その10 それぞれの告白

 医局の休憩スペースは、いろんな医者のたまり場だ。

 コーヒーをすすりながら、放射線科の先生が学会誌に目を通している。銀縁メガネのこの人は極めて理知的な医者だ。

 そのすぐ横でソファに突っ伏してピクリとも動かないのは、救急の先生だ。きっと徹夜だったんだろう。

 かと思うと、すみのほうでダンベルを上げ下げしているマッチョな眼科の医者もいる。この人は、ぼくによくボディタッチをしてくる。


 くつろいでいる人間の数にしては広い部屋。大きなテーブルや品のいい調度品。医者が高い地位を誇っていた時代の名残を、そこはかとなく感じる。

 けれど、今となっては先生さまも普通の労働者。疲れている者も、そうでもない者も、つかの間の潤いをそれぞれの形でむさぼっているのだ。


 横芝先生は、ひとり掛けのソファにいた。愛読している週間少年マンガと一緒なのは、誰もが知る彼のスタイル。

 けれど、今日は様子がおかしい。紙面のにおいを嗅ぐかのようにかぶりつき、次々とページをめくる姿はそこにない。虚ろな視線が、マンガを通り越してその先に飛んでいる。


「横芝先生」


 ぼくは横にかがむ。


「あ、読んでますね『マジかよ、タルタールくん』。ぼくも毎週見てますよ」


 魔法使いの子どもが、小学生の少年を助けるマンガ。キレイなGペンの線が躍動している。

 だが横芝先生の目は絵を追っていない。


「あとぼく『珍遊記録簿』も大好きですよ、ハチャメチャで最高で——」


「おれさあ」


 唐突にさえぎる先生。


「おれさあ、白状する。おれが犯人」


 小さな声だったが、ぼくにはハッキリと聞こえた。放射線科の先生が、こちらを向いた。

 横芝先生は、こわばった表情のまま、急に顔を上げる。


「分娩室の肝臓も、耳鼻科の胆嚢も、受付の膵臓も、ぜんぶおれ」


 虚空の誰かにそう話しかけた。奇妙に力強かった。

 今度はマッチョ先生をはじめ、寝ていない人たち全員が反応した。


「あはは、あいかわらずジョークがヘタですね、先生」


 間髪入れず返したぼくの目は、きっと笑っていなかったに違いない。


「分娩室の晩は、先生は皮膚科学会で博多に行ってたじゃないですか。病院に領収書出してあるでしょ?」


 調べはついている。

 だが先生はひるまない。


「夜中におれは耳鼻科に行って、胆嚢を無影灯に吊したんだ」


「その日は確かにアリバイがないですね。けど、いつものように医局で渋谷先生の顔を見てただけでしょ? 思いを寄せているのは、うすうす感づいて——」


「渋谷先生は関係ねえ! ぜんぶおれがやったんだよ!」


 そう。

 横芝先生の狙いはひとつ。


「すみません。ヘンなこといっちゃいました。渋谷先生はどうでもよかったですね」


 みんなに聞こえるようにいったあと、ぼくは先生の耳もとに唇を寄せた。そして、ささやく。


「久我山サユリさんが打ち明けてくれました。分娩室は自分だって」


 横芝先生の顔が見る間にこわばった。

 それは全てが明らかになる恐怖からだったろうか?

 いや、そうじゃない。

 最愛の人を守れない無念さのせいだっただろう。


 ぼくは、恋のライバルを負かした満足にひたるべきだったろうか?

 いいや、それはない。

 ぼくの胸にあったのは、医者と看護師の立場をとうに超えた、男同士の連帯感だった。


 ここでぼくは、過去に何度も投げかけたセリフを発することになった。今回が、まさに本番の舞台といえた。


「先生の冗談、全然おもしろくないです。とにかく、先生はギャグのセンスを磨かないとモテませんよ」


 視線を注いでいた医者たちは、それぞれに顔をもどした。それを確認して、またぼくは耳打ちした。


「知ってます。先生は膵臓だけですよね」





 すでに、ぼくはサユリさんとチャットでやりとりしていた。チャットは当時、最先端のオンライン・コミュニケーションだった。

 安アパートの蛍光灯の下で、ぼくはキーボードを叩いた。単刀直入に入力した。


ミツル:

分娩室に肝臓を置いたのはサユリさんですね? 


 彼女はこう返してきた。


サユリ:

はい、わたしです。

申し訳ないと思っています。

ウシの肝臓と胆嚢と膵臓を病院に持ち込みました。

うちのモツ鍋屋さんには、ふんだんにあるの。

胆嚢は「ユウ」、膵臓は「シビレ」っていう名前で出します。


ミツル:

外階段を使いましたね?


サユリ:

そうよ。

夜中に外階段を通って分娩室に入り、さも胎盤みたいに肝臓を置いてきました。


ミツル:

次の胆嚢を置いた場所は、じつは耳鼻科外来じゃなかったんでしょう? 

また分娩室だったんでしょう?


サユリ:

なんで知ってるの?

そうよ、次の胆嚢も、同じベッドに置いてきました。

でも、翌朝、違う場所で見つかった。

もう怖くなって、急いで退院しました。


ミツル:

まだ使っていなかった膵臓は、サユリさんの個室から消えてしまったんですね?


サユリ:

そうそう。

家に帰って、スーツケースに膵臓がないことに気がつきました。

鍵をかけるの忘れた日に取られたのかも。

きつい香水でカモフラージュしてたんだけど、誰かが気づいたのね。

貴重品や下着は残ってたから、物取りじゃないと思う。


ミツル:

相談してくれれば良かったのにと、思います。


サユリ:

そうよね。

ミツルくんにいろいろ聞いてもらえば、わたしの気は済んだかもしれない。

後悔しています。





 いろいろあったのだそうだ。旭先生と。


 看護師を目指していたけれど、医療の職場は狭いからと、付き合い始めた旭先生から止められた。

 1年ほどたって妊娠して、幸せの絶頂を迎えた。

 けれども彼に強く説得されて堕胎した。

 直後から急に冷たくなって、会えなくなった。

 興信所で調べてもらったら、結婚の約束をしていたのに彼は妻子持ちだった。

 しゃぶりつくして捨てる、フダつきの女たらしだった。

 名医の看板もあやしい実態だとわかった。


 数年経ちスエヒロ記念病院でポスターを見た。

 肝胆膵センター。

 笑う、浅黒い顔。

 ここで看護師として働いていたかもしれない。


 追いやっていた憎しみが再びふくれあがった——


 






 

 


 


 

 


 


 

 



 


 

 

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