第23話 伏鳥さんは出掛けたいっ!その③

 午前一時、ハルに呼び出された洋館二階奥にある衣裳部屋。


 中央に置かれたロッキングチェアーの横にハルが立ち、ゆっくりと静かにドアを開けて入室した俺に小さく頭を下げた。ハルは入り口に近づいて聞き耳を立てるが屋敷は静まり返って物音ひとつ聞こえない。


「面倒な連中にはつけられていないようですね」


 ドアから耳を離し、部屋の中で俺とハルが向かい合う。ハルが差す連中というのは吉野や片岡の事だろう。フシとの厄介事にこれ以上一般人を巻き込む訳には行かないという強い使命感を感じるがその熱意が今の俺にはどうも疎ましい空回りに感じられて仕方が無かった。


 そんな俺の考えを察したのか、ハルはむっとした表情で俺の顔を見上げている。


「なんだよ、俺を疑ってるのかよ」


 視線に堪えきれずに声を出すと「あなたは疑わ無さ過ぎです」と俺を咎めてハルは中央の椅子に歩み寄った。どうやらハルは俺の振る舞いに不満があるらしい。


「ここはフシが根城とする場所なんですよ?それなのに連れの男子に何も注意を促さないなんて不用心過ぎます。その上、毒を混ぜ込みやすい根菜のサラダをおかわりまでするなんて」


 ぐちぐち説教を始めるハルに適当に返事をして、部屋の間取りを見渡した。

 麗香の話によると普段使用していない部屋は前のオーナーの所持品や現状を維持しているらしく、シーツの皺が延ばされたベッドには麗香の所有物とは思えない貴婦人が着るような華美なキャミソールが敷くようにその場に添えられていた。


 部屋の奥には年季の入った傷だらけの机が置かれ、壁には模倣品のレンブラントの絵が額縁に飾られている。「ねぇ、聞いてるんですか」ハルの強い言い分に俺は視線を前に戻す。


「貴方はフシの力を軽く見過ぎです。人の心を操るという事がどれだけ怖ろしいか理解していない。以前自分の身を大事にしろと貴方に言われましたが、そっくりお返ししますよ」


 少しトーンを下げないと近くの部屋に居る人に気付かれそうな声。それを気にも留めない様子で俺に真剣な眼差しを向けてハルは続けた。


「その昔、フシに滅ぼされた村があります。村の男衆がひとりの美しい女性を争って殺し合いを始めたと伝えられています。争いの果てに残された女は村の権力を握り、政治的に村を支配しようとしますがそれを良しとしない同士の手によって討ち殺されました」

「フシが死ぬだって?何言ってるんだ」


 ハルの話を俺は呆れて鼻で笑い飛ばす。ハルの再生能力は防人であるハルが一番良く知っている筈だ。死なないからフシ。一般人がフシを殺せるとは思えない。そんな作り話までしてお前は俺にどうさせたい?


「死にますよ、フシは」


 抑揚の無い冷たい口調でハルは言う。


「あの小屋でフシの再生能力について書かれた本を読ませましたよね?」

「フシの超再生のからくりは常識を超えた体細胞分裂」

「その通り。フシも人間とは比べ物にならないほどゆっくりとですが、細胞が老化していきます。それに繰り返しの再生による細胞の劣化。再生回数の限度を超えるとフシは身体を元に戻す事が出来ません。そうなると不死身のフシにも事実上の死が訪れるという事になりますね」


 俺はそれを訊いて愕然とした。骨や筋肉、臓器や血管。生物が生物足らしめる『部品』には必ず使用寿命が来る。フシもその例に漏れず、その寿命を先延ばしにしているだけなのだ。頭に浮かんだ真偽を確かめるべく俺はハルに問い質す。


「さっき言った昔話は本当か?」

「ええ、小さな記事ですがその惨状は地方紙にも載りました。衛生管理の行き届いていない用水路が血溜りでぬめり上がるほどのショッキングな事件だと地元警察が伝えていました」


 身震いするような残酷な現実。俺は頭に海外の魔女狩り現場のような凄惨な光景を思い浮かべた。

 そのフシは何度も何度も、吸血鬼が心臓に杭を打ち込まれるようにして生き返る度に殺された。「ときにタチバナくん」ハルに呼びかけられて顔を上げる。


「あのフシはいつから膝の下を擦りむいたままですか?」


――身体を支える背骨に電流が走る感覚。祖父を守るためにトラックに轢かれて以来、麗香は俺の前で再生能力を披露していない。階段で転んだり、プリント用紙で指を切ったりして出来た細かい傷はすぐに修復する事は出来るが、身体全体を元通り百パーセント戻すというのは出来なくなっている。


「あのフシに修復能力が無くなった、という訳ではないです」


 俺の考えに追記するようにハルが言葉を伝える。


「わかり易くたとえ話をしましょう。フシは今まで人間で言えば死に至る大怪我でも望めばすぐに元通り身体を修復する事が出来ました。でも今のフシは九十五パーセント程までしか治せなくなっている。この五パーセントは大きいです。人間で言えば常に強い頭痛を感じている様な症状です。フシには痛覚があると化学的に立証されています。表情には出していませんが痛みを感じている。まさか裸を見せ合う関係性では無いと思いますが、フシにはまだ身体に重症を負った時の傷がのこっている筈です。そしてこの症状はタチバナくん、あなたのせいだともいう事が出来ます」

「俺が麗香に何度も重症を負わせてしまった事か」


 俺がそう言うとハルは大げさに「はぁ」と息を吐き出して頭を下げた。


「ほんっとに貴方はにぶいですね。なんだか意識が散見して何も手に付かない。身体が火照っていう事を利かない。このような症状は何だと思いますか?」


 ハルがロッキングチェアーの背もたれを揺らして俺に問い掛ける。そこではっと気が付くとハルは俺の解答を聞かずして正解を読み上げた。


「そう、恋です。あのフシは貴方に恋をしています」


 恋。その言葉が俺の身体に鎖のように絡み付いていく。相手が普通の女の子であれば心に花が咲きそうな素敵な言葉であるが相手は魔術にも似た人心掌握で歴史を影から動かしてきた不死身の存在である。


「やっと、事の重大さを理解し始めましたね」


 きゅらり、きゅらり。前後に揺れるチェアーの動きを背もたれを掴んで留めるとハルはさっきの言葉に付け足した。


「恋は私が考えるに、ひと時の思い違いにも似た勝手な熱病です。相手の事など顧みずひたすらに自分の中で創り上げた理想の相手を想い込む。永遠にも似た寿命を持つフシに愛されるなんてお気の毒。そんなの私からしたら呪いと同義です」


 ふいに鈍器で頭を殴られたように視界が斜めにぶれ動く。フシである麗香は俺に恋をしている。それが麗香の身体にも影響を与えている。俺は、俺は麗香をどうしたいんだ?頭をもたれるとハルがポケットをあさりながら近寄ってきた。


「フシに一番近い関係にある貴方にこれを渡しておきます」


 差し出された手に握られていた小型の注射器。付き合い始めた時に採血と言って麗香が俺の腕に突き立てていた器具と同じメーカーだ。押し子が引かれ、外筒には緑がかった液体が収められている。


「以前見せたフシが苦手とする高濃度のアルカロイドです。これを脇の下のような毛細血管が集まる箇所に打ち込めばたちまちに細胞が崩れ落ちて身体の瓦解が始まるでしょう」

「俺に麗香を殺せっていうのか。ふざけるなよ。そんな事が出来る訳無いだろうが!」

「大声出さないでくださいよ。誰かに気付かれますって。それに深夜です。お静かに」


 たしなめるハルを睨んで歯を食いしばって怒りを押し殺す。渡されて握り締めた注射器を床に叩き付けようとして、止める。


 落ち着け、深呼吸だ。話題を替えよう。俺は三秒間、支柱が剥き出しの天井を見上げるとゆっくりと声を整えてハルに訊ねた。


「さっきの話だが、フシを殺すにはあのやり方しかないのか?フシが持つ再生回数を超える以外に」


 ハルは下唇に指を当てるとくすっと笑顔を浮かべてこう言った。


「そうですね、例えば火山の噴出を利用して宇宙に追放するとか。他には地球人のみんなから元気を分けてもらってエネルギー波をぶつけるとか」

「漫画の話かよ。真面目に教えろ」


 俺の返しを受けてハルは含み笑いを堪えている。この女、シリアスな場面でふざけやがって。すると廊下の奥から足音がふたつ、こっちへ近づいてくる。


「隠れて」


 ハルが俺の腕を引っ張って部屋の奥へと導いていく。おいおい、なんで隠れる必要がある?見回りに来た大人に咎められるのが恐いのか、と訊ねたい所だがハルは持ち前の怪力で俺を長箪笥ながたんすの前に立たせた。まさか、この中に隠れろと言うんじゃないだろうな。青い妖怪に追い回されるホラゲーじゃあるまいし。


 そうしている間にも足音が部屋に近づいてくる。ああ、そうかよ。分かったよ。俺は覚悟を決めてハルの次の指示を待った。



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