第16話 伏鳥さんは試したいっ!その③

 深夜を迎えた橘家の俺の一室。ベッドの隣ではハルが安らかに寝息を立てている。ベッドの隣に座らされた時はどうなると思ったが、今日はありがとうございます、と耳打ちしたらすぐにハルは布団替わりのタオルケットの中に潜ってしまった。そんなハルの態度を受けて俺は少し拍子抜けというか、男としてみられていないのかともやもやした気持ちが胸に込み上げていた。マットレスの裏に名状しがたい雑誌が数冊挟まれているのでかんの良さそうなハルに気付かれてしまわないかだけが心配だ。


 隣に女の子が眠っているが慣れてしまえばなんてことは無い。週末で学業の疲れが溜まっているし今日は俺も眠ってしまおう。



・・・



「眠れないんですか?」


 隣ですくっとタオルケットを持ち上げてハルが俺に訊いた。俺は寝返りを打ってハルとは反対側に身体を背けた。


 ハルの言うとおりだ。こんな状況を想定した事もなかったからこんな小娘相手でも正直言って眠れない。


「平常心ですよ。可愛い女の子が隣に居てもいつも眠っているようにしていれば自然と眠りに落ちられますよ」


 からかうようにハルが俺にそう告げるが実戦不足である俺の目はギンギン、じゃなかった、らんらんである。麗香と部屋で過ごしていた時は絶対にそういう事にならないという空気感があったけど、このハルは何をしてくるか分からない。さっき膝の上で感じた肌の感覚がまだ残っている。こいつ、もしかしたらそういった手ほどきを既に誰からか受けているのかもしれない。アバウトな表現ばかりになってしまってすまない。『伏鳥さん』は良い子の作品だ。


「タチバナ君、こういった時すぐに眠くなる方法がありますよ」


 なんだ、と聞き返すと「もー、いつもしてるじゃないですか」と少し苛立った口調で唇を尖らせると耳元に顔を近づけてはっきりとした発声でこう囁いた。


「眠れない時は、一発抜く」

「おい、こら表現!」

「うわ、顔真っ赤。違いますよ、あのフシにいつもこの部屋で生かさず殺さず血を抜かれていたじゃないですか。なに考えてるんです?このカブトガニ」


 なんだよ、抜くってそっちの方かよ。けらけら馬鹿にするように嗤うハルを横目に俺は利き手の袖を捲くった。麗香の採血は最初は確かに抵抗があったけど、回数を重ねるごとに自然と安心感を持つようになっていた。その血を抜き取る作業が不必要なものだと告げられてから少し寂しい気持ちすら込み上げていた。俺はばさっとタオルケットを身体に掛けるとそのままハルに背を向けて横向きで目を瞑った。


「ほーう、そうですか。私の提案を無視して狸寝入りですか。いいでしょう。私はフシの生態に詳しくて実は子守唄が得意。お色気ムンムンせくしーがーるである私が隣で、気になって眠れない子羊のために一曲歌ってあげます」


 そういってハルが自作と思われる子守唄のイントロをハミングし始めた……大丈夫か?変な雰囲気になってきたぞ。


「フシが一体。フシが二体。フシが三体。フシが四体。合体してギガント・フシが一体」

「おいちょっと待て!フシって合体すんの!?普通に肉片が重なりあう光景が浮かんでグロいんだけど!」

「……ギガント・フシが一体とフシが二体」

「おい俺の話を聞け!それからその変な歌を止めろ!」


 ハルの歌からフシについての衝撃に事実を告げられ思わず起き上がってハルの肩を揺らす。不服そうに歌うのを止めたハルを尻目に再び寝転んでタオルケットを手に取った。


「もう寝ろ!そして朝イチで出て行ってくれ!」


 ハルはしょぼん、とした態度でそろそろとタオルケットの中に潜っていく。少し言い方がきつかったかもしれない。でもこれでそろそろ俺の睡眠時間が確保できそうだ。部屋の中を二人の呼吸音と時計の針の音だけが包み込んだ。


 十分後、ハルが伸ばした手が俺のわき腹に触れた。

 なんだ、こいつ寝ぼけてるのか。可愛いところあるじゃないか。そう思っていた途端、もう片方の腕も身体をまわされてベッドの中でハルに抱きつかれる体勢になった。しまった、そう思った時には既に遅かった。


「にひっ、油断しましたね~~」


 ハルが身体を近寄せて俺の背中に身体を擦り付けてきた。暖かくて柔らかい感触が俺のシャツとハルのジャージを通して伝わってくる。


「実は、ジャージの下に何もつけていないんですよ。もちろん下も」


 イタズラな口調でそう言うと太ももにハルの足が触れてきて冷やっと背筋が伸び上がると耳たぶを甘噛みするような距離でにんまりとハルが笑う。


「ふふっ、もう完全に準備万端、って感じじゃないですか。いいですよ私は。タチバナ君を優しく受け入れてあげます。このまま流れで童貞卒業しちゃいますかー。ふふふっ」


 脳が蕩けそうになりそうな甘い誘惑。わざわざ俺の家まで来てこうやってコトに及ぼうとするなんてハルにとってもそれなりの覚悟があっての事だろう。それでも、俺には麗香との契約がある。水没しそうなイメージの中、俺は身体の感覚を取り戻してハルの身体を跳ね除けた。


「ひゃっ!……何をするんですっ!」


 ベッドの上に身体を起こして驚いた目でハルは俺を見つめている。まるで自分が拒絶されるなんて思いもしなかったという表情だ。はだけて胸元があらわになっているジャージのジッパーに手を伸ばして首元まで締めてやる。


「どうして?せっかく後腐れもなく女の子のカラダを愉しめるチャンスだったのに……私の見た目も貴方好みに近かったはず。もしかして」


 はっとした表情でハルは俺の股間に目を落とした。俺はEDじゃないっつーに。よく聞いてくれ、と前置きして俺はハルにこう告げた。


「いいか、俺には伏鳥麗香という彼女が居る。その彼女を差し置いてお前とそういった行為に及ぶことは出来ない。というか深夜に自宅訪問とか普通に迷惑だからやめてくれ。お前可愛いからすぐに彼氏できるよ。だから自分を大切にしてくれ」

「わかったような事を言って……」


 ハルは俺の言葉を受けて怒ったのかちいさい身体を震わせて言葉を振り絞った。


「後悔しますよ。せっかく私が身体を張って」


 そこまで言いかけた途端、ベッドの下が大きく揺れて端からしゅぽん、と長い髪が現れて細く伸びた指がぱちんと部屋の明かりを灯した。俺はその人物の顔を見上げて笑顔返ってくるとその溜飲を下げた。


「遠馬!よく言った!それでこそあたしの彼氏!てかこんな幼児体型の味噌っかすのお豆ちゃんがあたしの遠馬を誘惑しようとかありえないよねー。ちゃんと立場わきまえてもらえるー?」


 ベッドからの登場から早二秒。俺の隣に居るハルを煽り倒す伏鳥麗香嬢(フシ)。

 ハルは恥辱に塗れた真っ赤な表情を浮かべてずり下がったズボンを捲り上げて俺を指の背で小突いた。


「このバカ、せっかく私が貴方をフシから守り抜いてあげようと思ったのにまさかフシの方を選ぶなんて!どうかしてますよ。添え膳を除けて生ゴミを口にするなんてろくな死に方は選べないと胸に刻んでおくべきです!」

「はいはーい!春子さんのハニートラップ失敗ー。残念でしたー。遠馬くんあたしのこと好きだからエロい事できませーん。ロストバージン失敗可哀想ー!」

「不愉快ですっ!私はここで失礼させていただきます!」


 机の上で指差して笑う麗香をきつく睨むとハルは身支度を手早く済ませて部屋を出て玄関の方へ走っていった。というか俺のジャージを着たままだ。後日洗濯して返してくれるんだろうな?玄関を開けるとハルは開き直ったような大声で麗香にこう告げた。


「今回はタチバナ君のコンディション不良で失敗しましたが、あまりいい気にならない事ですっ!ベッドの下に篭って聞き耳立てるなんてゾンビそのものじゃないですか。携帯の怖い漫画の広告みたいにならなくて良かったですね!」


 ばたん、と大きな音を立てて玄関の扉が閉じると「コンディション不良だってさ。遠馬は何時だってビンビンなのにね」と麗香がアイツはわかっていない、と言う風に顔の横に手を広げた。お前、いつからベッドの下に居たんだよ?と訊くと麗香は質問に答えずに背中に差していた俺のお気に入りセレクションを机の上にぱんぽん置き始めた。


「遠馬の性的嗜好があたしに近づいているようでなにより」


 肉感的な素晴らしいスタイルを持つ女性のあられもない姿を映した写真が机の上に順々と並べられていく。世界のおわりに似たその光景に俺はベッドに腰を掛けて頭を抱えてうずくまった。こういうエロバレは恋人相手とはいえ、精神的に大分胸にくるものがある。


「で、これはなんなのかな?」


 咎めるような声がして顔を上げると麗香が無表情でぽんぽんと黒い背表紙のDVDパッケージを手の腹で叩いている。――吉野から預かった例のDVDだ。立ち上がって麗香の腕から奪い取ろうとすると椅子を障害物スクリーンに使われ俺が居たベッドに足を掛けた麗香が語るようにしてそのDVDを天井高く掲げてみせた。


「浮世絵からビデオデッキ。DVDからVR。時代によってエロの媒体は姿を変えていく。こんなものが有るから、男がだらけて世の女の子達が退屈する羽目になるんだ。それなら悦びの輪廻は、このあたしが断ち切る!」


 麗香がそれを宙に浮かべるとなんと、DVDのパッケージが炎を纏って勢い良く燃え始めたではないか。やめろー、と伸ばした手は空しく宙を掴み、プラスティックが焼け焦げた臭いが部屋中に漂うとカーペットに膝を着いた俺の肩に麗香がとんと手を置いた。


「ま、エロの方は実践を積んで大きくなってもらうという事で。今回も遠馬があたしを選んでくれて良かったよ。正直ベッドの下で震えてた。狭いところ苦手なんだ」


 麗香、そこまでして俺を試したかったのか。俺が顔をあげると麗香はまるでダンスのパートーナーのような気障キザな仕草で片手を手に取ると赤みがかかったまんまるの瞳で俺に笑顔を見せてきた。この後の展開を想像して身体が火照ると十二時を知らせる時計のタイマーが鳴った。


「あたし、そろそろ門限だから帰るね。これ消毒」


 麗香はそう言うと俺の手の甲にキスをしてばいばい、と手を振って靴を抱いて窓から出て行った。たく、なんだってんだよ。ひとり部屋に残された俺は自分がした事や発言が恥ずかしくなってベッドに潜り込んだ。混濁して泡立った思考の中に麗香の笑顔が差し色みたいに加えられて俺は気が狂ったように裸の麗香と手を繋いで夢の中で踊るのだった。



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