第25話 伏鳥さんは和解がしたいっ!その①

 軽井沢旅行二日目。大広間の朝食バイキングの場には今回の旅行主催者である麗香の姿はなく、その麗香と口論を繰り広げたイチカの姿も同様に見えなかった。


「おい、橘。やってくれたな」


 後ろからやってきた吉野が俺の肩を掴んで揺らす。からかい六割、苛立ち一割、嫉妬三割のブレンドで事実を確かめようとする笑顔を取繕ったその表情が友人であるのに、と寂しく思えた。


「昨日の夜、伏鳥と杉本がお前を巡って修羅場だったんだって?旅行二日目だってのに、どうすんだよこの空気」


 目線を前に戻すと大広間はがらんと空席が散らばっており、長テーブルの端っこでハルが皿に盛られた野菜サラダを頬張っている。昨日の夕食を問題なく平らげた俺を毒見代わりに見ていたのかは知らないが、出された野菜が安全だと判断して口にしているらしい。封をきったばかりの大手食品メーカー製のドレッシングがテーブルの目に付く所に置かれてある。ハルは俺をちらりと眺めるとまたすぐに手に持ったフォークを皿の中を転がるプチトマトに突き立てた。この喧嘩に対しては我関せず、といった態度である。


「とにかくこのままじゃマズイよな。早くふたりを仲直りさせないと」


 遅れて来た片岡が俺達に合流してそう呟いた。まったく噂が広がるのは早いものだ。数時間前の深夜に起こった騒動が不穏な空気を纏って屋敷全体に知れ渡り、殴った、暴言を吐いただの事実と異なる炎上案件と化している。


「大した騒ぎじゃない。すぐにふたり共、部屋から出てくるはずさ」


 平静を取繕ってテーブルの椅子を引く。近くに居るスタッフを見渡す俺の様子を見てハルが小さく嗤ってみせた。


「タチバナくん、朝ごはんはバイキング形式ですよー?ふたりが喧嘩したのは自分のせいだって責任を感じてるんじゃないですかー?正義マンは本当に嘘ついたり誤魔化したりするのが下手ですねー」


 からかわれて慌てて席を立つ。吉野と片岡のふたりは既に食べ物のあるコーナーに向かっていて俺はその背中を追いかけるようにして歩いて行く。正義の味方か。ハルの言葉を受けて俺は昨日の自分の言動を顧みる。


「正義心、喧嘩仲裁、俺のせい」

「おい、橘が一句詠んでるぞ」

「今更悟り開いても何も解決しねーぞ。男だったら行動で示せ」


 片岡に背中を叩かれて俺は正気を取り戻す。その通りだ。言い違ったままのふたりを放っておく訳にはいかないだろう。



「お待ちしておりました橘様。どういったご用件で?」


 屋敷の一階にある執務室。事前にアポイントを取った俺が摺り硝子のはめられたドアを開けると権多さんが笑顔で出迎えた。部屋の中には背の高い本棚が向かい合わせて一面に置かれている為、仕事部屋というよりかは図書室のように感じられる。手前の本棚に置かれた六法全書の背表紙を眺めた後、俺は権多さんに話を切り出した。


「麗香の事について教えてください。権多さん達との関係やこの屋敷についても」


 俺の言葉を受けて権多さんは静かに頷いた後、「こちらへどうぞ」と指し示して吹き抜けの応対室に招かれた。麗香と直接会って話をしたいのだが、身の回りの世話をしている女性スタッフに麗香は気分がすぐれないので誰とも話したくない、という説明を受けて俺は麗香と永い付き合いのある権多さんに話を伺う事にした。


 黒革の巻かれたパイプ椅子に座ると机を挟んで向かいに座った権多さんがごつごつした血管の浮き出た老木のような手を机の上で組んで静かに語り始めた。


「まずは私が麗香様と出会った所からお話しましょう。私の祖父はある企業の社長を務めておりました。しかし経営が上手く立ち周らずに従業員を大勢解雇し、破産申告を役所に申し出ようとしたその時、社長室にひとりの美しい少女が現れました。当時の麗香様はいわゆる株取引を生業とされていて、当社と結び付きのある会社のいくつかを買収し、会社の存続に大きく貢献なさってくださいました」


 高校生である俺に対して分かり易い言葉を選んで権多さんは目の前の空虚に昔の姿を映像として現すようにして視線を向けている。麗香が株をやっていたなんてもちろん初耳だし想像もしてみなかった。うん?待てよ。権多さんの話を聞いてインサイダー取引、という言葉が頭に浮かぶが権多さんの幼少期を考えるに株の取引は今と比較して大らかな時代だったのだろう。


「麗香はどうして権多さんの会社を助けたのですか?」

「祖父の会社は昭和初期に創立された観光用のボート制作する今で言うニッチ企業でした。麗香様はうちのスワンボートをいたく気に入られて名古屋の旧宅に住まれていた頃に数台所有していたと記憶しております」


 麗香らしいな。意味がわからない。とりあえず権多さんの話に頷くと感謝を述べるように胸に手を置いて権多さんは深い顔の皺を延ばして目を細めて話し始めた。


「麗香様の手助けがありまして、会社経営が再び軌道に乗り始めた所で父が会社を継ぎました。その時に私を麗香様のお世話をするようにとお嬢様が生活なさっている名古屋にある屋敷に招かれました。父は危機を救っていただいた麗香様に召使いとして私を差し向けたのです。同じような理由で麗香様の為にこの屋敷で勤める者が数名居ます。ほとんどがこの旅行の為に麗香様が臨時的に雇った従業員ですが」


 権多さんの話を聞いて俺は麗香に頭が上がらなかった。この旅行の為に、わざわざ俺達の為にそこまでしてくれたのか。それなのにあんな思いをさせてしまっている。反省している俺を見て権多さんが顎鬚を撫でて俺に訊ねた。


「橘様は麗香様とはどのような関係で?」

「いえ、友達以上、恋人未満といいますか……」


 話を誤魔化そうと身体を背けると真剣な眼差しをして権多さんは問い続けた。


「フシである麗香様のお気に召すとは橘様も人知を超えた特殊な力を持っているはず。しかし頭髪の量を見ても河童という事は無いでしょうし、西洋から渡ってきた吸血鬼の末裔でしょうか?それとも痩身のその名残から一旦木綿の生き残りという線も……」


 ちょっと待って権多さん。俺、妖怪や魔族じゃない。

 立ち上がる俺を気にも留めずに権多さんはRPG辞典でしか聞いた事の無いような物騒な名称を挙げている。


否、我、ボーイ。

否、我、普通のボーイ。

否、我、どこにでも居る男子高校生である。


 クトゥルフ、九頭竜のほとんどを言い終えた所で「冗談ですよ」と口髭が笑い声と一緒に上下に揺れる。からかわないでくださいよ、と俺が呟くと笑いの収まった権多さんが嬉々として話す。


「いえ、私も麗香様の下で長年仕えておりますが今回のようにお友達を招かれたは初めてでございます。私も貴方たちがどういった人物か興味があったのですよ。ちなみにこの屋敷は麗香様が社会勉強の一環として水商売をされていた頃にお客様として通われていた資産家の家族が遺したものです」


 それを聞いて俺は唾を飲み込んだ。水商売とは不純な動機を抱えた男共が集まる場所。明るく、見た目の派手な麗香が複数の男と浮名を流していたのではないかと、どうしても気になってしまう。


「ご心配なさらずに。麗香様はフシですのでお客様と個人的な接触を持ったという話はありません。いや、持つ事が出来ないというべきか。プライベートな話でしたね。忘れてください」


 俺の心を見透かしたように権多さんが微笑んだ。権多さんの言うフシだからとはどういう事だろう?昨日二階の衣装部屋に置かれた幼児用のぬいぐるみや年配向けの下着を見かけた事からこの屋敷には家庭を持つ資産家の男が家族と一緒に住んでいたのだろう。穢れを知らない譲り渡されたこの屋敷を別荘とする美しい不老不死の少女のその半生にも満たない半世紀程の昔話。緊張が解けた俺は権多さんにこんな質問も投げかけてみた。


「麗香の近くで働くにあたって、あいつを好きになってしまった事はないですか?」


 俺の問いに権多さんはしばらく考えた後、はっきりとした声でこう答えた。


「麗香様に対してはそのような感情は畏れ多くて持った事はありません。麗香様は私達の母であり我々人類の始祖なのですから」


――ハルの書庫で読んだ本の人物と同じだ。この人も麗香の常軌を逸したその魅力に陶酔している。妄信は思想として危険なのかも知れないが俺はその想いが科学技術の発展と共に失っていった相手を心から敬うという、正当な人と人との美しい繋がりのようにも感じられた。


 机の上に載せられた権多さんの腕に視線を落とす。死んだ祖父と似たような年代の権多さんの指には未だ指輪は巻かれていない。


「おい、橘!ちょっと来てくれよ!」


 暖かい空気に浸っていた身体を揺り動かすように俺を呼ぶ声と同時に騒々しくドアが開く。


 入り口を降り返ると吉野が息を切らして肩を上下に揺らしている。どうやら廊下を駆け抜けて来たらしい。それを咎めるように席を立って近づくと吉野は鼻を膨らませて俺にこう告げた。


「片岡のヤツが、男をみせようとしている」


 高揚した気分の吉野を鼻で笑うと俺は奥の権多さんを振り返ってありがとうござしました、と頭を下げた。


「礼なんて後にしろ。杉本の部屋に急ぐぞ」


 俺の首根っこを掴んで廊下を歩き出す吉野。また面倒な事にならなければいいが。握り締める手を振り解いて俺達はだだっ広い廊下を急ぎ足で通り抜けた。



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