第8話 伏鳥さんは世界を救いたいっ!その②

 フシである麗香の魔の手?から逃れた俺と脱出経路である廊下を駆け抜けるフシと戦う謎の女性。一歩前を走る彼女の横顔は俺と同い年くらいに幼く見える。


 人の集まりがある正面玄関に辿りつくまであと半分くらい、という所で俺は横っ腹が苦しくなってその女の子に声を駆けた。


「なぁ、そんなにシャカリキんなって走らなくても大丈夫だろ。自分でもさっきフシはすぐには来れないはず、って言ってただろ。あれはどういう事なんだ」


 急な展開に頭が追い付いていかない。気持ちを落ち着ける意味でも彼女に休憩を提案すると、人を小馬鹿にするような態度で大げさに息をつくとカシャカシャ鳴る迷彩服の袖を揺らしながら彼女は振り返って俺の方へ戻ってきた。


「そうですね。やはり私のクロックアップされた超スピードについて来るには一般人では荷が重過ぎましたか」

「お前らが異次元過ぎるんだよ!てかお前何だよ。そんなナリでいきなり教室に入ってきやがって。てか、よく学生証もなしに入って来られたな」


 彼女はおもむろに俺の横まで近づくと胸ポケットから折りたたまれた手帳のような物を取り出して俺に見せた。スーツを着た彼女の顔写真の横に格調高い立派な印鑑が捺されている。


 なんだ、警察証のつもりか、と冷やかした口調で言うと「信用してませんね。まぁいきなりフシとの交戦に巻き込まれたんじゃ、当然ですけど」とクールな態度で彼女はそれを元の場所に閉まって俺に言った。


「申し遅れました。私の名前は坂神春子さかがみはるこ。フシの討伐と市民の平和を守る使命を託された『防人さきもり』の末代です。歳は貴方と同じ十六歳です。春子は昭和臭がきつくてダメなんでハルって気軽に呼んで下さい。では」


 そう言って元の通りに走り出そうとする坂神春子。「ちょ、待ってくれよ!」やはり頭の回転がついていかなくて俺は彼女を呼び止める。フシに抗う役職ってなんだよ。そのさきもり、って役職だったら自由に校内に入ってこれるのか?頭の中がグチャグチャにミキサーでかき混ぜられた気分。それに俺、実はツッコミ役苦手なんだよ。


「やれやれ、まだ休み足りませんか?あ、そうだ。さっきの話の途中ですが」


 ゆっくりと前方に歩き出しながらハルは正面を見据えながら俺に語る。


「あのフシの身体に吹きかけた液体にはフシが苦手とするアルカロイドが含まれています。一般的に言えばアヘンとか、モルヒネとか。幻覚作用を施す麻薬物質ですね。フシはそれを体内に取り込むと身体を自動再生する事がしばらく出来なくなるんです。これも長年による先祖代々受け継がれた防人の研究と実績の賜物ですね」


 鼻高々にそのあまり大きくはないであろう胸を張って歩くハルをみておいおい、と俺はツッコミを入れずにはいられない。


「戦後に脳障害のある子供に彼岸花を煎じて飲ませると症状が治る、みたいなオカルト、聞いたことありませんか?まぁ毒成分の一部はアルツハイマー病の治療薬に使われていますが当時はまだ医学根拠の無い、いわゆるまじないのようなモノだったんですけど。

 それと似た話かどうかは判りませんが、フシの身体は人間のソレとは異なります。神経を和らげる脳内物質が逆にフシには神経過敏にさせる効果だってあるワケなんです」


 俺はハルのいう言葉を聞いて頭を納得させる事は難しかったが「某格闘漫画の『毒が裏返ったッッ!!』みたいなノリだと思ってていいんですよ」とハルがジト目で言うもんだからお前、ノリで防人やってんの!?とその後頭部に手刀を振り下ろしてやろうかと思ったその時、


「見ぃつけた。さ、あたしの御馳走、返してもらおうか」


 と麗香がホラゲーの幽霊さながらの異様な雰囲気で俺たちの前に立ちはだかった。髪は先程同様、怒りで宙に漂ってはいるが表情は穏かで爆風で負った左腕の大きな切り傷が治っていた。


「馬鹿な、こんなに早く再生するハズは無いのに…!」


 ハルが腕を伸ばして後ろに立つ俺をかばうようにし、反対側の手で腰のホルスターの中をまさぐり始めた。


「キミ、最近『防人』になったばかりなんだっけ~?麗香ちゃん長生きだから忘れちゃった」


 フシの本質を思い出したように妖しげな空気感を漂わせ誘惑するような蟲惑的な口調で麗香はハルを見下すようにして言った。


「ダメね。キミ全然理解してない。最新のあたし事情を」

「危ない、この部屋に逃げましょう。さぁ早く!」


 こっちに向かって駆け出してきた麗香を避けるようにハルは俺の腰に巻いたベルトを掴んですぐ横にあった工業技術室の中に俺を連れて飛び込んでいく。


 開かれたドアと同時に身体を投げ込んで跳ね返った反動で横開きのドアを閉める。状況がこんなじゃなかったらハルの戦闘力はすげぇ頼りになるに違いない。なんかもうクール系で髪も短くて主人公を愉快犯から助け出してSQL文とか唱えて結界作り出しちゃうそんな感じ。


 しかしその安堵は数秒持つことも無くフシである麗香がすぐさま反対側のドアから教室に入ってきた。部屋に誰も居ない事が幸いだった。ゆっくりとローファーの踵を木造の床に響かせながら麗香が俺とハルに近づいて来る。


「フシ、貴女の思い通りにはさせませんよ」


 ハルはホルスターから大型のバタフライナイフを取り出すとそれを一歩、また一歩と歩み寄る麗香に差し向けた。夕暮れの太陽がぬめりと鈍く光る刀身を照らす。

 おそらくその切っ先にも先程の神経毒が塗ってあるのだろう。


 麗香はハルの約一メートル手前で立ち止まるといつも俺に見せる時と同じ猫口の笑顔を見せた。そしておもむろに右腕を顔の高さまであげるとハルに向かってこう告げた。


「その彼は麗香にとって大切な想い人なの。邪魔しないでくれる?」


 指を鳴らすみたいにして親指と人差し指を擦り合わせようとする麗香を見てハルが強張った口調で返す。


「言うに事欠いて想い人だなんて……貴女は人間をたぶらかしてその生き血を啜って生き永らえてるバケモノでしょう?今更その手には乗らな…!」

「はい、スリーアウトー」


 ハルが言いかけてるその途中で麗香の指から放たれた液体が宙を舞った。不意を突かれる様な形でそれを目に浴びたハルが顔を抑えながらその場にうずくまる。


「あ、あああ!!このフシ、自分の血を私の目の中に……!フシの汚れた血がこの防人である私の身体に中に注がれてしまうなんてぇぇ!ああぁぁあああ!!」

「さ、いこ。遠馬」


 床に転がりながら盛大に取り乱すハルを横目に麗香は呆然と立ちすくむ俺の肩へいつもと変わらない『感度』で腕をまわした。


「ふたりの恋を引き裂こうとする悪者から遠馬を救い出すなんて、今日の麗香、映画の主人公みたい!麗香アンジェリーナ的な。あ、それだと名前・名前になっちゃうか。細かい事は気にしな~い」


 いつもの抜けた口調でボケ倒す俺の恋人の麗香。てか俺視点だと今回のお前、悪役だぞ?そんな俺の気を知らずに麗香は特撮モノで良くある敵サイドの女幹部さながらに色気のある声で俺にイチャついてきた。


「さっきは途中で邪魔されちゃったからさ。ノーカンって事で!今日はどこでしよっか~?駅前の兼用トイレは怒られちゃったからネカフェのカップルシート?それともカラオケボックスでカメラの死角をついてしちゃうとか?」

「うわぁぁあああ!目がぁ!私の目がぁぁあ!!フシの血で!!んなぁぁあ!!」


 某国民アニメの名台詞に混じっていななき声を挙げ始めたハルを蔑むような目で見下ろすと「ばいばーい」と手を振って麗香はその工業実験室の扉を閉めた。


 すると前方から見覚えのある胸板の厚い白シャツの体育教師がどたどたと煩くこっちに向かって走ってきた。さすがに部外者がこれだけ派手に暴れたらいくら平々凡々と過ごしている教師陣でも事件に気がつくに違いない。


「なんでもありませ~ん。麗香と遠馬は普通の高校生なんて知りませ~ん。それじゃ先生さよなら」


 ひらひらと手を振る麗香を見て「うむ、気をつけるように」と言葉を残してさっき俺とハルが飛び降りた裏庭の方へ走り出す体育教師。俺はふと組んでいる腕と反対側の麗香の右腕を眺めた。指を自分で折って血を飛ばしたと思ったがどうも違うようである。


「あ、もしかして心配してくれてる?遠馬優しいんだから」


 擦るように俺に近づけた顔を手で壁を作って除けると麗香はさっきハルに見せたトリックについて講釈し始めた。


「あの子、中学時代からすっごく思い込みが激しくてね。今回はそれは利用させてもらいましたー」


 そういうと麗香はブラウスのポケットから潰れたレモンの川を取り出して俺に見せた。なるほど、ハルに浴びせたのはお前の血ではなくそのレモンの絞り汁だったってワケか。納得してうなづくと麗香は俺の隙をついて耳に口を近づけて息を吹くような声でこう告げた。


「遠馬から貰った大事な血、無駄にする訳ないじゃん」


 その言葉を受けて背中の産毛がぞわぞわとそそり立つ。この感覚は人間が到底叶う相手ではない生態カーストピラミッドの頂点に君臨する不死身の存在フシに管理される恐怖か。それとも……


 震えが治まると今度は制服の携帯が震えた。発信主はイチカのようだ。俺が受信すると電話口の向こうであわただしくイチカが声を荒立てた。


「遠馬大変だよ!遠馬のおじいちゃんが自転車に乗ったまま高速道路の入り口に入っちゃったみたい!渋滞で警察もすぐには動けないようだし、現場は学校に近くだからすぐ見に行ってあげて!何もなく間にあうといいけど……」


 その続きを知りたくなくて俺は通話を切る。あの耄碌もうろくじいさん。ついに高速と一般道の区別もつかなくなっちまったのか。隣で会話を聴いていた麗香がすぐにその場を駆け出した。


「急ごう、遠馬。今なら間に合うよ」


 ああ、そうだ。子供の頃から色々と面倒を見てもらったじいちゃん。今度は俺が守ってやる番だ。俺と麗香は正面玄関を抜けると件の場所である高速道路の入り口に向かって走り出していた。



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