1-2 フェンリル編2

「まぁまぁ冗談はこの辺にして、もっと実用的な話をしようよ。」

別に冗談のつもりで言ったわけじゃない。そもそも魔法の話の方が冗談だろう。しかし、化け猫は私の話をサラリと流し、そんな非現実世界の話を本気で始めようとしていた。

ただ、さっきの白昼夢も実体験としか思えないほどの感覚が残っているし、契約者と使い魔はダイレクトに繋がっているとかなんとかのくだりも、そういえばこの猫は心の中で思ったことと会話をしていたような気がする。

「・・・。」

私は少し考えてから、話半分で聞いてみることにした。


「橘春化、君には今、魔法のチカラが宿っている。何も存在しない空間でも自在に物質を生成することの出来る〈化学のチカラ〉がね。」

そう言われて私は自分の手のひらを確認する。濃硫酸を生成したアレはまさしく魔法だ。

「さっきの白昼夢が現実世界でも出来るってこと?」

「まぁ条件が揃えば。」

この化け猫の言う話が本当だとすれば、物質生成のチカラ、つまり錬金術は実在したということになる。しかし引っかかるのは条件の部分だ。

「条件って何?」

「君の体調と魔法力、あとは18元素の使用認証。」


周期表が示す通り、化学元素はその特性を元に18種類の族として分けられている。

「18元素ってメンデレーエフの元素周期表のこと?」

「!」

私がそういうと化け猫は目を大きく見開き驚いた表情を見せた。

「随分懐かしい名前を出してきたね。」

別に不思議なことはないだろう。18の元素周期なんてそれぐらいしか思いつかない。

「でもまぁそうだね。それで合っているよ。

ただ、メンデレーエフのソレは最も初期のもので、周期表というのは多くの錬金術師、物理学者、化学者の知識の集合体だよ。現在は1905年にアルフレッド=ベルナーが提唱したランタノイドとアクチノイドを別枠にしたものが一般的だよね。」

あぁそういうことか・・・・と私は理解した。ので、読者の皆さんは理科の教科書をご参照下さい。化学の教科書、表紙の見開き一ページ目にあるアレのことです。

「キミが使えるのは現在のところ、第1族のアルカリ金属と酸素や硫黄の属する第16族。」

「二つだけ?!」

「だからさっきの濃硫酸H2SO4にはある意味、運命的なものを感じたよ。」

濃硫酸に必要な水素、硫黄、酸素の三種類の元素は1族と16族にあるのだ。


「なるほどね〜。魔法使いっていうかイメージ的には錬金術師ね。」

「あくまでも化学の場合だよ。」

「他の理科だとまた違うってこと?」

「物理は熱や電気のチカラ、地学は天体や地震、地質のチカラを扱えるよ。」

「なにそれ、そっちの方が魔法使いっぽい。」

「君が化学を選択したんじゃないか。」

なんか、損した気分。あ、いや。まてよ・・・。

「まぁいいわ。それで、私に何をさせたいの?」

「お、流石に話が早いね。」

魔法少女といえばその能力を駆使して解決すべき使命を背負う。物語の王道だ。ましてや、世の中のバランスを崩すようなチカラを扱うわけなのだから・・・

そんなことを考えながらも私は今、金、銀、銅の属する11族元素のことを考えている。


「今、理科世界のケミカルランドでは大事件が起こっている。」

「理科世界?ケミカルランド?」

「現実世界の化学的な現象を調整する管理世界の一つだよ。君たちが理解しやすいようにそう呼ばれている。」

「・・・・」

「何?」

その名前がもう・・・。

情報化が進んだ現代でこんな胡散臭い話、今の子どもは受け入れるというのだろうか?

私の怪訝な顔を感じ取った化け猫は、

「続けて良い?」

面倒臭そうにそう言った。

「えぇ。どうぞ。」

おそらくこのやりとりを何度もしているのだろう。


「本来、この世界の物質の絶対量やエネルギーの変換率は理科世界の門によって調整されている。」

化け猫が言うと胡散臭いが、現実に存在する物質には絶対的な量がある。それは本当の話だ。限りある資源とか貴金属なんて言葉があるのはそのためである。

だから化学的、いや理科的には物質の等価交換、言うなれば保存法則というものが存在する。

炭素の含有量で化石の年代測定をしたりするのはその応用。


「その門の鍵が何者かの手によって盗まれ、無断で使用された元素が少しずつこの世界に漏れ出しているんだ。

キミにはその鍵を回収して欲しい。」

マジックアイテムの回収か・・・。確かに魔法少女の王道だ。

「でもそんな大規模な話だったら、世界中を巡らないといけないんじゃない?そんなの私には無理よ。」

経済的に。いやまぁ、これは小学生にだって無理な話だ。

「それは大丈夫。相手もこっちの鍵を狙ってくるから、世界中に行く必要はない。多分、この街にいるよ。」

魔法少女の王道。事件はいつも主人公の周辺で発生する・・・か。


「なるほどね、理解した。」

「それじゃあ・・・。」

「いや、理解はしたけど、了解したわけじゃない。」

私はこういう場合の使命を背負う少女の気持ちが知れない。超常現象における災害に保険は適応されないし、命の保証もない。

それを無償で背負うなんて、資本主義の化身である投資家たちが聞いたら卒倒モノだ。

偉大なる錬金術師たちは様々な実験を経て言いました。この世界は“等価交換”である、と。ましてや理科のチカラなのだから、等価交換、そう保存法則が成り立つはずだ。

「・・・つまり要約するとキミは何か“見返り”が欲しい、と?」

「まぁ、平たく言うとそうね。」

「まったく、これだから大人は・・・・。」

細かく訂正をしておくと、私は大学生でもまだ未成年だ。しかし、まぁそんな些細なこと気にするよりも、今はとにかく見返りが重要だ。

化け猫は大きな目を閉じ、首をひねって考え込んだ。

「鍵の回収任務で使用した魔法少女の魔法は必要経費として処理される。」

化学の魔法は自然の絶対量を変化させる物質生成のチカラだ。魔法を使うことで、世界の物質量は増えてしまう。

「物質量を管理しているのにそんなことして良いの?」

「そうしておかないと魔法が使えないでしょ。」

「まぁ確かに。」

「それに魔法少女ひとりが使える量なんて門から漏れ出している量に比べたら微々たるものだからね。ある程度なら管理局も大目に見てくれるんだよ。」

そして化け猫は一拍おいて、深呼吸をしてからこう言った。

「だから緊急時以外、世の中に重大な影響が無い範囲でなら君に物質の生成を許そう。特別だよ。」

「ほほう、それは自由に錬金術を使えるってこと?」

「ただし、【常識の範囲で】だよ。」

常識の範囲で魔法を使う。いや、魔法の存在が既に非常識でしょ、というもっともなツッコミをするのを今はよそう。それよりもっと大事なことがそこにはある。

「あと、危険物質もダメだよ。」

危険物質とは放射能関連や毒物のこと。私にだってその生成がどれほど危ないものなのかは理解できるし、生成するつもりもない。もっと単純に貴金属で・・・・。

「だから常識の範囲。」

「わかってるって。」


さて、話もまとまったし家に帰ろう。

ずいぶん時間が経ってしまったが私は帰宅途中なのだ。

夕暮れの西の空を背に受け、ようやく帰路に着いた。

・・・のだが、


グルルル

低いうなり声とともにその生物は路地裏の陰から姿を現した。

四足歩行の哺乳類。体毛の色は銀色。

「や、野犬?」

いや、犬にしてはちょっと大きいような・・・

「オオカミだよ。召喚獣フェンリル。」

「えぇ?!」

私の動揺を嗅ぎ取ったかのようにオオカミはこちらに突進してきた。すかさず私は尻餅をついて回避する!

「・・・すかさずって、ただ転んだだけ。」

「ナレーションにケチをつけるな、化け猫!」

私はすぐに立ち上がると、柄にもない全力疾走で路地裏を駆け抜けた。

引っ越してきて二日目、この町の土地勘はほぼないに等しい。なので、商店街の裏道がどこにつながっているのか、私は知らない。もしも京都のような入り組んだ街並みだったら袋小路でアウトだ。

一見さんお断りな料亭やオシャレな町屋のカフェ、雑貨屋・・・・ドキドキワクワクの袋小路。

しかし、私の都会願望をあざ笑うかのように、こんな地方都市の郊外は、そんな勝手な予想をあっさり裏切り・・・・商店街の塀の裏通りを抜けるとその先は、木々の生い茂る、山だった。

オオカミ相手にこれはこれでアウトなんじゃないかな?

ただ、幸い、あのオオカミ、フェンリルは追ってきていない。


「はぁはぁ、はぁはぁ。」

息の切れた私は一旦、目の前の木にもたれかかって休憩をする。

肺から脳への酸素供給が追いつかないのでなかなか言葉が出てこなかったが、息が整ったのとほぼ同時に私は化け猫に確認を取る。

「なんなのよアレ?!」

「だから僕と同じ召喚獣だよ。」

「あんたと同じっていうんなら、召喚獣ってマスコットみたいな感じじゃないの?」

完全に野生のオオカミだったけど・・・。

「召喚獣は魔法少女の契約があれば使い魔となるんだけど、今のフェンリルは鍵から魔力を得て暴走している状態だね。僕の声も届いていないだろう。」

まったく。これも、お約束の展開か。となるとこの先は・・・

「で、あれをなんとかするのが使命ってわけ?」

「ご明察。」

化け猫、いやそろそろ名前で呼ぼう。

「それはどうも。」

ケットシーの説明が一息ついたところで山の木々がザワザワと揺らめき、轟音とともに跳躍したフェンリルが目の前に現れた。

「嗅ぎつけられたわね。」

暴走しているのにどうして追いかけてくるのか、それはあの犬のほうも私の持つ鍵を狙っている。理由はまぁそんなところだろう。

でも大丈夫。状況は飲み込めたし、それに・・・

「こっちには魔法、濃硫酸を放つことの出来る1族と16族の鍵がある。」

「忘れないでね、向こうも鍵を持ってるってこと。」

「大丈夫大丈夫。私の化学を信じなさいって。」

知識は最大の武器であり盾である。化学の知識に絶対的な自信がある私は、このとき手に入れたチカラと背負わされた使命の重さを理解していなかった。


奇襲をかわされた(?)ことでオオカミは一旦体勢を整え、一定の距離をとって警戒していた。

そのうちに私は座り込んでいた木の根元から重い腰を上げて臨戦体制に入る。では戦闘開始だ!

「大丈夫かなぁ〜。」


運動神経の悪い私にとっては魔法だけが唯一の武器である。しかし、その武器はこの場合、最強の武器だ。

水分の塊である動物にとって濃硫酸は劇薬である。脱水効果で水分を奪われるためだ。人間であれば6パーセントの水分がなくなると頭痛、めまい、脱力感に襲われ、10パーセントで筋肉の痙攣、循環不全に陥る。20パーセントで死に至る。それほどまでに水分は動物の生命線なのだ。

幸い相手の攻撃は飛び道具ではなく、突進なので、無闇に動いたりせず、向かってきたところでカウンターを狙うのがベストな選択だろう。

私はスゥッと息を吸い込み、

「ヨシ、いける!」

突進に対して身構えた。


・・・・しかし、オオカミはすぐに突進をしてこなかった。相手も鍵を持っている。だとすれば魔法を使えるということだ。

これは懸念点だったのだが・・・・

グルルル

オオカミは首を低くし、こちらを見据えて様子を伺う。


そして、【理科】を使用した。


シュウウウゥゥ

吐き出した息は白い粉末状のもので、オオカミを中心に周囲を一気に取り囲んだ。

「な、何?」

煙幕のつもりだろうか。

確かにカウンター狙いの私に目くらましは有効である。

「あの時と一緒だ。」

前任者であるあの少女もこれを体験しているということだが、ケットシーの言葉は私の耳には届かなかった。


グルルルッ!!

煙幕の中から飛び出したオオカミが地面の石を蹴って火花を飛ばす。それが白い粉に引火して、激しい閃光とともに私の視界は真っ白になった。

「そうか、これは・・・・マグネシウム?!」

マグネシウムは燃焼時に激しく光を放つ。昔のフィルムカメラのフラッシュに使われていた物質だ。


「つまり相手の鍵は2族、アルカリ土類金属。

なんだ、(金、銀、銅の)11族じゃないのか〜。残念。」

「そんな場合じゃないだろ?!」

眩ゆい閃光に対して、瞬時に目を閉じたがそれでも視界がまだぼんやりとする私に向かってオオカミが体当たりをする。今度はそれをかわすことが出来なかった

「ぐえぇぅ。」

おおよそヒロインとは程遠い嗚咽をあげて私は倒れこむ。地味な攻撃だが突進というのはダメージがデカイ。さすが野生動物。

「春化、立って!このままじゃ食い殺されるよ!」

この作品、本当に魔法少女モノなの?!ちょっとは言葉を選びなさいよ。


「このぉ!マジカル濃硫酸!!」

まだ視界がはっきりとしない中、私は手のひらに意識を集中させて、化学式H2SO4を念じてオオカミの方へ向けた。


「・・・・。」


しかし、出ない。

「ちょっと!どういうことよ?!」

「あ、言い忘れてたけど、現実世界で魔法を使うには変身しないとダメだよ。」

今ごろ言うな!!私の抗議は声になることなくオオカミの鋭い犬歯が私の肩がけの鞄に襲いかかった。


“だたのオオカミじゃない。やっぱりコイツは召喚獣フェンリルなんだ。”

いや、ただのオオカミになら対処できたかどうかはこの際、置いておいて、私の中にあったさっきまでの甘い考えは消え去り、恐怖という感情が支配を始める。

「ひぇぇ。」


カバンの中に入っていた香水のビンが割れ、辺りにラベンダーの香りが充満した。

それは鋭い嗅覚を持つ犬やオオカミの鼻を麻痺させる。

「春化、今だ!両手を突き上げ、天を仰いで、腕を回転させながら『変身』と叫ぶんだ!!」

えっ?!

理解はしたが、それは・・・・・


グルルル

躊躇する私の方に対して、フェンリルがこちらに狙いをつけていた。

香水のダメージから回復しつつある。

「早く!!」

えぇい、もうどうにでもなれ!


「変身!!」

やっぱり、これ、魔法少女っていうよりヒーローの変身方法なんじゃあ・・・

そんなことを思いながらも私の身体を淡い光が包み込み、見たことのない繊維が表面に構築されていく。そして・・・


ケミカルヒロイン

マジカルマヂカ、光臨!!

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