第3話冷たい態度

「シノ」

「ふぇんぱい」

 呼びかけられてもごもごと答えたら顔をしかめられたので、口の中の天ぷらを飲み込み、ぺろりと唇をなめる。

「よく気付きましたね、混んでるのに」

「気付くも何も、お前この間もこのあたりの席に座っていたじゃないか」

 海鮮丼をテーブルの上に置き、断りなく隣を陣取った先輩に怪訝な視線を向ける。

「で、何の用です? 見かけたから声かけただけ……というわけではなさそうですね」

「当たり前だ。釘を刺しに来た」

 気難しげな表情でなんだか不穏なことを言う先輩である。視線を険しくし、ぴしりと指を突き付けて言った。

「いいか、繰り返しになるが昨日見たこと聞いたことは他言無用だ。あの仕事のことは大学内では秘密にしている。だから大学内でもあんまり関わってくれるな。いいな」

 剣呑な雰囲気に若干気圧されるも、ふと疑問になって首を傾げる。

「別に構いませんけど、別にそれわざわざ言いに来なくてもよくないですか?」

 きょとんと目を丸くした先輩に重ねて説明する。

「学部も学年も違うのに会う機会なんてそうそうないでしょって話ですよ。だってこの間初めて気づいたくらいなんですよ?」

「むう」

「それに、言うなって言われたなら誰にも言いませんよ。というか誰に話せって? 共通の知り合いもいないのに」

「むむ……」

 むぐむぐと海鮮丼をほおばる先輩に苦笑して、少なくなっていた水をぐいと飲みほした。

「先輩がそうしたいなら俺は別に構いませんよ。お互い干渉しすぎないようにしましょう」

「しすぎないように、じゃない。干渉しないんだ」

「はいはい。手厳しいことで」

 空になった丼を見下ろして、紙ナプキンで口元を拭う。ごちそうさま、と手を合わせて席を立った。

「じゃあ、俺はこれで」

「ああ」

 トレーを片付けて食堂を後にする。軽く頬に触れて、顔をしかめる。すげない言葉に傷ついたような顔してなかっただろうか。あの人の言い分は極めて正しくて、だから別に悲しんだりする必要はないんだ。自然と漏れたため息がどうにも煩わしくて、がしがしと頭を掻いた。平常心、平常心。あの人が遠い記憶だった頃に戻ればいいだけだ。


 ネットニュースの見出しだけをだらだらと眺めていた時、不穏な文字列が目に入った。誘拐未遂、立てこもり。詳細を見れば場所は

 まさか、そんな続けて同じような事件が起きるようなことは。そう思いながらも、背中には冷汗が伝っていた。頭に浮かぶのはもちろん、あの謎に満ちた先輩である。会って確かめなくては、と思ったものの、連絡先も分からないままだ。どうするか、と悩んだ時間はごく短かった。

 まず、法学部の友人に連絡を取った。二年の必修科目の時間割を聞き出し教室を調べ上げてリストアップ。自分が時間に余裕があり、なおかつそれほど広くない教室で先輩が受けている講義を狙って待ち伏せ。友人には不審者でも見るような顔をされたがそれに構っている余裕などあるわけがなかった。とにかく、先輩に会って話を聞かなくては!

 別に涼しくもないのに長袖のカーディガンを羽織った先輩は、俺を見つけるやいなや顔をしかめて踵を返した。逃がしてたまるか、とばかりに声を張る。

「皆方先輩!」

 自分で思っていたより切羽詰まった声が出た。周囲の視線が突き刺さるのを感じながら、立ち止まった――立ち止まってくれた先輩の手を握り、小さく尋ねる。

「先輩、このニュース知っていますか」

「ああ。それがどうした」

「単刀直入に聞きます……警察の協力者として、戦ったんですか」

「何が聞きたいのか分からんな。それ以外に何がある」

 押し殺した声での返事にぐっと言葉に詰まる。

「なら、この怪我は……その時の」

 カーディガンの中に隠れた手に触れると、ざらりとした肌触りの布が巻き付いていた。青ざめた俺の方を見ることなく、先輩はその手をさっと振り払った。

「……この間言ったばかりだろう、干渉しないと。思い出したなら、もう話しかけるな」

 冷たい声に絶句して立ち尽くす。嫌な予感が当ってしまったことの衝撃と、先輩の取り付く島もない態度に打ちのめされて、俺にはただ立ち去る先輩を追いかけることも出来なかった。


 先輩にきっぱりと拒絶されてからようやく精神が持ち直してきた頃、食堂で先輩に声を掛けられた。傷口に塩を塗りこめられるかのような仕打ちに心がねじくれ、妙に周りを気にしている様子の先輩に皮肉に口元を吊り上げる。

「今日はどうしたんです? 干渉しないんじゃなかったんですか?」

「すまないが、そうも言ってられなくなった。なるべく早いうちに話がしたい」

 どこか余裕のない表情に、棘のある言葉を投げたことを早速後悔した。しおらしい先輩を見ているのがどうにも忍びなくて、端的に用件を問う。

「ここでは話せない。あの場所にまた来てほしい。お前が指定した時間に迎えが来る手はずになっている」

 低い声で囁かれ、請われるままに空いている時間を答える。バイトが終わってからで遅い時間だったのだが、先輩はあっさりと了解して、来た時と同じように唐突に去って行ってしまった。

「あのかっこいい人、誰だ? 知り合い?」

「高校の時の先輩」

 何か聞きたそうにしている友人の視線を無視して、最後の一口を飲み込む。あの深刻な表情を見るにきっと穏やかな話ではないはずなんだけど、先日の釘刺しで若干落ち込んでいた気分が回復したのは、我ながら気楽で現金だな、と思った。

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