第17話 伏鳥さんは紹介したいっ!

 自宅での一騒動があった次の日、俺は麗香にこの間訪れた恋人たちのデートスポットである銀杏並木道に呼び出された。十一時の待ち合わせだと告げるそのLINEには『人前に出ても恥ずかしくない格好で来ること!』と記されており(麗香はメッセージを複数回に分けて送ってこないので読むのに時間が掛かる。読みにくい)、俺は学校指定の半袖シャツにスラックスで並木道に入ってすぐのところにある待ち合わせ場所のベンチに近寄った。


「もー、遠馬のカッコ、いつもと一緒じゃん。まぁでも齢相応か。いいんじゃない?似合ってるよ」


 ベンチに腰掛けていた麗香が俺の姿を見るなりその場を立ち上がった。麗香の服装はニット生地のトレーナーに可愛らしい花のワンポイントが着けられてるハンチング帽、丈の短いスカートを腰の高い位置でサスペンダーで留め、健康的な二本の素足がすらりと伸びてその先はムートン製のブーツに納められている。大きな胸を強調するようなコーディネートで昨日帰る時についたのか、右足の膝の下が少し擦り剥けていた。俺が視線を起こすとぱっと咲いたような麗香の笑顔が返ってくる。


「じゃん!今回は麗香ちゃん、童貞を殺すコーデで来てみました~」

「人前でそういう事を言うなと前回ここで教えただろう」


 詰め寄る俺とはしゃぐ麗香の姿を見てすれ違ったカップルが初々しい新人を見るような暖かい視線を残して通り過ぎていく。「そういえば遠馬、お腹減ってない?」と麗香に訊ねられて腹をさする。昨日の夜から何も食べていない事を思い出して麗香にそれを告げると「お弁当を作ってきたんだ」と麗香が鞄の中からバスケットを取り出して俺に差し出した。


「麗香ちゃんお手製のカツサンド!カツを食べて敵に勝つ!己が定めに打ち勝つのじゃ~!」

「おまえは何と戦っているんだよ。でもありがとう」


 バスケットに入ったラップでくるまれたパンの一つを手にとって包装を剥がしてその角を口に運ぶ。噛み締めると柔らかいパンの食感にキャベツのしゃきっとした歯ごたえが重なり、最後に食べ応えのある肉のしっかりとした重厚感が口の中に広がっていく。美味い。噛み締める度に鼻の奥を爽やかなソースの香りが突き抜けていく。


「どう美味しい?早起きして作ったんだ~」

「……パンが少しふよふよし過ぎだ。食感を出す為に表面に焼き色を付けた方がいい。この肉はちゃんとした牛肉だろうな?」


 少し意地悪な返答をしてやると「どういう意味~?カレシに変なモノ食べさせるワケ無いじゃん」と麗香もバスケットからそのひとつを取り出して口に運んだ。季節はずれの木枯らしが目の前の落ち葉を連れ去っていく。端から見たら俺達ふたりはベンチに座って彼女の手作りランチを頬張る微笑ましいカップルのひとつに過ぎないだろう。唯一つ、俺の相手が不老不死の少女である、という点を除けば、だが。


 すぐにバスケットが空になると「美味しかったんだね。良かった」と麗香が紅茶の入った水筒の蓋をコップ代わりにして俺に手渡した。薄味のレモンティーで口の油をすっきりさせると麗香が俺に本題を切り出した。


「実はね、遠馬に会って貰いたい人が居るんだ」


 紅茶を呑み終えてコップを返すと俺は一呼吸置いて麗香に問い質した。


「この流れから察するにだけど、おまえ、もしかして家族が居るのか?」


 俺の質問に麗香はぴん、と帽子のつばを指で跳ねて「あたり」と短く言い返した。


――麗香の話によると麗香達フシの一家は町外れの洋館に住んでおり、父は数十年前に人間達の迫害に遭い、海外の防人チームに実験対象物として研究所に連れて行かれ、今は母と一緒にふたりでつつましく暮らしているらしい。母は最近、体調を崩しているようで遠馬が来てもちゃんと話せるか不安だと麗香は伏目がちに話していた。驚愕の事実が次々と解明され、揺れる頭で道なりに歩いていると、森の中に三角の尖った屋根が木々の間から頭を出した。歩道に散らばる落ち葉を踏みしめながら麗香が言う。


「あそこがあたしの家。先に鍵を開けて来るから遠馬は周りを見張っておいて」


 そう俺に告げてその場を駆け出す麗香。おそらくハルのようなフシをよく思っていない防人やフシの存在を嗅ぎ付け始めたマスコミ関連の尾行を警戒しているのだろう。さび付いた鉄柵の奥からかちゃり、と鍵の回る音が聞こえて麗香がこっち、こちと俺を手招きする。おそらくこの俺が初めての麗香の恋人としての訪問者だ。



 屋敷に入ると吹き抜けの玄関が俺を出迎えて麗香が靴のまま上がってよ、と示したので軋む床板を踏みしめて先導する麗香の後を着いて歩く。ちいさくこんにちは、と声を出すが返答はなく、冷え切った空気の中で壁掛けの古時計の真鋳で出来た振り子が揺れていた。一階の細い廊下の奥にある部屋のドアを開けると麗香がどうぞ、とその中から声を出した。八畳ほどのその部屋はダイニングになっており、麗香が奥のキッチンでお湯を沸かそうとしてガスコンロをひねった。


「お茶を淹れるから適当な席に座っててよ。どう?ここがあたしの住んでるお家」


 麗香の問い掛けに雰囲気があって悪くない、と答えると背もたれの長い古びた椅子に腰掛けた。周りの食器棚や奥に置かれた火の焚かれていない暖炉など、家具はどれも年季の入ったアンティークものばかりだ。その筋の人間が鑑定に来たらそれなりの金額を提示するに違いない。落ち着かなくて首元のネクタイを緩めていると麗香がティーカップに注がれたお茶を運んできた。


「健康第一、高麗人参茶。ちょっとお母さんの様子見てくるから喉湿らせておいて」


 テーブルにカップと受け皿をおくと麗香は衣文掛けに帽子を引っ掛けて廊下に出ると向かいにある部屋の扉をノックした。初夏だというのに空気が乾燥しているのか、俺の居る所までこんこん、と乾いた音が響く。


「お母さん、麗香の彼氏連れてきたよ。大丈夫?やっぱり少し良くないんだ」


 麗香が部屋の奥にいる母親に声を掛けている。麗香の母はやはり高齢であるらしく、同じ言葉を何度も言い聞かせるように娘である麗香は母に対して語りかけている。ふいに麗香が俺の名前を廊下越しに呼んだ。


「遠馬ー。ちょっと今日はお母さん出て来れないみたい。せっかく来てくれたのにごめんねー。ゆっくりしてていいから」


 少しだけほっとした気分になり、口に付けたカップの底面を受け皿に沈める。いきなり恋人の親に会って欲しいなんて緊張しない筈がないし、相手はなんと言っても不老不死である。廊下の床がキイ、と音を立てて蝶番ちょうつがいが周り、ばたんとドアが閉まる音がした。麗香が母の居る部屋に入ったのだろう。呼びかけるように優しく母に語りかける麗香の声が聞こえる。


「お母さん、あたしね、橘遠馬くんっていう人間の彼氏が出来たの。うん、フシじゃなくて十六歳の男子高校生。ほら、あたしが社会勉強で名古屋で暮らしていた時にお客さんとしてよく来てくれた飯山九蔵。違うって、神戸に居た時の繁蔵しげぞうじゃないよ。彼はその孫で同じ学校に通ってるの。はじめはからかい甲斐のある可愛い後輩男子だと思ってたけど、結構芯の強い所があって正義感のある良いヤツなんだ。そりゃまぁ、あたしと比べたらまだまだ子供だけど。お母さんだってあねさん女房だったじゃない。あ、ごめんね。あたしったらお父さんの事を思い出させたりして」


――廊下とドアを挟んで麗香が母に楽しげな口調で話しているのが聞こえる。

 あの馬鹿、ほとんど話が筒抜けじゃないか。お茶を飲み終えると俺は靴を脱いで静かに椅子を引いてその場を立ち上がった。そのまま猫足立ちで音を立てないようにして一歩、一歩廊下を滑る。麗香の母親に対して興味が出て来た。それに恋人として親に挨拶くらいしておくのが一般的な常識だと思ったし、それがフシと付き合う男としての義務だと感じていた。


 静かに廊下から近づいたのはなんとなく雰囲気的なものもあるし、麗香の話の腰を折りたくなかったからだ。麗香が本当は俺をどう思っているのか。あいつの本心が知りたい。木製のドアにぴたりと聞き耳を立てると麗香が愉快に笑い声を上げている。


「そうなの!学校でもお友達がいっぱい出来て!最近の若い子は目の前で肉体修復始めても引かないしみんなノリが良くて『それが伏鳥の個性』だって受け入れてくれるんだ。あ、人前であんまりやらないほうがいいよね……ごめんなさい。そういえば中学の時一緒だった防人の子も転校してきたよ。そう、疎開先の群馬から。あの頃は何も無い山奥の廃屋みたいな場所に住んでいたから辛かったな。でも今こうしてお母さんと一緒に暮らせてるから麗香は幸せ。なによ、お母さんちょっと涙汲んでるじゃん」


 震えた声を誤魔化すように高笑いをする麗香の声に合わせてドアに取り付けられた真鋳の取っ手をひねる。ドアの隙間から麗香の長い髪が見えた。床にレース生地のドレスの裾がちらりと見えて、それを着る人物が麗香の母親のようだ。目の下を指で拭うと麗香は決心したようにはっきりとした口調で母に告げた。


「あたしね、お母さん想いの立派なフシになる。一番好きな人と最期を成し遂げてみせるからね」


 ぱきん。俺が床を踏みしめた音に気付いて麗香が振り返る。いや、気をつけてはいたんだ。でも、部屋の奥に座る麗香の母親と思わしき相手を見た途端、身体が震え上がってしまったから。


 麗香の母親は人間でいう所の死体であった。ドレスの下の腕は骨と皮だけになり、顔は眼球が抜け落ちていて肌は干上がっていた。残った髪だけが櫛を通されて綺麗に手入れされていてところどころ欠損した指の残りにはきらびやかな宝石がはめられていた。


「お母さんは生きてるよ」


 冷たく、背中を突き刺すような麗香の声。無意識に身構えた俺に対して一瞬哀しげな目をした麗香が再びその形骸化した母親に向き直っていとおしげに頬にあたる顎骨を撫でた。


「夏場はどうしてもねぇ。崩れちゃうんだ。あたしのお肉で少し埋めたりしてるんだけど。びっくりした?やっぱり親に会わせるのはまだ早かったかなあ?」


 すくっとその場で立ち上がると麗香は俺の顔を覗き込んだ。燃えるような情熱を秘めたルビー色の瞳。幾百年沈む事無く生き抜いたその業火に焼かれるようにして引き寄せられた俺と祖父である九蔵の魂。俺達はなぜ、自分とは違う生き物だと理解しながらもフシに魅入られてしまったのだろう。


「受け入れて。これが本当のあたし」


 紅を塗った薄い唇が歌うように俺に懇願する。行きは良い酔い、帰りは怖い。どんなに進歩が進んでも人間には未だ触れられない世界がここにある。


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