第6話 伏鳥さんはキャラ変したい?その③

『明日の放課後、伝えたい事が有ります。生徒会室まで来てくれませんか?』


 絵文字やスタンプのない少しの堅さを感じるメッセージ。それを昨日の帰りに受け取った俺は差出人の思惑通り二日目の実力テストを終えて人もまばらな廊下を抜けて三階にある生徒会室のドアをノックした。「どうぞー」女の声がして俺はドアに手を掛ける。


 正体不明のLINEの送り主は大体判ってる。アイツが親かクラスメイトは知らないが何かの伝手つてで俺のIDを聞き出したのだ。ドアを開くと思ったとおりに昨日のギャル委員長が部屋の中央に置かれた椅子に短いスカートから日に焼けた太ももを露わに脚を組んで座っていた。


「テストおつかれさま。こうやってふたりで話してみたかったからさ。呼び出しちゃった」


 委員長、いやこの呼び方はもうよそう。イチカは俺と向き合うと照れくさそうにして頬をかいてうつむいた。羽織っていた制服はキチンと衣文掛けにハンガーで吊るされていて開けたシャツの間からは麗香ほどではないが、質量のある褐色の谷間が顔を覗かせていて、俺はさりげなく視線を逸らす。


 あの色白で大人しかったイチカが鮮やかにギャルにキャラ変か。俺がソファに身体を沈めるとイチカが真剣な面持ちで俺に訊ねてきた。


「憶えている?小学六年の部活のあと」



――俺とイチカは小学時代、同じ演劇部として市内で行われた劇と呼べない規模のちょっとした芝居に一緒に出たりして幼少期の時間を過ごしていた。家も近所だったから幼馴染と呼べる間柄だったのかも知れない。六年の夏に演劇部の最後の出し物が終わり、俺は帰り道が同じであるイチカと共に歩道を歩いていた。まだ頭がしっかりしていて庭の手入れをしていたウチの祖父に手を振り返すとイチカは俺に胸にずっと秘めていたであろう言葉を向けた。


「ねぇ、わたし、遠馬のこと好きになっちゃった。わたしとお付き合いしてくれる?」


 子供らしいしっかりとした発音で子供らしからぬませた言い分を聞いて、俺は気が動転してしまったのを憶えている。イチカとはずっと一緒に居たけどいままでそんな気持ちを俺は持ったことがないし、どう答えたら良いか分からなかった。

 すると目の前の自販機に派手な化粧をした女性歌手の広告が貼り付けてあった。


「イチカは子供っぽいもん。ぼくはこういうオトナの女の人がすき」


 何を血迷ったのか、俺は広告の女性とイチカを天秤にかけてそのギャルシンガーを選んだのである。イチカは帰り道の間ずっと下を向いて泣きそうになるのを堪えていたと思う。そして俺達は付き合う事無く別々の進路を辿り、今こうして同じ航行の生徒会室で再会したのである。イチカは俺が好みである、と言ったギャルに姿を変えて。そっと顔を近づけてオトナになったイチカが囁く。


「三年間、遠馬のために頑張ったの。あの時の答え、ここで出してくれる?」


 マジかよ、と俺は恐怖に似たイチカの情念に細く息を吐く。袖を捲ったシャツが目の前を通り、イチカが身体を俺に傾けてきた。麗香とは違う弾力のあるソレが俺の肩を押しのけるようにしてイチカの唇が耳に触れそうなほど近づいてくる。


「ねぇ、昨日の遠馬見てたら私もその気になってきちゃった。あの子とは遊びなんでしょ?私がここまでしてあげてるんだから、遠馬にはちゃんと応えて欲しいな」


 イチカが俺にぎゅー、と抱きついてくる。甘ったるい匂いが体中を包み込んで色香で頭が蕩けてどうになかってしまいそうだ。その誘惑に身を任せてしまいそうになった途端、


 妄想のもやの中で麗香がぱっと顔を出した。



 なぜこんな時に麗香の事を思い出すんだろう。律儀に付き合っている、という形だけの契約を守ろうとしているのだろうか。違う、あいつは俺の血が欲しいとか、そんなのでからかっているだけで……


「待った」


 すんでの思いでベルトに手を掛けたイチカの手を握る。驚いた表情の幼馴染に俺は毅然とした態度で言葉を返してやる。


「高校生らしい清い付き合いを心がけるように言ったのはお前の方じゃないのか?相手の同意無く身体をまさぐるなんて生徒会役員の肩書きが泣くぞ」

「な、何言って……!」


 イチカが我に帰ったように顔を赤らめて口元に手を当てた。「いいか、物事にはちゃんと手順ってモノがある」子供の頃、悪さをしたときに祖父に叱られた事がある。その時を思い出して俺はイチカに説教をくれてやった。


 一、彼女持ちの相手をムリヤリ襲わないこと。

 二、男子生徒を生徒会室に呼び出して誘惑しないこと。


 床に正座して俺の話を聞いていたイチカは自分でも少し恥ずかしくなったのか、顔を横に逸らしながら頬を膨らましていた。そして頃合を見計らって掃除箱の方へ声を伸ばした。


「はーい。私の負けでーす。もういいよ。出てきなよー」


 イチカの声が部屋に響くと縦長の掃除箱からのそりと麗香が姿を現してきた。イチカの強いシトラスの香水のおかげでいつも嗅いでいる麗香の匂いが消えていたから少し不安だったがやっぱり近くに麗香は居たのだった。


「やっぱりおまえが一枚噛んでたのか。昨日の放課後から打ち合わせしてたんだろ?」

「さっすが、麗香ちゃんのカレシ~。その通り!察しが良いね遠馬。ちなみにLINEのIDを教えたのもあたしだよ」


 シャツの袖を伸ばすように手を広げた麗香の顔を見て息をつくと「ちょっと、遠馬とはまだ何もしてないって言ってたじゃない!」とイチカが声を荒げる。俺がおい、とたしなめると勝ち誇った表情で麗香がその豊満な胸を張った。


「そうだったかな~。わざわざ放課後にふたりで学校に残るくらいだからそれなりの事やってても不思議はないんじゃない~?確かに麗香ちゃんは遠馬とは交際関係にあるけどね~」

「試したのか?こんな事までして」


 俺が顔の前まで近づいて凄むと両方の手をかざして麗香は弁解する。


「そんな恐い顔しないでよ~。イチカちゃんにだって自分の気持ちを伝える権利は有る。それにあたしと付き合っているにしてもまだ何もないんだから、恋のチャンスは他の女の子にも平等にあるべきでしょ?そしてキミはあたしを選んだ。幼馴染の誘惑に耐えたってのはそういう事なんじゃない?」

「おまえなぁ……」


 何も言えなくなってしまい、俺は頭を掻く。突如ギャルにキャラ変して目の前に現れた幼馴染に迫られて戸惑ってしまっただけなのだがイチカは脱いでいた上着を着て部屋のドアを開けた。


「そっか、遠馬は麗香みたいな子が好きなんだね」

「いや、好きっていうか」


 困惑して振り返ると麗香が「言ったれ、いったれ」みたいな表情をして俺の背を小突く。イチカは振り返って笑みを作ると明るく声を振り絞った。


「まだハッキリ遠馬に断られたワケじゃないから。付き合って一ヶ月で何も無いって事は私にもチャンスあるってことじゃん。返事は保留ってことでいいよね?


 おいちょっと待て、と声を掛けようにも目の前のドアがぴしゃり、と閉められてしまった。俺が「おまえとは付き合いたくない」と言い切って一縷いちるの可能性を消してしまうのが恐かったのか、生徒会役員としての自分の振る舞いが恥ずかしかったのか。部屋に残されると麗香が俺の学生服の袖を摘まんで言った。


「イチカちゃん、小学校の時から遠馬の事好きだったって。その遠馬を射止めるなんてあたし、罪な女」


 肩に顔を置こうとする麗香の額をデコピンすると俺は「別に恋愛感情があっておまえと一緒に居る訳じゃないからな。血が足りたら俺に付きまとうのを止めろよ」と言って部屋を出ようと促した。


「えー、ちょっと今日の遠馬Sキャラじゃなーい?」


 廊下に俺を追いかける麗香の声が響く。そして次の日の放課後、俺の家に来た麗香が着てみたい衣装があるといって制服から着替えたその姿で俺の前に現れた。


「はぁ~い。このレイカのカッコ超ヤバくな~い?今日もチクっとお注射しちゃおうねぇ~~」

「・・・」


 黄金色に肌に塗り着けられたパウダーに大きく開かれた胸元。スプレーで金に染めた髪の毛先は巻かれ、唇にはいつもよりも真っ赤なルージュが落としてある。腕にゴムチューブを巻いている麗香に俺は呆れて声を返す。


「おまえ、イチカに対抗してるだろ?あいつに俺を取られないか、内心ヒヤヒヤしてるだろ?」

「ち、違うよ~!いつもと違うプレイの方が新鮮な血が撮れるだけだからやってるだけだし!?ほら、チョベリグなのがでた!ん~マジ美味しい~!」


 そういって抜き取った俺の血を針の先から直飲みするギャル麗香。俺の血を求めるフシと突如現れた幼馴染。平凡だった俺の学生生活は騒がしいものに変わっていくに違いない。目的が叶って家を出て行く麗香の姿を窓越しに眺めながらぼうっとした頭でそんな事を考えていた。



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