第14話 伏鳥さんは試したいっ!その①
「それじゃ、行ってくるから鍵と火の元だけお願いね」
「わかった。それじゃ夫婦水入らずでごゆっくり」
玄関で俺が母にそう告げるとにっこり笑ってその扉を閉めた。庭では父が運転する車のアイドリングが響いている。母が車に乗り込むとエンジン音が加速度的に遠くなり、その音はそのまま夜の町に飲み込まれて行った。
祖父が亡くなって少し落ち込んでいた母の元に親戚の一人がやって来て今までお父さんの介護疲れたじゃろ。旅行でも行ってきんしゃい、と熱海旅館の宿泊券二枚分を渡してきたのだった。
俺は部屋でその叔母さんの提案を聞いて家族が死んでそんなにすぐに旅行なんて行く訳がないだろ、と押し付けがましく気分転換を提案する田舎の叔母さんに呆れ果てていたのだが、母がその提案を受け入れ、こうして父と一緒に週末から二泊三日で静岡へ旅行へ行く運びとなったのだ。
こういった時、女の切り替えは早い。TVのドキュメンタルで海外女優が『夫が死んだ妻は夫の葬儀の次の日からまた新しい恋を探し始める』なんて話していたがそういった女性特有のドラスティックな気持ちの変化というのは男には理解できない部分がある。
二階建ての一軒家が静まり返り、その中に一人残された俺。ここで自分が置かれている状況を再確認しよう。
一.時刻は金曜日の21時。今旅行に行く姿を見送ったので親は週明けまで帰ってこない。
二.学校の授業進捗には問題なくついていけている。そしてしばらくはテストは無い。
三.今、俺には交際関係にある女性がいる。
麗香の意味深に微笑む顔や艶かしい肢体が頭を横切るが俺はまだまだ高校一年生の若輩者である。親が居ぬ間に女としての魅力を振りまきまくっている事で知られる伏鳥麗香を部屋に連れ込んであら、いいですねえと不純交友に身を投じた事が知れたらクラスの主に報われない男子諸君から袋叩きに遭う事は間違いないであろう。
まあ、ほとんどそれに近いことはやってきたんだけど。
あの日、学校の屋上で給水タンクの上で麗香は俺に言った。今まで痛い思いをさせてごめん。血を吸い取る事になんの意味もないんだ、って。なんだよそりゃ。
じゃあ俺は不必要に腕の血管を痛めつけられて女同級生に今までからかわれてたって事か?さすがの不老不死も血を自分のモノとして取り入れる力はもっていないらしい。にわかに許しがたい事実だがあいつには祖父を一度救ってもらった恩義もあるしここはとんとん、としておこう。
玄関で腕組をして居る内に気が付いた。鞄の中に今日学校で吉野から渡されたDVDが入っている。察しの良い男性読者ならお解かりかもしれないが、クラスの男子が信頼のおける仲間内で回し視る映像ジャンルは一つしかない。休み時間、手製の黒い厚紙がパッケージに貼られたそのDVDを吉野はへらへらと間の抜けた表情をして俺に差し出した。
「なんだこれは?」
「彼女と付き合ってそろそろ二ヶ月だろ?俺からの餞別だよ。お前が本番迎えた時に手間取らないようにってな」
俺が呆れて吉野のアホ顔を見上げるとその隣にいた片岡がすぐ果てそうになったらこの顔を思い出せよ、と得意の馬のいななき顔真似して俺に見せてきた。お前が競走馬だったら即刻馬肉コース間違いなしのノロマ面である。
吉野が言うには出演してメーンを張っているのはインターネットで一時騒然と成った伝説的素人女優であるらしい。というか素人なのに伝説的な知名度があるって時点でもう矛盾をとっくに通り過ぎちゃってるんだけど、業界的にそういうモノなんだろうと後学の為に視聴しようかと思っていたその矢先、目の前の玄関扉がかちゃり、と小さく音を立てて開いた。
橘さんのお宅でしょうか、と細い女性の声が扉の奥から聞こえて俺は弛みきった意識を払いのけてはい、と毅然とした声を返しドアに近づく。国営放送局の受信料なら親が既に口座引落しに切り替えているはずだし、仮に金の話になれば少し情けない話ではあるが「ぼく、みせいねんなんでわかりません。おやいないんで」で切り抜けられる。やっかいなのは宗教の勧誘だ。小学時代、独りで留守番をしていた時に髭面で視線の合わない威厳を持った男が玄関で自らに舞い降りた神について小一時間語り出した事件は今でも俺の胸にトラウマとして残り続けている。
「夜分遅く恐れ入ります。あやしい者ではございません。この家に入れていただけないでしょうか」
雨の音が途切れ途切れ、女性の声を聞き取りづらくしている。うっかり浮かれ気分でドアにはキーチェーンをしてないどころか鍵も回されていなかった。俺は素足のままドアノブに手を掛けるとその開かれた間から声の主を覗いて見た。
「じゃん、私です。謎の転校生、坂神ハルです。って、なんでドアを閉めようとするんですっ!?うぬぬ……!」
深夜に訪問してきたフシ対策本部責任者である防人の末代と扉を挟んで押し問答が始まった。
「なんでお前、俺の家を知ってるんだよ?教えていないハズだけど!」
「そんなもの、防人のネットワークを使えばすぐに判ることです。というか早く中に入れてくださいよ。ビショビショでもうおかしくなりそうなほど火照っている私の身体を暖めてください!」
「誤解を招く言い方はよせ!ご近所迷惑だ!……わかったよ。その代わり用件が済んだら早く帰れよな」
サバイバル銃を片手で取り扱う防人特有の人並み外れた怪力を思い出し、扉の取っ手を掴む力を緩めてみる。あの時みたいにドアを破壊されたら一大事だ。
玄関に入るなりハルはふぅ、と息をつくと被っていたフードを後ろに除けて俺を見上げた。雨粒でキラキラと光る細い毛束のショートボブに聡明そうにやや吊り上がったきれいな碧眼。もし麗香に出会わなければ好みのタイプであったといってもいいのかもしれないと俺は吐息を飲み込む。
「立ち話もなんだ。中に入れよ。茶ぐらいは出してやる」
そういって俺はハルを手招いて居間との仕切りである扉を閉じた。予想だにしていなかった突然のハルによる家庭訪問。屋根を叩く雨粒の音が次第に勢力を増していった。
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