4-7 真相1
「えっ?」
猿の面の下にあったのは、よく見知った顔の人物だった。
「教授・・・。」
私の取っている講義の一つ、化学基礎概論の担当講師だ。そう、授業が度々休講になっていたのは私たちが元素鍵の事件、ワイズマンを追いかけまわしていたからなのである。
「そうか、君は教え子だったのか?」
「一年の橘春化です。」
「それなら私の心もいくらか癒される。
君のような科学者がまだこの世界にいるのなら、滅びの道ばかりではないのかもしれないな。」
「滅びの道?」
それが事件を起こした教授の動機なの?
「科学技術は戦争の道具では無い。人の生活を豊かにするためにある。
確かに私にもその考えはある。
だが、技術進歩と暮らしの豊かさを求め、人間という生物を生かし続けるにはこの世界は狭すぎるのだ。」
それはいったいどういう意味?
その言葉にはケットシーもカトブレパスもただ沈黙を保っていた。
『
自然環境の危機の問題ぐらい聞いたことはあるだろう?
四十六億年にも渡るこの星の歴史のなかで、突如発生した人類という名のバクテリアは瞬く間に増殖を続け、星の環境を自分たちの都合の良いように作り変えた。それこそ、我々が文明と呼ぶものだ。
葉緑体を含んだ緑の葉に覆われた植物に支配され、光合成によって作られた酸素に満たされた燃えやすい星の状態がどうしてクリーンと言えるのだ?
物質的に見れば赤々と燃える太陽やイオンの尾をひく彗星の方がよほど優れていると言えるだろう。
それだというのに何故、有機物にまみれた塩水の星が美しいなどという抽象的な賛辞になりうるのか?
答えは至極単純だ。
それは呼吸に必要な物質、燃焼の源である酸素を生み出す植物を保護すること、動植物を構成する基本的な要素である水を保護するのが、自分たちの考えた都合の良い概念だからだ。
石油の元である原油とは数億年前の生物の死骸。
同様に天然ガスは水中の生物、石炭は植物。
つまり、我々が日常的に消費している資源とは、星のもたらした生命そのもの。
仏教の作法である食事をする際の挨拶、“いただきます”とは、まさにその生命をいただくことにある。
言い得て妙なり。
人類は長い年月の末、星の作り上げた環境に適応し、また、培ったエネルギーを資源として利用する手段を手に入れた。
四十六億年という長い星の歴史の中で、
わずか数千年前のことだ。』
「ちょっと、待って。」
ワイズマンは今回の事件における動機を語っているはずなんだけど、ここまでの話を聞いて、私はその中身にワイズマン自身の要望、というか個人の目的のようなものが出てこなかったことに違和感を覚えた。
「貴方、まさか・・・?」
「何だ?」
「い、いえ・・・続けて。」
『
文明の起源は火だが、それはヒトのエゴであり、また善意から始まったことなのだ。
だが、・・・・元ある習慣を変えること、いや、何をするにしても、事を起こすには踏ん切りが必要だ。
第二次大戦のナチスによってもたらされたもので医学は飛躍的に進歩した。
戦争で使用された無線通信技術は世界中を電波でつなぐ携帯電話を生み出した。
宇宙開発におけるロケットは元々、ミサイルの技術だ。
そうやって消費し続けた人類の文明が自滅をもたらす。多くの人類はそれを他人事のように聞き流し、見えないように目をそらす。
現在の暮らしを永続的なものにするには物質的な意味合いで地球がもう一つ必要なのだ。
この先、世界の人口が増え続けるのなら尚のこと。
であれば、人類の数を減らすのか?
絶滅が危惧されている動植物を保護と称して隔離管理しているのとは逆の発想だ。
単純に残酷な結論を下すのならそれに行き着くだろう。
だが、私も、そんな業の深いヒトの子だ。
人類を駆逐するのではなく、どうにか生かす方法を模索したのだ。
』
「それで化学魔法による物質生成?」
「そうだ。」
即答。その信念はホンモノである。私利私欲で行動を起こしたのではない。この世界における資源の絶対的な供給量を増やし、人類を存続させるというのがワイズマンの動機だった。
「それは、行き過ぎた善意、だと私は思う。」
「善意・・・か。私のソレはそんな立派なものではないよ。ヒトの意向に沿わせただけ。」
「意向?」
「あぁそうだ。意向だ。
キミはこの街の成り立ちについて考えたことはないか?」
「ないけど。」
「マヂカ、そこは自信たっぷりに即答するところじゃないよ。」
「うるさい、化け猫。物事をハッキリ言うことに何のためらいがあるの?」
このやりとりに教授は小さく微笑んだ。
理科学実験学園都市、この街はもともと、過疎化の進んだ複数の村だった。それを合併して、強制開発によって生み出された科学技術の街としたのは有名な話だが・・・。私が知っているのはせいぜいこの程度のことである。
だけど、どうしてそんなことになったのか?私はそれを知らなかった。
「陸上資源の乏しいこの国の物質産業では資源のほとんどを輸入に頼る。それは供給元が他に存在しているからだ。
ではもし、それが突然出来なくなったら、どうなる?」
「?」
「1973年、産油国で大規模な戦争が起きた。それにより、世界じゅうの原油価格は高騰し、貨幣価値を下げるインフレを引き起こす原因となった。俗に言うオイルショックだ。
石油へのエネルギー依存度が高い人間社会は大打撃を受けた。陸上の資源をほとんど持たないこの国は特に。
その頃からささやかれ始めたのが、化石燃料の枯渇、代替エネルギーの模索だ。」
「・・・・・・まさか、それでこの街が作られたって言うの?」
「全てではないだろうが・・・。
過疎の村で強制開発などを行うほどだ。大部分を占める理由と言っても良いだろう。」
「・・・。」
知らなかった。
「私の考案したシステムは既にこの街のエネルギー資源の一部を支えている。
やがて、このチカラは世界じゅうに広げられる。
だから、私の行動は公の機関から黙認されているのだ。
それもすべて善意から始まったこと、としてな。」
「なっ?!」
「なるほどのう。」
政府の黙認。
それは、少しだけ引っかかっていたことだ。アレクサンダー事件の捜査が警察本部の大掛かりなものではなく、おそらく独自に行動を起こした地元警察の所轄による小規模だったことを裏付ける要素になりうる。
公的な機関を対価によって黙らせて、魔法という正体不明の資源エネルギーに依存する人間社会・・・。
「そんなの、犯罪じゃないの?!」
「・・・フッ。」
あ、鼻で笑われた。
「魔法のチカラでエネルギー資源を生み出し、人類に恩恵をもたらすことが、何の罪に当たる?」
「えっ?」
えぇっと・・・。あ、アレ?
「“世のためヒトのため”という言葉が示す通りだ。人間は人間の尺度でしか物事を判断しない。
人類と呼称される自己中心的な生物は、自らに益がある場合、殺生すら正当化する。ヒトのためである、と。
であれば、私がもたらしたエネルギーは、殺生をしないぶん家畜の生産よりも余程、道徳的と言えるのではないか?」
「うっ・・・。」
反論出来ない。戦いでは勝ったはずなのに・・・。
「この世界の真理には、我々だけではどうしても覆せない定理が存在する。それはエネルギー保存の法則だ。」
エネルギー保存則。
高校生の物理で学ぶ力学的エネルギーで考えると分かりやすい。高い場所にある位置エネルギーと、早く動く物体の運動エネルギーは状況の変化に対し、その合計は変わらない。
この現象はもちろん、力学だけに限ったことじゃなくて化学や光、音、熱といった全てのモノに適応される。
「フランスの物理学者、カルノーの考案した最高の熱機関の動力変換は、理論値で最大76パーセント。
ドイツの物理学者、アインシュタインの考案した光量子説の光電効果におけるSi(シリコン)型の太陽光発電は最大25パーセント。
このように物質の持つ化学エネルギー、また、変換率には人類では覆せない上限がある・・・理科世界に管理された、な。」
「・・・。」
「・・・。」
その辺りのことはよく知らないけど、ケットシーやカトブレパスの沈黙はそれなりの意味を持っている。それはつまり、“言えません”ってわけ?
でもワイズマン、いや、教授の目的は理科世界の管理項目の解明ではなく、もっと直接的な・・・問題の解決だ。
「変換率を操作出来ないのであれば、原料となる資源を増やせば良い。」
元素の鍵がその問題をクリアする。
なるほど、確かに合理的だ。
でも、
「やっぱりそれは違う!!」
「!?」
希少物質は希少である、きっとそれにだって理由があるんじゃない?理科世界はソレを管理しているんだから。魔法で総量を増やしたりするなんていうのは間違った考え方だ。
人類の総数を減らす決断は出来ないから、資源の方を増やした。確かにそれなら、人類の法に触れることはないかもしれない。
しかし、それだと、つまり・・・
理科世界に迷惑をかけているこの世界の人類は、全員共犯者ってことじゃない。
「安易な答えは滅びを招く。私たち科学者はぶつかった問題に対して、真剣に正面から向き合って、もがいてもがいてもがくんだよ。それで出た答えはたとえ全部が正解じゃなくても、その過程で出た結果は正しいはず。その中からより良いものを選びとっていく。
それが、人間の培ってきた特殊能力、【理科】でしょう?」
「むぅ・・・。」
“出来ないことを出来るようにする。”
それは嘘偽りのない、文明という名の人類の歴史。
洞窟内を数秒の静寂が支配した。
教授は私の言葉を噛みしめるように目を閉じ、そして、
「・・・・その通りだ。」
心底観念したようにそう言った。
さて、これにて事件は解決・・・
―――とはいかないのが、物語の王道だ。
私の物語はもうちょっと続く。
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