第21話 伏鳥さんは出掛けたいっ!その①

 まだ青々と茂った新緑の残る線路脇に伸びたススキを跳ね除けるようにして列車が線路の上を滑っていく。上野発の下り行きの新幹線の車内には各車両にまばらに人が乗り込んでいる。


 俺のすぐ後ろの席、ゆったりとした指定席のシートには俺の恋人の麗香が座り、『津軽海峡・冬景色』を良い声で歌っている。三人掛け座席の俺の隣と、通路側の席にはそれぞれ吉野と片岡が座り、これから始まる旅への期待で声を弾ませている。時折イチカが「男子、うるさい。他のお客さんに迷惑」と前の片岡の席を揺らし、真ん中に座るハルは持参した文庫本を読み耽っている。


 夏休みの始まり。俺達は麗香の提案で彼女の別荘があるという軽井沢へ馴染みの面子めんつで旅行へ行く運びとなった。


 実は前々から麗香に夏休みになったらふたりで旅行に行こうよ、と誘われていて、これはカップル間で良くある暇つぶしのトークだと思って俺もあまり真に受けていなかったのだけど、学園祭での逃避行を経てふたりの距離が近づいた事もあり、思い切って三泊四日の軽井沢旅行へと踏み出すことに。


 当初は人のあまり居ない南の島に行こうよという流れで話は進んでいたのだが、学生という立場上、金銭面の事情もあり距離的に遠くの地へ赴いて連泊するのは難しい。それなら麗香が軽井沢に自分が持っている別荘があるよ、と切り出してきたのでその話に乗っかってご好意に甘えてみるのも良いかと考えた。


 俺達の話に聞き耳を立てていたイチカと嗅ぎ付けて来た吉野と片岡が俺達ふたりでの旅行をあまり良しとしなかったので、この際、防人として麗香の挙動を調査しているハルも一緒に連れて六人で軽井沢の地を目指す形になった。現地には麗香の使いの者である良識のある保護者代わりの人物も居るとの事で、これなら文句を言う奴は誰もいまい。俺も麗香と付き合うようになって発想が少しずつ変わってきた。異分子は騒動の渦中に巻き込んでしまえばいいのだ。



 新幹線がトンネルをくぐり抜け、窓の向こうにからっとした夏の日差しを連れてくる。大きく伸びをするような声で麗香が車両に声を響かせた。


「観光、避暑地、あさま山荘!やっぱり夏は山で過ごすに限るよね~」

「最後、不穏なワードが混じってる。それにしても新幹線だと乗り換えなしで一時間で着くんだもんな。便利な時代になったもんだ」


 ツッコミがてら麗香に声を返してシートに深く座り込む。そういえば祖父が鉄道会社で働いていた頃は地方への運行は日を跨ぐ鈍行列車が主流であったらしい。席がロフトベッドのように上下に分かれており、夜はカーテンを引いて眠るという構造になっているのを祖父の書斎で写真として見かけたのを思い出した。その事を麗香に伝えると奴は感慨深く顎に手を置いて頷いた。


「今じゃ二分置きに山手線が周って来る時代だけど、昭和初期はノウハウ不足で車両トラブルや脱線事故が当たり前だったんだよ。あ、もうすぐさいたまを抜けるよ。そういえば江戸時代は五街道を歩いて渡ったよ~」


 フシとして長年生き永らえている麗香が本当か嘘か判らない話をする。なあ、俺の隣に居る吉野が俺を肘で小突いてきた。せっかく六人で来ているんだから席を回して対面式で女子グループと話がしたいと言う。お前がみんなにその話を切り出せと思うのだが幹事のひとりである俺が後ろの女子三人に了承を取り、レバーを下してぐるり、と三人掛けシートを回した。


「えー、この度は誘っていただいてどうも。あらためまして、スリーイデオッツです」


 向かい合って席に座り、女衆にご挨拶。おい、ドン滑りじゃねーか、と片岡がこの紹介を提案した俺に声を荒げた。まったくこいつらときたら。少しイラついて窓際に置かれたプラスティック容器のお茶を口に運ぶ。せっかく連れてきたのにこうやって全て人任せだから未だに彼女が出来ないのだ。


 ほとんど初対面の組み合わせもある事から俺達はひとりずつ自己紹介を始めた。


 吉野が入学当初に俺がクラスでやった自己紹介を完コピして自分流にアレンジして紹介を終えると女性陣からまばらに拍手が散った(俺が滑ったみたいで恥ずかしかった)。麗香は首元のゆったりしたブラウスを着ていて前かがみになる度に横の馬鹿二人が胸元を覗こうとするのでその都度、俺は奴らの視線を集めてやる必要があった。そんなんだからお前らは彼女が出来ないのだ。


 ハルが自己紹介で自分は防人だ、なんて言ったからイチカと馬鹿二人がその話に食いついた。ハルは澄ました顔をして防人についての説明を始めた。


「オリエンテーリングのNPOです。学業と掛け持ちで人々を不安から守る仕事をしているんです。言ってしまえばスーパーマンやヒーローですね。会員特典でジムに通えたり映画が安く見られたりするんですよ。皆さんもやってみませんか?」


 そう言ってハルはありもしない架空の団体をでっち上げてフシ対策要員として連中を勧誘しようとしている。俺はその言い分に呆れるでもなく、感心して頬を掌で撫でた。ほう、そういって面倒な事から逃げてきたのか。俺と麗香はアイコンタクトでその話を聞いて微笑みあう。


「なんだか合コンみたいだな。いい経験が出来たわ」

「タチバナにフシ、誘ってくれてサンキューな」


 片岡と吉野が俺達に礼を言った。楽しんでもらえたようでなによりである。


 全員の自己紹介を終えて駅で買った弁当を頬張っていると、あと十分で終点に着きます、という内容の車内アナウンスが響いた。


 昼食を食べ終えて身支度を整え始めると麗香が隣の席に居るハルに話しかけている。どうやら少し揉めているようだ。


「ちょっと荷物多いからさ。ひとつ持ってもらえる?力には自信があるんだよね?」

「誰がフシの荷物なんて持つもんですか。それに誰を駆除するために鍛えてると思っているんですー?旅行気分で居ると痛い目に遭いますよ」

「なんだー、せっかく旅行に来たんだからちょっとぐらい気を許してくれてもいいじゃなーい。最近の若者は冷たいの~」

「早く冷たくなるといいです。このフシ」

「ちょ、ちょっとふたり共、仲良くしなよ」


 険悪な麗香とハルの間にイチカが割って入る。天敵相手に敵意を剥き出しにするハルの前を通り、麗香の荷物をひとつ持ってやる。それにしても、駅のホームを抜けて後ろのハルをちらり見る。フシである麗香に対してのハルの憎しみは以前にも増して強くなっている。防人というフシから人々を守るという使命を背負っているのは理解できるが、恋人である麗香があの様な扱いを受けるのは彼氏として正直あまりいい気はしない。犬猿の仲であるふたりは大きな事件を起こさずに無事に旅行を乗り切ることが出来るだろうか。


 麗香の先導で駐車場に向かうと周りに停められている車とは明らかに異彩を放った胴体の長い黒光りの車が停まっている。怪しい。塀の奥での勤めを終えたお頭の帰還でも待っているような空気感で両隣が空いていた。


「こんな所にリムジン?え、車種はキャディラック。嘘でしょ……」


 驚くイチカのすぐ横のドアが開きその車の運転席から背の高い初老の男性が現れた。口髭を蓄えたその人物は麗香の姿を見つけるとシルクハットを手にとって真っ白なオールバックの頭をぺこり、と下げた。


「出迎えご苦労。久しぶりー。二十年ぶり位だね、セバスチャンー」

「えっ、もしかしてあのダンディーなおじさまが麗香ちゃんの召使い……?」


 突拍子の無いテンションで手を振る麗香と白髪でタキシードを着た男性を見比べてイチカが慄いている。飛び跳ねて再会の喜びを表現する麗香をふっと微笑んで見下ろすとその人物は手を前にかざして丁寧な挨拶をした。


「お久しぶりです。麗香様。お友達も始めまして。私、麗香様にお仕えする権多ごんだと申します」

「なんだ、日本人じゃないですかー。セバスチャンだなんて大げさな」

「昔からフシの召使いはセバスチャンって決まってるのー。あ、吸血鬼だっけか」

「そんな漫画みたいな話をして。こんな辺境の土地の人間まで操っているんですか?」


 麗香と言い合っていたハルが俺の方を振り返った。ほら、このフシはこうやって節操無く男を骨抜きにしているんですよ、とでも言いたい表情だった。


「ご紹介にあった橘遠馬様ですね?」


 権多と名乗った麗香の召使いである男性が俺に深々と頭を下げた。びっくりして顔を上げさせると皺の刻まれた目尻を伸ばして権多さんは微笑んだ。


「麗香様には父の会社を救って頂いた恩義があります。それ以来わが家系は麗香様との主従関係にあり、誤解を招くような接触は御座いませんのでどうかご安心を。私は自身の意志で麗香様の下に仕えております」

「ふーん、信用できますかそんな話。どうせどこかでボロを出すに決まっています。その内に尻尾を掴んでやりますよ」


 ハルが強気なセリフを残してリムジンの席に乗り込む。それを見て吉野と片岡も権多さんに挨拶をして同じようにドアを開けた。イチカと一緒にトランクに荷物を積み込むと助手席に座る麗香が声を弾ませて音頭を取った。


「みんな乗ったー?それでは麗香ちゃんの別荘に向かってしゅっぱーつ!」


 柔らかすぎて落ち着かないリムジンシートにもたれながら長い胴体の車は駐車場からゆっくりと発進する。こうして俺達の軽井沢旅行が始まった。



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