第6話 拳-剣=顕現
「……驚いたわ。まさか、あれを受けてまだ戦意があるだなんて」
溶けた地面。砕けた外壁。
砂塵舞う演習場で周囲に火の粉を散らせた
正面。
土煙が風によって運ばれていく。
徐々に姿を見せた凌我は、地面に倒れ伏していた。
彼の下には血だまりが出来ており、動く気配はない。
だが、いまだピリピリと刺激するような敵意が向けられている。それはつまり彼にまだ意識があることを示していた。
けれどそれも一時的なもの。心臓を鷲掴みにするような敵意はなりを潜め、今もなお少しずつ弱まっている。
「そのまま眠りなさい。アタシの剣を受けて五体満足でいただけでも幸運なんだから」
全力を剣に乗せ、打ち放った一撃。
それで意識を刈り取れなかったことに多少悔しさはあるが、かといって今からとどめを刺しに行こうとするほど彼女は非情ではない。
凌我から発せられる敵意がほぼ消えかける。
それを察し、柄に当てていた右手から力を抜いた。
戦いは終わった。
そう告げるように、彼女は試合終了のコールも聞かずに凌我に背を向け――
――次の瞬間、背後に忍び寄った濃密な『死』の気配にすぐさま剣を抜き放った。
「な、んで……!」
凌我から感じ取っていた、ゾクゾクするような敵意は完全に消えた。
消えたはずだ。
なのになぜ、凌我が倒れる前よりも色濃い力を感じ取ってしまうのか。
「……ふわぁ」
凌我が口を大きく開けながら上体を起こす。両手を上に掲げ、思いっきり伸ばしてから脱力し、まるで負傷など感じさせない動きで立ち上がった。
神の炎で全身を焼かれたにも拘わらず、彼はまるで永い眠りから目が覚めた時のような気楽さで再び立ち上がったのだ。
「ア、アンタ……ほんとになんなのよ」
会場中がどよめく。観戦していた生徒も、立ち会っていた教師陣も、目の前の光景が信じられないと言った様子で間抜けな表情をしている。
凌我はそんな周囲になど一瞥もくれず、手を握ったり開いたり、屈伸をしたり跳んだり跳ねたり……体の調子を確かめていた。
「くははははは!!」
会場中に響き渡る声は、聞いているだけで寒気がするような錯覚さえ覚えてしまう。
その寒気は千聖も例外なく感じており、だからこそ疑問に思う。
(……こいつ、本当に篠宮凌我なの!?)
笑い方が、動き方が、その場でのあり方が今までと明らかに違う。
まるで凌我の体に違う誰かが憑依したような――
「礼を言うぞ小娘。お主が中途半端に強かったおかげで、あやつから主導権を奪えたわ」
視線を向けられる。意識を向けられる。
たったそれだけで、息が出来なくなった。
「か、は……」
「ふむ、わしの力に当てられておるのか。まあそれでもよい。ただ聞くのじゃ。……小娘、今すぐわしの前から消えよ」
「……き、え?」
「分からぬか? 見逃してやると言っておるのじゃ」
足が震える。
目を見るだけで、心臓を握りつぶされそうなプレッシャーを感じてしまう。
目の前の存在は神すら屠ることが、対峙しているだけで理解できた。
逃げなければ死ぬ。今すぐ逃げなければ本当に死ぬ。
「ふ、はは……はははは」
恐怖で意識すら飛びそうだというのに、笑いが止まらない。
求めていた強さが、いや、求めていた以上の強さが目の前にあるのだ。そこから逃げ出すなど冗談じゃない。
体と心が全く違う答えを導き出している。
逃げろと叫ぶ体を、戦えと叫ぶ心が無理やり前に進ませた。
「くはは、わしを前にして笑うか。力の差が分からぬようなガキでもあるまいに」
笑う凌我を視界から外さないようにしながら、千聖は剣を鞘へ納めた。
世界を溶かす熱が一振りの剣へと集約される。漏れ出た熱が蜃気楼を作り出していく。
本日二度目の奥義。神の炎を宿す一閃。
「アンタが何者だろうと知ったことじゃないわ、アタシはただ前に進むだけ! 溶け消えろ、
言葉通り、放たれた凝縮された熱は先ほどと同じように全てを溶かして凌我へと迫る。
――対する凌我の行動は、信じれらないものだった。
凌我は大きく動いたわけではない。
ただ手を軽く上げ、焔剣融世に軽く触れただけ。
限界を超える力で迎え撃ったわけでも、卓越した技量で受け流したわけでもない。
右手の人差し指で、まるでインターホンでも押すような気軽さで触れただけだ。
たったそれだけで、焔剣融世が消し飛んだ。
それだけではない。凌我の前方、彼が人差し指を伸ばした先に、まるで嵐でも起こったかのような暴風が巻き起こった。
「きゃあ!!」
その暴風は凌我と向かい合っていた千聖にも届く。風は彼女を地面から引きはがすと、数メートル後方にあった壁へと叩きつけた。
剣を支えになんとか倒れ込むのを免れた千聖だが、そのダメージは小さくない。
「な、なんなの……」
十五年生きてきて、千聖は初めて戦慄を覚えた。
次元が違う。目の前の存在は、人でもなければ神でもない。それを超える何かだ。
神の全力を受けたはずの凌我はなにも変わらない。
炎に溶かされることもなく、先ほどまでと全く同じようにそこに立っている。
「もう一度だけ機会をやる。――わしの前から消えよ」
それが最後通告だと、誰もが理解した。千聖も、その言葉の絶対的な意味を脳ではなく心が理解してしまった。
体と心の答えが一致する。
だというのに。
「……ここに来て、それでもなお笑うか」
それは、当人ですら理解できない行動だった。
体も心も逃走を望んでいるというのに、千聖は凌我へ剣を向けていた。
なにがそこまでさせるのか。千聖がそれを考えるよりも前に、
「よかろう。ならば、わしも応えてやる」
凌我が、凌我の中のなにかが千聖を敵として認めた。
ただそれだけで空気が変わる。今まで意識を向けられるだけで体を震わせていた千聖に、その敵意と向かい合うだけのキャパシティはない。
剣を構えたまま、動くことができない。
視界に映っていた凌我がこちらへ駆け寄ってくる。
先ほど見せた『
「貴様に罪がないことは知っている。罪の在処も知っている。じゃが――死んでも恨むなよ小娘。わしにこうさせたのは、他でもないお主なのじゃか……くっ!」
あと一歩で拳の間合いに入る。
そんなところで突然凌我の動きが鈍り体の軸がぶれた。
それも一瞬のこと。次の瞬間にはすでに凌我はもう一歩を踏み出していた。
何があったのかわからないが、彼の顔には先ほどまでの余裕が消えている。
けれど、振るわれる拳が見せる力量の差だけは、今でもはっきりと認識できた。
当たれば死ぬ。
それが分かっているにも関わらず体が回避行動をとってくれない。
スローモーションにすら見える極限の世界で、顔面に迫る拳の動きを彼女の瞳は一瞬たりとも逃すことなく捉えていた。
「……俺に……」
耳に届いたのは凌我の声。
さきほどまでの不遜なものではなく、絞り出すような声音だ。
絶対的優位に立っている凌我が、なぜそんな声を出すのか。今まさに死ぬ直前だというのに千聖はそんなことを考える。
もう彼の右拳は避けられないところまで来ている。
せめて最後の瞬間までそこから目だけは逸らさないと決め、極限状態での集中力を全て注ぎ込み彼の右拳を観察し――
「俺に力を貸すんじゃねえええええぇぇぇえええええええ!!!!」
――けれどそんな彼女の意識は、死角からたたき込まれた凌我の左拳によって一瞬で持っていかれるのだった。
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