第12話忠告
「さて、何が食いたい?」
「へ?」
間抜けな声をあげて驚いた俺を、森本さんは不思議そうに見返した。
「ちょうど昼時だぞ、今。俺も体動かして腹減ったし、品川くんも昼まだだろ? どこでもいいから飯でも食おう。奢るぞ」
人懐っこい笑顔を向けられても、緊張はどうしても取れない。「呼んでもらった」ということは俺に何かしら用事があるということで、その目的が分からない以上気が抜けない。
『親戚と言った方が近い』というのがどの程度の距離感なのかは分からないが、気安さでいったらほとんど兄妹みたいだった。対応を間違えたらどうなるか分かったものではない。先輩と渡り合うどころか若干圧していたような人だ、いざって時には逃げることもままならないだろう。あれ、これまずくない? 今更ながら冷や汗をかく俺に気付かず、森本さんはきょろきょろと周りを見回している。
「この辺、仕事でしか来ないからどんな店があるか全然分からないんだよな……」
「俺もこの辺りはあまり来ないので……移動してもよければいくらかは……」
森本さんはその提案を快く承諾してくれて、どんなところがいいか聞けば意外と注文が多かった。
「ゆっくり話せるところがいいな。静かすぎず騒がしすぎず、テーブルが大きいとなおいい」
「ファミレスくらいしか思い浮かばないんですが……」
「全然いいよ、行くか」
「こんなに食べられるんですか?」
目の前にずらりと並べられた料理を前に、俺は愕然としながら森本さんに尋ねた。
「いや、普段からこんなに食べるわけじゃないんだぜ? 今日は運動量が多かったからさあ……」
そういう間にも運ばれてくる料理をてきぱき胃の中に収める森本さん。別にがっついているわけでもないのに、いつの間にか一皿分の料理が消えているのはどういう食べ方してるんだろう。ハンバーグ、ピザ、サラダ……見てるだけで満腹になりそうな量だ。
「秋と訓練するのは久し振りだったんだが、驚くほど上手くなってたな。大学に通って訓練も怠らず、有事の際も活躍してる。いやまあ学校でどうなのかは分からんのだが、その辺どうなんだ?」
「同じ授業取ってないんで分からないですけど、サボったりはしてないみたいです」
「だろうなあ。なら安心だ」
穏やかな微笑みはまさしく妹を見守る兄のようなそれだった。山のように重なった皿がなければな、と思ってしまったのは内緒だ。
「君の方はどうなんだ? 単位とか」
「真面目にやってるつもりですけど、どうなるかはまだ全然……」
「そりゃそうか、まだ一年生だもんな」
ふっと会話が途切れて、ひりつくような沈黙が落ちた。無言で冷めかけたパスタを口に運ぶが、味が全く分からない。
「……いや、やっぱりだめだな、こういう遠回しなのは」
不服そうに眉をしかめて、森本さんはため息をついた。ぎくりと体が強張る。
「わかってるだろ、俺が君と飯食いに来ただけじゃないってことは」
「……そうだろうとは、思ってました」
観念したように言葉を絞り出せば、「察しが良くて助かる」と苦く笑われた。
「結論から言おう。秋とは距離を置いた方がいい」
先ほどまでとは打って変わった重たい声に、はっと息を呑む。言葉を挟む隙も無く、
「君が巻き込まれた事件のことは聞いている。一歩間違えば大怪我しててもおかしくない事態だったことは分かるだろ。悪いことは言わない、秋のことは忘れて、自分の生活を大事にするべきだ」
気付けば、手にジワリと汗をかいていた。そんな、と掠れた声で抗弁しようとするのを手で制される。
「いきなりこんなこと言われても納得できないよな。だが、俺だって意地悪だけでそう言ってるわけじゃない」
ぐっと眉間に皺を寄せた森本さんは、苦々しげな声で語り始めた。
「俺にも、君みたいな立場の人間がいた。偶然俺の事情を知っていただけの、本当に普通の友人だ。そいつが事件に巻き込まれて、死ぬような目に遭った。なあ、そのあと、どうなったと思う?」
仄暗い笑みにぞっと背筋が冷える。うっすらと赤くなった目と、ほんの少し震える声。きっとまだ、心の整理がついていないことを話されているのだ、と思った。
「目を合わせてももらえなかった。お前とはもう付き合えない、頼むから関わってくれるな、と。それきり、一切関わっていない。ひどい怪我をしていたのは分かったが、完治するものなのかどうかも教えてもらえずじまいだ。今、どうしているのかも分からない」
深く長いため息を落とし、森本さんは青ざめる俺を強い視線で見据えた。
「君はそうならないって言えるのか? 格闘技の心得でもあるなら怪我するリスクは多少減るかもしれないが、それだけだ。危険なことに変わりはないんだぞ」
「それは……」
何を言うことも出来なかった。格闘の心得なんかあったら、まず抵抗も出来ずにかっさらわれたりしない。
「今のはこういうことも起こりうるってだけで、実際に起きるとも限らないんだが……リスクマネジメントってやつさ。自分の安全と秋とを天秤にかけるかってことだ。君にとって秋は本当にそれほどの価値がある人間か?」
「俺は……」
人間関係を損得勘定で計ってしまったら、俺こそ先輩に必要とされない……それどころか、いない方がいいことになってしまう。分かり切った事実にぐっと唇を噛む。頭がぐるぐると混乱し、言葉に詰まる。何か、何か言わなくちゃいけないのに。悔しさと悲しさがぐちゃぐちゃに混じり合った感情が、思考を鈍らせて口が回らなくなる。説得を、この、強くて優しい先輩の兄貴分を、説得する言葉を引き出さなくては。そう思うのに、ようやく絞り出せた言葉はひどく短かった。
「俺は……先輩と離れるのは、嫌なんです……」
幼いわがままだと自分でも思った。でも、どんな言葉を使おうと、絶対にここに帰着するんだろうな、という確信もあった。自己嫌悪と恥ずかしさに顔を伏せる。
「俺にできることなんて、一つだってありません。自分の身を守ることだって危ういくらいで、きっと、一緒にいて先輩のためなることなんて何も、ない」
ひゅう、と浅く息を吸う。じくじくとした胸の痛みを、抉り出すように言葉を吐き出す。
「それでも、先輩とまた会って、今度こそって思ったんです。今度こそ、黙っていなくなるのを見ているわけにはいかないって」
ひっそりといなくなってしまった背中の幻覚を見るのはもう嫌なんだ。先輩と再会してようやく自覚できた感情に、どんな名前を付けたものかはよく分かってはいないけど。
「身勝手なこと言ってるのは承知の上です。それでも、俺はきっと、自分から先輩から離れることは、できないんだと……思うんです」
どうにか言葉を出し切って、掠れた声で「ごめんなさい」と頭を下げた。重たい沈黙にうなだれていると、向かいからふっと息を吐く音がした。
「顔を上げてくれ。ああもう、そんな顔されたら何にも言えなくなるだろ……」
心底弱ったような声に、ちらと顔を上げる。森本さんは困ったように眉を下げて、ひらひらと手を振った。
「そもそも俺が秋の人間関係に口出しする権利なんてないしな。今言ったことを踏まえて、それでもそう言えるなら、もう言えることなんてないさ」
安堵に体の力が抜けて、背もたれにぐったりと寄りかかる。森本さんは苦笑して、悩ましげな吐息を漏らした。
「俺の説得の仕方が悪いのかね。この話、俺の……えっと、知り合いにも話したんだけどさ……全然聞き入れちゃくれなかったよ」
軽い調子で言っているが、それを話そうと思うまでにどれだけの葛藤があったのか。俺に想像できるはずもなかった。
「俺が何してるか知ってはいたから、ただ話すだけじゃだめだと思ってさ。脅したり、泣いてみたり……結構きつめに突き放したつもりだったのにな」
「じゃあ、その人は結局……」
「『お前なんかに指図される理由はない』だってさ。人の気も知らねえで、全く」
笑っているのに泣いているような表情で、森本さんはスプーンを置いた。いつの間にか来ていたジェラートの皿が空になっている。いつの間に……。
「俺からの話はこれくらいだよ。嫌な思いさせちまって悪かった」
「いえ、すごく参考になりました……俺も、気を付けなくちゃなって思います」
「ああ、大いに気を付けてくれ。人生何が起こるか分からんからな」
コーヒーカップを傾けて、森本さんは穏やかに笑った。俺も冷めたカフェオレに口を付けて、ふっと息を吐き出す。根本的には何も解決してないが、それでも、森本さんと話せてよかったな、と心の底から思った。
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