3-2 翼人編1

“身の回りのふしぎなげんしょう”


ある晴れた夏の日。

太陽光を虫眼鏡で一点に集め、光を吸収しやすい黒色の紙を焦がす。

誰しもがやった事のある理科の実験ではないだろうか。

児童保育から小学校に上がって始まった勉強の中で、藍野夏値はとりわけ理科が苦手だった。

「どうして理科なんて勉強するの?」

「おやおや、どうしてそんな簡単なことを聞く?今の世の中、人間が生活していくうえで科学技術を必要としないなんてありえないだろ?」

「でも、そんなの出来る人だけやればいいじゃない。」

わかりやすい子どもの身勝手な主張。

「おかしなことを言うね?出来るか出来ないか、お前自身が本当にそれを分かっているのかい?

出来ないんじゃなくて、お前の言うソレは“やりたくない”だろう。」

「うぅ・・・。」

夏値は図星を突かれて黙ってしまった。こういう話をするとき、論述で小説家の父を打ち負かせたことがない。それは高校生になった現在も同じだ。

「夏値、ひとつ面白い話をしてあげよう。」

「面白い話?」

「1+1=1」

「何それ?1+1=2でしょ。普通。」

「それは算数の普通だよ。

だけど、ものの考え方はひとつじゃない。例えば、ここに粘土の玉が二つあるとしよう。その二つをくっつけたら幾つになる?」

「?!」

夏値はその光景に目を見開いて、


「1」

そう呟いた。


「トーマス・エジソンの有名な逸話だよ。」

その名を聞いて夏値は再び目を見開いた。

「エジソンって、あのエジソン?」

「あぁそうだ。

なんでも、発明王エジソンのテストは赤点ばっかりだったそうだぞ。」

「う、嘘?!」

「これだとエジソンはお前の言う理科を勉強しなくても良い“出来ない人”になるだろ。

そしたら電灯も、送電線も、音楽の録音も、映画もトースターもこの世から消えてなくなるんだよ。」

「・・・。」

「だからね、夏値。

理科っていうのは、出来る出来ないだけで判断するものじゃない。文明を扱う限り人間はその恩恵に感謝をし、最低限、学ぶべき義務があるんだよ。」

父の言葉が心に響いた瞬間だ。

このような場面はこの世界中にいったいどれだけあるのか分からないが、とにかく素直な子どもである藍野夏値の心には強く強く響いたのだった。

「うん、分かった!」

これ以降、夏値の理科の成績は他のどの教科よりも高くなった。

“理科への感謝の気持ち”それが夏値の根底にはある。

俗に天才肌と言われるタイプではない夏値は、人一倍の努力をして理科の成績を一番へと押し上げたのだ。所謂、秀才である。

しかし、ある時、

異変が起きた。


私立科学技術女子大学。

本作の主人公、橘春化の通う大学であるが、その附属高校。

夏値は同校の中等部からの内部進学組だった。

(女子大の附属なのでもちろん女子校である。)


桜色だった木々が光合成を盛んに行う緑色に色が変わって久しい五月の第一週。正確にはゴールデンウィークの中間、三連休前の平日、五月二日。

二年一組の教室では四月実施の実力テストの返却が行われていた。

「藍野夏値。」

出席番号一番である夏値はいつも最初に名前を呼ばれる。

クラスメイトに結果を見られるわけではないが、一番に受け取るというのはクラス中の注目を集めるため、緊張してしまう。魔法少女としての行動や度胸とは裏腹に、夏値はそういう性格の人間だった。


「・・・うそ?」

封筒の中身を開くと答案用紙の他に総合成績がまとめられた紙が入っている。科目別にレーダーチャートのように表示され偏差値、志望校の合格率が記載されているアレのことだ。(そうは言っても附属高校なので外部への受験をしなければ進学出来ないというわけではない。)

中身を見て夏値が問題視したのは物理の点数だった。


65点


その点数が平均以上なのか以下なのかそれは偏差値を見ればわかることだが、夏値が気にしているのは偏差値などではなかった。

物理魔法を扱う魔法少女、マジカルマジデとして八年。これまで、どの教科と比べても物理(理科)が点数を下回ることはなかった。

英語を毛嫌いする本作の主人公、橘春化のように他の科目を軽視しているわけではないが、物理学がすべてにおいて一番であること。

それが幼い頃に父から学んだ理科への感謝の気持ちであり、マジカルマジデとしての存在意義であった。

それなのに今回の65点は一番良い数学から20点以上の差、ニ番目に悪い古典からもさらに10点近く低かった。つまり、これまで守り通して来た“理科への感謝”の誓いが崩れ去ったのである。

「・・・。」

その結果に夏値は愕然とした。


「なつねー。どうだった?あたし、英語、撃沈だったわ〜。」

「・・・。」

「おーい、なつねー。」

「・・・」

「こりゃ重症だわ。」


友人の声も届かない程に失意の念に暮れた夏値はひとり、商店街を歩いていた。電気屋のショーウインドウでは大画面高精細テレビが煌びやかに陳列されその精細さを主張している。そこに映し出されていたのはニュース番組だった。テレビはその性能でキャスターの化粧のノリの悪さを余すところなく映し出す。

「それでは次のニュースです。大型連休の中日である本日、五月二日。理科学実験学園都市の沿岸部で釣りをしていた家族客四名が高波に襲われ、巡回していた海難警備隊に救助されました。沿岸部の事故は今週に入って三件続けて発生しており、ゴールデンウィークの旅行客に注意喚起がなされています。」

何気ない地域のニュースではあるが、この町の沿岸部は遠浅で地形的に波が高くなり海が荒れるというようなことはない。それゆえに海難事故が発生するということはほとんどない。


【偶然は三つも重ならない。それは必然であり、そこには必ず理由が存在する。】

夏値はふと以前、春化の言っていた言葉を思い出していた。

そんな事を考えていると、

「召喚獣の仕業じゃろうな。」

肩口でカトブレパスが囁いた。

「海難事故の事?いったい誰が。」

「海に召喚獣は多い。これだけの情報では正体はわからんが、暴走した召喚獣が素質を持つ子ども、科学者、あるいは元素の鍵に惹かれて起こした事件であることは違いないじゃろう。」

そんな話をしながら夏値の足は自然と海へと向かい・・・岩壁の海岸から聞こえてきた綺麗な歌声がその足を止めた。


「なんて綺麗なメロディー・・・・。」

聞こえてくる歌声に何か特別な歌詞はなく、♫ラ〜としか歌っていないのだが、その声は人を魅了する。うっとりと聴き入っている夏値とは対照的にカトブレパスの表情は険しくなった。

「夏値、変身じゃ。」

「えっ、どうして?」

「その歌声の主こそ・・・」

海難事故の元凶。


大型鳥類の手足に美しい女性の上半身を持ち、歌声で多くの船乗りを惑わす海洋の悪魔と呼ばれた召喚獣・・・


「フォームアップ、スタンバイ!!」


手首のシュシュが伸縮し変身が完了するとマジデはグローブを前に構えて叫んだ。

「セイレーン!!」

「マジデ!先制攻撃せんか?!」

確かに暴走している召喚獣を相手に、話をしても通じないのかもしれない。しかし、マジデはそれでも事情を、真相を探るためセイレーンに話しかけた。

「何があったのか、報告しなさい。」

「・・・」

マジデの姿をセイレーンの瞳が捉えて十数秒の沈黙があった。

「ラァァーー!!」

しかし、言葉は通じることなく、セイレーンは威嚇の音波攻撃を放った。

「!!!」

「だから無駄じゃと言ったろうに。」

キーンと耳鳴りのするこめかみを押さえながらマジデは、

「セイレーン!!」

再び語りかけた。

「お人好しにも程がある!アレクサンダーの時とは違い、あやつは暴走しておる。倒すしかない!」

セイレーンは次の攻撃に転じるために急速にその高度を下げていた。

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