第5話平穏
先輩は引っ越してきてからほぼ毎日一度は俺と顔を合わせるようになった。基本昼は食堂で食べるようにしていると告げれば、俺が食堂に行くと先輩も必ずいる(ただし一緒に食べるわけではない)という図式が出来上がり、この人結構まめだな、と意外な発見をした気分になった。今だって俺が部屋から出ると、鍵を閉めようとしたタイミングでひょいと顔を出した。結構耳ざとい。
「バイトか?」
「いや、今日は休みです。今から行くのは買い物」
先輩はさっと扉の中に引っ込むと、小さな鞄一つ持って再び顔を出した。
「私も行く。場所が分からないから案内してくれ」
「構いませんよ」
並んで歩くと、この人意外と小さいな、と思ってしまう。ヒールの靴を履くとそれなりに見えるが、多分平均の域は出ないだろう。姿勢がいいのとやたら落ち着いているので実際より大きく見えるのかもしれない。
「あまりじろじろ見るな。何を買いに行くんだ?」
「普通に食料ですよ。今日、卵が安いみたいで」
「それはありがたいな。私も買っていこう」
「先輩、自炊するんですか」
「そりゃするさ。たいしたものは作れないけど」
そのあと小さく付け足された一言に、なんと返事したものか言葉に詰まる。
「ちゃんとできるようにならないと、一人暮らしさせてもらえなかったから」
一瞬、これがチャンスかとも考えた。複雑そうな先輩の家庭環境、興味がないかと言われればもちろんある。これを機に尋ねてしまってもいいのか、とも思ったが。
「それをちゃんと続けられているのが偉いですよね」
「そうでもない。必要なことだ」
無難に褒めて話を流した。一緒に買い物に行くのに気まずくなっても嫌だし。どうでもいいがこの人褒めてもとことんそっけないなあ。
「先輩は何買いに行くんです? 卵以外で」
「お前とたいして変わらない。日用品は大体持ってきてるからな」
こういうことを言われると罪悪感が募る。つい忘れてしまいそうになるが、この人、俺のために引っ越ししてるんだよなあ。申し訳なさが顔に出たのか、先輩はちらと俺の方を見てぽつりと呟いた。
「そんな顔するな。私は別に気にしてない」
「そう言われて気にしない方が無茶ですよ。部屋の片づけとかもう済んだんですか?」
「大体は終わった。ところで、ダンボールはいつ出せばいいんだ?」
「資源ごみですか? いつだったかな……帰ったら確認するんでまた言ってください」
「分かった」
そんな所帯じみた会話をしていると、近所のスーパーに到着する。そこから別々に欲しいものを買いに行った。必要な物だけ買って会計を済ませて待っていると、俺より大分時間をかけて先輩がやってきた。
「悪いな、待たせたか」
「いえ別に。今終わったばかりなんで」
先輩は一瞬目を丸くして、口をへの字にひん曲げた。
「嘘をつけ嘘を。大分前からここで待ってたの見えてたんだからな」
「バレてました?」
じっとりとした視線をへらへら笑ってやり過ごす。目もいいんだからなあ。先輩はふいと視線を逸らすと、俺の持つレジ袋を見てまた視線が険しくなった。
「普段どんな食生活をしているんだ」
袋からはみ出したカップ麺をつつかれ、さっと手を引っ込める。
「非常食ですよこれは! そんな変なもの食べてませんって。野菜はちゃんととってますから」
「どんなふうに?」
「炒めたり茹でたり蒸したり。味付けは基本塩だけで済ませてますけど」
「お前それ、生きてて楽しいか?」
「そこまで言うことないでしょう! 栄養が取れてるからいいんです」
ひどい言われようだが、まともな料理をしたことがないのは本当だ。ひっそり恥じ入っている俺を先輩は横目で見ていたが、「帰るか」と呟くとさっさと歩きだしてしまった。調味料やらなにやらがはみ出したエコバッグは見るからに重そうだ。
「荷物持ちましょうか?」
「必要ない」
あまりにもあっさり断られて若干肩を落としていると、先輩はちょっと困ったように眉を下げた。
「本当に必要ないんだ。メタモロイドの影響で体は頑丈になっているし、そうでなくても鍛えてるから、気を遣ってもらう必要はない」
「左様で」
先輩は何故俺が落ち込んでいるのか分からないという顔をしている。戸惑いと、やってしまったという後悔が滲んだ表情。俺だってこんな風に落ち込むのは不本意なのでそんな目で見ないでください。純粋に余計なお世話だったというだけの話じゃないか、こんなの。
言葉少なに先輩と別れ、食材を冷蔵庫に適当に突っ込んでパソコンを開く。調べるのは今までほとんど知ることのなかったメタモロイド適合者、その実態についてだ。結論から言ってしまえば、山下さんから聞いたような情報はあったものの、それ以外はよく分からなかった。
続けて検索したのは先日の事件についてだ。ニュースサイトの類には事件の概要しか載っていなかった。赤いスーツの協力者も、メタモロイド適合者の話も一切ない。あの場にいた目撃者が個人のブログか何かに書き込んだりしてはいないかと探してみると、何件かは見つかったが画像や動画はピントの合っていないものばかりで、撮影した本人たちも先輩がどういう存在かを知っているわけではなさそうだった。
「俺も写真撮っとけばよかったな……」
無意識の呟きにはっと我に返る。そりゃあの時の先輩は大層格好良かったが今はそういうことを考えているんじゃないんだ。
公開されている情報がそれほど多くないのは、社会的関心が低いせいか? 公開されていること以外にもいろいろありそうな気もするんだけどな……。
そんな風に物思いにふけっていると、インターホンが鳴らされた。扉を開けると、先輩が何故か両手鍋を持って待っていた。
「出かけていたらどうしようかと思っていた。どうか私のパスタを助けてやってはくれないか」
「は? もうちょっと具体的に説明してくださいよ」
何やら焦っている様子の先輩の話を聞けば、夕飯の支度を始めたタイミングで例の仕事の出動要請が来てしまったらしい。扉を開けて戸惑う俺に、先輩はおろおろと困り顔で鍋を押し付けてくる。熱いってば。
「どうせ早くは帰ってこられないから、こいつを食べてやってほしいんだ」
「そんなの急に言われても困りますよ……」
困り顔で鍋を押し返すと、先輩は申し訳なさそうに眉を下げて、鍋を引っ込めようとする。
「もしかして、夕飯何を作るかもう決めてたのか?」
「いや、まあ決めてなかったんでこっちからすればありがたいんですけどね」
結局パスタは俺が引き取ることになった。鍋を火にかけてタイマーをセットしていると、「品川」と低く名前を呼ばれた。振り返るとソースが入ったフライパンを持って入ってきた先輩が、開きっぱなしにしていたパソコンの画面を見つめて険しい顔をしている。ぎくりと体を強張らせると、鋭く睨みつけられた。
「……知る必要のないことだ、こんなのは。余計な詮索はするな」
「それを決めるのは先輩じゃありませんよ」
どうにか冷静に切り返すと、先輩は鍋敷き代わりに出しておいた雑誌の上にフライパンを置くと無言で出て行ってしまった。せめてブラウザは閉じておくべきだったな、と反省して、鍋の隣にフライパンを置く。
先輩はどうも俺にいろいろ詮索されるのが嫌なようだ。思っていた以上に頑なで、そう簡単にはいかなさそうだけれども……けれどこのまま黙って引き下がるつもりはない。そう決意を新たにして、茹であがったパスタをソースに絡めて食べた途端、電撃が走った。
「……美味い」
多才でありながらそれ以上にいろいろ複雑で、おまけにやたら頑固とくる。ややこしい人との縁が復活してしまったが、まあ凡人は凡人なりにやれることをやるだけだ。
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