第22話 伏鳥さんは出掛けたいっ!その②
澄んだ空気に見渡す限り何も無い野原。突き抜ける爽やかな風。
召使いの権多さんが運転するリムジンで麗香の別荘に着いた俺達は荷物を出迎えた担当者に預けると権多さんが別の4WD車を転がして麗香の所有地だという広場にやってきた。目の前の管理の行き届いたテニスコートでは吉野と片岡がペアを組んで麗香・ハルのペアとネットを挟んで向かい合い、レクリエーションがてらのバドミントンに興じている。
イチカは独特のリムジンの揺れに少し酔ってしまい、俺と一緒に見学。大自然の中ですぅーと深呼吸をすると胸の奥まで新鮮な空気が浸透してくる感覚がある。
「てゆーか、本当にわたし達、軽井沢に来たんだねー。麗香ちゃんの冗談だと思ってたけど」
用意してもらったリゾート用のサマーベッドに寝そべるイチカが額の手ぬぐいを持ち上げると空気を深く吸い込んで空を見上げた。俺も同じように顔を上げて乾いた夏の日差しを一身に受ける。どこまでも広がる青空が地球は円形である事を思い出させてくれる。
「それでさ、こないだのミスコンの事だけど」
桃色のテニスウェアを着てネット際に打ち込まれたシャトルを追いかけてスコートをはためかす麗香を眺めているとイチカが急に話を切り出したので俺は驚いてああ、と生返事を浮かべた。開催中に盛大な逃避行をかまして場の空気を乱してしまったのは当事者として謝らなければならない。
「そういうんじゃなくて」
イチカは少し苛立った口調で唇をすぼめた。
「コンテストの結果よ。誰が優勝したと思う?候補者でも無いあんたのクラスの先生よ。あのセクハラ司会者のせい。まったく悪ふざけが過ぎると思わない?」
イチカの話で俺は初めてその事実を知った。候補者同士の八百長や審査員側の忖度は学生主催のイベントでは良くある事だが生徒会役員であるイチカは納得が行かないようで、不満の声はトーンを上げていく。
「ステージに持ち上げられて張り切ってポーズまで取ってた自分が馬鹿みたい。わたし人前でああやって恥をかかすような男、大嫌い。本人は場を盛り上げるために仕方なく言った、なんて謝ってきたけど言われた方はずっと憶えてるんだから」
怒りの矛先を俺にぶつけるイチカを横目に俺は正面のコートでシャトルを弾き飛ばす麗香達を眺める。麗香の綺麗なフォームから力いっぱい打ち込んだスマッシュがネットに吸い込まれる。それを見てハルの口元が何をやっているんですか、足を引っ張らないでくださいと小さく動く。吉野と片岡が良いよ良いよー、良いモン見れたよーと馬鹿丸出しのリアクションを返している。にゃはは、と笑いながらシャトルを拾う麗香はいつも楽しそうだ。
「麗香はそうは思っていないと思うぞ」
何も考えずぼんやりと言葉がついて出た。自分の意見を否定された気分になったのかイチカが怒気を孕んだ声を上げてベッドから身体を起こした。
「何よそれ。二重表現?文脈ガン無視で意味わかんないし。それに遠馬があの子の肩を持ってるみたいでムカつくんですけど」
言い終わった後でイチカは自分でも驚いたような顔で口元を手で覆った。長い睫毛に覆われた視線を落とすと後悔した様子で俺に呟いた。
「ごめん、少し言い過ぎた」
「いや、俺の方こそ。無神経な事を言って悪かった」
「そうだね、せっかく皆で楽しく旅行に来てるんだから。麗香ちゃんは関係ないよね。後で謝っておかなきゃ」
そう言ってイチカは再びベッドに寝そべって俺に背を向けた。その手にはさっきまで額に置かれていた手ぬぐいが力強く握られている。
微妙な空気が流れている。
すぐにでも誰かとペアを替わりたいと思ったけど、イチカをひとりにしちゃいけないと思った。分かってる。自分の無力さを感じて叫び声を上げたくなってくる。
俺は体裁だけを取り繕った只の偽善者だ。
イチカが俺に対して好意を持っているのも知っている。でも、俺は麗香を強く想っている。いつか聞かされたイチカの俺に対する気持ちに対して俺はまだ保留したまんまだ。
日が傾いてきて麗香達がテニスコートから戻ってきた。麗香が俺の隣に座り「遠馬と対戦出来ると思って待ってたのに~」と汗を吸ったテニスウェアの裾をはためかせている。ゆっくりとベッドから身体を起こしたイチカを「大丈夫?」と片岡が気遣った。イチカは差し出された手を掴む事無く立ち上がって権多さんがエンジンをかけた車に向かって歩き始めた。それを見てハルがジト目で俺に問う。
「どうせ、ふたりきりの時に余計な事でも言ったんじゃないですかー?タチバナ君デリカシー無いし、乙女心全然理解出来てないし」
「
「あー、疲れた疲れた!早く別荘に戻って美味しい物でも食べよ!屋敷のスタッフには言ってあるからね。期待してくれても構わんよー?」
俺のうだうだを吹き飛ばすように麗香がみんなを先導して車に向かわせる。どんなご馳走なんだろうな、と期待に胸を膨らます吉野と片岡にハルが期待しない方がいいですよ、と水を差す。いや、防人の立場としてフシ相手に油断するなと釘を刺す、の間違いか。
車が動き出してすぐ近くの麗香の別荘に到着。数百坪はあるだろうか、広い土地にサスペンス映画の事件現場に選ばれそうな古めかしい洋館が建っている。雰囲気としては麗香が今母親と住んでいる屋敷に似ている。どうやら麗香は権多さんへの愛称といい、一般的な洋風の吸血鬼のイメージを好んで、それに基づいて物件を選んでいるようだ。
牢固たる警備が敷かれた正面玄関に車が停めると俺達は降りて麗香の後を着いてライトアップされた玄関をくぐった。中は思った通りに広く、過度な装飾がなされていない分、見晴らし良く廊下の奥が見渡せて、青い光を放つ間接照明が至る所に取り付けられており、視覚的効果で真夏だというのに涼しく感じられた。それを麗香に言ったらあれはただの虫除けだよ、と言われて恥ずかしかったが。
男女別に部屋を振り分けて、シャワーを浴び、楽な服装に着替えて大広間に集合する。映画でしか見かけた事の無い長テーブルには晴れの日に口にするような御馳走が並べられていた。麗香が無宗教だったので、食前に生き物だった物に対して祈りを捧げることも無く、俺達はこの家の主人である麗香の号令と共にタンドリーチキンにかぶりついた。どの料理も専属のシェフが腕を振るった力作であるようで、中でも根菜の胡麻和えが美味しかった。長い帽子を被ったシェフの話によると現地で採れた新鮮な野菜を使っているという。
もう一皿同じものを、とおかわりを頼む俺を見て「年寄りくさい」とからかう吉野に便乗して斜め向かいに座るイチカが「遠馬はおじいちゃん子だからね」と微笑むと食卓を笑い声が包み込んだ。
俺は言葉少なだったイチカが笑った事でほっとしたと同時に天国に昇った祖父の事を思い出した。おじいちゃんも若い頃、こうやって麗香と一緒に食事をしたのだろうか。なんか
端の席に座るハルはほとんど話に加わる事無く持参した乾パンをむさぼっている。コップに水を注ぎに来たシェフの瞳を覗き込んであなたは大丈夫ですね、なんてこの場に居るスタッフさえフシである麗香に操られていないかと疑ってかかっている。なみなみに注がれたコップに口を付ける事も無く、生ハムメロンを頬張る麗香を観察するように鋭い視線で見つめている。もしかして最終日まで出された食事を口に入れないつもりですか坂神ハルさん。サバイバルの心得があるとはいえ、そのちいさな身体が持つのか心配だ。
「それはそうと、タチバナくん」
小声で名前を呼ばれて目を合わされるとハルは他の人物に気付かれないように口パクで俺にこう伝えた。
『後で話があります。二階の奥の部屋に来てください』
読唇術など知らないがハルは確かに俺にそう伝えてきた。みんなのお腹が一杯になると麗香が食事を締めくくる言葉を告げて屋敷を探索しようとする者、長旅で疲れて部屋で休もうとする者に別れてそれぞれに散って行った。
席を立つと心配そうな顔をして麗香が俺に声を掛けてきた。
「どうした遠馬?体調悪い?」
「ああ、ちょっと気圧の変化でな。悪いけど今日はちょっと部屋で休ませてもらうよ。相手してやれなくてゴメンな」
謝る俺を見て麗香は顔を真っ赤にして権多さんを振り返った。
「ねえ聞いたセバスチャン?遠馬があたしの夜の相手をしてくれようとしてたんだって。お泊りで気持ちが盛り上がっているのは分かるけど、他の人も居るしちょっとねぇ~。麗香ちゃん、心の準備をしてなかった!」
壮大な勘違いを冒している麗香の前を通り過ぎて一階奥の男子部屋へと向かう。
はしゃぐ麗香に対して権多さんが答え辛そうに短く言葉を返している。麗香の奴、勝手な事ばかり言いやがって。未成年の集いであるから、夕食にアルカホールの類は無かった筈だ。
宵闇が窓の奥を包んで屋敷が静まり返る。ハルとの約束を思い出し、頃合を見計らって俺は玄関奥に作られた階段を上り始めた。
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