第13話 伏鳥さんは理解ってもらいたいっ!その③
放課後の屋上に学内を見下ろすように置かれた給水タンクのその上で退屈そうにぶらぶらとスカートから伸びた脚を揺らす麗香の姿があった。
さっき遠馬から言われたひどい言葉。そのひとつひとつを噛み締めるたびに胸が壊れそうになる。遠馬はあたしの事なんてなんとも思っていないんだ、
フシにだって心はある。怪我をすれば普通の人と同じように痛みは感じる。少し考えてくれれば当たり前の事じゃんか。それなのにあたしの近くに居た人達はみんなそれを忘れていく。
だからあたしも忘れてきたんだ。傷ついても痛みを感じるという事を。
それにしても、麗香は自分のブラウスの左脇に手を通して自分の身体を摩った。じんわりとした痺れるような痛みが身体中に広がっていく。なんで?どうして今更?麗香は痛みなんてとうに感じない筈だった自分の身体に問い掛ける。膝の上に手を置いてタンクの上で
辺りはすっかり夕暮れが包み込んでいて北風が長い髪をすり抜けていく。あーあ、下準備はバッチリだったのにな。手の込んだ理由まで用意して此処に呼び出して既成事実を作ってやったのに。あのにぶちんめ。やっぱり彼女が不死身の存在とか引いちゃうかな。抜き取った血を飲んじゃうとか意味不明だし。膝をぎゅっと抱き寄せて腕の中に頬を埋める。
――フシという体質のお陰でこれまでも幾度と無く人間に迫害される時はあった。ある人は不気味がって近寄るなと吹聴し、またある人は神の生まれ変わりと崇めて周った時代もあった。移り渡る歴史の中で
恋をしてみたかった。普通の女の子と同じように。相手は齢の若い男の子が望ましい。昔観た青春映画のように一緒に学校を登下校したり、坂道を自転車の後ろ側で大声をあげながら下り降りたりしたかった。
バカだな。あたし。高望みし過ぎだ。
頭の少し上を飛んでいった渡り鳥の群れを眺めながら大きな溜息をついてみる。そういえばお母さんが言ってたな。ため息をつくと幸せが逃げていくって。でもいいんだ。あたしの幸せの鳥はもうどっか行っちゃたんだ。麗香はごろんとタンクの上に横になると真上に持ち上がりそうな青い月を眺めてもう一度ため息をひとつ。
フシとして生きてきた麗香にとっての、はじめての恋。それは人間的なお互いの価値観のすれ違いであっけなく終わった。でも、その結果に満足している
麗香はじりり、とタンクを踏みしめてその場を立ち上がった。ゆらり身体を起こすと視線の先にはついこの間転落した硬いアルファルトだ。乾いた唇を舌で湿らすとそこから一歩、足を踏み出した。
自分にはもう、なんにも無い。空っぽだ。これで終わりにしよう。
次の足を宙に載せようと思ったその途端、本質的な壁にぶち当たってその足を引っ込めた。喉の奥から人をからかう為の、自分の為では無く他人の為に用意していた乾いた笑いが込み上げてくる。
「あ、そっか。死にたくても死ねないんだった」
自分の行動を顧みて腰に手を当てて大声で笑っているとがしゃん、と大きな音を立てて屋上入り口の扉が開いた。
「麗香!」
扉が開いた時にどうせ見回りに来た警備員だろう、とタカをくくっていた麗香が遠馬の声に驚いてその場でバランスを崩す。危ない、と叫ぶより早く遠馬がタンクに駆け寄ってタンクのステップに足を掛ける。円形のタンクの上で上体を戻そうとして軸足を置き換えた麗香の足首が内側にひん曲がる。
四階建ての屋上から地上へ落下する。麗香の長い髪がぶわっと宙に舞い踊るとその合い間を縫うように力強い腕が伸びた。
遠馬が麗香の腕を掴み上げたのだ。顔を真っ赤にして歯軋りをして力を入れる腕には男性的な筋が延びている。引き寄せられる宙の中でふたりの視線が混じりあう。
「お前が今までどんだけ生きてきてどんな生き方をしてきたか俺にはわかんねぇ。でも」
遠馬がタンクから身体を乗り出して麗香の反対側の腕を掴む。そのまま身体を引き上げると無事、麗香の身体は宙から屋上へと戻り、乱れた髪を掻きあげる麗香にタンクの上で遠馬は言った。
「お前がこれまですげぇ苦労して生きてきたのはなんとなくわかるよ。自分は何年経っても変わらないのに周りがどんどん齢くって死んじまうんだから!さっき言った事は謝るよ。だからもう、俺の前で死のうとうするのは止めてくれ」
日頃から麗香に対して抱いていた感情。ハルの山小屋図書館で見聞きしたこと。想いの丈を伝えきった途端、緊張の糸が緩んで身体の力が抜けてきた。その抜け殻になった遠馬の身体に麗香が両手を伸ばして思い切り勢いをつけて飛び込んだ。
「馬鹿!バカ遠馬!本気で死のうとするわけないじゃない!だって、あたし……!」
そこまで言いかけて麗香は口を噤んだ。宝石色に輝く瞳には涙が浮かんでいる。
はっとした顔で次の言葉を待つ相手に麗香はフシとの決別を着けるように人としての新たな旅立ちとしての一言を目の前の彼に打ち出した。
「遠馬が居ないと生きていけないんだから」
堰をきったようにあふれ出す涙。フシとして生きる中ではじめて感じた想い人の手の温もり。頭上の月が完全に頭の高さに昇り、星明りが校舎を照らす時刻まで遠馬の腕の中で麗香の涙は干あがることは無かった。
――この日を機に俺、橘遠馬と伏鳥麗香は特別な関係になった。俺はこの初めてこいつと出会った屋上でのこの日の出来事を一生涯忘れないだろう。
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