第12話 伏鳥さんは理解ってもらいたいっ!その②
人間との接触を避けるような市街から離れた場所にそびえる交通運輸用のトンネル。そこを抜けた先の荒れ野原にハルが拠点としている山小屋があった。先を歩くハルにおまえ、本当にここに住んでいるのかよと訊ねるとハルは無言で木製のドアの鍵を開けその中に俺を招いた。六畳一間のその空間には角を埋めるように並べ置かれた棚に天井の高さまで詰まれた本やファイリングされた書類文献が埃を被ったままで積まれていた。
「まさか、こんな不衛生なところで暮らしているワケないじゃないですかー」
ハルが先程の俺の問いに応じると部屋の中央に置かれた机の手前にある椅子に座るように指し示した。どうやらここはハルが先代の防人から受け継がれたフシによる情報を集めた場所であるらしい。俺が軋む板床に鞄を置くとハルが古い本のひとつを机の上にそっと置いた。
「ご先祖様が見つけ出したフシについてかかれた最も古い文献です。フシの歴史を知るのであればその成り立ちから知るほうが良いかと思って私が事前に用意しておきました」
勝ち誇った顔を浮かべるハルを見上げて俺は椅子に座って机に肘を着いて溜息を吐いた。なんだよ、こうなる事もお前が言う防人の予想済みだったって事かよ。勘違いしないでくださいよ、ハルはそう告げて狭い部屋の中をぐるぐると周る様にして歩きながら俺に言った。
「私は防人としてあなた達の恋路を引き裂くつもりはありません。むしろこれまで大っぴらに人間に触れず厳かに生きてきたフシがどんな恋愛を一般的な男性と成し遂げるのか、見届けたいという気持ちすらあります」
ハルの言葉を聞きながら俺の頭に幾つかのクエスチョンが浮かぶ。フシはこれまで人間社会に混じって生きてこなかった?フシは麗香のように人間に対して恋愛感情を持っていなかった?いや、麗香が俺に対してそういう気持ちを持っていると考えるのは勝手だが。それにフシについて
ふと目の前の本に視線が落ちた。ハルから渡されたその本の煤けた表紙の見出しに筆文字で表題『奇怪不死録』と書かれている。相当に古い時代の書記であるようで、本を手に取ると小口の至る頁が折れたり欠け落ちたりしていて隅は赤茶けたシミが滲んでいた。埃と一緒に這い出してきたダニを指で弾くと机の横にもう一つ椅子を運び出してきてそれによいしょ、と座りながらハルは俺に短くこう告げた。
「恐れる事はありません。貴方が知るべき真実はそこに在ります」
俺はごくり、と唾を飲み込むとその本の一頁目をめくった。
――正徳8年。町外れの長屋に猪の群れに噛まれて死んだ子供が帰ってくる。子供には死の原因となった大きな噛み傷が無く言語、行動にもなんら問題がない。錯乱して山から転げ落ちるように逃げ帰ってきた親の思い違いだらうか。
同時期に江戸の町で子を見世物とする親家族の団体ありけり。父が子の腕に刃で傷を落とすとそれがみるみるうちに元通り治っていくという。町人相手に御ひねりを荒稼ぎするが幕府の問答にあい数日のうちに江戸を後にする。目撃者多数だが何らかの手品であるという声強し。
異国より伝わる
「江戸時代では普通と異なった子供を神の使いとして崇めたという風潮があります。フシも人間社会に触れ始めた頃にそのような子供たちと混同されて見逃されていたケースもあったという事です」
ハルが本に脚注を加えるようにして本を読み進める俺に語る。本の中ではフシが人々からその特異な性質ゆえに超常した存在として書かれており、それが俺には人間社会に降り立った異星人や侵略者のように思えて仕方なかった。
「私もその本の書き方には偏見があると思います。フシが人間を超越した神に近い存在なんて有り得ませんから。はい、次の本」
手元の本を読み終えた俺にハルは膝の上に置いていた本を手渡した。カバーが付けられていて近年に書かれた書物のようだ。タイトルは『アンデッド研究における再生科学』と記されていて、著者は外人の名前が見出しの横に載せられている。どうやら海外にもフシは存在するらしく、この本は著名な大学教授が書いたものである、とハルが教えてくれると俺はその本の頁をめくった。
fu-si の一番の特徴はその再生力にある!研究所で生け捕りにしたフシの体から摂取した細胞を調べてみたところ、ハイフリック限界が通常では考えられない高い数値を示している!試しにフシの片腕を切り落としてみたところ、すぐに傷口から骨が伸び、血管が生えて粘土のようにその上から肉が張り付いた。はじめて見た時は何かのトリックだと信じて疑わなかったが研究を進める後、それが実にシンプルな修復方法だと知って驚いたよ。一般的に健康とは言われる人物はどのような人か考えてみて欲しい。
若者やスポーツマン。彼らは身体の代謝が良いため怪我をしてもすぐに治り、健康になりやすいといわれている。それらと同じようにフシは体細胞の分裂が超高速で何度も行われているため、細胞が若い状態に保たれているといえるだろう。現在の研究状況では捕獲され日々痛めつけられたフシをモデルケースとして見ても四肢の欠損修復には約一時間、指や耳といった外部箇所であればものの数分で修復可能であるとの実験結果が出た。これをもし人間の医療の発展に役立てる事が出来れば人類総不老不死化も夢の話では……
「ハイ、それ以上は読む必要はないですー」
ハルが俺が目を落としていた行を確認して本を取り上げた。
「フシの細胞を人体に取り込むなんて……話が飛躍し過ぎてるし想像して身の気がよだつおぞましい話です。ですがその本の和訳は私の祖父がやりました」
そう言ってハルが本の背表紙を見せると口元に髭を蓄えた壮年男性の顔写真の隣に『
「フシは江戸時代までは超能力を持つ存在として神格化されていたけど、数十年前になると人間に捕らえられて実験体にされているんだな。フシが麗香のように人間社会でうまくやってこれたケースは無かったのか?」
「あんな目に遭わされて何を持ってうまくやってこれたのか、と訊くのは野暮なので止めときますけど。フシはどの時代、どの国の歴史を紐解いてみても人類と共存してきたという記録はないですね。崇められたり、惧れられたり、実験体になったり、逆に人間を実験体にしてみたり」
そこまで言うとハルは俺をすっと指差した。
「フシが毎日貴方から血を抜いて何をしようとしていると思います?人間の血を抜抜き取って自分も人間に為ろうとしてるんじゃないですか?実際以前会った時よりもあのフシの再生スピードは落ちていたように感じますし。それに創作の世界では迫害されているモンスターが人間になりたいと願う話は定番だと思いますけど」
「馬鹿言えよ。何を根拠にそんな事を」
平静を取り繕って辺りを見渡す。この部屋に置かれた本の中に人間に為る事を試みたフシの記録があるのかも知れない。それでも……俺はあいつを疑うなんて出来なかった。
麗香が俺と二人だけの時に見せる柔らかい笑顔。抜き取った血を飲み込むときの恍惚とした表情。あいつが俺や人類を貶めるために近づいてきたとは思えない。ハルは俺の顔を覗き込むと少し苛立った口調でまくし立てた。
「むっ、ここまで情報を揃えてもまだあのバケモノを人類の敵だと認識出来てないんですね。まぁ初めて出来た恋人が人間と違うバケモノだったらそれを守り抜いて恋を成就させようとするヒロイズムが生まれてもおかしくはないですけど。大変ですね。童貞拗らせると」
「うるせえよ。童貞馬鹿にすんな。初カノがあんなに可愛くて巨乳だったら裏があると分かってても飛び込むに決まってるだろうが……フシは整形みたいな事は出来ないんだろうな?」
開き直りに近い感情で椅子から立ち上がるとハルは呆れた表情で両手を小さく広げてみせた。
「はぁ?フシには人の心を読む力は無いので貴方好みの容姿にどう成り代わったかなんて分かりませんよ。それに整形能力についてですが、あのバケモノを信じきっている惨めな貴方を傷つけたくないんでその辺はグレーに濁しておきます」
「そうか、今日はありがとうな。世話になった」
悔しさを押し殺してハルに礼を言ってその場を翻す。色々な気持ちが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合って目の前の焦点がなかなか合わなかった。
「それでも、ひとつだけ言わせてくれ」
ドアに手を掛けて本を抱えるハルに俺はこういい残した。
「あいつは化物じゃない」
殺風景な野原の隅で、誰かが植えたアマリリスが咲いていたような気がしたのを憶えている。このままじゃダメだ。山小屋を後にする道の途中で麗香の顔を思い浮かべていた。
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