第18話 伏鳥さんは叫びたいっ!その①

 週明けの登校日、ぼぅっとしてまとまらない頭の中を転がすように歩きながら校舎を目指す。自分を追い越していく二人組の女生徒のはしゃぎぶりが少し羨ましく思える湿った暑さが包み込む新しい週のはじまり。


――先日麗香の家で見た光景が頭から離れない。麗香はあの屋敷でミイラ化した母親と一緒に暮らしている。少し調べてみたところ、あの洋館には誰も住んでいない空き家であると近隣住民も認識しているらしく、やはり不気味がって誰も近づこうとはしないそうだ。人間との接触を拒絶したフシ屋敷。そしてその娘である麗香は永かったその生涯の終わりを俺と共に迎えようと企てている。永遠にも似た生命の終点エンディングに相応しき背徳の死生観メメント・モリ


 麗香、俺はどうしたらいい?組んだ腕の反対側をぎゅっと握り締めると校門の手前でイチカが吉野に強い口調でたしなめている。珍しい組み合わせだな、と眺めているとイチカがミニスカートを翻して下駄箱の置かれた玄関へと歩いて行く。俺に気が付いた吉野が振り返って泣き付いてきた。


「おまえー、あのギャル生徒会長になんとか言ってくれよー。俺がおまえから金を巻き上げてるなんて言いがかりを付けられたんだ」


 吉野の言い分を聞いて俺は頬を掻く。確かにクラスで金銭のやりとりをするのはまずかったか。その通り、本人の言うとおり吉野に過失は一切無い。


「言ってくれよ。クロスバイクもエロDVDも全部おまえの責任だって」

「やっぱり、アレそういう系のDVDだったのか。見ていないから知らなかった」

「すっと呆けた事言うなよ。ほら、下駄箱で歳増としま先生が待ってるぜ」


 俺が視線をあげると生活担当も務めている担任の前田先生が「キミ達そろそろ授業始まるよー」と駆け足の生徒たちを急かしている。そうだ。俺の身体はあの部屋から日常に戻ってきたんだ。いつもと同じ、人間的な暮らし。あの部屋で見た事は忘れろ。午前の授業を終えて廊下を歩いていると階段から下りて来た制服を着崩している男子生徒が俺の肩に馴れ馴れしく手を置いてきた。


「よぉ、お前が一年の橘だよな?」


 認識の無いニヤケ顔。同じように笑う取り巻きを両サイドに構え、金髪に染め上げた髪はヘアジェルで後ろに流されて眉は薄く整えられている。指導する立場である前田先生は何をやっているのだ。担任の業務怠慢を心で咎めていると取り巻きのひとりがお前に聞いてんだよ、と荒い口調で訊ねたから俺はうん、と頷いた。それを見てはじめに訊ねてきた金髪の上級生と思わしき男が少し距離を取って俺を品定めするような目で頭から靴の爪先まで見下ろすとふん、と鼻をならして口を開いた。


「お前が二組の伏鳥と付き合っているって聞いてよ。どういうヤツか見に来たんだけど、まだせいぜいお手手繋いで公園のベンチでお食事会って所か」


 高圧的で人を見下すような言い分。取り巻きの男がお前、あの身体前にして付き合って三ヶ月でなんにも無しかよ、とあざ笑うと金髪の男がぴっと指を立てて俺に宣戦布告。


「あいつの方もいい加減、度胸の無いお前に飽き飽きしてるだろうよ。タチバナくん、だったか?伏鳥麗香の恋人はお前なんかよりオレの方が相応しい!」


 取り巻きが口笛を吹いて囃し立てると金髪の先輩は近寄って再び俺の肩に手を置いた。まぁ頑張れよ、とからかうようにぽん、ぽんと手を弾ませると連中は中庭の方へ向かって歩いて行った。おい、今の連中まずいぜ。角に隠れて事の一部始終を眺めていた片岡が俺に告げる。


「三年の手越先輩だ。イケメンだからって校内の色んな女を取っかえ引っかえしてる事で有名らしいぜ。やり方が強引で被害に遭った連中からは『手篭めの手越』なんて呼ばれているらしい」


……馬鹿馬鹿しい、俺は深く溜め息をつくと片岡を連れてその先輩達の後を着いて中庭に向かった。黄色いマリーゴールドが映える花壇の腰掛けに麗香が座っていて持ってきた昼食のサンドイッチをんでいる。その手越先輩は麗香の姿を見つけると、一呼吸置いて土足のまま花壇に足を踏み入れた。後見人のようにその金髪の男子生徒の姿を固唾を呑んで見守る手越先輩の取り巻きふたりと俺と片岡。

 

 恋のライバルとしてお手並み拝見である。


「ねぇ、麗香ちゃん。キミに話があるんだけど」


 花を踏みしめて後ろから麗香に声を掛ける手越先輩。百戦練磨、いきなりの名前呼びである。麗香は耳にはめたイヤホンを外す事無く鞄の中から何かのパンフレットを取り出した。写真と文字に目を落としてニヤける麗香。たのしい夏休みの計画でも立てているのだろうか。手越先輩は後輩の女子に無視された事に取り立て腹を立てるわけでもなく、気障ったらしく前髪の毛束を指で撫でるとふん、と鼻を鳴らした。そして麗香の後ろ側で屈むとおもむろに両腕を伸ばして麗香の肩をそっと抱きしめた。これにはさすがの俺も面食らったのを憶えている。


「三年の手越慎太郎だ。オレにこうされてオチなかった女は居ない」

「はじめまして。あたしは一年の伏鳥麗香。いきなり身体に触れてくる失礼な年下くんはこうやって背負い投げ~♪」


 麗香は身体の前に延ばされた両腕を掴みあげるとそのままヘッドバンキングするような激しさで長い髪を翻すと後ろの手越先輩の身体を勢い良く空中に持ち上げて前方のアスファルトに投げつけた。いつか並木道でスープレックスを喰らった時の痛みが蘇ってきて首をさすっていると「お、覚えていろ!」と捨てゼリフを残して取り巻きと共に先輩達はその場を去って行った。乱れた髪を整えている麗香に控えめに手を翳して俺と片岡は歩み寄っていく。


「まったく、暖かくなるとああいう身の程知らずのやからが増えるよねー。って、遠馬じゃーん。元気してた?」


 俺の姿を見るなり麗香はその場を立ち上がっていつもと変わらない柔らかい笑顔を見せた。俺と話す時にイヤホンを外す仕草を見るだけでもあの惨めな先輩に対しての優越感が持てる。


「せっかく告白しに来た男子を無碍むげに投げ飛ばしたりしたらダメじゃないか。相手の気持ちを踏みにじるなよ」

「アレって告白の流れだったの?花壇のお花を土足で踏みにじるお子ちゃまなんて知りませーん。てか遠馬、もしかして心配して来てくれたり?」


 麗香が俺を見上げて目を輝かせる。こいつの一方的な勘違いじゃない事は分かっている。俺は心配していたんだ。麗香が他の誰かに取られたりしないか不安だったんだ。


――なんて、口が裂けても言える訳ないだろう。

 踏みにじられた花の上をクロアゲハ蝶が飛んでいく。それを見て麗香が「そろそろあたし達、付き合って三ヶ月かー」と感慨深く呟いた。


「ねぇ、遠馬。あたし達恋人になって三ヶ月目だよ!何か忘れられないような想い出、彼氏である遠馬から欲しいな」


 そう言って麗香は少し淫靡な表情を浮かべている。真後ろの片岡がごくり、と喉を鳴らす。お前そろそろどっか行け。


 こうして俺と麗香は校内一、不釣合いなカップルとして遠巻きから見守られながら学園生活をエンジョイする事となったのである。ぼさぼさだった髪を鏡で見ながら身だしなみだけでも整えておこうかなと思う夏の夕暮れ時なのであった。



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