第20話過去
「待った、ちょっと待った!」
人の流れに逆行するように歩き続ける男を慌てて呼び止める。自分の無事は半ば諦めたとはいえ、男が何のためにやってきたのかも分からないままではどうしようもない。今すぐ何かしようという意思は感じられず、かと言って流石に人気のない場所に連れ込まれるのがまずいことくらいはわかる。
「どこまで行くんだよ」
「どこまで……37番が、来ないところまで」
振り向いた男は緊張に強張った顔をしている。前回はサングラスをかけていたのでわからなかったが……やっぱり、まだ幼さが残る顔立ちをしている。背も、先輩よりわずかに高いくらいだ。
「先輩が来ない……? いや、なんで先輩が祭に来てるって知ってるんだ」
「それくらい探せば見える。……もう、だいぶ離れたか」
神経質にあたりを見回す男を改めて観察する。俺の手首をつかむ力は強いのに、その指も腕も細くて色白だ。暗くて見えにくいが、忙しなくあたりを見回すその目元にうっすらと隈が見えた。
「何の用だ。先輩のことはあきらめたんじゃなかったのか」
警戒心もあらわに尋ねれば、男はゆるりと首を横に振った。
「用があるのは37番じゃない。君だ」
「俺に?」
「そうだ。品川広夢。君に聞きたいことがある。話しておきたいことも。37番、彼女に聞かれるのは困る。いろいろ都合が悪い」
そうして再び歩き出そうとするのを、足を踏ん張って止める。男はもどかしそうに振り返り、早口に言った。
「俺は今、誰かに言われてここにいるわけじゃない。君には絶対手出ししない。だから、俺の話を聞いてくれ」
めまいがするような懇願だった。ほんの少し前の事件は俺の生活にまだ影を残していて、インターホンが鳴るたび少し身がすくむ。取り合わない方がいい、というか取り合っちゃいけないんだと分かってはいる。いるけれど。
「わかった。ただし、人気のあるところで話を聞く。何かしようとしたらすぐに警察……いや、37番を、呼ぶからな」
そう険しい表情で釘を刺すと、文句を言うでもなく素直にうなずく。……俺、一体どうなってしまうんだろう?
ラムネを買って、公園の鉄柵にもたれかかる。瓶を矯めつ眇めつして困った顔をしている男に、もしかしてと思って訊ねた。
「飲んだことないのか、ラムネ」
「うん」
いたたまれなさそうな顔でうなずくその姿に、そんな場合じゃないのについ笑ってしまう。貸してみ、と手を差し出し、さっと開けて渡す。
「ありがと、う」
ぎこちない礼をして男は……というか、少年は、そっと瓶に口を付けた。が、今度は不思議そうな顔をして首をかしげる。
「飲めない……」
「ビー玉が飲み口につっかえてるんだな」
どうにも間が抜けている。飲み方を教えてやりながら困惑する俺の隣で男はようやく冷たいラムネに口をつけて、ほっとしたようにため息をつく。
そんなどこかあどけなささえ感じる横顔を眺めているうち、もしかしたら、そう悪いやつでもないのかもしれないなどと思い始めてしまっていた。俺を直接さらったのはこいつじゃないしなあ。まあ、あの時先輩が間に合わなかったら何されていたのかはあんまり想像したくないし、警戒しないわけにはいかないけど。
「それで、話って何なんだ」
世間話をするような間柄でもない。冷えたラムネで喉を潤して、単刀直入に問いかけた。
「……君は、37番についてどのくらい知ってる?」
「知らないことの方が、多いよ。適合者だなんだって話も、ついこの間知ったばかりだ」
「そうか。じゃあ……37番は、自分の力を悪用すると思うか」
「思わない」
先輩はああ見えてリスクマネジメントはきちんとやる人だ。あと、あんまり物事に執着するたちではないように思う。悪事を働いてまで何かするより、あっさりと切り替えて他の目標を見つけるタイプ。理由もなく他人に迷惑かけるような人ではないし。
「信頼してるんだな」
「そうなのかな」
信頼とはいまいち違うような気がするけど、説明が面倒だ。男は首をかしげる俺を穏やかな表情で見ていたが、不意に表情を引き締めた。
「37番は、きっと自分のためになんて考えもしないんだろう。……でも、彼女に指示を出してる人間がいつも正しい指示を出すとは限らない」
そう言われて真っ先に浮かんでしまったのは、彼女の元後見人だという山下春樹さんだ。あの人のことを無条件に信じられるほど、その人となりを知っているわけではない。
「君は俺たちを……俺を、敵視してる。それはしょうがないことだと思うし、当たり前のことだ。でも、それだけじゃ駄目だ。分かるな?」
早口でまくし立てる様子に圧倒される。男はちらちらと周囲を気にしていたが、深呼吸を一つして声を潜めた。
「今から話すのは、昔の話だ。なかったことにされている話だ。深入りするんなら、君も知っておいた方がいい」
まっすぐに見つめてくるその瞳の底知れなさに、背筋が冷えるような思いがした。それでも後には引けないと大きく頷く。
「出生時の検査にメタモロイドの適合検査が追加されたのは、実はごく最近のことだ」
「7年前から義務付けられたんだっけか」
「知ってたのか」
「ちょっと調べたんだ。まあいいや、続けて」
こくりと頷き、男は慣れない様子で話し始めた。
――その検査が義務付けられる前は、どうやって適合者かどうか見分けていたと思う? ……本人や、保護者の同意を得て検査する。うん、それが一番多くて、正しい方法だ。でも、そんなよくわからない検査をわざわざやってくれる人はそんなに多くない。ただでさえ少ない適合者を探すには、それじゃあまりにも効率が悪い。だから、生まれてきた子供を内密に検査して、適合者だったら子供を死んだことにして、ある施設にいれる……。そんなことが、昔は行われていたんだ。
そうして子供は親の顔も知らずに育つ。そういう子供が何人いるか、正確には分かってない。でも、一人や二人じゃないことだけは明らかなんだ。
「まさか……先輩も?」
「37番の口から直接、親の話を聞いたことがあるか?」
暗い声での問いに首を横に振る。そりゃ、元後見人なんて言うくらいだ、ややこしい家庭の事情があるんだろうと思っていたけど、そんな事情なんて想像できるわけがない。熱気でどこまでも蒸し暑いはずなのに、指先から冷え切っていくような気がする。
「続けて大丈夫か」
「……うん。続けてくれ」
気遣いを感じさせる声に唸るようにして答えた。これ以上続きなんてあるのかよ、と思ったが、どうにかこらえる。
――で、今俺がいる組織はそういう研究所の行いが許せないってところから始まったんだけど、ちょうどそういう施設をどうにかしようって誰かが言い出したあたりから、あんまり穏やかじゃない手段もとるようになっていったみたいで……。ほとんどテロみたいなこともするようになった。そこでターゲットになったのが、さっき言ったような子供がいる研究所だ。
子供のためだ、なんて言ってたけど、本当の目的は人材の確保だったんだ。親から引き離された子供を攫って、研究所がどれだけあくどいのかって吹き込んで、敵意を抱くように仕向ける。個人差はあるけれど、適合者は一般人より身体能力が高い。一人いるかいないかで大違いだ。
研究者を襲い、子供を攫い、施設に火をつけて……具体的な被害は、俺も知らない。けど、こっちの組織にも、その時のことを忘れられないやつがいる。
そんな事件があったから、適合者の子供を一か所に集めるのは危険だと判断されて、その施設の仕組みそのものがなくなった。そうして出生時の検査にメタモロイド適合検査が加わったんだ。
そうしめくくり、男は一息にラムネをあおった。大きく息を吐いたその視線が、憂えるような色をたたえていることに気付いてしまう。
「……あくまで昔に起きたことだ。人員は入れ替わったし、今は適合者の検査は出生時に行われるようになった。もうあんなことは起こらない」
遠い目をして男は言った。声もなく唇が動く。起こっていいはずがない、と言ったのかもしれなかった。
「今はまだ、社会に認められた適合者と俺たちみたいなやつらの対立だけで済んでる。でも、これから状況が悪くならない保証があるか? 本当に37番はあそこにいれば安心なのか?」
「う……」
地面がぐらりと揺れたような錯覚。流し込まれる情報に頭痛がしてきた。だって先輩、そんなことがあったなんて思わせないくらい普通に、普通の学生みたいにしてたのに。ぐるぐると考え込んで、ふと、話を聞いていて感じた違和感の正体を唐突に理解した。
「37番っていうけど、もしかして……先輩のこと、知ってるんじゃないのか。あんたも、もしかして、その事件の……」
先輩のことを話しているはずなのに、まるで実際に見てきたような言葉だ。じっと見据えてやると、男はすいと目をそらした。
「さあね」
曖昧な笑みではぐらかされ、口をつぐむ。これ以上は何を聞かれても言うつもりはないようだった。言葉を失って立ち尽くす俺をじっと見つめていた男が、ハッとしてあたりを見回した。暗い緑のサングラスをかけ、鋭く舌打ちする。
「しまった、37番が来る」
「は……? 何で?」
「知らないよ! 今日はもういい、話すべきことは話した。今日のことは誰にも言わないでくれよ。バレるとまずいんだ」
先ほどまでのどこか沈んだ空気は霧散して、空になったラムネの瓶を持った男は落ち着きなくあたりを見回し、走りだそうとする前に一度振り返った。
「僕はもう帰るよ。もしかしたらまた会うかもね」
そう言った男をそのまま見送りそうになって、はっと我に返る。
「待ってくれ、最後に一つ」
慌てて呼び止めると、男はやや険しい表情で振り返る。何、と突き放すように聞かれ、短く問う。
「また会ったときは、なんて呼べばいい?」
そんな問いが出たのが自分でも意外だった。でも、今度会うときがあるかもしれないなら知っておいた方がいいだろ、とも思った。少し考え込むような間が空き、戸惑った声が返ってくる。
「名前は言えない。だから、ミドリと呼んでほしい」
きっとそのサングラス、メタモロイドを染める色から取ったものだ。あんまりにも安直だとは思ったけど、俺としては呼ぶ名前があればそれでいい。
「分かった。……話してくれて、ありがとう」
「なんでお礼なんか……積極的に聞きたい話じゃないだろうに」
「お前だって、話したかったことじゃないだろ。ショックだったけど、でも……うん、そうだ。深入りするならいずれ知ってしまうことだったと思う」
だから、早く知れて良かった。そう言うとミドリは泣きそうに顔を歪めて、それを隠すように背を向けてしまった。そのまま何も言わずに暗闇へと消えていくのを、俺は今度こそ黙って見送った。
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