8話:信用問題
――気持ちの良い風が通り抜け、砂金の様な金色の髪がたなびく。
さらさらと零れ落ちる糸よりも細い金色の線は少年の顔をくすぐり、花のような甘い香りをふわりと運ぶ。
人形のような肌に女性らしい体の曲線を描いた女性は見るものすべてが美人だと評価するだろう、そんな美人な騎士と体を密着させる少年は
世の中の男性の嫉妬を一身に受けること必然だ。
だが、少年………ヤガミハルトにそんな気持ちは全然なく、むしろ肝を冷やしていた。
「速い、速い、速いッ!
いや、でもすごい! あっ、やっぱ駄目、怖い!
今、何がとは言わないけど、ヒュンってなった!!」
「五月蠅いぞハルト、しっかり捕まってろ。君が落ちたら全身粉砕骨折どころではすまないぞ」
「それ、死んでますよね!!! 骨砕けるどころか絶対即死してるよねっ!!!」
相も変わらずリーゼロッテの背におぶさったハルトは屋根の上をビュンビュン移動していた。
決して、大げさな表現ではなく、ビュンビュン風を切り移動していた。
それと言うのもすべてはリーゼロッテの尋常じゃない脚力のなせる業だが、背に掴まっているハルトの恐怖は想像以上のものだった。
気を抜くとつるりと背から滑り落ちそうで、そうなれば冗談じゃなく大怪我どころでは済まないだろう。
やましい気持ちを挟む余裕など一切なく、命綱を掴む気持ちでハルトはリーゼロッテに捕まる力を強める。
「異世界人のポテンシャル、マジ半端じゃねぇ!
だけど、一般人の俺にこのスピードは怖すぎる! 速いっ! 怖いっ!」
「ハルトが出来る限り、早く用事を済ませてほしいと言ったから屋根の上を通っているのではないか、騒ぐのは良いが、絶対に落ちるんじゃないぞ」
「言われなくても、絶対離さない!
俺はリーゼロッテのことを絶対離さないからなっ!!」
「――なっ! どさくさに紛れて恥ずかしい言葉を叫ぶな!
まったく、普通の女性なら勘違いしているぞ」
軽く動揺したのか、ハルトの足を支えるリーゼロッテの手が少し緩む。
命を預ける形となっているハルトは敏感にその力加減に反応する。
「やめてっ! そういう一瞬緩めるの止めてっ!
そういうのが一番心臓に来ちゃうから!」
「さっきのはハルトが悪いんじゃないか!
冗談でも他の女性には軽はずみに発言するんじゃないぞ!」
「俺が悪かった! 悪かったのは認めるからもう少し遅く………。
うぷっ、気持ち悪くなってきた………」
「おいっ、やめろ!!!
分かった! 目的地まであとは歩くぞ!」
自分の背中で大惨事が起きてはいけないと、慌ててリーゼロッテは地上へ向かう。
リーゼロッテの背で哀れに震える男は青い顔をしながら、己の足で地面に立つまで必死に耐えていた………。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
小鹿の様にプルプル震える足を抑えながら、ヤガミハルトは自分の足で地上に立てたことを喜んでいた。
地上こそ哺乳類のユートピア。
二足歩行で地面を歩く人間が青い海で暮らすことを夢見て、鰓呼吸をどうにか付けようとすることがどんなに愚かなことか。
同様に、空を夢見て、空中を駆け巡るなんてやってはいけないことだと学習する。
やはり、人類は間違いを犯すのだ。
今なら「人が空を歩いてはいけない理由について」と一冊論文を書けるだろう。
そんな、二度と屋根の上を高速で移動しない、と誓いを立てたハルトは壁にもたれ掛かりながら、ゆっくりと足を進め金色の女性リーゼロッテに声を掛けた。
「――ところで、俺達はどこへ向かっているのでしたっけ?」
青い顔で質問をするハルトにリーゼロッテは自身の引き締まったくびれに手を回しながら口を開いた。
「目的地のことはさっき、説明しただろう………」
「屋根の上のことは忘れてください………記憶にないです」
弱弱しく呟くハルトの言葉に「まったく………」と呆れた顔でため息を付くと、説明したはずの現在向かっている場所を告げる。
「今、私達が向かっているのはジークフリード宮中伯(きゅうちゅうはく)の屋敷だ。
正確には別荘だがな」
「………ひょっとして偉い人だったり?」
ハルトはさほど詳しくない西洋の位を思い出そうとするが、伯爵、侯爵、男爵? くらいしか頭の中には浮かんで来ない。
凄さがイマイチ分かってない、ハルトに向けてリーゼロッテはもう一度ため息を付くと分かりやすく説明する。
「ひょっとしなくても偉い人だぞ。
ほとんどの宮中伯は形骸化され没落したが、ジークフリード宮中伯はその中でも未だ地位を保っている人物だ。
今でも王国で忙しく働いていると聞く、丁度良いタイミングで別荘に戻ってきてくれているのはそれこそ行幸だった」
どうだ、と言わんばかりに豊満な胸を張りリーゼロッテはハルトの反応を見るが、
慣れない単語の応酬にハルトはちんぷんかんぷんだ。
首をかしげて、理解が追いついていないことを表明したハルトにリーゼロッテは三度目の大きなため息を吐くと呆れたように口を開く。
「まぁ良い、ハルトは屋敷の前で待ってくれていれば良い
最初から、私一人で話を付けるつもりだったんだ」
諦めた様なリーゼロッテの言葉にハルトは自身の取るに足らない男のプライドが刺激され、抗議する。
「そんなっ! 俺はこんな所まで何のために来たって言うんですか!」
「………そういえば、なぜ此処まで着いてきたんだ?」
「心底、疑問に思ってるような顔を止めてくれます!?
ほら、俺はリーゼロッテさんの力になりたいと………」
「………ジークフリード宮中伯との会話に君が必要だとはどうしても思えないのだが?
本当に何故付いてきたんだ?」
「やめてっ! 真面目に俺の存在意義を問うのはやめてっ!!」
唇に手を当て、深く考え込みながら自らの存在意義を説いてくるリーゼロッテにハルトの心が抉られる。
確かにここまでハルトのしたことと言えば、酒場で思いつく限りの罵詈雑言を吐くだけ吐いた後、腰を抜かしてリーゼロッテに迷惑をかけ、
用事があると言うリーゼロッテを急がせ、屋根の上を移動させたものの、ハルトの気分が悪くなり再び地上へ。
そして、足がふらつくハルトを気遣ってもらいながら、のろのろとジークフリード宮中伯の屋敷へ行っている………。
「思えば、本当にろくでもないな!
俺の存在価値なんて、道端の石ころってとこだよ!
いや、石ころは人に迷惑掛けないから石ころ以下だよっ!!」
自分の今までの行動を振り返ってみれば、本当に役に立つどころか足を引っ張り続けていたことに気付き愕然とする。
激しく自己嫌悪するハルトにリーゼロッテはフォローを入れるように
「自分をそんなに卑下することはないぞハルト。
君が旅についてきてくれることは本当に嬉しかったんだ。
でも、ここからの交渉に君の力は必要ないから、ハルトは屋敷の前で待っていてくれ」
「柔らかく言っているようで「ハルトは置いてきた。これからの戦いにはついてこれそうにないからな」みたいな意味には変わりないよね!?」
リーゼロッテの言葉はフォローを入れているようで入れていなかった。
ハルトは唇を尖らせ不機嫌そうに口を開く。
「へいへい、俺はどうせ役立たずですよ。屋敷の前で大人しく待っていることにしますよ」
「繰り返すが、そんなに卑下に――………」
リーゼロッテがハルトの言葉を注意しようとするが、良い終える前にハルトは手のひらをリーゼロッテの顔に差し出し言葉を止める。
なんだかんだ、冗談交じりに文句を言ったが、正直ハルトも『ジークフリード宮中伯』とか言う偉い人の会話に加わるつもりはない。
正直な話、傍に立たなくてホッとしているくらいだ。
自分の力不足は自分が一番分かっている、ハルトに出来ることはたかが知れている。
だから、これ以上話が拗れない様にハルトは自分が今やらないといけないことをするのだ。
「リーゼロッテさん、俺は屋敷の前で大人しく待っているから安心してほしい
自分がどれだけ力不足なのかは自分が一番分かっているつもりだ
それで、俺から言えるのは一つ、そのジークフリード宮中伯との交渉が上手くいかないと思ったら早めに切り上げてくれ」
「――それは。約束しかねるな
交渉次第では長引くこともあるだろうと私は見ているが」
「――確かに上手くいけば時間が掛かると思うけど、正直、俺はこの交渉は上手くいかないと思ってるんだ」
ハルトは申し訳なさそうに自分の考えを正直に告げる。
静かに目を細めたリーゼロッテはハルトの言葉に反論しようとするが、その前にハルトは言葉を続ける
「――酒場のことを思い出してくれ。
俺は協力者だけど、俺から見ても、今回の魔女の旅は相当分が悪いと思う
そんな分が悪い中で協力者を探すのは半端じゃなく難しいと思うんだ」
「もちろん、リーゼロッテさんの努力を否定するつもりはない
だけど、交渉していてこれは協力してくれそうにないと思ったら早めに切り上げてほしいんだ
――モニ………魔女も今頃心配してると思うから、俺は今日は早めに帰った方が良いと思う」
出来る限り真意な態度で、一気に言葉を紡いで自分の要求を告げる。
そして、言い終えるとリーゼロッテの顔を見て反応をうかがう。
――正直、リーゼロッテの立場から見ると「何言ってんだこいつ」状態だろう。
ハルトの言葉には確証も何もあったものじゃないし、目的も不透明だ。
大事な交渉の場が上手くいきそうにないから早めに切り上げろなんてナンセンスにもほどがある。
必死に頭を下げてでも協力を取り付けないといけない場に、そんな考えを持ち込むなど言語道断だろう。
リーゼロッテは細めた金色の目で真意を問いただす様に見つめる。
その激しい視線にハルトの蚤の心臓は激しくかき鳴らされるが………。
ふぅ、と一つ息を吐くと視線を外し、気が付けば目に見えるまで近づいていたジークフリード宮中伯の屋敷に目を向けるとリーゼロッテは言葉を告げた。
「――君はどうも、私が出会ってきた中でも特別な人物の様だ。
君の言葉には確証がない。だが、悪意もない。
あるのは確固たる決意だけ………選択眼はそれなりに磨いてきたつもりだが、不思議だよ」
「――そんな、俺なんて………」
「謙遜は止めろと言ったはずだ、だが、これだけは私にも分かる。
君には悪意がないが、何かを隠している」
リーゼロッテの激しい言葉にハルトは息を飲む。
リーゼロッテは足音を立てて近づくと、金色の瞳に燃える様な炎を宿しハルトの目を至近距離から覗きこむ。
お互いの額があと少しで引っ付くほどに縮められた、両者の間の片方から一方的な見えない火花が散る。
白く輝く美貌がハルトの視界を覆うが、それを嬉しいと思うほどの度胸はない。
そこには圧倒的な強者が弱者の命を握りしめているという場面でしかなかった。
「――君に悪意がないのは分かる
だが、魔女に対してはどうだ? 君が魔女の目の前に立って何をする?」
「――――俺は」
「――なぜ、子供の君があんな酒場に居た?
同伴者も居なかっただろう? そして、図った様に飛び出してきたのは誰の差し金だ?」
「――――違う、俺は」
「――私を監視するためか? それともやはり魔女が目当てか?」
「――――――違う! 俺は!」
「――違うならなんだっ! 君の目的を答えろっ!!!」
あまりに激しいリーゼロッテの言葉に、口を閉口させるハルト。
彼女の全身から迸る闘気と言えるようなプレッシャーに当てられ、膝がガクガクと震え出す。
それでも、喉をごくりと鳴らすと、擦れた様に言葉を絞り出した。
「――俺の答えは変わっていない。俺は魔女の力になりたい」
「――そうか、それが『答え』か………………残念だよ」
リーゼロッテはハルトから距離を離すと、何事もなかったように自身から迸っていた闘気を消失させる。
その瞬間、ハルトの全身から冷や汗が吹き出し、足は力を無くし地面に座り込んでしまう。
そんなハルトを憐れみと優しさが混じった複雑な顔で見ると、
「――では、私は交渉に行って来るよ。
君がこれからも旅に付いてくるのなら、いつか『答え』を聞かせてほしいものだ」
リーゼロッテは悲しそうに言葉を告げると、金髪の髪を風に揺らしながら
屋敷へ向かい、ハルトの視界からやがて見えなくなった。
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