第5話

「えーと、もしかして城ヶ崎さん?……」

「か、勝俣くん……」


 シチュエーションだけ見れば、恋人が彼氏の見舞いに来ているように思えるが、実際はそんな甘々なものではなかった。

 今の勝俣くんの目に私が確実に映っているはず……だけど、彼は『もしかして』と言ったのだ。


 少し前の出来事がフラッシュバックする。

 美樹さんに対抗して、勇気を出して声を掛けて、そして返ってきたのは……。


『えーと、誰だっけ?』という言葉だった。


 当時のことを思い出すと、悔しくて、思わず涙がこぼれそうになるけど、何とか踏みとどまった。


 もう、ダメなのかもしれない。

直感でそう感じてしまった。

今の私の存在は勝俣くんの中では何も響いていないのだ。


 自分が思っているほど、私は誰からも好かれている訳ではない……そんな当たり前のことが、今思い知らされたのだ。


「風邪の具合はどう?」


 機械的に口から言葉が出てくる。


「えっ? ああ、大分よくなったよ」

「そう。よかったね」


 きっと、今の私は微笑を浮かべているだろう。

 でもそれは、本当の私ではない。本当の私は今、悔しさと悲しさで溺れかけているのだ。


もう、勝俣くんには関わらない方がいい。

 これ以上、彼のことを考えると自分が自分でなくなってしまう。


「あの、これ……」


 カバンから、さきほどコピーしてきたノートの写しを取り出す。


「一応、今日の授業で私がとったノートのコピー。よかったら使ってね」

「えっ、うん。ありがとう」

「それじゃあ……私、帰るね……」

「……うん」


 ゆっくりと立ち上がって玄関に向かう。


「今日はお邪魔しました。紅茶、美味しかったです」

「そんな、大してお構いもせずに……」


 お母さんが申し訳なさそうにするけど、そんな顔はしないでほしい。


「それじゃ、また明日」

「今日は、ありがとう」


 本当は少し涙がこぼれそうだった。

けど。最後まで私はきっと笑顔でいたんだと思う。


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「城ヶ崎さん、帰っちゃったね」


 妹の友里が呟く。

 城ヶ崎さんがこの家を出てから、しばらくの間、オレたちの間で会話はなかった。


「すごく可愛い子だったわね」


 母さんも微笑んでいるが、悲しげな目をしているのが分かる。


 その理由はオレにある。

 でも、そのことには母さんも友里も触れないでくれている。


 オレはさっき手渡されたノートのコピーを眺めながらソファに腰かけた。きっと相当苦い顔をしていたはずだ。


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「それで、どうだったの?」


 朝、気持ちが沈んだまま登校しているところに、美月が声を掛けてきた。

 一応、彼女なりに気にしてくれたんだと思うと、嬉しい反面、昨日の辛い気持ちがまた膨れ上がってくるのが分かる。


「うん……もう諦めることにした……」

「えっ、どういうこと?」

「私、自分のことが嫌になっちゃった……」


 こんな落ち込んだ姿を美月に見せたのは2回目だ。勝俣くんに『誰だっけ?』って言われて教室から逃げ出したとき以来だ。

 不安げな顔をする美月に、昨日のことを説明した。


 これまでは何とかなると思っていた。

 私のことを知ってもらえれば、必ず振り向いてもらえると。

 でも、そうではなかった。

 彼の心の中に、私の存在はまるでなかったと気付かされたのだ。


「そうなんだ。でも、私は納得できないな」

「えっ?」

「だって、興味がないかもしれないけど、あんまりじゃない?」


 美月は私の代わりに怒ってくれているようだけど、突然、家に押しかけるような形になったのは申し訳なかったと思う。

 もしかしたら迷惑だったのかもしれない。


 ただ、妹さんが言っていた『勝俣くんからのお話』というのが気になってしまう。

 それまでは歓迎ムードだったのが、その言葉をきっかけに急に変わってしまった。

 まるで……仲間外れにされたような感覚だった。


「でも、琴音が落ち込むことはないよ。男は星の数ほどいるんだし」


 あえて軽口を叩くことで、私を励ましてくれる美月。

 本当にいい友達がいてありがたく思う。

 でもどうして、勝俣くんにはこういう友達がいないのだろうか。


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 教室に入ると、いつものように自然と勝俣くんの方へ目が向いてしまう。

 ここ最近は、彼のことを知ろうといろいろ考えていたから、つい癖のようになってしまったのだ。


 相変わらず、彼は静かに、誰と会話することなく本を読んでいた。


 私には私の世界があるように、勝俣くんもまた自分の世界があるんだろう。

 友達を作って楽しく過ごすことも、一人でいることも、それぞれが望んでいる限り平等なのだ。

 決して、誰からも責められるべきことではない。


 きっと、私はいつも一人でいる勝俣くんを知らないうちに見下していたのだろう。

 友達と仲良くすることと、一人でいること。どちらが上かなんて比べる意味はない。


 もしかしたら、今回の罰ゲームでそれに気付くことが出来たことは、私にとって幸運だったのかもしれない。



 勝俣くんへの執着がなくなると、私は自然と気持ちが楽になっていた。


 それまではどうやって彼を振り向かせるかばかりを考え、彼の気持ちを考えることはなかったのだけど、自分のつまらない自尊心やこだわりを捨てることで目の前が明るくなった気がする。


「もう、城ヶ崎さんってお茶目なんだから」

「そう? でも普通だよ」

「あはは。城ヶ崎さんって面白いね」


 それまで腫れ物に触るように遠目から私を見ていたクラスメイトたち。

 それまでの虚勢を捨てて、まずはあいさつからと思い、少しずつ付き合いを始めていくといつの間にか友達が増えていた。


「何か、最近の城ヶ崎さん、変わったよな」

「うん、相変わらず可愛いけど、何というか親しみを感じるな」

「そんなこと言って、お前狙ってるんじゃねーの?」

「べ、別にそんなことねーよ」


 振られた直後は、悔しさだけが感じられて大切な時間を無駄にしたけど、今ではそのおかげで本来の自分になれたような気がする。


 きっと、これは勝俣くんのおかげなんだと思う。


 勝俣くんから、話があると言われたのは、そんな幸福を感じていたときだった。

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