第3話 伏鳥さんは契約を結びたいっ!その②

「私と契約してほしいの」と目の前の伏鳥麗香は言った。


 俺は事態が飲み込めずに思わず本人に聞き返した。どうやら俺のコンビニでの蛮行を世に公表しない代わりに何かひとつ彼女の願いをきけ、というものらしい。馬鹿馬鹿しい、と素直に俺は思った。


 イマドキ自分と契約してくれだなんて魔法少女モノのマスコットでさえ言いやしないくさい台詞だ。それにもう、俺は高校生。多少美人とはいえ、女子の言いなりになるなんてゴメンである。


 でも、麗香の短いスカートの裾が風にたなびいて揺れるから俺はその誘惑に負けないように頭を振る。嫌にでも目に入る現役JKのなまめかしい柔肌。今更いまさらいわずとも人並みにそういった欲求はある。こんな良い女なら少しくらい言う事を聞いてやってもいいかもしれない、そう思ったその時、


「わたし、実はフツーの人間じゃないの」


 と麗香が胸に手を当てて立ち上がったから俺は唖然と口を開けて呆けるしかなかった。自らを売り物にして演説をするような仕草で麗香は口上を続ける。


「キミがみている今のあたし、伏鳥麗香は本来の姿じゃないの。容姿端麗、学業優秀の完ぺキJKは世を忍ぶ仮の姿。真のあたしは千年の時を生きる不死の魂を宿した女の子っ!」

「はいはい。わかったから。その辺にしとけって」


 給水タンクの上でポーズを決めた伏鳥を直視できずに俺は顔に手を当てて謎のテンションで語り始めたそいつを止める様に制した。もちろん俺もゲームは好きだし、それ自体は否定しないが、その中学二年生あたりで発症しそうな病気の世界観を他人の都合に持ち出さないで願いたい。


「そう、わたしは人類を超越した存在、フシ!不老不死のフシよ!」


 芝居の最高潮の場面に昇り詰めたようなテンションで未だ身振り手振りしている伏鳥にくるり、と背を向けて歩き出す。これ以上、こじらせ女の詭弁きべんに付き合っていられるか。


「あれ~、いいのかな~いう事聞かないと写真、バラまいちゃうぞ~」


 からかい声に振り返ると伏鳥がブラウスの内ポケットからトランプのカードのように複製した俺の写真を取り出した。驚いた俺の反応を愉しんだ後、伏鳥は「きゃは」とおどけて反対の手で反対側のポケットから同じように写真を取り出す。どの写真にも俺のアホ面が映っていて絵柄も同じで4カードならぬ6カードだ。俺は次第に怒りが込み上げてきた。そもそも売っている雑誌を自らの貯金を切り崩して買うことはなんの罪にもならないだろう。それなのにこの伏鳥という女はなぜそれが俺にとっての取引条件になると踏んでいるのだろうか。思春期の男子であれば普通のことである。


「返せよ」


 タンクの前にずんずんと歩いて俺はその上の伏鳥の腕に手を伸ばす。「お、実力行使?いいねぇ、男らしくて」伏鳥が器用に俺の腕をかわす。風が強く吹き始めて長い髪が顔を覆うようにして揺れている。俺はその場がフェンスで覆われていない四階の一角だという事を忘れてタンクのステップに足をかけ伏鳥の腕を掴んでいた。これにはさすがの伏鳥も驚くと思っていた。


 でも伏鳥は笑っていた。

 俺のことなんてどうでもいいみたいに。からかっている自分が楽しければいいや、みたいな顔をして。


――ぷつん。

 頭の中で糸がちぎれるような音がして。


 気が付くと俺の目の前から伏鳥は消えていた。夢まぼろしのようにタンクの上から自分以外の姿が消えている。ひゅう、と冷たい風が背中を撫でる。


 これは夢だ。ゆめであるに違いない。


 張り裂けそうなほど強く脈を打つ胸を抑えながら、そっと屋上のフェンスの上から外を見下ろしてみる。土の無いむき出しのアスファルト。その上に制服姿の髪の長い女の子が倒れこんでいた。


「うぁあああぁぁあああああ!!!」


 非常口のドアを開け、廊下の道を妨げる上級生を突き飛ばして階段を全速力で駆け下りる。


 夢じゃ、ゆめじゃなかったのか。


 裏玄関の扉を開けて四階の給水タンクの真下に向かうとそこには上で見たとおりに伏鳥が片膝を立てて仰向けにその場に崩れ落ちていた。俺は胸の前で十字を切ると両手の掌を合わせて一礼し、伏鳥の容態を眺めた。落ちたときに頭を強く打ったのか、後頭部から真っ赤な液体が滴って楕円の溜りを作り出している。


「伏鳥」


 やっと喉の奥から声が出た。それでも伏鳥は俺の呼びかけにもぴくりとも反応しない。目の前で少女が死んでいる。その事実を受け入れられずに膝まついた瞬間、


 がくり、と突き立てていた片膝が大きく動いた。ひっ、と情けない声が出てその場を飛びのく。次に開かれていた左手の指が小指から順番に波を打つように関節を折って揺れる。ああっ、悲鳴をあげると今度は大きな目がぱちり、と開いて手を付かずに死体がその場から浮き上がるようにして立ち上がった。


「えっと~、頭蓋骨骨折に左大腿骨の断裂に左頬骨骨折。それとあばらも数本持ってかれちゃった感じかにゃ~?」


 骨が軋む衣擦れみたいな声が歌うようなメロディに変わり、しっかりとした発声が辺りに響き始める。これはやっぱり夢なのか?伏鳥が俺を見て話している。顔の内側に醜くへこんだ頬がぼこり、と音を立てて元のやわらかそうな質感を取り戻していく。

 その時の衝撃のすべてはこれ以上ここには書き表せられない。


「ふぅ~、さすがにびっくりしちゃった」


 落ちたときの衝撃で半分ひびが入って割れてしまった手鏡を見ながら伏鳥は乱れた髪形を整え始めている。……信じられない。四階とはいえ、急所を地面に打ち付けていたんだぞ?明らかに最悪な転落だったにも関わらず目の前の伏鳥はぴんぴんとブラウスの裾を延ばすように手を前に突き出している。


「ね?言ったとおりでしょ。少しは信用した?」


 何事も無かったかのように平然と振り返る伏鳥に俺は生返事でうなづく。よくみると来た時にあった血溜りや飛び散った脳漿が辺りから消えている。


「そ、元のとおり取り込んだの。身体を戻すときにね」


 俺の気持ちを見透かしたようにして伏鳥は自分の頭を指差した。裂傷が自然と奇麗に閉じられてそこから髪が少しずつ生えていくその光景はグロテスクながらも生命の躍動を感じさせる美しさがあった。


「わたしは死にたくても死ねないの。こんな身体だからね。腕を斬り落としても身体に火をつけても戻っちゃうんだ」


 ふいに伏鳥が差し出した右手を見て俺はつい身構えてしまう。「みてて」おそらく地面に突いた時に捻ったと思われる反対側に折れ曲がった人差し指が意思を持った生き物の様に元の形へと修復されていく。爪につけられたマニキュアさえ完全に元通りに戻るとその掌をぐっと握り締めて伏鳥は俺の顔を見つめ上げた。


「さっきの話、契約を結ぶって件だけど。ちょっとお使いしてもらうだけじゃ足りなくなっちゃった。まさかキミに突き落とされるなんて思わなかったからさ。さすがのわたしでもちょっぴりおこだよ」


 口をすぼめる伏鳥をみて突き飛ばしてなんてない、と答えるが確信がなかった。

 いや、俺が彼女に危害を加えようとして突き飛ばした、なんてことじゃなくて屋上でのやりとりや今ここに無事蘇生した伏鳥の姿が創作やフィクションの世界でなく現実で起きているという事実に。強烈なめまいが目の前を襲って頭が現実に向き合うことに対して拒否反応をみせている。


「身体を直すのに血が要るんだよ。今ので結構流れちゃったから。……う~ん。ざっと見積もって三年分?」


 は?指を三本突き立てた伏鳥に聞き返すと愉快そうに笑みを浮かべて腰に手を置いて伏鳥は俺に言った。


「キミが返すんだよ。わたしに血を三年分。それにフシの好物は人間の新鮮な血なんだから。今日からキミはあたしのために血を提供する生きる移動食堂になるんだよっ!」

「いやだよっ!なんで俺がゾンビの食い物にならなきゃいけないんだよっ

!」

「ゾンビいうなし!あんな品性のかけらも無い存在と一緒にしないで!フシは属性で言うにアンデッド。そうだ、キミがイヤだって言うならこうしない?」」


 伏鳥が両手の人差し指を立ててそれを顔の前に近づけて微笑んだ。


「あたしとキミはごく一般的な高校生の交際関係にある。これならあたしとキミの契約を他の人にも疑われないし、キミにだって得があるんじゃない?」


 伏鳥はそういうと自身ありげに髪をかきあげて胸と腰を前後に押し出してその身体を俺に見せつけてきた。……確かに。これだけのダイナマイトバディを持った女子高生が彼女なら自己紹介でどんズベッた陰キャラからも卒業、バラ色の青春が待っているに違いない。……いや、違うだろう。俺は決心して伏鳥の両手を握った。


「すまん。悪かった。俺のせいでこんな目に合わせてしまって。俺の血で埋め合わせが出来るんなら使ってくれ」


 自分でもなぜこんな言葉がすらすらと出て来たのかわからない。人の死の現場に立ち会って(こいつの場合は死ななかったが)、人としてなんらかの使命感が芽生えていたにちがいない。


 伏鳥は一瞬、きょとんと固まっていたが俺の話を聞き終えるとまた瞳に妖しい色を浮かべてこう言った。


「決まりね。これで契約成立、っと」



 この一件以来、俺は放課後に伏鳥麗香に血を捧げている。採取する注射器のサイズが小さいものであるため、一回の量は多くはないがそれが死なない彼女への死に対するつぐない、または本来行われる恋人たちとは別の儀式のように感じられた。


「今日も活きのいいのが出た、でた」


 ベッドの反対側で嬉しそうに俺の血を呑む麗香に背を向けて俺はシャツを被る。今日の採血が終わって気持ちを落ち着けるために息をつく。窓の外には西日が沈み始めている。もうすぐ親が帰ってくる。早くこいつを追い払わなきゃならない。


 俺の名は橘遠馬。不死の存在である麗香と付き合って二週間。俺達はまだ、キスさえも交わしていない。



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