ。
そんなものだ。ヤガミハルトの人生はそんなものだ。
この、辛くて厳しい異世界は元の世界の現実よりもはるかにつらい現実を押し付けてくる。
泣いて、喚いて、叫んだって何も変わりはしない。
何の力も能力もない一般人はゴミの山の中でゴミの様に死ぬのだ。
確かに自分は剣も振れない、魔法も使えない何の力もないゴミ同然の人間だ。
でも、力がない自分の言葉に笑ってくれる人も居る。
頭も良くないゴミのような自分のために泣いてくれる人も居る。
ゴミ屑当然のハルトに声を掛けてくれた少女に自分は少しでも力になれただろうか?
少しでも心の支えになれただろうか?
「――――………モニカ」
ポツリとハルトは一人の少女の名前を口にした。
宝石の様に煌めく青色の瞳が見える。
目が霞み、辺りが暗くなっていく世界の中に眩しく輝く青い瞳が見える。
花の様に笑う顔を曇らせる彼女に会いたい。会いたいと願いながらハルトはゴミの中で、
――――ヤガミハルトは。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――ヤガミハルトはゴミの中で生き続けていた。
ハルトの目には世界で一番会いたかった少女が映っている。
ハルトが見たこともない真剣な表情でハルトの目の前に真っ白な少女は確かに存在していた。
「――………モニ、カ? ほんとうに?」
意識が混濁した自分の見せる幻ではないだろうか?
死の前に見る走馬灯ではないだろうか?
血を失い、頭は働かず、確証が持てないハルトに目の前の少女ははっきりとハルトに語りかけた。
「――動かないでハルト。今、治してあげるから」
モニカは白く細い腕をハルトに伸ばし、腕からは青い光が零れ落ちていた。
強く光り輝く青い煌めきはハルトの身体を優しく包み込む。
柔らかい光の輝きを浴びて、徐々に自分の身体に熱が戻ってくるのをハルトは感じた。
「――モニカ、魔法を………なんで?」
モニカは魔法を使えなかったはずだ。
本人も『使えない』と言っていた。
使えることを隠していたのだろうか?
いや、しかしそれよりも言いたいことがある。ハルトは少しずつ体調が戻ってきて、喋れるようになった口を開いた。
「モニカ、なんでここに居るんだ? 人混みの中で合流するはずだっただろう?」
「――――………」
「俺の………魔力の匂いを辿って来たのか?
そんな………ここに来るまでに襲われてたらどうする?」
「――――………」
「どうしてここに来たんだ?
俺には魔法のこと隠してたのか?」
「――――………」
「隠してたのは、良いんだ。別に良い。
でも、この場所に来るのは違うだろ!」
「――――………」
「俺はモニカを助けようと思ったのに!
モニカが俺を助けようとして殺されたら本末転倒だろ!」
「――――………」
「俺は、俺にはそんな価値はないっ!
こんな、俺を助ける必要なんてないんだっ!!
何で俺を追ってきたんだよっ!!!
モニカが死んでしまったら、俺は………俺は………」
「――――………」
一方的な会話が終わり、沈黙が訪れた。
言葉を話さず、治療に専念するモニカの手から青い光が溢れ続けて――
しばらく経って、ふっとモニカの手から光が消えた。
「――終わった」
聞こえてきたのは、いつもの彼女に相応しくない冷えた声。
俯いたままの少女を見ながら言葉を返す。
「………ありがとう。すごいな、助かったよ」
ハルトは自分の身体を確認する。
脇腹――は治っている。傷跡一つない。
ズタズタになっていた左足も治っている。未だ血に染まったズボンを捲る。無残に折れ曲がってたであろう骨も皮膚も元通りになっていた。
おそるおそる、ハルトは無事な右足に力を入れて、傷ついていた左足も地面に付き、立ち上がった。
違和感――も何もなかった。自分の足だ。
あれだけの傷を受けていたのに、夢か幻だったかのように普通の足に戻っていた。
「元通りだ。何の違和感もない」
魔法の凄さを実感したハルトは腰に手を当てしみじみと感慨深げに呟く。
回復魔法っぽい何かだろうか、魔法を使った、白い少女を見るが、白い少女は俯いたまま何も言葉を発しない。
いつもの元気一杯の少女らしくない姿に心配になって、ハルトは不安げに口を開いた。
「モニカ? どうした?」
「――――………………」
帰ってきたのは沈黙だ。
顔を伏せ、表情を見せない少女の姿に心がざわつく。
まさか、魔法の後遺症か何かだろうか?
あれだけの効果を発揮した魔法を使わない、隠していた理由は自分にも危険が及ぶからではないだろうか?
その考えにたどり着いて、ハルトの血色が戻ってきた顔が青白くなる。
「モニカッ! 大丈夫かっ!!!」
慌てて、しゃがみこんでモニカの肩を掴み、顔を覗きこむ。
顔を覗きこんで――ハルトは唖然とした。
モニカは怒っていた。怒っている顔をしていた。
可愛い怒り方ではなく、どちらかというと憤怒の表情と言っても良い。
いつもの少女からは想像もできない顔を見て唖然と固まる。
固まるハルトの胸をモニカは突き飛ばした。
「――ぃッ!」
あまり綺麗とは言えない地面にハルトは倒れる。
倒れたハルトの上に少女の小さな体が伸し掛かってきた。
「モニカ、なにを――――いってぇ!!」
ハルトの胸に少女の拳が叩き付けられる。
右の拳を打ち付け、次は左で、右で、と交互に胸を叩きながらモニカは叫んだ。
「――ハルトのばかっ! ばかっ! ばかっ! ばかぁっ!
なんで、なんでそんなこと言うの! なんで、私ばっかり助けようとするの!?
私が助けてって言った? 言ってないよ!
私は助けてほしいなんて言ってないっ!!」
「――なんで、私をハルトは助けるの? 私が魔女だから? 魔女だから助けるの?
そんなの私頼んでない! 命を張ってまで助けてほしいなんて言ってない!」
モニカは小さな口を大きく開けて声の限り叫んだ。
モニカはハルトの胸を叩きながら押さえきれないように溢れる言葉を口にしていた。
口にしながら、宝石の様に青い目からぽろぽろと涙が落ちた。
涙が落ちてハルトの顔を濡らした。
「――モニカ………俺は………」
「――私が何でこんなに怒ってるか分かる!?
ハルトには私の気持ちが分かる!?
一人で逃げろって言われて、悲しくて、苦しくて、でも走らないとハルトの気持ちが無駄になっちゃう。そんな気持ちが分かる?」
モニカは両手をハルトの胸に押し付ける。
白く細い両腕は震えていた、少女の心の震えが溢れる様に震え続けていた。
「――モニカ………………………………」
「――ハルトは自分の命なんて価値がないみたいに話した!
ハルトの後を追って、ここまで来た私のことを怒った!
分かってない! ハルトは分かってない! 全然わかってない!」
モニカは悲痛な顔をしてハルトの顔を覗きこんだ。
その姿に、その表情に花の様に笑う少女の姿はどこにも見えない。
いつもハルトが勇気と元気をもらえる顔はどこにも存在しない。
そこにあるのは、ハルトの心を苦しいほどに締め付けるモニカの姿だった。
少女は青い瞳で目の前の少年を見つめて、悲しそうに、切なそうに、辛そうに、嬉しそうに言いたかった言葉を紡いだ。
「――なん、で、わたしがこんなに怒ってるか分かる?」
「――わたしたちが友達だから。わたしの初めての友達だから。
わたしにも心配させてよ。わたしもハルトのこと助けるから。
………私も、ハルトも同じように………友達………だか、ら………」
モニカの顔は涙が伝っていた。
煌めく瞳からは涙が零れていた。涙が溢れていた。
ハルトの顔からも涙が伝っていた。
少女の涙が落ちて、ハルトの涙と一つになった。
あんなに苦しくても、絶望しても、この世界に帰ってきてから一度も流れなかった涙が流れていた。
流れて、溢れて、自分の服を濡らしていることに気付いた。
力なんてない、頭も良い方じゃない。殺人者に追われれば全力で逃げるだけ。
挙句の果てには追い詰められてモニカを逃がすのが精一杯。ハルトにはそれだけしか出来なかった。ゴミの様なヤガミハルトにはそれだけの選択肢しかなかった。
でも、そんなゴミみたいな自分のことを友達だと言ってくれる少女が目の前に居る。
無茶をして自分を助けようとしてくれるたった一人の友達が居る。
こんなに嬉しいことがあるだろうか?
こんなことが許されても良いのだろうか?
こんなゴミ屑同然の価値しかない自分に?
「――俺はモニカのことを助けたい」
「――私もハルトのことを助けたい」
「――俺はモニカのことを心配してる」
「――私もハルトのことを心配してる」
「俺は――助けられるような人間じゃない」
「でも――モニカはハルトのことを助けたいと思ってます」
「俺は――心配されるような人間じゃない」
「でも――モニカはハルトのことをずっと心配してる」
「――本当に?」
「――本当に本当だよ」
少年の言葉に少女が言葉を返した。
少年が否定すると少女はそれは違うと言った。
不器用に笑顔とは言えないような醜い笑顔を見せると、目の前の少女も酷い顔で同じように笑った。
「………………モニカは頑固だな。参ったよ」
「ハルトの頑固さにはモニカは負けます。
――でも、これからはもっと柔らかくなってほしいな」
「そうだな、これから不肖ハルト粉骨砕身、努力して参ります」
「それってなぁに? 難しい言葉じゃ伝わらないよ」
笑って、怒って、泣いて、喧嘩して、そして仲直り。
それが友達ということ、それが友達になるということなのだろう。
それは平凡で当たり前のことかもしれない、でも、そんな当たり前のことを二人は心から喜んだ。
この世界で初めて出会って友達になった二人はゴミの中で楽しそうに笑いあった。
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