第3話 拳÷剣=開幕
「信じられない……信じられないんだけど!!」
先ほど凌我のいた控え室に、凌我と悠一、さらに二人の少女の姿があった。
燃えるような赤髪の少女が、瞳に涙を溜めながら叫ぶ。その傍らには殺意を隠すことなく凌我へぶつける淡い青髪の少女が仁王立ちをしている。
対峙する凌我の後ろには、少女たちに怯えて震える悠一。
「女子のシャワールームに正面から入ってくるとか信じられないんだけど! アンタ名前は!?」
キンキンと耳が痛くなるような声で凌我を責め立てる少女に対し、凌我は悪びれることなくしれっとしたテンションで言葉を返す。
「俺は篠宮凌我、んでちっこくなってるこいつが佐藤悠一。二人とも一年D組だ」
「ふっ、D組か」
青髪の少女が初めて口を開く。彼女の瞳に宿るのは殺意だけではない。見下し嘲笑う侮蔑の意思が含まれている。
凌我を睨みつけ、彼の後ろにいる悠一も睨みつけると、再度彼らを鼻で笑い馬鹿にしたような声音で話し始めた。
「D組……Dランクのツキモノが憑いた生徒をまとめた落ちこぼれクラスだろう? それにD組の篠宮凌我と言えば『
この学校のクラス分けは非常に単純だ。憑いたツキモノのランクをそのままクラスに当てはめる。Dランクの生徒はD組に、Sランクの生徒はS組に。
自分のいるクラスがそのまま自分のステータスに変わる。ゆえにこの学校の生徒の大半は自分より上のクラスの生徒に強く出れないことが多い。
とはいえもちろん例外はいる。例えば『白紙』の名を持つこの少年がそうだ。
「はっ、さすが才能だけでのし上がった『水精の
「お、お前……! 言うに事欠いて私を頭が空っぽだと!?」
「
千聖がただ一言、青髪の名前を呼ぶ。それだけで、青髪の少女は踏み出した一歩を元の位置へと戻した。
その代わりといった感じで一歩前に進んだのは赤髪の少女だ。鋭い視線で凌我を見る彼女の眼にも、侮蔑の色がにじんでいる。
「その様子だと、こちらが名乗る必要はないみたいね」
「二人ともエリートの一年S組だろ? お前が神憑きの『聖火の剣姫』火野千聖。んで、そこの青いのが精霊憑きの『水精の盾』
「咲だ! 護堂院咲! 白紙風情が調子に乗るなよ!」
白紙、その蔑称を否定する人間はこの部屋には誰もいなかった。
千聖も、凌我を師匠と慕う悠一も、凌我本人でさえ誰も否定しない。
ブランク――空白、なにもない、転じて無能。
これだけ偉そうにしている凌我であるが、その実ツキモノを扱う才能については、学年最下位なのである。
対して凌我の目の前にいる二人は、蔑称などではない二つ名を持つ正真正銘の優等生。一年生の中の一位と二位だ。
「咲、気持ちは分かるけど少し抑えて。話し合いがまるで進まないわ」
殺気立つ咲と退く様子を見せない凌我。一触即発、といったところでその喧嘩を止めたのはまたもや千聖だ。咲は千聖の言葉には逆らえないのか、凌我へ射抜くような視線を向けた後、話し合いを進めるために口を閉じた。
「……ちょいと脱線しちまったが、話を戻すぞ。……まず、裸見たこたァ確かにわりぃと思ってる。それについちゃ素直に謝るさ。悪かったな」
正直あと二回ほど脱線することを覚悟していた千聖が、まっすぐに謝ってきた凌我に面食らう。彼女だけでなく、咲や悠一も少し驚いていた。
「な、なによ。普通に謝れるんじゃない」
「女子の全裸見てなにも感じないほど鈍くねぇよ」
「なら、それ相応の覚悟はできているってことだな?」
彼の態度を見た瞬間、咲が再び割り込んできた。声音は先ほどより冷静だが、隠しきれない殺意が彼女の怒りを表している。
「D組のお前がS組――その中でも神が憑いているとされている千聖さんの裸を見たんだ、停学……それか退学になっても文句はないだろうな」
「ああ? んにゃわきゃねえだろうが」
そんな彼女に対し、まるで臆することなく凌我はそう返す。眉間にしわをよせ、自分よりも一回り小さな少女を配慮なく睨みつけながら、
「裸見ちまったのは事実だがよォ、そっちもそっちで非がまったくねえわけじゃねえだろォが」
「くっ……」
女子用のシャワールームに入った凌我が悪いのはもちろんだが、千聖が備品を勝手に使用しシャワールームを個人的な理由で占拠していたのもまた事実なのである。
さしもの凌我も、【掃除中】の看板がなければそこが女子用だと気づいたはずだ。ゆえに千聖側にも非はあると凌我は主張する。
「ま、女の裸見ちまったんだ。こっちが完全に悪いってわけじゃねえとはいえ、数発殴るくらいなら甘んじて受けてやる。だがそれ以上ああだこうだっつうんなら話は変わるぞ?」
「白紙が偉そうに……! お前、千聖さんがどれだけ――」
「だぁかぁらぁ! そのうっぷん晴らす程度になら殴っていいっつってんだろうが! これでもかなり譲歩してやってんだぞ!」
「なにが譲歩だこの覗き魔!」
千聖を置き去りにして、凌我と咲の喧嘩はどんどんヒートアップ。
そんな光景を見かねてため息をついたのは、途中から完全に蚊帳の外だった千聖だ。当事者を無視して語調を荒げていく二人を見て、仕方がないといった様子で仲裁に入ろうとする。
ちょうどそのタイミングだった。
「覗き覗きうるせえなぁ! こっちだって見たくて見たわけじゃねえんだよ!」
単純に『故意じゃなかった』と伝えるためだけの発言。その意味を理解してさらに反論をしようと口を開きかけた咲だったが……その動きが止まる。
暑い。
さっきまでエアコンのおかげでちょうどいい温度に調節されていたというのに、明らかに温度が上がっている。エアコンの故障――などではない。
原因は、咲の横で下を向いて震えている少女にある。
「……せて……わね」
「あ? なんだ?」
「見たくないもの見せて悪かったわねって言ったのよ!!」
途端、千聖を中心に熱風が吹き荒れた。髪や肌、目を焼きかねないほどの熱に初めて凌我の足が一歩下がる。そんなことになど気づかずなおも熱源は荒ぶる。
「そりゃ傷持ちの女の裸なんて見てもいい気分じゃないでしょうね! 私だって見せたいわけじゃなかったわよ! だから、誰も入らないようあんな看板掛けたっていうのに……!」
言葉から少しずつ勢いがなくなっていく。それと同時に肌を焦がす熱風が弱まっていった。
泣きそうになる千聖の表情を見ながら、凌我は思い出す。
シャワールームの扉を開けてまず目に飛び込んだのは、燃えるような赤い髪。肩あたりまで伸びた赤い髪は水気を含み、照明に照らされ美しく輝いていた。
突然の乱入者に驚き見開かれた瞳は髪と同じく赤く、目鼻立ちは恐ろしいほどに整っている。視線を下に下げれば、魅惑的なラインを描く鎖骨。鎖骨をなぞって落ちていく水滴を目で追えば……現れるのは双丘である。
程よいお椀型のふくらみが二つ。さらに視線を下げ、あと少しで少年誌ではアウトな部分の表現に入ってしまうかという……その一歩手前で凌我の視線は釘付けになった。
傷。
右のわき腹からへそのあたりまで一直線にある傷は、まるで獣の爪跡のようだ。おそらくだいぶ前の傷なのだろうが……まるで消える様子のない悲惨な傷跡が、その傷がどれだけ深いものかを物語っていた。
確かに、それは同性か異性かなど関わらず、誰にも見せたくないものだろう。
千聖はひとしきり叫んだきり黙り込んでいる。事情を知っている咲や、傷のことを知らない悠一は何も言いだすことができず室内には静けさが満ちていた。
「はっ」
重い雰囲気をぶち壊すように千聖を鼻で笑ったのは、この雰囲気を作った原因の凌我である。
「傷の一つや二つでガタガタうるせえな。んなことでいちいちキレてんじゃねえよ。誰もそれ見たくねえなんざ言ってねえだろうが」
「なによ、じゃあ見たいっていうの?」
「見たいとも見たくないとも思わねえ。どうでもいいんだよそんなもん」
あっけらかんと言いきった凌我に千聖の怒りが再燃し始める。
再びの熱風。全身傷だらけのせいで、おそらく咲や悠一よりもその熱の被害を受けているはずの凌我は、しかし一歩も退くことなくむしろ熱源にさらに一歩近づきながら、
「傷なんざただの容姿の一部分だろうが。んなもん受け入れられねえなんざ、見たやつの器がちっせぇだけだ。お前がああだこうだ考えることじゃねえよ」
……熱風が少しだけ収まる。遠回しで不器用な凌我の気遣いが、すさんでいた千聖の心を穏やかにしていく。
「それに、女の価値はそんなところで決めるもんじゃねえだろ。もっと大事なとこで決めるもんだ」
「な、なにで決めるのよ」
もうすでに熱風は止まっていた。千聖の怒りはすっかりと消えており、彼女の心は凌我の言葉の続きを今か今かと待ちわびてしまっている。
どれだけ気を付けても、この傷を見られることは何回かあった。見た人間は決まって気まずそうにしながら『自分は気にしない』と言ったものだ。それは、横にいる咲ですら例外ではない。
その優しさが辛かった。まるで突き放すようなその言葉が、心に小さなとげを刺していくようで逃げ出したくなった。
けれど、目の前の男は違う。彼は躊躇なく『気にする奴が悪い』と言い切り、そのうえで『お前は何も気にしなくていい』と言ってくれた。
そんな彼が、いったい何を基準に女性を判断するのか気になる。
「んなもん決まってんだろ。そりゃあ――」
彼が何を言うか分からないが、彼女は次の言葉を聞いたら裸を見られたことは水に流そうと決めていた。
だからこそ――
「女の価値は胸の大きさだろ」
――彼女がぶちぎれたことを、誰も責めることはできはしないだろう。
「ふざけんなあああああ!!」
もはやそれは熱でなく炎となって凌我に迫る。
バチバチとはじける火花を目の前にしながらなおも凌我は余裕を崩さない。
「ふざけてねえよ。本気だ」
「なおさら悪いわよ!!」
「ち、千聖さん! 落ち着いてください! 部屋のいろんなところが燃え始めてます!」
横にいた咲がさすがに慌て始める。咲にこそ被害はないものの、近くの椅子や机が燃えたり溶けたりし始めていた。遅まきながらそれに気づいた千聖が深呼吸して炎の勢いを少しずつ弱めていき、やがて炎は姿を消した。
「落ち着いたか? ほら、殴るんなら早くしてくれよ」
「ふん! 無抵抗の……しかも傷だらけのアンタ殴ったって気なんて晴れないわよ!」
「……ああ、なるほど」
千聖の言葉の意味をくみ取った凌我が凶悪な笑みを浮かべる。目をらんらんと輝かせるその姿は、まるで欲しがっていたおもちゃを買ってもらった子供のようだ。
そして、千聖はその期待通りの言葉を告げる。
「篠宮凌我――アンタに模擬戦を申し込むわ!」
「いいぜ。売られた喧嘩は買うのが主義だ。喜んで買ってやらぁ!」
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