第19話 伏鳥さんは叫びたいっ!その②

 むせ返るような梅雨が過ぎて台風で流された積乱雲が夏風を連れてきた。桜の季節に入学した高校も一学期の終わりが近づき始め、校舎では月末に行われる学園祭の催しの準備で盛り上がっていた。露店の機材を貸し出す為に電話を掛ける吉野の隣で俺は学祭当日の校門アーチに飾られるモニュメント制作をグループで役割分担して取り掛かっていた。


 校門の柱を覆う段ボールの着色を行っている片岡が塗装用のペンキが足りないと言って来た。俺は完成図からの逆算で見立てをつけ、足りない分を請求するよう学祭実行委員のひとりに任命されたハルに声を掛けた。


「ああ、欲しい分この注文表に書いてください。後で経費で落とさせますんで」


 素っ気無い態度でハルはペラ紙を一枚、視線をあわせずに俺の前に差し出す。自宅でのあの一件以来ハルは俺に対してずっとこんな感じだ。声を掛ければ話してはくれるが、フシに肩入れする俺に心底呆れ果てたのか、抑揚の無い声で俗に言う『感情を持たない返答』を繰り返すようになった。確かに誘いを断ったのは失礼だと思ったけど、俺にだって選択権はある。


 学祭の準備期間という他の生徒とのコミュニケーションが自然と取れるこの機会を通して仲直りがしたいと思っていたんだけど、俺の気持ちを知らずしてハルの視線は机の上の束ねられた注文伝票に注がれている。クラス毎に振り分けられた学祭経費が健全に使われるように金銭管理するのがハルの仕事だ。


 我が校の学祭は期末テストの後に開催される為、日程的な余裕も無く予算と手間の掛かる大掛かりなイベントは開くことが出来ず、また同じ条件である他のクラスの出し物にもあまり期待はできないだろう。先輩から聞いた話では各クラスで小さな催しをしてそれを見に来た他のクラスの生徒達が冷ややかな目をして通り過ぎていくというのが恒例になっているらしい。


 片岡あたりが学祭の定番である『メイド喫茶』を開きたいと提案してクラスの女子たちに引かれていたが、麗香のクラスもメイド喫茶を開きたいと言ってきた為、かぶりを避けて俺達の一年一組は屋上で焼き蕎麦を中心とした揚げ物の露店を開くという運びに至った。機材貸し出しに思ったより経費が掛かると言う事でその穴埋めとしてイチカの所属する生徒会と交渉して校門アーチの飾りつけも担当しているという形だ。学園祭は一学期の終業式前週に二日に渡って行われる。


――昼休みにこの間、手越先輩がやってきた中庭の花壇で麗香と話をした。手越先輩が馴れ馴れしく麗香に声を掛けていたのが窓から見えたので何を話したのか、と訊ねてみると麗香はいつもの猫口で楽しそうにこう言った。


「学祭のミスコンに出てみないかって。麗香ちゃん可愛いからスカウトされちゃった」


……やめとけやめとけ。俺は呆れて額に手を置いて麗香に断るよう諭した。人知れず人間界でひっそりと生き抜くフシが学園祭最終日の一大イベントという大勢の目に晒される陽のあたる場所に出てどうする。麗香は俺の意見を受けて


「せっかく年に一度の学園祭だって言うのに隅の方でちっちゃく丸くなって過ごすなんて消極的な思考はナンセンス!これからのフシはもっとアピールしていかなくちゃいけないんだよ」


 と胸を張って言い切った。そんなもんなんですか麗香さん。



 学園祭一日目はクラス対抗の合唱コンクールが行われた。これは企画自体に問題がある。何故高校生にもなって人前で普段使った事も無い美声を披露しながら歌わなければならないのか。歌が好きな人間による自由参加にすれば良いと思うし、歌いたければそこらのカラオケで充分ではないか。少なくとも発表の場として歌うのは変だ。自分以外にもそのような声が上がり、ほとんどの生徒が放課後の練習に参加しないまま本番を迎え、我が一組はザ・バックホーンのキズナソングを歌った。


 学年最下位という散々な結果だったが大衆ポップスで溢れかえるラインナップに新風をふかす事に成功し、結果として楽しかった。久しぶりに大声を出せた事とピアノ奏者以外、ほとんど即興ではあるが歌を通してクラスとしての一体感を感じられたという二点が要因だろう。


 屋上で行われている露店は吉野が発注した機材の一部が届かないというアクシデントと予報外れの悪天候に見舞われ、店の売り上げは当初の見立ての三分の一程度まで落ち込んでいた。


「そんなに気を落とすなよ。あんな露店、学祭の余興みたいなモンなんだからさ」


 三組のメイド喫茶の机の上。不出来の責任を感じて塞ぎこんだ吉野が突っ伏している。それを取り囲む片岡と俺が吉野を励ますように声を掛ける。そうだ、学祭はまた明日もある。屋上に設置された雨避けのテントには今更届いた分厚い鉄板が業者の手によって運び出されている頃だろう。挽回のチャンスはある、と俺が吉野の肩をさするとようやく吉野が鼻を啜って顔をあげた。企画主催者であるこいつなりにショックだったのだ。すると席にフリルのついたドレスを着たメイドのひとりがこちらの席に近寄ってくる。


「お待たせしました~ご主人様♪ロシアンたこ焼き三人前、お持ち致しました~」


 清楚感のある白いカチューシャにウェーブのかかる長い髪。様々な表情をした缶バッチが取り付けられた給仕服からすらりと伸びる健康的な二本の脚には太ももの絶妙な高さで純白のストッキングがはめられている。


「あ、遠馬ガン視してる。気に入ってくれたんだね。嬉しい」


 顔をあげるとにひひ、と麗香が俺をからかうようにしてお盆を身体の前にして笑う。やっぱりカップルでもコスプレは新鮮ですか、と片岡まで俺を冷やかしてきたから間を埋めるため机に置かれたたこ焼きのひとつを口に運ぶ……辛い。


「あ、言い忘れた。こちらのたこ焼き、全て激辛味となっておりまーす」

「全部辛かったらロシアンルーレットにならないじゃないか」


 その辺に居たメイドが持っていたコップをふんだくってその中身を喉の奥に流し込む。様々な唐辛子を練りこんだような辛味がしばらくして押し寄せてくる。ぴりぴりと口の中が痛い。俺のリアクションを確かめるように吉野と片岡もたこ焼きを口に運び、同じように胸を抑えてむせこんでいる。辛味に弄ばれる俺達の様子を見て小悪魔メイドがきゃはは、と明朗な声を立てて笑う。


「やっぱり学祭はこうじゃないとねー。スリーイデオッツの楽しい絵面えづらが見れてなにより。ウチのクラスの出し物、心ゆくまで楽しんでいってねー」


 麗香は俺達にひらひらと手を振って立ち去ると他の席の接客を始めている。机の上に『激辛モノを残した場合、罰金を徴収します』との文言を見つけたので俺達は人数分用意されたそのたこ焼きを苦しみながらも喉の奥へと流し込んだ。


――なにか、食材に対する強い冒涜と怒りを感じる。釣り上げられたタコもまさか小麦粉と多数の唐辛子と一緒に混ぜ込まれるとは思いもしなかったであろう。唇を腫らし、麗香を中心とするメイド風情に見送られて部屋を出る。こうして俺達の学園祭は賑々しくその初日を終えたのである。


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