第21話 悪性÷執着=醜悪

校内にサイレンが鳴り響く数分前、凌我は下駄箱の前でフリーズしていた。

百戦錬磨の彼にも、脳が停止してしまうような想像外のイベントというものはある。


例えばそう――自分の下駄箱の中にラブレターが入っている、だなんてイベントが当てはまる。


「お、おお……?」


もはや言葉すらうまく発することができない凌我は、ひとまず落ち着こうとラブレターを手に取りバッグを床に置いたまま近くのトイレの個室へと駆け込んだ。


「ふんふーん……」


鼻歌交じりに封筒を開け、中から手紙を取り出す。中に入っているのは一枚だけ。


内容はとても簡潔で『告白したいのでこの場所に来てください』という内容だ。


浮かれきっている凌我は今、冷静な判断ができない。

だが、それでも呼び出しの場所にはさすがに違和感を覚えた。


「……第二演習場……?」


忘れもしない、凌我が千聖と激戦を繰り広げた場所だ。


手紙で指定されたのはその第二演習場の裏、雑草が生い茂る上に演習場のエアコンの排気口が設置されているため長時間留まるには向いておらず、人気のなさで言えば校内でも一位二位を争う場所である。


告白の場所としては間違いなく不向きな場所だ。そんなところでなぜ?

そんな疑問が頭をよぎり、イタズラの可能性を検討し始める凌我であるが……。


「よし、行ってみるか」


わずかな可能性に賭け、凌我はトイレを出て懐かしの第二演習場へと足を運んだ。。


足取りは軽く、挙動は不審なまま歩くことしばし。

目に映るのは数週間前に血の沸騰するような戦いを行った演習場の正面口。


「き、緊張してきた……」


らしくもない発言をしながら、凌我は円形の演習場の周囲をぐるりと回り込む。一歩進むたびに、心拍数が上がっていく。


ちらりと、誰かの影が目に映る。緊張は最高潮に達し思わず喉を鳴らしながらも足を止めずに歩を進める。


「あ、良かった。来てくれたんですね」


凌我を待っていたのであろう生徒が、嬉しさをにじませながらそう微笑んだ。

サラサラの茶髪に、少し気の弱そうな曖昧な笑顔を浮かべたその生徒は、凌我の知らない女子生徒――ではなく、かといって知り合いの女子生徒でもなく。

というか、女子ではなかった。


「……イタズラするにしてもよォ、さすがに限度ってのがあるんじゃねえの? ――悠一」

「あはは、そんな怖い顔しないでくださいよ。ビビッて泣いちゃったらどうするんですか」


あまりにも期待をしすぎたせいでちょっとだけ泣きそうになっている凌我の声は、誰が聞いても分かるくらいには苛立っている。


だというのに、目の前の気弱な少年は臆するどころか煽るように笑みを絶やさない。


「それに、告白したいのは本当ですよ?まあ、愛の告白じゃないですが」

「そりゃありがてえ。相手が男だろうと、ガチの告白断んのは心が痛えからな」


軽口を叩きながら、しかし凌我は警戒心をマックスにして悠一を睨みつけていた。

彼の態度に最初こそ怒りを覚えていたものの、そんなものすぐにもう消えた。


今あるのは違和感のみ。


「それで? 何を告白する気だ?」

「ふふっ、実はですね――」


聖公園での事件が終わってからの一週間。悠一には微妙な違和感を感じていた。


気にするほどでもないと流していたが、目の前に立つ悠一に感じる違和感は明らかに許容をオーバーしている。


目の前に立つこの男は、果たして本当に悠一なのか。

自分の味方か、あるいは敵になのか。


そんな凌我の迷いは、次の一言で完全に消え去ってしまった。


「――俺、師匠のことがずっと目障りだったんですよ」


彼が叫んだ瞬間、周囲から霊獣が湧き出してくる。その数は十や二十では収まらず、その中には苦戦を強いられたレベルⅢのニュータイプの姿もある。


「どういうこったよこりゃ……」

「どういうこととは? 俺が師匠をこんなとこに呼び出したことですか? 俺が師匠を裏切ったことですか? それとも――」

「てめえが霊獣を操ってることについてだよ! 本当に悠一なのかてめえ!」

「悠一ですよ。あなたの可愛い一番弟子の佐藤悠一ですとも。見れば分かるでしょう?」


霊獣の頭を愛おしそうに撫でながら、悠一はあくまで冷静にそう返す。霊獣のコントロールについては一切回答せず、苛立つ凌我を嘲笑った、


「本当に目障りで仕方なかったですよ。俺の計画の邪魔でしかなかった。まあ、師匠がいたおかげで護堂院さんを仲間にできたのは大きかったですか」

「護堂院? おい待て、なんでここであいつの名前が出てくる!」

「後で本人にでも聞いてくださいよ。……ふふっ、それにしても滑稽ですね彼女は。自分の居場所を守るために俺に協力して、そのせいで居場所を失うんですから」


咲の居場所、そう考えて凌我が思いつくのは一つ、いや、一人だけだ。

全身に憑力アンセスを漲らせ、敵対心をあらわにする。じりじりと高まっていく憑力に、周囲の霊獣は歓喜して飛びかかりそうになるが、それを悠一が片手の動きだけで制した。


「……千聖に、なにするつもりだ」

「怖いなぁ師匠。俺はただ、彼女を使って俺という存在を証明しにいくだけですよ。その過程で彼女がどうなるかは、ご想像にお任せしますが」

「てめえ……!」

「いよいよ抑えきれないという感じですね! いいですいいです! 人間も動物だというのなら、そうやって本能に従うべきだ! はははははは!!」


もはやその笑いに悠一の面影はない。

だからこそ、凌我は迷う必要はないと判断して箔爆を使用して高速で接近する。


だが、拳は届かない。

立ちふさがるは幾重にも重なる霊獣の壁。さらに、壁で減速してしまった凌我を狙い撃つかのように横からも霊獣が襲い来る。


数の利を活かした戦法だ。千聖と違い、広範囲への攻撃ができない凌我にとって、もっとも面倒な相手である。


「ここで師匠と遊ぶのもいいですが……そろそろあっちに行かないと」

「悠一! てめえどこに行くつもりだ!」

「哀れなピエロに絶望を与えに行くんですよ。ああ、大丈夫です。ピエロさんは生きたまま返しますよ。少なくとも肉体は」


先ほどまでの会話からピエロを咲と仮定するならば。

千聖の命は間違いなく奪うと、そう言っているようなものだ。


「ふざけんな! 千聖にはぜってぇ手出しさせねえ! あいつは……あいつだけは!!」

「妙ですね。さっきから火野さんに対してだけは過剰に反応してるように見えます。そこまでの間柄ではなかったはずですが……もしや、俺の知らない二人だけの関係でも?」

「てめえにゃ関係ねえことだろぉが!」

「そうですね。関係のないことです。師匠と火野さんがどんなつながりを持っていようとも……俺の長年の計画には、関係のないことです」


突き放すような声音でそう告げると、彼は凌我に背を向けた。再度殴りかかろうとする凌我だが、その動きは上下左右から同時に襲い掛かってきたレベルⅢに阻まれてしまう。


「この日のために持ってきた選りすぐりの霊獣たちです。師匠の相手をするのは約千体と少ないですが……それでも時間稼ぎならば問題ないでしょう」

「待て! あいつに手ェ出すな! 俺と戦え!」


休む間もなく霊獣に襲われ凌我は前に進めない。そんな凌我の無様な姿を悠一は一度も見ることなく進んでいく。


凌我の叫びに悠一は一言も答えない。

だが一度だけ、まるで抑えられないといった表情でこう叫んだ。


「十一年前のあの炎が……ようやく俺の手に!」


その言葉の真意を凌我は理解したのだろう。まるで咆哮のような声を出しながら、悠一に向かって何かを叫ぶ。


だが、悠一は聞く耳を持たないまま悠々とその場を離れていった。

残されたのは凌我と霊獣だけ。


――校舎にサイレンが鳴り響いたのは、このすぐ後だった。

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