第22話 言えない話

 

 ……とまあ、一波乱ありながらも俺としては上出来な花火大会だったんだけど、話はそれで終わりじゃない。予想外の形で知ってしまった先輩の過去について、俺はどうしても話を聞かなければいけない人がいた。バイトを終えて、指定された待ち合わせ場所……特地研の最寄り駅の改札から出たところにあるカフェで待っていると、待ち合わせ時間より少し早いころになってとんとんと特徴的な足音が聞こえてきた。杖を突きながらあたりを見回すその人に手を振って居場所を知らせると、穏やかな笑みが返ってくる。

「ごめんね、待ったかな」

「いえ、今来たばかりです」

「君から呼び出しがあるなんて思わなかった」

「そう……ですね。すみません、わざわざ迎えに来てもらっちゃって」

「気にしないで。こっちが指定させてもらったんだからね」

 頭を下げると、山下さんは「なんか顔固くない?」と首を傾げた。

「話があるってことだったけど、とりあえずご飯でも食べながら話でもしようよ」

「はい」

 うなずいて、先を行く山下さんについていく。研究所ではできない話があると言ったら、山下さんは電車に乗るのが苦手だからと特地研からそう遠くない店の予約をしてくれた。

「嫌いなものがあんまりないみたいで助かったよ。今日行くお店、おいしいんだけどメニューはそんなに多くなくてさ」

「そうなんですか」

 他愛もない雑談なはずなのに、緊張で口がうまく回らない。明らかに様子がおかしいと分かってるはずだけど、山下さんは特に何も言わなかった。気を利かせてくれてたのかもしれない。

 店は駅からそう遠くない場所にあった。慣れた様子で入っていく山下さんに続いて、案内された席に着く。落ち着いた雰囲気の、小さな店だ。

「何か飲むかい? 皆方からはいくらか飲めるって聞いたけど」

 グラスを傾ける仕草に、先輩が俺のことをこの人にどう話しているのかが気になったりもしたが、今日は少し遠慮したい。

「いえ、今日はちょっと」

 まだ緊張の抜けきらない声で辞退すると、そうかい、と少し気の抜けた様子で赤ワインを注文していた。

 情けない話だが、自分で呼び出しておきながら何から言えばいいのかさっぱり分からない。

「好きなタイミングで話してくれていいよ。研究所で話せないことって言うくらいだし、それなりに重要な話なのは分かってる。ゆっくりで大丈夫だからね」

「すみません」

 そう言われても、すぐに切り出すことはできなかった。まず、何から聞けばいいのか。いや、どこから話したらいいのか?

 注文した料理が届いて、勧められるままに口をつけた。

「……おいしいです、これ」

「そうだろ? 知り合いの店なんだ」

 山下さんは嬉しそうにそう言って、料理に舌鼓を打った。

「……山下さんは、先輩から花火大会で何があったか聞きましたか」

「花火大会? 君が迷子になって皆方が見つけたっていうあれかい? 一応聞いてるけど」

「俺、迷子になってたんじゃないんです。友達と移動してる途中に、ある人と会って……」

 どうにか話し始めると、言葉は次から次へと口からあふれてきた。あの暗い色のメタモロイドのこと、適合者の話、研究所の過去の話。山下さんの表情から笑みが消え、深刻そうなものへと変わる。一通り話し終えると、すぐさま「質問いいかな」と

「まず、君にその話をしたっていう男……少年、なのかな。その子について聞こうか。名前は分かるかな」

「ミドリ、です。偽名なんですけど、持ってたサングラスの色から取ったんだと思います」

「メタモロイドのサングラスってのもまた謎なんだよなあ。それ、本当にメタモロイドだったのかい?」

 訝しむ山下さんの声に「間違いないはずです」と頷いた。あの、つるりとした独特の質感は、この間見せてもらったものと同じものだ。今回はよく見えなかったけど、確かにそうだと思う。なんだか暗く濁った色をしていたのが気になるけれど……。山下さんはうなずいて、指で丸く石の形を作った。

「秋はメタモロイドを食べてるだろう。基本的に経口摂取で体内に取り込むことで効力が出るんだ。夏巳だってそうだよ。少なくとも僕が担当しているケースでは、メタモロイドを通して視力を強化するなんて人はいない」

 本人の言う通りなんだとしたらかなり珍しいタイプだよ、と興味深そうにつぶやく山下さんについ聞き入ってしまったが、少し本題からずれていることに気づく。

「それでその……本当なんですか、彼の言っていることは」

 尋ねる声がわずかに強張ってるのが分かる。わずかな沈黙が耳に痛いくらいで、こらえきれずにテーブルに視線を落とした。

「嘘だよ、って言ったら信じてくれるのかい?」

 質問を返され、言葉に詰まる。そりゃ、嘘であってほしいと思うけど……ミドリのあの深刻な様子を見る限り、全部が全部嘘だとも思えない。答えられないでいると、山下さんは「ちょっと意地が悪かったね」と苦笑した。

「本当だよ。秋は、生まれたときに親と引き離されて、特地研の前身である施設で育った子供なんだ」

 ……分かっていたことだったけど、この人から改めて口にされるとショックが大きい。

「本当は結構重度の機密で若い職員はほとんど知らないんだけど、僕から漏れたわけじゃないし、変に隠し立てして秋のことを疑われるのも嫌だから。というわけで、できる限り質問に答えるよ」

 そのかわり絶対に他言しないでね、と念押しして、山下さんは静かに語り始めた。

「皆方という苗字は彼女の生みの親のものじゃない。秋という名前を付けたのも彼女の親じゃない。あの子は施設で育った子だ。僕が彼女の存在を知ったのは、特地研に勤め始めて少し経った頃の話で……研究の合間に面倒を見てきた」

 声を潜めての語りを聞き漏らさないように手を止める。

「ついでに言うとこの足の怪我もその時のものだ。もう、七年も前の話になる」

 杖を持たない方の手で膝をさする。テーブルに視線を落とす山下さんの表情は暗く、俺は掌に汗がにじむのを感じていた。

「『適合者の開放を』。そう言ってやってきた彼らは、まず最初に研究員を襲っていった。次に設備の破壊。最後は、適合者たちの誘拐だ。……もっとも、かつて僕たちがやったことも、彼らとほとんど同じことだったんだけど」

 そんなことはない、と言うことはできなかった。だって実際に先輩にはこの人しかいないのだ。元後見人を名乗る山下春樹その人しか。

「秋も夏巳も、その場にいたんだよ」

 穏やかな口調だったのに、その言葉はずしりと重かった。

「僕は、階段から落ちて意識を失っていて……死んだと思われたんだろう、そのまま放置された。目を覚ますと、辺りは静かになっていて、僕は足を怪我していた。誰かいないのかと思って、這ってそこらじゅうを探し回った。でも、答える人はいなかった。僕も身を隠さなきゃと思って、隠れ場所をを探して……そこに、三人の子供がいた。夏巳と秋と、もう一人」

 眉間に深い皺が寄る。額に汗がにじみ、呼吸がわずかに乱れている。適度にアルコールが入っているはずなのに血の気が引いたその顔は、未だに癒えない傷を抱える人の顔だった。

「子供たちの隠れ場所を圧迫するわけにもいかなかったから、助けが来るまで絶対にここから動かないように、声も出さないように、って言って他の場所に行こうとしたんだけど、そこで哨戒していた一人に子供たちともども見つかった」

 眉間に苦悶の皺が寄る。

「手を離すわけにはいかなかったんだ。無我夢中で子供たちを抱えて抵抗して、また気を失って……今度目を覚ました時は、病院にいた」

 深いため息。

「夏巳と秋にしか、会えなかった。もう一人は連れ去られていたことを、退院した後に聞いた」

 テーブルの上で固く握られた手は、小さく震えていた。

「二人が助かったのも、僕のおかげじゃなくて警官が間に合ってくれたからというだけだ。僕は、何もできなかった」

 話を聞いていて、ふと思ったことがあった。機密であるはずの事件の内情に詳しく、やけに先輩を気にしている。俺とそう年の変わらないあいつは、もしかして。

「山下さん、もしかしてミドリは……」

「やめてくれ!」

 鋭い声に息を呑む。充血し、うるんだ瞳はひどく苦しそうだ。

「希望的観測なんかしたくないんだ。僕はあの子を守れなかった! あの子が助けを求める声を今だって覚えてる!」

 苦悩に満ちた目に見据えられて息を呑む。

「あの子が生きていたとしても、僕がそれを素直に喜ぶ権利はない。……あの子に合わせる顔がないんだ」

 悲痛な言葉に、俺は押し黙ることしかできなかった。山下さんはゆるゆると深呼吸を繰り返し、額に手を当てて呻くように言った。

「……ごめん。取り乱した」

「いえ……俺の方こそ、すみません」

 うなだれる山下さんは普段よりずっと小さく見えた。何を言ってもうわべだけの言葉になってしまいそうで、口をつぐんでうつむく。

「俺が何か言うのも変かもしれませんけど、ミドリは誰かを恨んでたりとか、そういうことはしてなかったように思います。話を聞いた限りは、ですけど」

 どうにか絞り出したフォローになりきれないフォローに、山下さんは少しだけ表情を緩めてくれた。

「とりあえず、そのミドリくんが接触してきたときにはまた教えてほしい。彼個人に君を害する意図がなくても、念のために」

「はい。必ず」

 頷くと、山下さんは真面目な顔になってこう言い足した。

「でも、君から研究所の方に誘導したりするのは、できればやめてほしい。あくまで彼の意志を尊重してほしいんだ」

「それは……もちろん、分かってます」

 俺が研究所のことについて知っていることは少ない。その上ミドリが言っていた組織のことなんかもっと知らない。つまりほとんど部外者だ。だから、変に情報を与えて混乱させたくはない。

 そう言うと「しっかりしてて助かるよ」と微笑まれて少し照れる。山下さんは表情を曇らせて、力ない声でぼやいた。

「協力者じゃない適合者が犯罪に巻き込まれたり、当事者になるケースが増えてきてる。本音を言うと、こっちで保護したいけど……」

 額を抑えて悩ましく唸る山下さんに、俺も困った顔をするしかない。あんな風に悩みっぱなしなのも、放っておけないのだけど……。

「しかし、どうして俺だったんですかね」

 ふとこぼした疑問に、山下さんは首をかしげる。「どうして俺に話そうと思ったんでしょう」と尋ねてみると、山下さんも首を傾げている。

「彼が、どういう意図で君に話したのかはわからないけれど……話を聞いてくれそうだから、ってのはあると思うな」

「そうですか? 自分ではよく分からないんですけど」

「実際君は彼の話を聞いたじゃないか」

 どこか嬉しそうな山下さんの言葉に、今度は俺が首をひねる番だった。

「君が適合者に好かれるタイプなのかなあ。性格? それとも顔? 普通に人すきのする顔だと思うけど」

「それは俺には分かんないですけど……」

 なんとも答えにくい疑問に苦笑いする俺の顔をしばし見つめて、山下さんはグラスを手に柔らかく目を細めた。

「特地研、研究者は多いけどそれ以外がちょっと心もとないんだよね。もしバイトの募集がかかったら応募してみる気はないかい? 事情を一から説明しなくて済むからこっちとしても楽だし。スカウトになってくれたら今よりもうちょっといろんなこと教えてあげられるよ」

「そりゃいいですね、考えときます」

 いたずらっぽくウインクする山下さんと一通り笑って、声を潜めて聞いてみる。

「……冗談ですよね、流石に?」

 山下さんは首をかしげて微笑むだけだった。そこは否定してほしい。人手不足と聞くといろいろ心配になってしまう。

 そろそろいい時間だからと店を出て帰路につく。

「荷物、持ちますよ」

「いいのかい? ありがとう」

 暗いんで気を付けてくださいね、と言うと、心配性だねえと笑われた。山下さんの足取りは軽く、それでいてなんだか覚束ない。そりゃ心配にもなります、と口の中で呟いてその横に並ぶ。

「話してくれてありがとう。いろいろ参考になったよ」

「こっちこそ、聞いてくれてありがとうございました」

 夜風が気持ちいい。話のタネも尽きて、無言で歩く。

 ここまでで大丈夫、という山下さんに鞄を返し、「じゃあ失礼します」と頭を下げて駅へと歩き出す。

「これからも、秋のことよろしくね」

 ほんのわずかに含みを持たせた声だった。驚いて振り返った俺は何を言ったものか分からず、それでもきっぱりと頷き、もう一度頭を下げた。暗くて山下さんの表情は見えなかったけれど、じゃあまた、と別れを告げる声が柔らかかったから、そう答えてよかったんだと思う。


「ああ、おかえり」

「ただいま、です」

 玄関のドアにもたれて立っていた先輩にあいさつされ、間抜けな声で答える。いやそこ、俺の部屋……先輩は戸惑う俺に視線をやって、すぐに目を伏せる。

「夕飯、うまかったか」

「え? あ、はい」

「ハルさんから聞いた。電話したら酔ってたみたいだったから、珍しいと思って聞いてみたらお前と一緒だったって言うから」

 あの人、酒弱いし。そう言う先輩の意図が読めず、ごくりと唾をのむ。何を言うべきか。

「何話したかとか、聞きましたか」

 そこまでしゃべられてたら流石にまずい。そう思って聞くと、先輩はひたと俺の目を見つめた。

「いや、そこまでは。私に聞かせたくない話か?」

「そういうわけじゃ、ないですけど」

 どうにかそう返せば、先輩は全然信じていない様子で「そうか」と言った。鋭いのか鈍いのか分かんないなこの人、と思う。多分、山下さんについては付き合いの長さからよくわかるんだろうけど。

「別に、ハルさんとお前に付き合いがあることは構わない。……だが、お前があんまり特地研に出入りするのは、いいことだと思ってない」

 苦虫をかみつぶしたような顔をする先輩に、俺は少しばかりうつむく。

「……すみません」

「責めているわけじゃない。元はと言えば私のせいだ」

 先輩の言葉は端的だ。それなのに重たくて、悔やむような色を帯びているのが分かってしまう。

「お前が何をしようと私に口出す権利はない。……ないが、何かに巻き込まれやしないかと気が気じゃない」

「……心配かけてすみません」

 頭を下げると、先輩は苦悩するように首を横に振る。黙り込んでしまった先輩に恐る恐る声をかける。

「今のところは大丈夫なんです、本当に。それは山下さんもそう言うと思います」

「いずれ大丈夫じゃなくなるということか?」

 先輩の眉がきりりと吊り上がる。怒鳴られてるわけでもないのに気圧されて、言葉に詰まった。言い方がまずかったか。

「大丈夫じゃなくなる前に、必ず先輩に言いますから」

 だから今回は見逃してくれませんか、と言葉にしないで祈っていると、先輩はしばらく考え込むように俯くと、すいと手を差し出してきた。目を丸くしていると、小指だけ立てたその手をずいと押し付けてきた。

「約束だ。ほら」

「えっと、はい」

 こういうことかな、と同じようにして手を差し出すと、細い小指がするりと絡められる。

「ゆびきりげんまん、はりせんぼんのーます。ゆびきった」

 お決まりのフレーズを抑揚なく歌って、先輩は手を離した。先輩、こういうことするんだな、と意外に思っていると、とん、と俺の胸を指で突いて、静かな声でこう言い放った。

「私は本気だぞ」

 え、と声を上げるいとまさえなく、先輩は自分の部屋に引っ込んでしまった。本気って何が……と不思議に思うこと数秒、思い当って顔を引きつらせる。

「……マジで?」

 マジで針千本飲まされるんですか、俺。冗談だろうと思いたかったが、妙に真剣な声だったので、まさかと笑い飛ばすこともできなかったのであった。やっぱりあの人のことは、よくわからない。

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俺の先輩は 司田由楽 @shidaraku

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