第5話 剣+炎=全力
両の拳を打ち合わせて、最初のようにこちらに拳を構える。
その動き一つ一つがスムーズだ。感じていた違和感が消え去っている。
変化した凌我が起こした行動はシンプルだった。
動きが見違えたとはいえ、彼が超近距離の戦士ということに変わりはない。
どちらにせよ己の間合いに千聖を入れなければ戦いにすらならない。
ゆえに突進あるのみ。
ただ、さきほどまでとは速度が段違いだった。
『白紙』――そんな蔑称を置き去りにするかのごとく駆ける凌我は、明らかにただの落ちこぼれの域を超えている。
千聖は先ほどと同じように火球をぶつけることで対処する。ただし、今回凌我に向けられ放たれた火球の数は――ゆうに百を超える。
一つ一つが超高温の火球を軽々と百以上放つ千聖の力はさすがは神といったところだ。
だからこそ、それを対処しきる凌我の異常性が際立つ。
回避と迎撃を使い分け、凌我は最短で千聖にたどり着く。
凌我の間合いに千聖が入る寸前、銀の輝きが凌我へ振り下ろされた。
拳の間合いの手前、そこは剣の間合いである。
右上から左下への袈裟斬り。しかし振るわれた剣に手応えはない。
凌我は上体をわずかにずらし剣を避けきっていた。ひるむことなく凌我はさらに一歩踏み出す。
凌我と千聖の距離はもはや手を伸ばせば届く距離にまで近づいている。
――ついに、白紙が剣姫を間合いに捉えた。
眼光が千聖を貫く。千聖はその視線に痺れるような何かを感じながらも、一瞬も体を止めることなく、手の届く位置まで迫った凌我へ冷静に対応する。
顔めがけて放たれる拳を首を捻り回避する。振り下ろしたままだった剣を素早く引き戻し胴を両断するつもりで真横に一閃。
それを拳を真上から殴りつけることで無理やり無効化した凌我が、さらに追撃とばかりに彼女へ殴りかかった。
お互いに一歩も退かない超近距離戦。
見ている方が呼吸を忘れてしまいそうな白紙と剣姫の戦いは、五分を過ぎても途切れることはない。
『な、なんだよあれ』
『白紙があの火野さんとやりあってるなんて……』
観客がどよめく。誰か一人がその疑問を口にしてしまえば、それはまるで波のように広がり、観客を困惑の渦へと沈めていく。
千聖が剣技においてもずば抜けていることは、校内では有名な話だった。
その上彼女は努力家だ。となれば、彼女が武芸に秀でるのも当然の話である。
ツキモノは『炎神』、剣の腕も一流。ゆえに『聖火の剣姫』。
学園始まって以来の才女と言っても過言ではない彼女の二つ名の由来が校内に広まるのに時間はかからない。
だからこそ、全員が思う。
――なら、その天才とやりあってるあの落ちこぼれは何者なんだ。
***
「はっ、どうしたよ剣姫サマ。すげえ笑顔だぜ?」
千聖は凌我にそう指摘されて初めて、自分の口角が上がっていることに気付いた。
剣に映る自分の顔は、奥歯まで見せようとしているかの如く壮絶な笑みを浮かべている。
自分が笑っていることに気付くと、自分の心境の変化も感じ取れた。
彼女の心を満たす感情は――歓喜。
ただ気に食わなかっただけの目の前の男が、自分の心を熱くしている。
「は、はははっ。戦っていて楽しいだなんて初めてだわ!」
胸の内側が燃えるように熱い。その身に憑いた神よりもなお熱い何かが、内側から体を焦がしていく。
剣を打ち込むたびに、拳を避けるたびに、体が燃え上がっていくようなイメージ。
(こいつが
落ちこぼれの烙印を押された凌我は、ツキモノを扱う特訓を継続した上で身体能力の強化に心血を注いでいた。
ツキモノを扱うことは諦めない。ただし、弱いままでいることも許さない。ツキモノの力が届かないのならば――己の拳で殴るだけ!
凌我のそんな決意を、そして強さを求める理由も千聖は知らない。だが、神に届きうるまでその身を鍛え続けることが、どれだけ苦しいことかは想像ができる。
(こいつと戦えば――強くなれる)
彼女の心は強さに飢えていた。
戦っても戦っても人が神に勝てるはずもなく、ただただ無為に手にする勝利に次第になにも感じなくなっていた。
その飢えが、目の前の落ちこぼれによって満たされていく。
「ねえ、アンタはどうしてそんなに強いの?」
答えを知りたくてたまらない。頬を拳がかすめるのも構わずに、彼女は聞いた。
目の前にいるのは落ちこぼれのはずだ。
なにもかもに恵まれた彼女と違い、彼にはなにも与えられていない。なのに彼は一歩も退かない。自分を睨みつける視線に宿る敵意が衰えることはない。
どうしてそこまで戦えるのか。どうしたらそうなれるのか。
どうしたら――心を強く持てるのか。
「はっ、俺が強く見えるなんざその綺麗な目はただの節穴か? 俺は強くなんかねえよ。昔も今も弱っちい人間だ」
答えを求めた彼女に対し、凌我はいらだちを隠すことなく表情に出した。
その間も凌我は攻撃の手を緩めない。
右ストレート。凌我の拳が空気を裂きながら千聖の顔面を襲い掛かる。
だが、その拳が千聖に届くことはなく、ギリギリのところで千聖の剣が間に合っていた。
剣の腹で拳を受け止め、その反動で千聖は後ろへ跳んで距離を取る、
技術を必要とする受け流しでなく、ただ受け止めるという防御方法へ切り替えなければ間に合わなかった。
その事実が、余計に胸を熱くしてくれる。
「アンタの口からまさかそんなことが聞けるとは思わなかったわ。意外と自分に自信がないのね」
「ごちゃごちゃうっせえなぁ。俺はただ、全力で戦ってるだけだ。……まあ、才能に恵まれた剣姫サマにゃ分からねえ話かもしれねえが」
彼の言葉に千聖の眉が動く。彼女の怒りを表すように、周囲の温度が急上昇する。
「なによそれ、まるでアタシが手を抜いてるって言ってるみたいじゃない! ふざけないでよ、アタシだって――」
「本気でやってる? はっ、どうもマジもんの馬鹿野郎だな」
侮蔑。嘲笑。憐憫。
普段自分に向けられている感情をそのまま視線に込めたかのように凌我は千聖を見つめていた。
「てめえが本気でやってるってんなら、俺は今ここに立ってねえんだよ。さっきまでの俺なんざてめえが本気出しゃぁ瞬殺だろうが。それが今ここに立ってる。……てめえが俺と戦ってた時、何考えてたか当ててやろうか? 『こんなやつに本気を出すのは疲れる』――だろ」
「……!」
「そうだよなぁ、本気出すのは疲れるよなぁ、面倒だよなぁ。……んで、どこのどいつが本気で戦ってるって? もっぺん言ってみろよ」
凌我の嘲りに対し、千聖はなにも答えない。ただ、彼女の生み出す熱によって、彼女の周りが蜃気楼のように揺れていた。
まるで千聖の心のように。
「……そうね」
やがて、蜃気楼が消える。それと同じタイミングで千聖も口を開いた。
「本気を出し尽くしてたわけじゃ……ないかもしれない。アタシは強くなりたいと思っておきながら、自分の強さに慢心してた」
「なら、ちったあ本気を出すつもりになったか?」
凌我の言葉になにも返さず、彼女は剣を鞘に納めた。
彼女は足幅を広げ、腰を低くする。右手は剣の柄に当てられ、左手は鞘を握っていた。
一目見ればすぐに分かる。それは抜刀の構えだ。
「ちょっとの本気? とんでもない――今から見せるのは、アタシの全力よ」
彼女の眼が告げている。『本番はこれからだ』と。
凌我は嬉しそうに笑みを浮かべながらファイティングポーズをとる。
「全力たぁ心が躍るね。それにしても、さっきまで手ぇ抜いて戦ってたやつにしちゃ、ずいぶんと急な心境の変化じゃねえの?」
「アンタが変えたのよ。だからこれは、手を抜いたお詫びと……お礼」
慢心があった、油断をしていた、傲慢になっていた。強くなりたいと叫びながら、自分の強さに酔っていた。
胸の内の火は燻っていたんじゃない。自分が燃やそうとしていなかっただけだ。そんな人間が強くなれる道理などない。
ならばどうするか。そんな自分に凌我は答えを教えてくれた。
――全力で生きろ。
「ちなみに言っとくけど、この技受けたら多分死ぬから」
その言葉に、この試合を見に来ていた生徒や教師陣がさすがに慌て始めた。千聖の正面に立つ生徒に避難を促し、千聖本人にも静止の声をかけ始める。
獰猛に笑う千聖に、そんな言葉が届かないと分かっていながらも。
「そう言えば俺が逃げるとでも思ったか?」
「アンタなら逃げないでしょうね。……なら受けてみなさい。アタシの――神の全力を」
剣に
鞘に覆われているにもかかわらず、漏れだした熱だけで千聖の周囲の塵が燃えて消える。
「はっ。死ぬっつうのは誇張じゃねえみてェだなあ」
頬を伝ったのが、熱から出た汗なのかそれとも冷や汗なのか、もう凌我にすら分からない。
ただ一つ分かるのは、目の前の人間が自分に死を連れてこようとしていることだけ。
凌我には、すでに彼女の技の正体が分かっていた。
鞘の中に溜められた常識外の炎。
逃げ場を求め荒れ狂う熱を抜刀により一気に放出する。
それは焼き尽くす技ではない。世界を溶かす一撃である。
「溶け消えろ――
三日月の形をした斬撃が、地面を溶かしながら光の暴力となって凌我へ迫る。
神の全力。半端な迎撃などなにも意味を成さない。
ゆえに、千聖の最大火力に対し――凌我は瞬間最大火力を以って迎え撃った。
「
両足で地面を蹴る。コンクリートの地面が爆ぜる音と、肉がちぎれる音を伴って、凌我は弾丸のように前へ飛び出した。凌我の体は音速を超えるが、同時に凌我の足は使いものにならなくなった。
たった一回で戦えなくなる、一度きりの全力以上の大技。
全ては――世界を溶かす炎を打ち破るため!
「っらああぁぁぁッッッ!!」
世界を溶かす熱へ拳が触れる。
何かが焼ける匂いがする。焦げていく、燃えていく、溶けていく。
それでもなお――凌我は退かない。
なにもかもを溶かして進んでいた熱の暴力が、拳によって押しとどめられる。
一瞬だけ、神の炎と落ちこぼれの拳が拮抗した。
「勝負、あったわね」
自らの一撃を止められながらも、剣姫はそう口にする。
まるでその言葉が現実になったかのように、凌我が押し返されていく。
(だって、あなたの技は止められたら負けだもの)
彼の全力に敬意を払いながら、彼女は冷静に分析した。
飛び出した時点で凌我の足は使い物にならなくなっている。そんな足であれば踏ん張ることはできない。それはつまり、一瞬でも体が止まってしまえば、あとはもう押し返されるしかないということだ。
「あなたの全力、確かに受け取ったわ」
抜刀したままだった剣を鞘へと戻す。
――
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