約束を守る

第19話 ある夏の日の

「なあ品川、花火大会一緒に行かね?」

 花火大会。同じクラスの中井が言った季節を感じる言葉に目を細め、俺は額に浮かんだ汗を雑に手の甲で拭った。

「もうそんな時期か」

 大学に入学してからはや三か月。短い期間なのにやたらと思い出すことが多いのは、まあ言わずもがな先輩のせいだろうな、などと物思いにふけっていると、「で、どうなんだよ」とせっつかれる。

「他に誰が行くって?」

「まだ声かけてる途中だけど、今決まってるだけでも三人はいるよ」

「どういうメンツ?」

「同じクラスのやつとその友達とか」

 へえ、とやや興味のなさそうな声が出てしまった。

「お前もさ、バイトしかしてないんだし、たまには付き合ってくれてもいいんじゃねえの?」

 そんな気遣いのような言葉に苦笑する。まあそうなんだよなあ、知り合いこそ増えたが学内で遊びに行くほど親しくなった人はそんなにいないのだ。……まあ、でも、今回はちょっとだけ待ってほしい。

「俺はまだちょっと保留で」

「ん? 何か用事?」

「別に、その日は空いてるけども……」

 曖昧に言葉を濁すと、何を察したのか中井はにんまりと笑った。

「なるほどね~。分かっちゃったな」

「まだ何も言ってないだろ」

 そう顔をしかめてみせるものの、恐らくこいつの予想は当ってると思うので、これ以上の言及は避ける。うまくいくといいな、なんて微笑まれてしまい、その場では結局だんまりを決め込むことしかできなかった。


 なるべく気負わないようにして、隣に住む皆方先輩に声をかけてみた。世間話を装ってはいるものの、要件はもちろん花火大会へのお誘いである。

「……先輩さえよければ一緒に行きませんか、花火」

「悪いな、その日は先約がある」

 端的な断りの言葉に目を瞬く。駄目元ではあったけど、まさか先約とは。返事に困っていると、先輩は困ったように眉を下げた。

「そんな顔をするな。少し遠出になるが、他の日でも花火は見れる」

「そりゃそうですけど、日程合いますかね」

「……最大限努力する」

 気まずそうに目を逸らす先輩にああやっぱり忙しいんだな、と落胆する。分かってはいたことだけど、それでもはいそうですか、とはなれないのだ。

「気にしないでくださいよ、花火じゃなくちゃいけない理由はありませんから」

 半分は自分に言い聞かせるための発言である。先輩は何か言いたげにこちらを見ていたが、俺が首を傾げると小さくため息をついて首を横に振った。

「優子にも誘われたんだが、断った。まさかお前も声をかけてくるとは思わなかったんだ」

 まさか先手を打たれてたとは。林さんおそるべし……と慄くと、妙なことに気が付いた。林さんでないとすれば……先約って、誰と? 考えても分からなかったので率直に聞いてみれば、見たこともないような困った顔をされた。

「……お前の知らない人だ」


「祭、行くわ」

「え、あ、おう……それはいいけど、なんでそんな落ち込んでるんだよ」

「別に落ち込んでない」

 そう言いながらも油断すると溜め息がこぼれそうになって、慌てて唇を引き結ぶ。

「祭、フラれちゃったのか」

 軽い調子で問われてきっとにらむと、ごめんって、と手刀を切られる。

「俺が誘うのが遅かっただけだってさ」

 先約、もしかして林さんと先輩の共通の知り合いだったりするのかな、と思って聞いてみたが違うらしい。「君の知らない人だ」……と、断られたようだ。俺とほとんど変わらない。

 特地研の知り合いだろうか。でもそれならそうと言いそうなものだ。林さんはともかく、俺は研究所のことを知ってるわけだし。俺の知らない先輩の知り合いって誰だ、とモヤモヤするのを頭を振って振り払う。先輩の交友関係なんて全部把握できるわけない。隣に住んでるんだから家に来るような仲の人はいない(林さんは近々呼ぼうと思ってるらしいけど)ことは流石にわかるし、どこに行くのか聞いても大学か特地研の二択だけど、そこ以外で一緒に祭に行くような親しい人がいてもおかしくは……おかしくは……。

「いやおかしいだろ」

「何が……?」

 疑問が勝手に漏れていたらしく怪訝な顔をされた。その場だけ何とか誤魔化したものの、疑問は胸の内にわだかまってどうしても晴れてはくれなかった。森本さんや山下さんに聞いてみるという手もなかったわけではないけれど、そこまでして知ろうとするのはいくらなんでも不躾な気がするので、結局俺は祭りの日までもやもやとした気分で過ごす羽目になったのだった。


「品川―、こっちこっち」

 人ごみの隙間から呼ぶ声が聞こえて、そちらに足を向ける。友人の中井と、彼が連れてきた面々だ。大学内で顔を見たことがある、くらいの関係だが、感じのよさそうな人たちだ。

「じゃあ揃ったし、そろそろ行くか」

 人の流れに沿って歩く。花火まではまだ余裕があるが、さてどうやって時間をつぶそうか。

「どうする? なんか買う?」

「俺、腹減ったなあ」

「分担して買い物しない?」

 相談の結果、屋台を見て回ってから必要な買い物をしようという話になった。とはいえ、射的などのゲームは後回しで、とりあえず食料の確保。軽く腹ごしらえをしてから花火が始まるのを待つ。まあ何の変哲もない行程である。


 で、俺はじゃんけんに負けて、どこの屋台も長い列を作ってる焼きそばの列に並ばされることになった。先輩にフラれて以降どうにもついてない気がする……というのは、流石に考えすぎだろうか。そろそろかな、と財布を出してぼんやりしていると、なんだか妙に聞き覚えのある声が、でも聞こえるはずがないと無意識のうちに思っていた声が聞こえた。

「シノ?」

「はい?」

 反射的に返事をしてしまったが、俺をそう呼ぶ人なんてこの世に一人しかいない。まさかそんな、と顔を上げると、見覚えのありすぎる瞳が驚いたように見開かれている。

「皆方先輩!?」

「なんでお前がここに?」

「そりゃこっちのセリフですよ! 俺は祭に行くって言ったじゃないですか!」

「私は知り合いの手伝いだ。だから言ったろう、先約があると」

 焼きそばを焦がさないようにかき混ぜつつ、先輩がそっけなく答える。と、前のお客さんにお釣りを渡していた女性が意外そうな声を上げた。

「ありゃ、秋ちゃんのお友達? 約束してたなら言ってくれればいいのに」

「後輩です。あとこいつが来たのは偶然です、本当に」

 店主さん(仮)の不思議そうな視線にこくこくうなずく。俺だってびっくりです。

「あらあら、ほかにも焼きそばのお店なんかいっぱいあるのに偶然? まるで運命みたいねえ」

 店主さんがくすくす笑うのに少し顔が熱くなる。運命ねえ。そんな素敵なものがあったらうれしかったんですけど。あたりが暗くて助かったと愛想笑いを浮かべてると、先輩が人数分の焼きそばが入った袋をずいと差し出した。

「後がつかえている。友達も待たせてるんだろ」

 さっさと戻れ、ということらしい。代金を支払いずしりと重たい袋を受け取る。ひらひらと手を振られ、追っ払われそうになる前にどうにか振り返って言った。

「暑いんで、無理しないでくださいよ」

「……わかってる。お前は楽しんでこい」

 先輩は小さくうなずいて手の甲で汗を拭うと、ほんのわずかに表情を緩めて手を振ってくれた。本人的には微笑んでくれたつもりなのかもしれない。

 俺の知らない知り合いの謎も解けたし、今日の花火は心ゆくまで楽しむことができそうだ。


 焼きそばを手に集合場所に行くと、俺以外の全員がもう戻ってきていた。

「ごめん、遅くなった」

「いいよいいよ、どこも混んでるしな」

 座る場所を探してくれていたという中井たちについていく。いやしかし、それほど有名な花火大会でもないのにこの人の多さはなんだ。辟易しながら人をよけて歩く。気を付けていたはずだったんだけど、どん、と肩に衝撃。とっさにひょいと頭を下げる。

「すみません」

「いえ、こっちこそ不注意で」

 そのまますれ違うかと思ったのだが、不意にがしりと手首をつかまれた。手の主を見ると、自分と同じか、少し年下くらいの男が緊張気味にこちらを見つめている。ごく最近どこかで見たような……そう思ってちらと下を見ると、とんでもないものが目に入った。

「久しぶりだな」

 暗い緑のサングラス。つるりとした輝きは暗闇の中で一層怪しさを増し、冷や汗がどっと噴出した。嫌な記憶がよみがえってとっさに首元に手をやってしまい、焼きそばが地面に落ちてしまう。手首をつかむ手を振り払おうとして、男と視線がかち合った。

「声を出すな。……頼むから」

 絞り出すようなその声に一瞬言葉に詰まってしまい、そのまま中井たちから引き離される。あっという間に見えなくなった友人に危害が及びませんように、ととっさに祈った。俺自身のことは半分諦めていたが。

「品川?」

 中井が俺を呼ぶ声が聞こえたような気がしたのだけど、早足に進む男に抵抗もできず、俺はそのまま連れ去られてしまったのだった。禍福は糾える縄の如し、ああもう、さっきまでいい気分だったのに!

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