第3話

 塔の地下区画はローズの錬金術工房と魔導書保管庫となっている。超高度な魔導師であると同時に錬金術師であるローズはそれらの危険性を十分に熟知している。そのため人気は少ないが、狩り場近いという立地の場所に厳重な防御を施した要塞を建設したのだが、結果は見てのとおりである。人々は臆することなく要塞の傍に住居を建てた。ローズ、帝都双方が読み違えたのは人々のしたたかさだろう。

「これが例の香水?」

 錬金術工房の巨大な実験台の上には二十本入りの箱とバラ八本霧吹きのついた緑の小瓶が置かれている。

「はい、エリオット様から格安で譲っていただきました」

「格安?抜け目のない男ね。まぁいいわ」

 ローズはその中の一本を手に取り、天井の照明にかざし中を透かし見た。それを繰り返し香水の選別を始めた。香水は二十六対二に分けられた。ローズは二本のうちの一本を手に取り再度内部を覗いた。

「見てなさい」そういうとローズは手にした香水を肩越しに後方へと軽く投げた。

 弧を描き飛んだ小瓶は床に落ちて砕け、中身は床へと広がった。辺りに薔薇もどきの芳香が立ち込める。二人はその光景を眺めていた。無言の時が過ぎ、何も起こらないのかと思った頃、突然床面が湧き立ち、それが速やかに歌劇場で見た半透明で薄緑の小型のモルボルへと変わった。それはローズへ触手を使い絡みついていく。

「ほっておきなさい。すぐに消えます」絡みつく触手を剥がそうとするフレアを制止した。

 その言葉通りモルボルは弾けて、緑の液体となり靄となり消えた。歌劇場で見た光景そのものの繰り返しである。

「この通りよ。コルセットやスカートはどうなってる?」

 フレアはローズが身につけているコルセットドレスの腰や尻、そして裾などを触り点検した。

「湿りも何もありません」

「匂いはどう?」

 コルセットの背に鼻を近づけてみた。

「特に何も……」

「でしょうね。これを御覧なさい」ローズはフレアに取り分けた残りの一本を手渡した。

「よく御覧なさい。中に黒く小さな影があるでしょ?」

 フレアがそう言われて瓶を覗き込むと、中に薄く黒い点が見つかった。それはピクピクと脈動すると少し移動した。

「ひっ!」驚いたフレアは瓶を取り落としそうになった。

「それが前に話したモルボルの吐息と共に吐き出される種のようなものね」ローズは声を出して笑った。「一緒に混ぜられているアルコールや油を養分にして生き延びて、瓶が壊れるか何かの衝撃で発芽して爆発的に成長、しかしその養分をすぐに使い果たし塵に帰る。そういうところね」

「狙った人に種入りの物を渡していた?」

「それはないわね。それならエリオットの客が巻き込まれるはずがないわ。そうでしょ?」

「そうですね」

「相手は選んでないわ。この香水が売られていたのは旧市街の高級店。お客の大半はそこの貴族とお金持ち、当然被害を受けるのは?」

「貴族とお金持ち」

「それが貴族や金持ちばかりが被害を受けるという話の種明かしね。結局わたしを越える者なんて初めからいなかった。稀代の召喚士も存在しない」ローズは言葉を発するごとにいらだちを募らせていった。「いても、今回は関係なし。マーコットはいい加減な香水を売り、それが多くの被害を巻き起こした」

「でも、なんでマーコットはそんな面倒な物を香水に混ぜたんでしょうね?」

「それは本人に聞きに行きましょう。居場所はわかってるわね?」

「はい、その情報はエリオット様がおまけに付けてくださいました」


 コンド・マーコットの居城ケオー製薬本社は旧市街の港湾地区の一角を占める巨大な倉庫だった。人気が絶え、闇に沈む通りでそこからだけ光が漏れていた。

 闇の中、倉庫のすぐ傍に黒塗りの馬車が止められ、二人の身なりの良い女性が降りてきた。二人が本社倉庫に前に立った時、それを待ち受けていたように巨大な引き戸が開き始めた。

 倉庫内で仕事をしていた作業員達は何事かと手を止め顔を上げた。そこにいたのは赤い瞳の美女と金髪の少女。状況が飲み込めず困惑している作業員達の中で、彼女らの正体に気が付いた一人の男が、手にしていた荷物を放り出し逃げ出そうとした。

「お気遣いなく、皆さんはお仕事を続けてください」

 ローズの声に作業員達は何事もなかったように作業を再開した。

 今夜のローズは黒の外套も黒眼鏡も掛けていない。黒眼鏡と外套はローズの不意に漏出する力から人々を守るための防御壁。今夜のローズは慈悲の心は持ち合わせてはいない。

「何だ。お前たちは!」

 異変を察したのか男が二人倉庫の奥からやってきた。髪はあるが、「スイサイダル・パレス」にいそうなタイプである。その体格からしておそらく警備要員だろう。ローズ達を前に黙々と仕事を続ける作業員達に不審の目を向けながら、前へとやってくる。

「お出迎えありがとうございます。マーコットさんの部屋に案内していただけますか」

 一人が少し離れた壁沿いに設置された階段を指差した。その先には部屋があるようだ。相棒はローズの瞳を直視したためか、膝を付きその場に顔から倒れ込んだ。

 男を案内役に階段を上り扉を開け部屋へと入った。中は暗く人の気配はない。マーコットは今不在のようである。机が三台と掲示板、そこにはメモなどは何枚も貼りつけられている。他簡素な調度品と奥に大型の金庫が置かれている。窓からは階下の様子が見えるようになっている。

「冴えない部屋ですね」フレアが言った。

「まぁ、お客様をお招きすることはなんでしょう」

「あなた」ローズは仕事が終わりぼんやりと立っている男に声を掛けた。「そこの金庫を開けてもらえませんか}

 ローズに命じられた男は少しの間金庫の鍵を触っていたが、やがて部屋の隅、掃除道具と共に置いてあった金属棒を使い、頑丈な扉をこじ開け始めた。当たり前だが男達は金庫の開け方はしらなかったのだ。

「しかたないですね。わたしも手伝いましょう」

 室内に響き渡るは金属の破断音と共に扉が開いた。内部には二十ほどの札束と書類が詰まっている。

「たくさんありますね」

「今回の経費に幾らか頂いて帰りましょう」

 フレアが札束を手持ちの鞄に詰めると金庫の金額は三分の一ほどに減った。

「ごくろうさまでした。今日はこれで下がっていいですよ」

 ローズが男に暇を出すと彼はは黙ったまま礼をし、そのまま去っていった。

 階段を下りて、まっすぐに奥へ向かう。途中で小瓶と漏斗などの簡素な道具、大量の液体の入った容器が置かれた作業机に置かれた区画を通った。ほんのりとあの薔薇もどきの香りが漂っている。香水はここで人手によって瓶へと詰められていたのだろう。

「こんなやり方でよく何も起こりませんでしたね」

「起こっているに違いないわ。ただ隠されてきただけ、お金のためにね」

やがて、ローズ達は最奥に設置された巨大な引き戸に行きついた。鉄の枠で補強された巨大な扉である。引き戸が耳障りな音と共に動き始めるにつれ、「野生の咆哮」の香りが強くなってきた。

「これは……」フレアは目の前の光景に言葉を失った。

「あっはっはっ……、こういうことがあるから、いつまで経ってもこの世界にいることがやめられない」

 目の前には巨大な檻があり、そこにはまさに見上げるほどの成体のモルボルが囚われていた。体色は緑だが、頭頂部に巨大で鮮やかな赤や黄色の花を咲かせている。明らかに変種のモルボルであり、このモルボルが香気の発生源である。檻の中には多数の送風機と、檻の向かって左側に何本ものパイプが設置されていた。それらはすぐ傍のタンクへ接続されていた。

「雑な回収装置ね。モルボルはたまに他の植物と交雑することがあるのよ。交雑の結果この子の場合、本来の悪臭ではなく交雑相手が持つ香りを放つようになったわけね。それが災いして、こんな倉庫で囚われの身となってしまったのね。あの香水はこの子吐息その物なのよ。あの香水はこの子の吐息を集めてただ瓶に詰めただけの物」

 モルボルはローズ達の気配に気づいたのか、身体を揺らし檻の金網を蔓足で盛んに叩き始めた。

「もう少し待ってなさい。出してあげるから……」

 ローズが花咲きモルボルをなだめていると背後が騒がしくなってきた。

「そこで何をしている!」

 振り向くとこん棒や斧を手にした男達が並んでいた。入り口にいた作業員と警備員それに新入りが三人、いち早くローズ達の正体に気づいたを思しき男は、うまく逃げだしたらしくその姿はなかった。

「何をしていると聞いているんだ!」大声で叫ぶ男は並ぶ荒くれ者の中では異質だった。小柄で白髪そして眼鏡を掛けている。

「ローズ様、あれがきっとマーコットですよ。コンド・マーコット」フレアは白髪の故男を指差した。

「たしかにエリオットが言ってたような胡散臭そうな小物ね」ローズは笑い声をあげた。「まぁ、楽にしてなさい」

 男達は手にしていた武器を床に落とした。それが足に当たった者もいたが何も感じていない様子だ。マーコットは虚ろな目で棒立ちになった手下達の顔を覗き込んだ。彼らは動力が切れた人形のようにただ立っている。

「何をした!こいつらに何をしたんだ!」

 ローズは興奮し叫び続ける小男を見据えた。

「マーコットさん、あなたはわたし達にさっきからつまらない質問ばかりして、もっと他にしゃべる事はないんですか?」ローズはため息をついた。

「わたしはね、今回すごく期待していたんですよ。わたしを凌ぐ物が現れたのか。稀代の召喚士の出現か。でも、蓋を開けてみるとあなたのようなつまらないいい加減な男が不良品の香水をただばらまいていただけ、つまらない。本当にあなたには失望しましたよ。唯一の救いはこの子に会えたことですね」ローズは檻の中でうねうねと動く花咲きモルボルを手で示した。

「そこのあなた、急いで警備隊の方々を呼んできてくださいな。倉庫で事故が起きて、部材の下敷きになった者が大勢いると伝えてください」

 右端の男は一度うなずくと倉庫を飛び出していった。

「何をするつもりだ……」

 マーコットも逃げ出そうとしたが、足が動かなくなっていた。立っていることはできるのだが根が生えたように動かすことができない。

「何をするつもりだ……」

「またですか。何もしませんよ。わたしはね……」

 突然、みしみし、ぎしぎし、倉庫の部材が軋み始めた。花を頂いたモルボルを捕らえた檻はばらばらに崩壊し、男達の上に降り注いだ。支持を失ったパイプ類も床へと崩れ落ちる。赤錆と埃が舞う靄の中立っていたのはローズとフレア、マーコット、そして自由を取り戻したモルボル。

 仲間は鉄材と赤錆に埋もれたが、自分は無事であることにマーコットは安堵した。足も動きを取り戻したことに笑みを浮かべる。しかし、それもつかの間モルボルの蔓足が素早く伸びマーコット捕らえ高く高く持ちあげた。

 その蔓足は皆が見た幼体の物と比べ遥かに太く頑丈で弾けて消えることもなかった。

 

 ビビアン・クアンベル作「蒼天の騎士」は四日間の休演を経て、めでたく五日後に再演と相成った。それを祝うべく歌劇場へ向かうローズの前に立ちはだかる黒眼鏡の男が一人。

「ローズさん、少し時間はありますか?お伺いしたいことがあります」

 魔導騎士団特化隊員デヴィット・ビンチである。

「隣でよければどうぞ、ご用件は車内でお聞きしましょう。急ぎたいので、道中道が混むといけません」ローズは座席の右側を開けた。

 フレアはビンチが乗り込んだのを確認すると馬車を出した。決して小柄ではない二人によって客車の座席はかなり窮屈なものとなった。

「まず、先日モルボル騒ぎが解決しました」

「それではわたしへの疑いは晴れたということですね」

「はい」

「それではわたしに話したいこととは何でしょうか?」

「もう新聞発表になっているのでご存じでしょうが、今回に騒ぎを起こした首謀者というのはコンド・マーコットという男です。あの「野生の咆哮」という香水の元売り業者、正確には騒ぎの原因となった香水を作り出した男です」

「さすがに特化隊ですよね。あの難解な事件を解決するとは」御者席からフレアの声が聞こえる。

 ビンチは一瞬顔を歪めたがすぐに言葉をつづけた。「我々でもケオー製薬の内偵は始めてはいましたが、検挙につながったのはほんの偶然からです。ケオー製薬の従業員を名乗る男が、警備隊の港湾第一分署に、倉庫の事故でけが人が出ていると、助けを求めにやってきたことからです。ケオー製薬ということで我々も駆けつけました。発見されたのは錆びた鉄材の下敷きなった従業員達と何者かにぼろ雑巾のようにされた社長のマーコット、そして巨大なモルボル、破壊された金庫」

「ビンチさん、事件の詳細を教えていただけるのはうれしいんですが、それを今わたし達に話す意味はあるんですか?」

「いろいろ不可解な点が多いんです。極めて強い力で断ち切られた金庫の閂、異様なほどに錆びた鉄材、重傷を負った従業員たちのあいまいな記憶。ある程度は倉庫にいたモルボルの仕業と推測できるんですが、その他第三者も関与が疑われています。強い力を持つ者の関与です」

「それでわたしのところに来たということですか?」

「その通りです。三日前の夜ですが、あなたの馬車を旧市街の港の近くで見たという証言があるんです」

「その日なら確かに港に近くまで馬車を走らせましたね。それだけです。お芝居の公演がこの先どうなるのか気になって落ち着かなかったので、気晴らしに馬車を走らせていました、そうよね?フレア」

「はい、ローズ様!」

「ビンチさん、わたしは随分前に人間をやめた吸血鬼で魔導師でもあります。それなりに力の強さには自負はあります。が、当然できないこと多くもあります。前も言ったでしょう。わからないことをすべてわたしに押し付けるのはおやめなさい」

「わかりました。隊長にはそう報告しておきましょう」

 ビンチはローズにほほ笑んだ。ローズも微笑みを返す。しかし、お互い黒眼鏡下に隠れた瞳までは見ることはできない

「それはそうと、そのマーコットとかいう男はどうなるんです?」

「不良品の香水や許可外のモルボルの飼育までならともかく、容疑は人身売買まで絡んできてますから、モルボルに叩きのめされた怪我が治って、不自由ながらも身体が動くようになっても、行動の自由は望めないでしょうね」

「どういうことです?」

「マーコットは移民希望の人たちをだまして帝都に連れてきて、港に停泊した船に閉じ込め、香水の詰め込み作業員としてこき使っていた。これには帝都の者も絡んでいるようです。まぁ、それは追々はっきりしてくるでしょう。この件は引き続き特化隊も関与していく事になりました」

「だまされてここに連れてこられた人たちはどうなるんです?」

「帰るなり、ここに残るなり本人の望む事を支援することになります。帝国正教会はもう動き出してます。タイミング良く多額の寄付も入ってきたらしい」

「モルボルはどうなるんです?」フレアが声を投げかけてきた。

「あいつは帝国植物園かな。今回モルボルの件で世話になった先生があいつをえらく気に入って、植物園もかなり乗り気らしい」

「かなりの変種ですからね」フレアがつぶやいた。

「なぜそれを知ってる?」

「あの香水の原料になるなら変種に決まってるでしょう。それぐらいは少し考えれば想像はつきます。新聞にもモルボルの事は載ってましたし……」ローズがすかさずフォローを入れる。

「まぁそういうことにしておきましょう。もう一度聞きます。本当に何もしてないですね?」

「もちろんしていません!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

這いまわる薄緑 護道 綾女 @metatron320

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ