1章

1-1 フェンリル編1

桜は平安時代の国風文化以降、日本文化の象徴として根付いてきた花の代名詞である。

一年間蓄えてきた養分でその美しい花を咲かせ、あっという間に散ってしまう。その儚さが日本人のワビサビの心に通じているという。たしかに受験生がその合否を「桜咲く」や「桜散る」なんて比喩で使うぐらいだから、その根付き方はかなり深いものがあると言えるだろう。


ともあれ、私の桜は散ることなく、この春、めでたく志望校に合格した。高校生活の大半を受験勉強に費やして、高校卒業後の三月後半に実施された後期試験でようやく勝ち取った合格通知だったので、色々とやりたかったことは棚上げ状態となっている。まぁそれだけ受験が大変だったということだ。


私立科学技術女子大学は物理、化学、生物、地学、あらゆる理科に精通している理系女子の名門校。ちなみに私の専門は化学。様々な薬品を調合して物質を変化させる実験をする、いわゆる薬学部というやつだ。

一時間そこそこの入学式とその後のオリエンテーション、学食での昼食を終え、サークルの見学をひと通りこなして正門を出た頃にはすでに三時になっていた。


正門前の並木道は新入生の入学を祝うように、まっすぐな道を桜色に染めている。

日本における観賞用の桜【ソメイヨシノ】の歴史は実は浅く、江戸時代の中期から後期にかけて品種改良によって生み出された人工の品種である。そして、現存するソメイヨシノのほとんどが、最初に作られた一本目のクローンなのだそうだ。

つまり、この美しい花は科学のチカラによって生み出され、明治以降、日本中に広がった。どんな芸術も自然の生み出す物の美しさにはかなわないとよく聞くが、人の作り出した物には求められた美しさがあるのだと、私、『橘春化』は思うのです。

・・・・などと柄にもなく詩的な思いを巡らせ、この見事な並木道を歩いていた。


さて、それでは、歩きながらちょっとこの街の話をしよう。

理科学実験学園都市。そんな御大層な名前のついたこの町は、過疎化する農村の再開発によって生まれた実験都市だ。周囲の市町村からは【都会村】なんていう風に揶揄されている。

国の研究機関や企業の科学技術に特化した部署が意図的に集められていて、私の通う大学もそれに伴って都会から移設されたものである。

ただ、タケノコ山に地下鉄で行ったり、高層ビルの中が“畑”だったり“いけす”だったり、手付かずの自然のあちらこちらに最先端技術が混在する。ここはそんな感じのちょっと変わった町なのだ。

まぁそのせいで大学の近辺には“普通に便利であるはずコンビニ”というものはない。いや、正確には以前はあったのだが、ある時、文具売り場で「感光紙はないのか?」電気用品の売り場で「コンデンサーはないのか?」雑誌コーナーで「医学書を取り寄せてほしい。」などなど、無茶な要求の嵐に店側が根をあげて撤退してしまった経緯がある。(だからこの辺りにあるのはフラスコやら試験管、電子部品なんかの専門ショップばかりだ。ニッチ商品にも程があるだろう。)


さて、入学式を終えた私の今日のスケジュールは帰宅だけ。家といってもそこは大学の近所に借りたワンルーム。再開発の地方都市ということもありお値段はリーズナブルだが、先述のとおり買い物には色々と不便である。

そんなことを考えていると私のお腹が盛大に唸った。

グゥーーーーッ。

なかなか重低音の効いたコントラバスのようなベース音だった。私は女の子として赤面するよりも先に、その見事な音に笑みがこぼれた。

「あはは。」

そういえばお昼を食べていない。

引っ越しの荷解きはまだ全然進んでいないけれど、とりあえず腹ごしらえだ。腹が減っては戦が出来ぬ。昔の人が言いました。

そんな思いを巡らせて、私は商店街のアーケードをくぐる。


・・・・しかし、さっきの言葉、武士は食わねど高楊枝という言葉と矛盾する。戦国時代から江戸時代の飢饉にかけて武士のあり方が変わったということだろうか。などとショウモナイ議論を脳内で行いつつ、私は武士とは縁もゆかりもないハンバーガーにかぶりつく。すると口いっぱいに化学処理されたジャンクな味が広がった。

「うーん♪」

健康には良くない良くないと分かっていても、やっぱり病みつきになるジャンクフード。もしかしたらヘビィスモーカーが禁煙出来ないのと状況が似ているのかもしれない。


ハンバーガーの包み紙をぐしゃりと潰し路肩のゴミ箱に放り投げたところで、奥の存在に気がついた。

路地裏でうずくまっている小さな人影。小さいと表現はしたが大体の目測で背丈は140センチそこそこ。

薄手の白いブラウスにスカイブルーのフレアスカート、肩がけの小さなポーチ。白地にワンポイントのハイソックスにマジックテープのスニーカー。

髪は黒のセミロングで後ろを可愛らしいリボンでくくっている。

まぁこの特徴からして正体を推測するに、女子小学生だ。


「ちょっと、大丈夫?」

「うぅっ・・・。」

少女は低く嗚咽を漏らし、こちらを伺うと驚いた様子で目を見開いて言った。

「嘘?!なんで、こんなお姉さんが・・・。」

「ねぇ・・・救急車呼ぼうか?」

苦しそうな表情と疲れきったその声から慌てふためく私。すると少女の陰から小動物が現れた。

猫である。柄は黒を基調とし顔、足首の先、尻尾の先、お腹のあたりが白い。首には蝶ネクタイ、尻尾の先に小さなリボンをしている。この子の飼い猫だろうか?

猫はその透き通ったガラス玉のような瞳で私の方を見つめると口を開いた。

「無駄だよ。人類の医療でこの症状を改善するのは。」

「ね、猫が喋った?!」

「僕が人の言葉を喋ったわけじゃないよ。魔法のチカラで僕の言葉をキミが認識出来ているだけさ。」

「魔法?・・・・」

何を非現実的なことを言っているのだ?と思ったけれど、言っているのは目の前の猫だ。これ以上ない程の非現実である。

哺乳類は声帯を震わせ声を出すことができるが、言語の理解には最低でも単語が必要だ。人間の言語であるはずの英語もまともに理解出来ていない私が、種類もわからぬ猫の言葉を理解出来るわけがないのだ。そもそも英語なんかのせいで私の受験は後期試験までかかってしまって、

本当にもう・・・・ブツブツ。

まぁ私のいう非現実的とはそういう意味。どうだ、反論のしようもあるまい。

「言ってて悲しくならないかい?」

えっ?!

この猫は私の心が読めるのか?

「いや、後半の方はだいぶ口に出してたよ。」

「・・・。」

心身ともに完全にリフレッシュして入学式に臨んだつもりだったけれど、受験の疲れがまだ残ってたみたいね、うん。

私は目の前の化け猫のことはとりあえず無視して、女の子を抱き起こした。

「大丈夫?」

「お姉さん・・・私、もうチカラが・・・。」

確かに彼女の手首についているスマートウォッチにはバイタルサイン(医療における心拍、呼吸、血圧、体温の数値情報)がレッドと表示されている。ただ、気になるのは項目の5つ目が“MAGIC”と表示されていることだ。

“チカラ”・・・。この場合、腕力や体力といった体育会系の意味ではなく気力や精神力、つまりそれは魔法のチカラということだろうか。何をバカなことを・・・。常識という概念が私の想像を否定する。

「待ってて、今、救急車を。」

「病院は嫌!」

強い拒否。女の子は身を投げ出して私の携帯を制止する。私はその拒否が注射を嫌がる子どものソレと思ったのだが、この化け猫が話に割り込んできた。

「現実を受け入れなよ、お姉さん。その子は魔法力が尽きかけていて苦しんでいるんだ。わかるでしょ?」

・・・そんな現実を受け入れろというのか、この化け猫は。

ただ、私がそんな思案をしていると、

「もうダメ。

お姉さん、ごめんね・・・。」

女の子が何か呟き、ヨロヨロと首を起こして顔を私に近づけた。

そして・・・

チュッ・・・

?!

キスだった。私のファーストキス。

出来ればキャンパスライフを謳歌して作ったカレシに満天の星空の下で、と(勝手に)予定していたものだ。まぁこれは可愛い女子小学生の人命救助(?)だし、ノーカウントか。

しかしそうなるとこの子はどうしてキスを?

わけがわからない。その疑問を問いたくて、視線を戻したのだが・・・

その時、少女は気を失っていた。先ほどまでの蒼白は消え、安らかな寝息を立てている。その表情を見ると私はホッと胸をなでおろした。

とまぁ私はそんなことをこの数秒間に考えていたわけだ。


「認証確認。」

「えっ?」

先ほどの小生意気な個性は全て忘れてしまったかのように、言うなれば抑揚の無い機械のアナウンス、そんな声で化け猫はそう呟いた。

ガラス玉のような目からは色が消え、光を失った漆黒の瞳がこちらを覗いていた。

その瞳に吸い込まれるように私の周囲は真っ暗になり、重力の概念のない宇宙空間にいるような、上の下もわからない状態になった。

「ちょっと何よ、これ?!」

人間は位置情報と姿勢制御の八割を視覚に頼っており、真っ暗闇ではキチンと立つことも出来ない。

私はしばらくこの場に立ち往生した。幸い、見えはしないが地面は認識できる。そういった意味では宇宙空間と呼ぶのは多少違う。

瞳孔がこの暗闇に慣れ、ぼんやりと周囲を確認出来るようになったころ、目の前には巨大な門がそびえていた。

立っている地面すら見えない状況なのに門とその周囲の城壁だけはなぜだか認識出来た。

どこまでも続く巨大な城壁。その不思議に疑問を抱くこともなく・・・

“この門を開くしか出口は無い”

直感的にそう理解し、チカラいっぱい門を押していた。

「くぬぅっっっ・・・・・。」


開かない。

ビクともしない。


チカラいっぱい引いてみた。

「ふんぬっ!!!」


開かない。

ピクリとも動かない。


「・・・。」

まぁ私の直感なんてアテにならないものだ。

しかし、なんというか・・・

状況的にこの空間があの化け猫によるものだと理解しているのだが、それにしたってこの非現実的な空間を冷静に対処できている自分に驚く。これは心理的に私が“こういうの”を望んでいるとでもいうのだろうか。


・・・まぁいい。では改めて、門の形状を触って確かめるとしよう。


ふむふむ。


日本家屋の門といえば木組みに瓦屋根だが、この門は立派な洋館や西洋の城に見られる石組みで、出入り口にはアーチがあり、そこを重厚な扉が塞いでいる。

扉は木製。材木に詳しい方ではないが、程よく水分を含んだ大きな木を角材にし、縦に並べて一枚の板にしている。


こういう門の場合、たいてい内側から閂(かんぬき)で閉じられているので、外側から大々的に開門とはいかないのだ。(そもそも門とは戦争時に敵の侵入を阻むためにあるものである。)

普段の通用口は門自体を加工して作られた小さな扉から出入りするのだが、この門にはそれが無い。中に入るには扉を内側から開けてもらうのが唯一の方法。しかし、この状況で私が何の策もなしにただ開けてくださいと言っても、まぁ無理な話だろう。


「うーむ、どうしようかな。」

しばし考え、私は城壁の方へ目をやる。よく見ると城壁にはさっきは気がつかなかった、いや、さっきまでは無かった張り紙がされている。

紙にはこう書かれていた。


【問 貴方は今、理科のチカラを自由に使うことができます。閉ざされた門を開くためにはどのようにすれば良いでしょう。ただしこの場合、使うことのできる理科のチカラは物理、化学、生物、地学のうち一種類だけとします。】


「・・・。」

ほとんど答えと言って良い、ずいぶん具体的な指示だ。

私に何をさせたいのか知らないが、どうにも時間がかかっているから、あの化け猫がしびれをきらしてヒントを出した。そんな感じがする。


しかし、理科か。それは私の得意科目、というか専門だ。英語なんかよりもよっぽど良い。そして、もちろん選択する分野は化学。

私がそう頭の中で念じると、

「化学分野の選択を確認。」

どこかで・・・いや、聴覚を頼りに位置を把握するのなら上の方、この真っ黒の空から抑揚のないアナウンスは響いた。

すると私の体内になにかチカラが沸き立つような感覚が生まれた。冷え性の人が温浴効果で血の巡りが良くなったような、そんな感覚だ。

「なるほど、魔法ね。」


さてさて、ケミカル的にこの門を突破するには、破壊が最適であると考えられる。さらに言えば、密度と材質の関係から外枠の石レンガではなく、木製であるあの扉の方を溶かすのが一番簡単だ。そう考えると適切な物質を選定し、誰に教えられたわけでもなく、私は両手を前にかざして目を閉じた。


“マジカル・濃硫酸ッ!!”


「?!」

無意識に発した自分の言葉に驚いた。(驚いたのはマジカルの部分に、だ。)

しかし、そんな私の意志とは関係なく空気中の一点が濃縮され生み出された濃硫酸は液体となり、門をめがけて真っ直ぐ飛んだ。


そして、直撃した。


程よく水分を含んだ木製の扉はあっという間にその密度を失い、脆くなった箇所から穴を空ける。

これが通常の硫酸よりも高濃度である濃硫酸のチカラ。高い脱水作用で対象から急激に水分を奪い取り、結果、対象物はスカスカにする。硫酸の化学反応はそういう原理なのだ。

しかし・・・・


「本当に魔法?」

自分の手のひらを確認する。手のひらからレーザービームのような凄まじい熱エネルギーを放つ少年漫画のように、今、私は濃硫酸を手のひらから放出した。いや正確には手のひらの数センチ手前で大気が収束し硫酸が飛び出したのだが、現実的に考えてそんなことが可能な訳がない。空気中の成分には水素や酸素は含まれていても、硫酸の素になる硫黄がないからだ。(ここが温泉地であるなら話は別だが、それはないだろう。)そうなると自ら成分を生み出す物質生成、まさに錬金術を行ったということ。なるほど確かに魔法だ。


さてと・・・・


門にあけた穴から私はその先を伺うが、その先は真っ白だった。見たところ、地面は無い。この空間は非現実的なものなので、たぶん、ここを通過すれば終わり。だから“先は作っていない”ということだろうか。

「でもなー。」

今、私は商店街の路地裏で非現実世界の白昼夢を見ている。そしてここを通過すればその白昼夢から目覚める。おそらくそういう段取りで、認識は出来ているのだが、さすがにこの得体の知れない白い空間は・・・。地面が無いし。

私は二の足を踏んだ。


するとさっきの問題用紙(ヒント)がその文字を変化させた。

【問 つべこべ言わずに早く入りなさい】

「いやいや、コレ、もう問題じゃないでしょ!!」

抵抗の意思とは真逆に、高密度に圧縮された何かが私の背中をドンッと押した。

「わわわ。」

二、三歩白い空間に足を踏み入れると辺りは白一色になり、視界を遮った。

「眩しッ!」

その白さに私は反射的に目を閉じ、再び開くと・・・そこは、元の商店街だった。

さっきの小学生の姿はない。私の目の前には大きく伸びをしているあの化け猫がいるだけ。

「お疲れ様。」

「化け猫・・・・。」

「僕の名前はケットシー、君の使い魔だよ。よろしくね。」

使い魔・・・ねぇ。

小学生のキスが契約の譲渡で、さっきの門の破壊が認証の手続き。常識を切り捨て、論理的に考えるとそれが自然だけど・・・

これはもう、この化け猫の言う非現実世界が現実だったということを認めろ。そういうことだろうか。


「しかし、これほど時間がかかって合格するなんて初めてだよ。普通はあの空間に一時間もいたら根を上げるのに。・・・君、根性あるね。」

「か弱い優等生キャラの私に向かってなんてことを・・・・。」

私は体力に自信がなかった。足は遅く、握力も肺活量も平均以下。しかし、それが悔しいとかそういうことは思わず、か弱さの個性として捉えている。そう長所として。

だから根性とかそういう体育会系の発想はないのだ。

「【優等生】と【か弱さ】に因果関係はないよ。根性などの精神力はあくまでも心の強さ。それは長い間、苦しい受験を乗り越えてきたキミのたくましさでもあるんだ。」

「少し黙りなさいよ!」

口の減らない化け猫だ。


私は本来“こんな性格ではない。”のだけど、不思議とこの化け猫と話をすると、思ったことがそのまま口に、それこそ自然と悪態を吐いていた。

アレ?

「でも、受験のことなんてどうしてわかるの?」

受験のことは口にしたと思うが、化け猫の口ぶりはずいぶん詳しそうだ。“聞いた”というような軽いものではなく、“よく理解している”というレベルだ。

「使い魔は契約者とダイレクトにつながっているからね。その人物の根底や強い感情なんかはある程度理解できるし、僕との会話はその人の自然体、もっとも“純粋な性格”が出るのさ。」

「・・・・・。

保健所と河川敷、選ばせてあげる。」

「・・・・。」

「・・・。」

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