17話:飛竜屋

 馬屋――ではなく、飛竜屋は奇しくもジークフリード宮中伯の屋敷の近くにあった。正確に言えば、飛竜屋は交通の便利さを考えて街には複数あるらしいが、

偶然、現在の位置から一番近かったのが屋敷の近くの場所ということだった。


 ハルトは屋敷を目の前にして、リーゼロッテの気が変わり忠告を無視してズカズカと屋敷に入り込んでいくかと、蚤の心臓は激しくドラムを叩いたが、そんなハプニングもなく、

金、青、茶色の三人は屋敷を横切り、飛竜屋へ真っ直ぐと向かっていた。


「そういえば、リーゼロッテさんお金は大丈夫なのか?

 宿屋に帰らないでくれって言った俺が言うのもなんだけど………」


「なぜ、宿屋に帰らないこととお金を心配することが重なるのだ?

 宿に金を置いておく馬鹿などこの世に居ないだろう、いつ盗まれるか分からない」


「あ、あー、そうだよな。当たり前だよな!

 ははは、何を言っているのだろうな俺は!」


 ――盗難なんて可能性はまるで考えていなかったことを恥じる。

 この異世界の街も大通りや人の通りが多い場所は華やかだが、人外れの荒れた路地の様子を見ると、治安の悪さが伺えた。

 まだ、元の世界の感覚が抜けきっていないハルトは誤魔化すように乾いた笑いを上げる。


「そ、それじゃあ金銭面は心配ないんだな?

 他に忘れ物が合っても取りにはいけないけど、大丈夫だよな?」


「問題ないだろう。食料を買えばすぐに出ていける」


 胸元を叩きリーゼロッテは不備はないことを伝える。

 ハルトはその様子に深く息を吐き、安心するが、脇から白いふわふわの塊が飛び出すと元気よく片手をあげて自分の意思を表明した。


「はいっ! モニカはパンツを忘れましたっ!」


「そっか、ぱん………ぇ?」


 予想外のモニカの言葉にハルトはぎくりと身を縮める。

 ハルトの動揺した様子に気が付かず、モニカは言葉を続けた。


「ロッテが買ってくれた水色のパンツだけどね、お花の刺繍がしてあってとっても可愛いの!

 あれを忘れたのはモニカはとっても残念です………取りにいったらダメかな?」


「だ、だめです、けど………えっ、なに、その………えっ?」


 十八回の年数を重ね、その年数=彼女いない歴になる思春期のハルトはモニカの言葉に激しく動揺する。

 モニカの言葉をゆっくりと吟味し、ハルトはごくりと唾を飲み込む。

 口を開いて、閉じて、また開いて、やっぱり閉じてハルトは喉元に出かかった言葉を再び飲み込んだ。

 男の自分が言っても良いのか………いや、やっぱり駄目だろうと頭の中で激しい葛藤が始まる。

 ヤガミハルトが異世界に来て以来、一、二を争うほどに頭を抱える疑問の答えは、あっさりと金色の騎士の口から飛び出した。


「――ひょっとして、モニカ履いていないのか?」


「えっ、やだなぁ! ちゃんと履いてるよ!

 モニカは新しく買ってもらったパンツを置いてきて残念なだけです………。

 ………うん、残念だけど、駄目って言うなら宿に置いていきます」


 モニカの答えに、リーゼロッテとハルトは深く深く安心の息を吐いた。

 ――安心なのだと思う。残念なわけではないとハルトは思いたい。


 心底、ほっとしたような二人の反応を見てモニカは、むっとした顔をすると、


「流石に私もちゃんと履くよ! なんですか、その顔は!」


「いや、モニカならひょっとしたら――っと思っただけだ。杞憂で良かったよ」


 リーゼロッテの反応にモニカは益々頬を膨らませると自分のスカートの端を掴んだ。


「もうっ! 何でそんなに心配そうな顔するの!?

 ほらっ、ちゃんと履いてるよっ!」


 白いワンピースのスカートが一気にめくれ上がった。

 ハルトの心臓が高速でドラムロールを叩いている――と感じると同時にハルトの視界が茶色の地面に染まった。


「――ぶべらっ!」


 頬が大地に叩き付けられ、踏み固められた固い土が顔に食い込む。

 

 隣りに居た、金色の騎士によって地面に叩き付けられた。

 ――と気付いたのは冷たい地面の温度を肌で感じ取った後だった。


「ちょっと、モニカ来なさい。私から話がある」


「えっ、なんでなんで? 私悪いことした?

 ロッテは何で怒ってるの?」


「私は怒ってません。呆れているんだ。男性の前であんなことを二度としないと誓ってくれ」


 顔を地面に叩き付け腰を突き出した情けない格好で、地面に顔からダイブしているハルトに、

リーゼロッテとモニカの会話が静かに鼓膜に届いた。

 一瞬、異世界に来て最高の高まり具合を見せた自分の心臓が急速に冷えていくのが、今はただ、悲しかった………。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――ちょっとした騒動から十分後、三人は気を取り直して飛竜屋へ向かっていた。


「………さっきはすまなかったな、ハルト。

 だが、私はあれが最善の行動だったと思っている」


「いや、大丈夫だ。俺も最善だったと思う。

 リーゼロッテさんが何もしなかった場合、俺の心臓が弾け飛んだかもしれない。しばらくポンコツ同然になっただろう」


「その表現は些か怖いな………。

 しかし、さっきのことは私のモニカびっくりランキングでも一、二を争うほどだったよ」


「あとでそのランキング詳しく教えてくれ、今後の参考にする」


 ハルトは痛む頬を抑えながら、険しい目つきでリーゼロッテと談笑していた。

 三回目の世界、ここまでの道を歩むまでに多くの驚きを経験したとは思っていたが、こんな場所でこんなイベントが待っているとは思わなかった。

 イベントCGが回収できなかったのが悔やまれる………。だが、回収出来たルートの場合リーゼロッテからどんな目を受けるか分かったものではない。

 これで良かったのだ、これで………とハルトは一人しみじみ思う。


「――ごめんねハルト。私はそんなつもりじゃなかったのに………」


 もやもやとさっきのことを考えるハルトに、モニカが心配そうに話しかけて来る。

 傍から見ても気落ちした様子の少女にハルトは元気よく声を掛けた。


「いやいや、モニカは悪くないよ!

 俺の方こそ気が回らなくてごめんな!」


「でも、知らなかったから、なんて言い訳には出来ないよ」


「まぁ、そうだな。でも、おいおい覚えていけばいいじゃないか、俺だって覚えないといけないことだらけさ」


 自分の頭を軽く叩きながら微笑を浮かべる。

 優しく微笑むハルトを見てモニカは唇を震わせると、深く大地に向かって頭を下げた。


「本当にごめんなさい! 私の不注意でしたっ!」


「いや、本当に気にしてないよ。そんなに謝らなくても………」


「――でも、あのままだとハルトが死んじゃったかもしれないんだよ?」


「――――………………ん?」


 どことなくモニカとの会話が噛み合っていない気がする。

 違和感を抱くハルトにモニカは言葉を続ける。


「あのまま私のパンツを見たら、男の子のハルトは血を流して死んじゃうかもしれないのでしょ?

 ………そんなの、謝っても足りないくらいだよ」


「――――――………………んんん?」


 ハルトは隣に立つ金色の騎士の顔を伺うと、リーゼロッテはさっとそっぽを向き目を合わせない様にした。


(――このポンコツ騎士がっ!)


 どことなく不器用で抜けた所がある金色の騎士を心の中で罵倒しながら、ハルトは頭を悩ませる。

 このマイペースで底抜けの天然ぶりを見せる白い少女に何と言えばいいだろうか?

 俺は大丈夫だから――とか安易な言葉はまたいらぬ誤解を招く可能性が高い。


 ハルトは頭から煙が出るのではないかと思うほど考え抜いて――


「そうだな、次から気を付けてくれればいいさ。

 見えそうになったら、ちゃんと押さえような?」


「………本当にごめんなさい。これから気を付けるね」


 ――結局、さわらぬ神にたたりなしのルートを選択した。

 もう、これ以上この話題を引っ張りたくないハルトは気落ちするモニカに声を掛ける。


「そんなことより! 早く飛竜屋を見に行こうぜ!

 俺、飛竜に乗るの初めてだから心の中のドキドキが止まらないんだな! これが!」


 実はかなり楽しみにしている飛竜の話題を持ってくる。

 この街に来てから、ずっと気になっていたドラゴンもどきに触れれる。ということに内心ハルトのテンションもうなぎ上りだったのだ。

 いつまで経っても男の子は大きいモノ、かっこいいモノが大好きなのである。

 恐竜の様なドラゴンの様な生物の上に乗れる、触れる。と言う誘惑を目の前にぶら下げて、どうして耐えれようか。


「――俺、ちょっと先に行ってくる!」


 自分から溢れ出てくるワクワク感に両足が耐え切れずハルトは走り出した。

 後ろから、「転ぶなよ!」と言うリーゼロッテの言葉を背に受けながら、ハルトは夢見るドラゴンに向かって一直線に駆け出した。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「どうもー、誰か居ますかー?」


 ハルトは静かに大きな木製の扉を開いて、中に入った。

 途端に強い草の匂いと独特な獣くさい匂いが鼻腔に突き抜ける。


「――これが、飛竜屋か」


 キャロキャロと辺りを見渡し建物の中を確認する。

 十二畳くらいの大きさを持ったいくつものスペースに藁が詰め込まれ、餌を入れておくような溝が掘られていた。


「――あれだな、こっちの馬小屋と一緒だな。

 違うのは一つ一つのスペースがめっちゃでかいってことか」


 小屋全体に染み込んだ独特の匂いを感じながら、興味深げに一つ一つの小屋を覗いて、壁にぶら下げられた飛竜用の手綱や巨大な皮の鞍をしげしげと見つめる。

 ハルトはその中の一つの『装飾が施された大きなベル』に興味を引かれた。


「なんだろうな、これ? 飛竜に付けるのかな?」


 ベルを手に取りしげしげと見つめる。

 銀色に光るソレは銀色の中に青が優しく混じって不思議な輝きを醸し出していた。


「――言っちゃ悪いが、飛竜に付けるモノじゃないのでは?」


 ハルトがそう思う理由はベルの輝きと、ベルの周りに施された不思議な装飾を見て思ったことだった。

 目を凝らして金属の表面を見てみるとびっしりと不思議な文字のようなものが施されている。

 こんな高価そうなものを一体一体の飛竜に付けるとはとても思えない。


「飛竜を呼ぶものかな? 鳴らしてみるか」


 ベルの使い方の予想を口にしながらも単純に音色を聞いてみたいと思ったのが気持ちの大部分を占めていた。

 壁に立てかけられたベルを軽く振って鳴らしてみるが――


「――何も鳴らないな? 留め具がされてるのか」


 ベルには留め具がされており、音が鳴ることはなかった。

 あまり人の持ち物をベタベタ触るのも礼儀知らずだと思い、素直に諦めて歩を進める。


 奥に行くと、区切られたスペースよりもさらに大きい一画が合った。

 そこには大小さまざまな馬車が保管されていた。

 ちょっとしたはずみで壊れそうな安そうな木製の馬車もあれば、金色の装飾で飾られた無駄に豪華な馬車もある。

 置かれてある馬車を見て、ハルトは馬車にも様々な種類があることを学習する。


「――だけど………ドラゴンもどきが一匹も居ないな?」


 小屋の奥まで進んだハルトは首をかしげる。

 飛竜屋なのに飛竜が一匹もいないとは何事だろうか、これでは感動もワクワクも半減だ。


 ハルトが納得いかない様に、改めて小屋を眺めていると、馬車が出るときに使われると思われる奥の扉が開かれた。

 扉から恰幅の良い太った男が現れると、男は小屋に居たハルトを眺めてパチパチと瞬きを繰り返し、すぐに愛想のよい笑顔を顔に張り付かせて話しかけてきた。


「お客さんですか? 飛竜車をご利用で?」


「あ、あぁそうだよ。三人用の馬車を探しているのだけど………」


「それでしたら、こちらの馬車がおススメですな。

 振動軽減の魔石が付いて、さらにトイレまで完備! どうですか?」


 恰幅の良い男はにこやかに煌びやかな装飾がされた馬車をハルトに薦めてくる。異世界の物品の価値はイマイチ分からないハルトだが、

さすがのハルトも薦められた馬車は高いと分かる。


「………い、いや、普通の馬車で良いよ。

 ほら、その隣のやつなんかどうかな?」


「………こちらですか、確かにこちらも比較的利用されるタイプです。

 オプションで魔石を付けれますが、振動軽減と真水を生成する魔石などはどうでしょう?」


「うーん、どうだろうな?

 ていうか、飛竜は? 馬車より俺は飛竜を見たいのだけど?」


「あぁ、飛竜ですね。でしたらこちらに――」


 飛竜屋の男の言葉はバタンと開く扉の音にさえぎられた。

 扉から金色の髪と白くふわふわな髪の女性の二人が現れると、金色の女性はハルトの前に急いで近づき囁いた。


「――すまない。モニカと話してたら遅くなってしまった」


「いや、お構いなく………。モニカに教えた間違った知識は修正できたのか?」


「それとなく、女性の立ち振る舞いを教えたが結果はモニカのみぞ知る………だな」


 遅れて現れたリーゼロッテはいたずらっぽい笑みを浮かべる。

 リーゼロッテの言葉にハルトは複雑な表情を返すと、話題にされた当の本人を探す。

 モニカはキャロキャロと小屋の中を見て回っていた。

 「飛竜さん居ないねー」と言う声を聞きつつ、リーゼロッテはハルトと恰幅の良い男を見て口を開いた。


「………で、どうなってるんだ?」


「色々説明を受けてた所、あの高そうな馬車を薦められたけど断っておいた。

 正直、俺はわけわからないし後はリーゼロッテさんに任せるよ」


「あの馬車は貴族が乗るようなヤツだ、危なくぼったくられる所だったな。

 分かった、後は私に任せておいてくれ」


 リーゼロッテは腰に手を当て、恰幅の良い男を金色の瞳で見ると有無を言わせない強い口調で言った。


「三人用の飛竜車を探している。

 中で寝泊まりできるスペースがあると良いがそれほど大きくなくて良い。

 飛竜は持久力に秀でているもので草食の種類を頼む。

 ………以上だ。金貨何枚になるだろうか?」


 「馬車はあれくらいのサイズで良い」とリーゼロッテは指を差すと店主に金額を尋ねた。

 恰幅の良い店主は口をパクパクと閉口した後、思いがけない言葉を発した。


「――今は飛竜は居ないんだ。飛竜車は貸せない」


「………………「は?」」


 ハルトとリーゼロッテの口から驚きの言葉が重なった。

 予想外の言葉を聞いた、リーゼロッテは慌てて言葉を紡ぐ、


「ひ、飛竜が居ないとはどういうことだ?

 確かに小屋には居ないようだが、放牧しているのだろう?」


「飛竜は今は居ないんだ、帰ってくれ!」


 落ち着かない様に揉み手をする店主にハルトは眉を顰める。

 さっきまでにこやかに対応していた人物だとは思えないほどの急変ぶりだ。

 店主の言葉に怒った様にリーゼロッテは言葉を返す。


「居ないわけがないだろう!

 ここはジークフリード宮中伯の屋敷に一番近い飛竜屋だぞ!

 宮中伯が出かけるときはどうするというのだ!」


「宮中伯は専用の飛竜を飼っておられるのだろう。

 とにかく、ここに飛竜は居ない!

 帰れ! 帰れ! お前らには飛竜も馬車も貸さないし売らないからな!」


 店主は騎士の声に負けない怒鳴り声を出すと、背を向けバタンと扉から立ち去ってしまった。

 後には雷に打たれたように呆然と立ち尽くすリーゼロッテとハルトの姿が残っていた。

 二人の背に「鱗が一枚落ちてたよ! もらってもいいかな!」と嬉しそうに言うモニカの声が響いた。

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