第2話研究所にて

「先輩」

「…………」

「先輩ってば……」

 警察官を簡単に振り切ってずんずん進む先輩は、何度呼び掛けても沈黙を貫き通していた。ヘルメットの色が赤から黒に変わっているのに気が付いて、でも聞いても答えてくれないだろうと困っていると、先輩はするりとヘルメットを脱いでしまった。

「あれに乗れ」

 先輩が指さしたのは白のミニバンだった。個人の持ち物ではないのか、車体に何か書かれていたが、読む前に車内に押し込まれる。

 無言の車内で気まずく身を縮めていると、先輩が不意に俺を呼んだ。

「シノ」

「へぁ、はい!」

「さっき、子供を助けようとしただろ」

 驚いて先輩を見ると、きょろりと視線だけこちらに寄越して端的に俺を褒めた。

「偉かったな」

「は、はい……ありがとうございます?」

「なんでお前が礼を言うんだ。変なやつ」

 それっきり先輩はだんまりを決め込み、俺はほんの少しだけ落ち着いて待つことができた。連れてこられたのはよく分からない研究所のような場所だった。黒いジャケットを羽織った先輩に質問しても全然答えてくれないため、詳細はよく分からないままだ。ぷしゅ、と空気が抜けるような音がしてドアが開く。清潔そうな白い壁と、よく分からない機械や部品が整然と並べられた部屋。

「ここは……」

「特殊地下資源研究所、略して特地研だよ」

 気さくな声がした方を向けば、少しばかり皺のついた白衣をまとった穏和そうな男性が微笑んでいた。

「二人ともお疲れ様。大変だったね」

「そうだな」

 男性の労いに短く答えた先輩の表情からは、さっきよりいくらか険しさが抜けているようだった。

「初めまして、品川広夢君。僕は山下(やました)春樹(はるき)。一応皆方の上司にあたるものだ」

「初めまして、品川です」

 杖を突いて立ち上がった山下さんの握手に応じ、勧められるまま小さな椅子に腰を下ろす。人あたりのよさそうな笑みに、ほんの少しだけ安心する。

「飲み物でも淹れよう。何がいい?」

「え、いや……」

 一瞬ためらったのを見かねたのか、先輩は山下さんの肩に手を置いて座らせると、こちらを一瞥した。

「私が淹れるから、ハルさんは座ってていい。コーヒーと緑茶と紅茶があるが、どうする」

「じゃあ、コーヒーで」

 軽く頷いた先輩が給湯室のようなスペースに消えると、山下さんは穏やかに、労ってくれた。

「今日は災難だったね。疲れてるだろうにわざわざ来させてしまって申し訳ない」

「いえ、大丈夫です」

 落ち着かない気分で周りを見回していると、山下さんは腕を組んで首をこてんと傾げた。

「さて、何から説明したものか。皆方の境遇はなんとも複雑でね、一つのことを説明しようとすると君が知らないことをいくつも教えなくちゃいけなくなるし、教えられないことも山ほどある。きちんと答えられるかどうかは保証できないけど……まず、何から聞きたい?」

 何から、と口の中で呟いて、混乱を引きずったままどうにか疑問を形にする。

「先輩は……皆方さんは、一体何をやってる人なんです?」

「結論だけ言えば、警察の手伝いみたいなものだ。警察が事件に際し協力が必要だと判断したときにのみ呼び出される。彼女の能力あってこその話だけどね」

 最初から用意してあったかのような滑らかな回答だった。

「能力というのはなんですか」

「メタモロイド、という物質は知ってる?」

 質問に質問で返された。きまり悪く首を横に振ると、飴玉サイズの透明な球体を手渡された。

「これのことだよ。特定の条件を満たした人間の体に大きく作用するものだったんだ。身体能力の強化とか、細胞の強度が変わる。主に経口摂取で血中濃度を上げて、」

「なるほど……?」

「ついでに言うと、皆方のような警察への協力者って実は結構多いんだ。僕たちはその協力者のとりまとめみたいなことをやらせてもらっている感じかな」

 話が難しくなってきたな、と思っていたところで、先輩がコーヒーを手にやってきた。

「砂糖、もう入れちゃったが大丈夫か」

「大丈夫です、ありがとうございます」

 軽く頭を下げて、黒い液体に口をつける。熱くて甘くて、ほんの少しだけ苦い。体の力が抜けて、思っていたより緊張していたことに気付く。

「皆方」

 ぽん、と放り投げられた透明な球体を、先輩は慌てることなくキャッチした。山下さんが「見せてあげて」と先輩に言うので遠慮なくのぞき込ませてもらうと、透明だったはずのそれに赤い色が差している。じわじわと赤い色が広がっていく様子はあまりにも幻想的で美しく、見入っていると先輩は無言でそれをポケットに突っ込んでしまった。

「こんな風に、適合者の手に渡ると色が変わる。まあ不純物をある程度取り除かないとこうはならないんだけどね」

「はあ……」

「一応限りある資源だから、使うには許可が必要だけど……他に使い道がないものだから、まあそういう制約はあってないようなものだね」

 他には? と視線で尋ねられ、ずっと気になっていたことがつい口を突いて出た。

「それで……あの赤い服って何なんです? さっき先輩が着てたのは」

 先輩が着ていたあのスーツ。思い返してみれば、さっき見た赤と同じ色であると気付いた。思ったよりも期待が滲んでしまった口調に、山下さんが待ってましたとばかりに顔を輝かせる。

「あれはメタモロイドを効率的に利用するための特殊スーツだよ! 使用者の体内のメタモロイド濃度によって色が変わる仕様なんだ。メタモロイドの摂取した新しい研究成果が出るたびに機能、デザインともども改良を繰り返して今に至る。もちろんこれからも改良は続くよ? あのデザイン、かっこいいだろ?」

「それはもう!」

 勢い込んで頷く俺に、先輩が若干引いている。力強い肯定に満足げな山下さんに重ねて尋ねる。

「あれ、銀河戦隊リュウセイダーのデザイン参考にしてたりしません? ヘルメットはそんな感じしないですけど、手首とか、肩とか」

「ああ、分かっちゃう? ちょうど見てた世代だもんなあ! 実はそうなんだよ。僕もリアルタイムで見てたらはまっちゃってさ。つい出来心でね」

「俺は最近見直し始めたばっかなんで気付いただけなんですけどね」

 私はそんな話聞いてないぞ、と先輩がぼやいたのが聞こえたが、山下さんは見事に黙殺した。

「顔を隠しているのは協力者の個人情報保護の観点からなんだけど、どうせならデザインにもこだわりたいなと思ってね。設計に無理言ってああなった」

「見た目は大事ですよね、分かります。めちゃくちゃ格好良かった……!」

 感嘆の吐息を漏らす俺を信じられないと言いたげな目で見て、先輩は苛立たしげに言った。

「分からんでいい。なんか他に聞くことあるだろ、私が何してるのかとか!」

「いやそれはさっき聞いたので……」

 顔を赤らめた先輩がぷいとそっぽを向く。イライラした時に足の爪先で床を叩く癖は高校時代から変わってないようだ。

「聞いてないぞ、道理で私のスーツが他と大分違うわけだ……職権乱用だ……」

 ぶつぶつと不満を漏らす先輩を、よく分からないまま慰める。

「大丈夫ですよ先輩、めちゃくちゃカッコよかったですし。まあ頭突きはヒーロー的にどうかと思いましたけど」

「別にヒーローじゃない。……リュウセイダ―? って、どんなやつなんだ」

 先輩に小声で尋ねられ、ポケットの中を探って四センチほどのキーホルダーを取り出す。

「これがリーダーのリュウセイレッドです。メンバーは全部で五人で、協力して宇宙からの侵略者を倒すんですよ」

「……言われてみれば、手の辺りが似ているな」

「それ、いつも持ち歩いているのかい?」

「え? そうですけど……この間実家の片づけしてたら偶然見つけて、懐かしくて。お守り代わりに持ち歩いているんです」

「物持ちがいいんだね」

 そう言ってほほ笑んだ山下さんが、時計に視線を走らせて瞬きした。

「もう時間も遅いし、そろそろお開きにしようか。最後に何か質問は?」

 最後に一つだけ聞きたいことがあったが、先輩の前で聞くのはどうにも憚られてしまった。頑固にこちらを見ない先輩に一瞬視線を向ける。

「皆方、ちょっと頼まれてくれるか。終わったら休んで構わないから」

 先輩を手招きして何事か囁いた山下さんに先輩は「分かった」と頷いた。

「……今日は早く休めよ」

 そう言い残して出て行った先輩の、憂えるような眼差しが妙に記憶に焼き付くようだった。山下さんがいたずらっぽく片目を閉じてみせたのは、気を遣ってくれたということなのだろう。短く息を吸い込んで、慎重に言葉を選ぶ。

「一度だけ、あなたのことを見たことがあります」

 意外そうに目を丸くして、山下さんは先を促した。

「二年前……確か、三者面談か何かがあった日だった。学校で、あなたと先輩が一緒にいるところを見たんです。でも、あなたは先輩の上司だと……それは、どういうことなんですか」

「……君は記憶力がいいんだな」

 感心したようにため息をつき、山下さんは天を仰いだ。俺は俯いて首を横に振る。

 覚えていたのは多分、当時先輩から三者面談について相談を受けたことがあったのと、この人の杖を突いた後姿が印象的だったからだろう。優しいな、と微笑まれたことまで思い出してしまって、妙に気分がささくれる。

「成人には後見人は必要ないんだよ。僕は今や単なる元後見人で上司だ。言えることはそれくらい。後は皆方から聞いてほしい」

「……難しいんですね」

「きっと僕の考えすぎなんだろうけどね」

 そう言った山下さんの困ったような笑い方がどこかの誰かを思い出させるものだから、やっぱり難しい、と小さく独り言ちるくらいしか俺にはできなかった。その後は普通に家まで送ってもらい、風呂に入って寝た。夢も見ないような熟睡だったのは多分、幸運なことだったのだろう。

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