第2話 拳+剣=事故
「だあああ! また負けたああ!!」
少年の叫びが室内に木霊する。
黒髪短髪の少年――
彼がいるのはそこまで広くはない部屋だ。机や椅子といった最低限のものは置かれているが、生活感はまるでない。
それもそのはず。ここは誰かの部屋ではなく、
「ちょ、師匠! さすがに今日は病院行ってくださいってば! それはまずいっすよ!!」
室内にはもう一人。茶髪で少し気の弱そうな同年代の少年――
悠一が慌てるのも無理はない。凌我は傷だらけ――というか血まみれだった。
両腕には決して浅くはない切り傷があり、左足は擦過傷が多々見えている。かきむしっている頭からは今も血がどくどくと流れ出しおり、彼の着ている制服を徐々に赤色に染め上げていた。
「いいんだよこの程度の傷なら! 痛くねえわけじゃねえが寝りゃ治るんだから! それより……三連敗って! 模擬戦三戦三敗ってさすがに情けねえよ!」
「い、いやさすがに仕方ないっすよ。だって相手は一個上の二年生……しかもB組の先輩っすよ?D組の師匠があれだけ戦えれば……」
「BだのDだの、んなもんただの『ツキモノ』のランクでしかねえだろ。俺たち自身の強さにゃなんも関係ねえんだから、負けた理由にゃならねえよ……」
脇に置かれたペットボトルのふたを乱暴に開け、中の水を一気に飲み干す。口からこぼれた水を腕でぬぐい……傷口に染みてしまったのか顔をしかめた。
「……こんな血まみれじゃ寝るのもままならねぇ。シャワー浴びてくる」
「良かったら一緒に行くっすよ」
悠一と呼ばれた少年はもう彼を止めるのを諦めて、せめて少しでも早く休んでくれるよう手伝うことに決めた。そんな彼の気遣いを知ったうえで、『いや』と少年は同行を断る。
「簡単に食えるもん買ってきてくれ。腹が減って仕方ねえんだわ」
「了解っす! じゃあこれ見ながらシャワールーム探してくださいっす」
そう言って悠一がポケットから取り出したのは生徒手帳。演習場の地図のページを開いたまま手渡すと、そのまま部屋を出ていってしまう。
凌我はその地図を軽く見てから、控え室を出てシャワールームを目指す。
無駄に広い廊下。円形の演習場の周りに沿うように作られた建物は、ゆっくりと曲がりながら続いている。ただの演習場なのにたくさんの扉があったり、地下へ降りる階段があったりと中々に冒険心をくすぐるつくりだ。
いつもなら気の向くままにいろいろな部屋に入る凌我だが、今はそれよりもとにかく血を洗い流したくて目的地へと足を急がせる。
【掃除中】
ようやくたどり着いた目的地にはそんな看板がぶら下げられていた。膝から崩れ落ちそうになるのをなんとかこらえて、血の足りなくなった頭で考える。
掃除中ならばホースで洗うなりなんなり、水を流す作業があるだろう。掃除をしている人にははた迷惑かもしれないが、それを無理やりにでも借りて血だけでも洗い流させてもらおう。
ノックもせずに扉を開く。
そこで少しだけ血が足りずにまともに働かない脳が問いかけてきた。
――あれ、男子用って書いてあったっけ。
その問いに答えが出たのと――中にいた全裸の美少女と目が合ったのは、同じタイミングだった。
***
意思疎通はできず、本当にいるのかすら不明。しかし宿主とは異なる法則で確かに存在する正体不明のなにか。
『ツキモノ』
そう名付けられた『なにか』が人間に憑くようになったのはもう百年近く前の話だ。
生まれた時から人間に憑いているツキモノは、その能力や霊格の大きさによりSからDランクに分類される。
普通の生活を送るだけであれば、義務教育までの指導内容だけで十分なのだが……人間を襲う『霊獣』を相手に戦う『
Sランク、つまりは最強ランクのツキモノが憑いている彼女は、その日も一人で特訓に励んでいた。
その日、久々に昔の夢を見てしまった彼女はいつもより特訓に熱が入ってしまい、汗や泥で汚れてしまっていた。なぜだが無性に汚れが気になってしまった彼女は、部屋に戻る前に汚れだけ洗い流してしまおうと決意。
自分のいた第三演習場は今も人が何人かいる。おそらくここの演習場備え付けのシャワールームには先客がいることだろう。そしてそれは他の演習場も同じようなものだ。
とある事情により同性にも裸を見られたくない彼女にとって、誰かのいるシャワールームに入るなど絶対にありえない。そう考えた彼女が思い出したのは、今日行われる模擬戦――という名目の喧嘩だ。
二年B組の生徒ともう一人は……一年D組の落ちこぼれだったか。きっとその模擬戦の行われる演習場であれば観客はいてもシャワーを浴びる人などいないだろう。
彼女の予想通りそのシャワールームには誰もいなかった。それでもなお不安を感じた彼女は近くの用具室から勝手に【掃除中】の看板を持ち出し、扉にひっかけて誰も入らないよう細工をした。
ある程度汚れを洗い流したところでシャワーを止める。部屋に一人でいれば気が大きくなってしまうのは人の性だ。個室を出てパパパッと体を拭けばいいものを、鼻歌まじりにゆっくりと髪の毛から水気を取っていたものだから温まった体が少し冷えてしまった。
早く服を着て、髪を整えよう――そう思った矢先、開くはずのない扉が開く。
完全に油断したせいで、千聖は自身の裸を隠すことを一瞬だけ忘れてしまった。
裸を隠すことを思い出すのと――血まみれの少年と目が合ったのは、ほぼ同時だった。
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