第20話 探索+探求=青春

ひじり公園こうえんの事件から一週間経った頃。


詳細報告などの後始末が終わりようやく落ち着くことのできた千聖は、いつもならまっすぐ演習場へ向かう放課後の時間帯に、職員室に居た教師、東雲しののめを空き教室に呼び出していた。


「おやおや? どうしたんだいこんなところに先生を呼び出して」


以前凌我と千聖の模擬戦に許可を出した人物である東雲は、一年D組の担任であり、実戦担当の女性教師だ。三十歳を超えているにも関わらずその容姿は二十代前半……いや、千聖と同年代と言われても納得してしまうほどに若く、態度の軽さもあいまって友達のように気軽く接せられる。


千聖と向かい合っている今も、席に座って話を聞くのではなく適当に机に腰かけているあたり性格の軽さがうかがえるというものだ。


だが、千聖がわざわざ人の目をかいくぐって東雲と二人きりになったのは接しやすさとは全く別の理由からだ。


「……こうして二人でゆっくり話すのは私が小学校を卒業した時以来ですね。東雲先生」

「まあねー。いやー泣き虫だった千聖ちゃんがこんなに大きくなって……」

「な、泣き虫なんかじゃありません!」

「はいはいそうですねー。それで? 二人きりで話したいことがあるってことは、授業のことじゃないよね?」


東雲の眼がすっと細められる。それは彼女が教師から裏の顔へと意識を切り替えた証。


表はフレンドリーな教師、しかしてその実態は。


「そんな風にかっこつけなくてもいいですよ。先生の裏の顔がただのお人よしカウンセラーだってのは知ってますから」


そう、結局ただの良い人である。


わざわざかっこつけて声音まで変えたというのに、雰囲気をぶち壊しにされた東雲はぶーぶーと子供のようにぶーたれながら、


「カウンセラーじゃなくて特管の監査官だから。そこ間違えないでね?」


特管――《特殊管理局》。

ツキモノに関する事柄に対してのみ動く特殊機関。


……というと闇が深そうに聞こえるが、大概の仕事は『強力なツキモノの力に戸惑う子供のメンタルケア』だ。


高校教師である東雲が小さいころの千聖を知っている理由もそこに行きつく。


「そんな東雲先生に……《狂犬》の二つ名を持つ東雲先生に質問があるんですが」

「狂犬って呼ぶのやめよ? 可愛くないから」

「まあそうですね、あの戦いっぷりは可愛さ皆無ですもんね……」


メンタルケアが主な仕事とはいえ、相手は強力なツキモノを持つ子供。いつ暴走するか分からない上、その子供を狙う組織だって山ほどいる。


そのため、特管にまず最初に求められるのは戦闘力だ。そして、東雲はその中でも頭一つ抜けた力を持っている。


能力『獣化』による身体能力の強化、および五感の鋭敏化。

野性の力と直感を持ち合わせながら、見た目に反する攻撃的な戦闘スタイルから付けられた二つ名が『狂犬』である。


「獣化すると爪も伸びちゃうから武器も持ちづらくてさー、基本的には相手の懐に突っ込んで戦うスタイルになっちゃうんだよねー」


簡単な相槌を打ちながら、千聖は心を落ち着かせていく。次の一言で本題に入ってしまう。それを知っているからこそ、千聖は手の震えを止めることができない。


だから彼女は、恐怖に怯えながら――怯えたまま進むことを決めた。


「まるで――凌我みたいな戦闘スタイルですよね」


その言葉を口にした途端、東雲の眼が本当の意味で変わった。


口調も態度もそのまま、千聖を見る視線だけが鋭くなる。


「単刀直入に聞きます。……神無のこと、知ってますよね?」


二人以外誰もいない空き教室に、肌を刺すような緊張感が走る。

教室の中は涼しいのに、千聖は額に汗をかいている。


「……はぁぁぁぁぁあああああ…………」


二人の膠着状態を解いたのは、それはそれは長い東雲のため息。


「神無のことは凌我から聞いた?まったく、誰にも話すなってあれだけ言ったのにー」


すべてを知られていると悟った瞬間、東雲は諦めたように体を弛緩させた。


座ったまま背中を小さく丸める東雲の姿からは……なんだか、心労が見て取れる。

「……先生が凌我と知り合いだってなんで分かったの?」

「凌我から直接聞いたんです。あいつをDにランク付けしてるのも、アタシとの戦いやこの前の聖公園でのあいつの活躍も全部『まぐれ』にされてるのも、全部先生が……というより特管が情報操作してるってことを」

「あちゃあ……でも、神無のことを知ってるならどうしてそこまでするかってのは――」

「分かってますし、あいつが納得してるならアタシは何も言う気はありません。だから、アタシの聞きたいことは全く違うことです」


内容の見当がつかない東雲は疲労感の色濃い表情で千聖を見つめる。


そんな東雲に千聖は若干の同情を覚えながらも、この内容を聞かずに帰る気もなく、強い意志をもって口を開いた。


「あいつが力を使わない理由と、強さを求める理由についてです」

「神無のことを話したらそれも話したんじゃないの? 昔、力を暴走させたからだって」

「……でも、それだけであそこまで意地になるとは思えないんです。それにそれは強さを求めるにはならないですよね。だから聖公園の帰りに車の中で詳しく聞こうとしたら、そこで『先生に聞け』と東雲先生の名前を出してきて……」

「そっかー」

「あと、『あの人天然ゆるふわガールキャラ作ってるけど、根は計算高いババアだから逃げられない環境を作っとけ』っていうアドバイスも」

「……後で凌我を校舎裏呼び出しだな」


ぼそっと千聖にも聞き取れないほどの大きさで呟かれた言葉を、千聖の直感に優れた本能が『聞き返すな』と叫ぶ。


本能に従い、話を進める千聖。こういう野性の勘もこの社会を生き延びるために必要なスキルである。


「千聖ちゃんはそれを知ってどうするのかな?」

「……分かりません。ただなんとなく、アタシはそれを知らなきゃいけないと思うんです」


要領の得ない回答に、けれど東雲は優しく微笑んだ。


天然ゆるふわガールでも計算高いババアでもないその表情は、少年少女の成長を見守る教師のものである。


「それはやっぱり凌我に聞くべきだよ。私が千聖ちゃんに言えるのは一つだけ」


腰かけていた机から立ち上がり、千聖の正面に立つ。千聖を視界の真ん中に捉えながら、ゆっくりと口を開いた。


「千聖ちゃんはあいつに心底憧れてるみたいだけど、あいつは強くなんてない。自分の弱さを直視できずにもがき続ける……どこにでもいる、一人の子供だよ」


彼をけなす内容にもかかわらず、その声に嘲りは全く含まれておらず、あるのは包み込むようなぬくもりだけ。


きっとこれこそが、東雲の素の声なのだ。


「……はい」


千聖は何も言えず、そう返すことしかできなかった。そんな千聖の頭を優しく撫でてから、東雲は教室の出口へ体を向ける。


「聞きたいことはこれだけかな? 先生もこの後いろいろお仕事残ってて……」

「も、もう一つだけ! 次は凌我じゃなくてアタシのことについて!」


その突然の話題の切り替えに東雲は教師らしく悠然とした態度で振り向いた。


相手が話を聞く意思があることを確認すると、まとまらない質問を無理やりまとめて声に出す。


「……炎の生まれたアドバンス・バーンに、あの時あの場に居たのは……本当にアタシだけですか?」

「特管ではそうなっているけど?」


意味深な言葉を返すだけで、東雲は質問に対して何も答えなかった。

それこそが答え、ということなのだろう。


「悩め若者よ。青春ってのは傷の舐め合いと傷の付け合いの同時進行だからね。千聖ちゃんと凌我がどんな青い春を送ってくれるのか、楽しみにしてるよ」


それを最後に、今度こそ東雲は教室から出て行った。去り際に『凌我はどこかなー』と呟いていたのが千聖は気になったが、それよりも先に考えなければいけないことがあった。


「やっぱり誰か居たんだ……。あの子は、誰なの……?」


あの場に居たというのなら、間違いなく破壊の影響で大けがを負っているだろう。


そしてその原因は自分にある。ならば、自分はその人物に会い謝罪しなければならない。


そのうえで、もう二度とそんなことを起こさないように強くならなければ。


……謝るのは少し怖いけれど。


「でも、先生のあの言い方はいったい……」


謎を示した割に、ヒントが少なすぎる。

答えはいったいどこにあるのか、千聖がそれについて考え始める前に。


『校内に居る皆さん! 今すぐここから避難してください! 霊獣が……レベルⅡ、Ⅲの霊獣が大量に校内に侵入しました!! 繰り返します――』


校内全域にサイレンと緊急放送が流れ始めた。

校舎内からの避難を促すアナウンス。だがそれにもかかわらず。


「ちょっと、これじゃ出れないじゃない!」


学校に備えられた防壁が窓を全て塞ぐように降りる。

しかしそれは、有事の際に霊獣の校内への侵入を『防ぐ』ために作られているもの。間違っても今この場で使用するものではない。


「なにか、イレギュラーが起こったってこと……!」


防壁と名の付くだけあってこのシャッターは非常に堅牢ではあるが、おそらく焔剣融世トライアンフを使えば溶かすのは容易だろう。


だが、つい一週間前にその『イレギュラー』を見逃したことで取り返しのつかない事態になりかけた千聖は、そちらの探索を優先させた。


皮肉なことに、その探索の行き着く先には――彼女の求める答えがあるのだった。

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