19話:逃亡劇

「――なんで、お前が………………」


 予期していなかった人物の登場を信じられず、ハルトの口は擦れた声を出した。

 慌てて、頭上を見ると燦々と光る青い空が見える。


「――くそっ! まだ昼間だぞ、おいっ!」


 時間は今までで最短、最速ルート。

 目の前の殺人者と遭遇するのは夕方のはず、それも闇の帳が落ちる時間帯だ。

 五時間か六時間の余裕はまだあったはずなのに、なのに………。


「なぁに呆けた顔をしてるのですか?

 現実が理解できないタイプ? あっ、私の美貌に心を奪われたタイプですか!?

 やだなぁ、私『お腹が綺麗な人』じゃないと付き合えないので………まずは確かめさせてくれます?」


 目の前に立つ異常者はくねくねと身を捻じりながら、最悪の現実をハルトの目に焼き付けてくる。

 玉の様な汗が浮かび、足が震え、頭はパニックになり、


「――ハルト、あいつが君が言ってた殺人者の一人だな」


 ハルトの耳に凛とした声が響き渡った。

 リーゼロッテは二人を庇うように金色の髪を揺らしながら前に出ると、ネコミミの女性サーニャを睨んだ。


「………なるほど、危険なタイプの様だ。これは相当苦戦しそうだな」


「こんばんわ………じゃないや、こんにちわです、ニャ

 初めましてリーゼロッテちゃん、さっき私の耳が『殺人者の一人』と聞いたのですけどにゃ」


 サーニャはパタパタと動く自分のネコミミを指で差すと、くいっと頭を斜めに傾けて、疑問の言葉を吐く。


「――ひょっとして、私達のことがバレてる?」


「私のことも君達に『バレてる』みたいだが、どこから情報が割れたかお互いに腹を割って話せないだろうな」


「リーゼロッテちゃんのお腹なら『割ってみたい』ですけど、ニャ………。

 そうだねー、疑問にほいほい答える馬鹿は居ないよねー!」


 サーニャは両手のダガーナイフを空中に放り投げ回転させると、再び空中でキャッチし逆手持ちに切り替える。

 

 明らかに変わった空気に、ハルトは身体を震わせる。

 ――震えるハルトに柔らかい白い指が触れた。


「――それじゃあ、命を置いていってもらいましょうか………ニャ!」


 独特の掛け声とともに、ソーニャの身体が空高く宙に舞いハルト達三人の頭上を飛び越した。

 同時にリーゼロッテの声が響く。


「――ハルト! モニカを連れて逃げろ!」


「――言われなくともっ!」


 サーニャが宙を舞い、前方が開けたのを逃さずハルトはモニカの手を握って急いで駆け出す。

 白い手に触れた瞬間からハルトの震えは止まっていた。

 一握りの勇気を握って、ハルトは出来る限りの速さで白い少女と一緒に走り抜ける。


――後ろで響き渡る鉄と鉄がぶつかり合う音を背に、金色の騎士の無事を祈りながらの逃走劇が始まった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 真っ直ぐ、真っ直ぐ、右に曲がって、左に曲がる。

 正面に壁、後戻りして別の道へ、真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ、走り抜ける。


「――っあ! はぁ、はぁ、はぁ、ここは――どこだ」


 走って走って、辿り着いた先は小枝の様に道が絡み合い、足を踏み入れた者を惑わす別れ道だ。

 どこに行けばいいのかまるで分からない、一人ならとっくの昔にパニックになっている。

 だけど、今は一人じゃなかった。

 隣に立つふわふわした白い髪の少女から勇気をもらう様に、動揺を和らげる様に言葉を交わす。


「モニカ、道、分かるか?」


「………はぁはぁ、うん、ちょっと、まって」


 荒い息をしながらモニカは答えた。

 ハルトより体力があると思われる、モニカも緊張と不安で体力を消耗しているようだった。

 短い呼吸を繰り返したあと、気を落ち着けるように大きく息を吸って吐くと、

モニカはつま先立ちになった。目を閉じ、すんすんと鼻を鳴らすと、一人納得したように頷いて目を開ける。


「――たぶん、あっちの方向だよ」


 白く細い指を向けて、方向を示す。

 ハルトはモニカが示す方角を見てから、モニカの顔をうかがい、


「………さっき匂いを嗅いだようにしか見えなかった動作の真意を聞いても?」


 犬のようなしぐさをした少女の不思議な行動を問い正した。

 モニカは両手を腰に当て、慎ましい胸を張るとキリッとした顔で言った。


「私はね。『魔力の匂い』が分かるの。

 これだけはロッテも真似できないんだって――凄いでしょ!」


「魔力の………匂い………?」


 モニカの言葉を理解できないハルトは首をかしげる。

 魔法と言うのもハルトには理解しがたい物なのに、魔力にも匂いがあると言われ正直チンプンカンプンだ。

 無為無臭のイメージなのだが違うのだろうか?

 怪訝な顔をしているハルトに分かってもらおうと、モニカは大げさな身振りで説明した。


「一度会ったことのある人とか、大勢の人が居る所なら匂いが分かるよ!

 今は大勢の人の魔力の匂いを嗅いで方向が分かったのです!

 たぶん、あっちが大通りだとモニカは思います!」


 鼻を鳴らして、得意げに大通りがあると思われる方向をモニカは示す。

 いまいちモニカの言うことが理解できないハルトはさらに首を傾けながら、とりあえず話を進めることにした。


「な、なるほど、それは………すごいな」


「でしょう! でしょう!

 モニカが唯一、自慢できる特技なのです!

 ………でも、方向は分かっても道は分からないの。ごめんね」


「いや、方向が分かるだけで大助かりだ。

 後はその方向に逃げれば良いだけだからな。

 けど、ちょっと聞いても良い? モニカは何か魔法は使えるのか?

 または、実は剣の才能があってリーゼロッテさんも唸らせる天才だったりとか?」


「モニカは………モニカは………魔力の匂いが分かります!

 魔法はまだ使えません!

 剣は「モニカは素振りで大怪我をしそうなほど才能がない」とロッテに言われました………。

 でも………モニカは魔力の匂いが分かります………ロッテには出来ません………………」


「そ、そっかぁ! リーゼロッテにも出来ないことが出来るなんてモニカは凄いなぁ!

 いやぁ、憧れちゃうなぁ! かっこいいなぁ! 俺の百倍凄いなぁ!」


「え、えへへ、そうでしょうか。………そうですね!

 モニカは凄いです! ………ハルトも頑張ってね!」


「はい、それは身に染みて感じております。

 これからこの不肖ハルト粉骨砕身、努力して参りたい所存であります」


 後半、落ち込みそうになったモニカを鼓舞して、モニカの機嫌をどうにか直す。

 だが同時に、藁も掴む様な儚い希望も砕け散った。

 『最初の世界』でモニカと話した時に『魔法が使えない』と言っていたことを覚えていたので、答えは分かってはいたのだが、それでもハルトの肩は落ちる。

 ここに居るのは正真正銘、何の力も持たない自分とモニカの二人だけだ。

 その現実を認識すると不安の感情は膨れ上がる。胸に眠る不安の種は成長していくが――


 ――いや、まだだ。まだリーゼロッテがいる。


 後ろでまだ戦っているだろう、金色の騎士のことを考えて不安を取り除く。

 リーゼロッテの強さは少ししか戦いを見届けれなかったハルトにも化け物クラスだと理解できた。

 『二回目の世界』の最悪な記憶だって、不意打ちがなければリーゼロッテが勝っていたはずだ。

 それに、今回は情報がある。それなら、勝ち目の方が大きいのではないだろうか?


 頬を叩き、顔を上げ、ハルトは隣りに佇む白い少女に手を伸ばす。

 モニカはハルトの手を見ると、力強く握り返した。


「よし、休憩は終わりだ。行くぞモニカ。逃げ切れば俺達の勝ちだ」


「うん、ロッテの迷惑にならないように頑張る! 頑張って逃げよう!」


 手の平に少女の体温を感じながらハルトは強い口調で言葉を発した。

 ハルトの言葉にモニカも力強く頷く。

 しっかりと握りしめた手を引っ張り、前方へ足を蹴りあげて――


「みーつけた! 見つけた、ニャ

 見つけましたにゃ。お二人さん仲良くお手手を繋いでどこに行くの?」


 殺人者の声が二人の居る路地に響き渡った。

 身体を震わせて、声が聞こえた方に目を向けると、屋根の上に立つ殺人者と目が合った。


「――十秒待ってあげるね!

 ほらほら、私が鬼で二人は捕まらない様にしなきゃ!

 さぁさぁ、必死に走って隠れなきゃ捕まっちゃうよ!

 それじゃあ、数えますにゃ――――いーち………」


 ネコミミの殺人者は二人を茶色の瞳で見つめると、嗜虐的な笑みを浮かべて楽しそうに数字を数える。

 本格的な逃走劇はこれから始まるのだとばかりに残酷に殺人者は時を刻み続けた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「――くそがっ! リーゼロッテは何やっているんだ!」


 狭い路地にあまりきれいじゃない言葉が響き渡った。

 口汚い言葉を発した茶髪の少年は荒れた地面に足を取られないように気を付けながら必死に走る。

 走り疲れて、脇腹が痛い、いや脇腹どころか肺が痛い。

 心臓は高鳴り続け、筋肉は乳酸付けだ。

 自分の身体からは、もう限界だ、走るな。止まれ。と警報が鳴り続ける。

 だが、止まることは出来ない、止まれば、後ろから迫る殺人者に無残に殺されてしまう。


「ほらほら、もっと頑張って走らないと追い付いちゃうよー。いいのかなー?」


 後方から殺人者の声が聞こえる。

 振り替える様な時間はないので、音から判断するしかないが。

 あまり遠くからは聞こえない、精々三十メートルくらいしか殺人者との距離を離せていないだろう。

 背中に感じるチクチクとした視線から逃れるために既に限界の足に無理をさせて、地面をより強く蹴り付ける。


 全力で駆け抜けながらも、頭を高速で働かせる。

 逃げ道への方角は分かっているが、道自体は分からない。袋小路に捕まったら即アウト。バッドエンド突入だ。


 左に曲がって、次は右、真っ直ぐ行って、次は左………。


 普段からここまで感が冴えてくれれば言うことはないと言うくらいに、ここまでは行き止まりに出会うことなく進み続けれた。

 走って、走って、走って、駆け抜けて………。

 左か、右か、直線の分かれ道が立ちふさがった。


 そのまま真っ直ぐに進もうとしてすぐに立ち止まる。

 真っ直ぐ行った先が行き止まりだと辛うじて分かったからだ。

 すぐに引き返して左の道へ行こうとして――

 一瞬の判断の遅れに銀色の光が二人を襲った。


「――モニ………あっぐぁあぁぁぁっッ!」


「――ハルトッ!!!」


 赤色の液体が宙に舞い、地面に零れる。

 殺人者から放たれた銀色のダガーナイフはモニカを庇ったハルトの脇腹に突き刺さった。

 苦痛に顔を歪めながら、ハルトは脇腹に刺さったナイフを抜き取り地面に転がした。

 鮮血が衣服を鮮やかに濡らしたのを視界の隅に収める。


「ハルトッ! ハルト大丈夫!?」


「………だ、大丈夫だ。行こうモニカ」


 奥歯を噛み締め、脂汗をにじませながらハルトは笑顔で白い少女を安心させようとするが、

泣きそうな顔の少女の顔を見ると、笑顔とは言えない歪んだ表情をしていたのかもしれない。

 脇腹を抑えながら、左の道を進み………。


 ハルトは直感の力も運も使い果たしたと悟った。


「――行き止まりかよ………チクショウ」


 左の道を進み、右に折れ曲がった先は袋小路だった。

 三メートル半くらいの絶壁が聳え立っており、ご丁寧なことに腕や足を引っ掻けるような窪みや出っ張りもない。

 垂直に聳え立つ壁を見て、ハルトはすぐに決心を固めた。


「モニカ、一生のお願いだ。俺の肩に乗ってくれ」


「えっ、いいけど、なんで?」


「いいから、早くしてくれ! 時間がない!」


 怒鳴る様に言葉を返すハルトにモニカはビクッと身を震わせると、しゃがみ込むハルトに乗り両足を肩に引っ掛けた。

 いわゆる肩車の状態となったモニカを乗せて、立ち上がろうとして、


「――ぐうぅぅぅぅぅぅっ!」


 地面に零れる赤色の液体を睨みつけながらハルトは立ち上がった。

 痛みと疲労でふらつきそうになるのを耐えて、肩に乗るモニカに指示を出す。


「モニカ、壁に手を付いて支えにしながら俺の肩に立ってくれ。

 そしたら、俺がモニカの足を持ってさらに上に押し込む。それで上に上がれるはずだ」


「う、うん。分かった! やってみる!」


 モニカは深呼吸した後、ハルトの肩に足を乗せた。

 モニカがちゃんと立てたことを確認して、ハルトはモニカの足を持って精一杯の力を使って押し上げる。

 苦痛に顔が歪むのが分かる。玉の汗と一緒に血が滴り落ちる。

 唇を噛み、渾身の力で少女の身体を押すと、ふいに軽くなり、上から嬉しそうな声が聞こえた。


「上がれた! 上がれたよハルト!

 は、はやくっハルトもこっちに来て!」


 白い髪を壁に垂らしながら、小さな白い手を必死に突き出す少女の姿を見て、ハルトはほっと一息を付いた。


「モニカ、いいんだ」


「何言ってるの? 早く、早く私の手を掴んで!」


「いいんだ、モニカ。届かないし、モニカの体重じゃ、二人落っこちてしまう」


 ハルトの言葉通り、必死に手を伸ばすモニカの手はあまりにも距離が離れすぎていた。

 つま先立ちになっても、ジャンプしても届かないだろう。

 それにもし掴めたとしても、少女の力と重さでは引きずり落とされるのは目に見えていた。


「やってみないと分からないよ!! 掴んでハルトッ!!!」


「やめろモニカ。届きっこない………俺の身体能力を舐めるなよ」


 必死に身を乗り出す、モニカをハルトは諌めようとする。

 それから、空に向かって右腕を突き出すと大声で少女に向かって言い放った。


「モニカッ!!! 俺のことは放っておいて一人で逃げろっ!」


「できないよぉ! ハルトも一緒じゃないと嫌だっ!!」


「甘えるなっ! 俺が居なくたってモニカは生きていける子だ!

 それに、これは作戦だっ! プランBだっ!!

 モニカは人混みに逃げろ! それから俺とリーゼロッテさんの匂いを嗅いで人混みの中で合流だ! どうだ! 完璧だろう!」


 突き出した右腕を戻し、自分の胸を叩くとハルトは笑顔を向けた。


「――寂しかったら俺とリーゼロッテさんの魔力の匂いを嗅いでくれ

 ………魔力がどんなものか良く分からないけど、リーゼロッテさんは花の香りがするのだろうな。

 俺は酷い匂いがするかもしれないけど、我慢してくれ。

 酷い匂いがする限り、俺はまだこの世界に居るからな」


「モニカ、分かったな! 頭の良いモニカなら理解できたな!

 なら、とっとと走れ! 人混みの中でまた会おうぜっ!

 さぁ、行った! 行った!」


 いつまで経っても手を伸ばし続ける少女をハルトは叱咤する。

 宝石のような青い瞳を潤ませ、嗚咽を繰り返しながら、モニカは何度も頷くと、立ち上がってふわふわの白い髪をなびかせて走った。

 どうにか、自分を置いて立ち去ってくれた少女に胸をなでおろすと。

 ハルトは自身の腰に括り付けられているベルトのホルダーから短刀を引き抜き、振り返った。


 振り返った先には砂色の髪を持つネコミミの女性が壁にもたれ掛かってハルトを見つめていた。


「………待っててくれてありがとさん。

 それじゃあ、精一杯抵抗するとしますかね」


 銀色に光る短刀を目の前に持っていき、ハルトが口を開くとネコミミの女性が気だるげに返した。


「うにゃ~………突如始まった青春劇場を見せられて、

 私、砂糖吐きそうですニャ」


「それは良かった。楽しんでくれた?

 チップは弾んでくれたら助かる。あっ、見逃してくれるならチップはいらないぜ?

 どう? めっちゃお得じゃない?」


「やだにゃあ、あんなの見せられて見逃すわけないじゃにゃい。

 なぜって? それはさぁ………………」


 短く息を吐くと、ナイフを逆手に持ち直し殺人者は気を持ち直す。

 そして、茶色の瞳でハルトを見つめると優しく言葉を放った。


「――どうせ、あの白い魔女の子も死ぬのなら、仲が良い君も死んだ方が楽でしょ?

 私ってば優しいからサックリ殺してあげるよ?」


「………二人とも仲良く最後まで幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたしって選択肢はないのかよ?

 俺の故郷じゃ当たり前の選択肢だぜ?」


「うーん!! 真っ直ぐすぎて私の目が潰れちゃう!

 にゃいにゃい、それはない!

 魔女は『圧死』しました。魔女は『焼死』しました。魔女は『窒死』しました。

 魔女は『墜死』しました。魔女は『水死』しました。魔女は『毒死』しました。

 魔女は『縊死』しました。魔女は『凍死』しました。魔女は『病死』しました。

 『窮死』『狂死』『苦死』『悶死』『牢死』『惨死』………………。」


「君はあの子にどんなふうに死んでほしいの? 私は斬殺コースを薦めるよ」


「どんなふうに死んでほしい? 分かり切ったこと聞いてんじゃねぇよ

 百歳以上生きて世の中の楽しみを全部味わって、

 大円満の家族に看取られながらの『老死』に決まってるじゃねぇか。馬鹿野郎」


「分かり切ったことをズレタ答えで返しやがって………。

 さては友達居ないな、お前?

 居るんだよなー、ステーキ食べてる時に今日は刺身が食べたかったーとか天邪鬼なことを言うやつ!

 空気を察しないで自分勝手な考えを押し付けるヤツ! 駄目だぜ、友達を笑わせるくらいの気構えが出来ないとよ!」


 ニヒルな笑みを浮かべながら、ハルトは目の前のネコミミの女性を否定しあざ笑う。

 ハルトの言葉を聞いて、殺人者は冷たく殺意を漲らせると、赤い舌を出し唇を舐めて冷たく言葉を告げた。


「ハルトって名前だっけ? 私、アンタ嫌いだなぁ………。

 うん、お前は出来る限りむごたらしく殺してあげます、にゃ」


「優しく殺してあげる(はーと)とか言っておいて、すぐに意見を二転三転させるんじゃねぇよ!

 だから、お前は信用ならねぇんだよっ!!!」


 嗜虐的な笑みを貼りつかせる目の前の相手にハルトも短刀を掲げて応戦しようとする。


「言っとくが、俺は本気で戦うからな!

 窮鼠猫を噛むって言葉知ってるか?

 追い詰められたネズミは力いっぱい噛みつくんだぜ!

 お前の指一本でも冥土の土産に持って行ってやるからなっ!!」


「ふーん、やれるものならやってみてくださいです、ニャ

 もっとも、私にとってアンタはネズミじゃなくてダニか塵芥の存在ですにゃ」


「俺の評価低すぎじゃねぇ!?

 くそっ! お前の皮膚をぶつぶつにしてやるからな!

 または、しばらく咳が止まらない様にしてやるっ!!」


 戦力差は必然。勝ち目一つない戦いだということは分かっている。

 まともに立ち会えば、数秒でなます切りかみじん切りにされる未来は見えている。

 でも、ハルトはここに立ってないといけない。立つ理由がある。


(――出来る限り、モニカが逃げる時間を稼ぐために)


 そして、その時間は十分に作れたと判断する。

 これ以上立っていても、話し合いは出来そうにないし、死のカウントダウンは刻一刻と迫っているのを感じる。

 

 だからハルトは奥の手を使うことにした。出来る限り涼しげな表情で、左手に持っている短刀を目の前に立っている殺人者と同じように空中で回転させる。

 それから空中で回転している短刀を右手でキャッチする。逆手持ちではなく普通の持ち方で握る。

 目の前に立つ、殺人者の目が注意深くハルトの動向を探るように見ているのが分かった。

 注意を引きつけられたことに満足すると、ハルトは短刀を持っている右手を振りかぶった。

 振りかぶって――


――思いっきり短刀を壁に向けて投げつけた。


「――んにゃ!」


 唯一持っている自分の武器を捨てるという愚行としか思えない行動を選択した、ハルトの行動に意表をつかれて、ネコミミの殺人者が慌てて短刀を弾く様な音が聞こえた。

 直線状に投げれば容易く避けられると思い、壁に投げて反射を狙ったが上手くいったようだ。

 だが、その結果を顧みる時間はない。


 投げると同時にハルトは壁に向かって走り出し、廃材の裏に隠されるように存在していた窓に身体を叩き付けた。

 ガラスは既に割れて無くなっている、薄汚れた窓枠を壊し空家のような場所に飛び込むと、そのまま一直線に突進し、もう一つの窓を打ち破った。


「身体スペックは並み以下の一般人代表の俺が、お前の様な超人と戦えるわけないだろうが! 

 そもそも短刀で戦うことなんて出来ねぇよ! こちとら魚のうろこを捌く包丁さばきの技能しか持ってないんだよ!

 おらぁっ! 再び追いかけっこのスタートだ!」


 浮遊感を味わいながら、捨て台詞をハルトは上機嫌に叫ぶ。

 宙に舞う身体を回転させながら、自分の策が上手く嵌ったことを喜ぶ。

 吹き抜ける風を全身で浴びながら、十分な時間稼ぎが出来たことにも喜び………喜んで………?


 ハルトは自分の身体が『宙に浮いている』ことを認識した。

 いや、これは………。


「うそ、でしょう………?」


 二度目の窓を突き破った先は、何もなかった。

 正確に言えば、地面がなかった。

 ベランダから豪快に飛び出したハルトの身体が急激に重力の影響を受け、下へ下へと引っ張られていく。

 三メートルだとかそんな生易しい距離じゃない、十六階建てか十二階か………出来るかぎり低い方が良いと祈りながら、


「――――ぅぐ!?」


 泣きっ面に蜂とばかりに容赦なく、ハルトの胸に深々と銀のダガーナイフが突き刺さった。

 視界の片隅に、割れた窓から腕を伸ばすネコミミの殺人者の姿が映った気がした。

 「私から逃げ切れるわけないです、ニャ」と言ったかどうかは分からない、そんな勝ち誇った言葉が聞こえた気がする。


 胸にナイフを突き刺し、空に身を投げた身体はゆっくりと………でも確実に地面との距離を狭めていき――


 ――身体を引き裂くほどの衝撃がハルトを襲った。

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