第17話
人類の歴史は戦争の歴史、戦争の歴史は発展の歴史と言われているが、この大陸におけるここ数百年の歴史はまさしく戦争の歴史でありそれはまた迫害の歴史であった。
百年前、この地を納めていた王へイネスはひどく傍若無人かつ思い込みが激しい性格であり、一度激高すると誰も手が付けられないような人間であった。
王の素質か生まれ持っての才能だろうか、どういうわけかひどく頭がキレた彼は、いかにすればより自分の価値を高め発展できるのだろうかと考えた。
それが悪魔狩りである。
占い。呪い。祈り。呪術。大昔から人々に寄り添い生きてきたそれらのことを、へイネス王は完全に排除をすることに決めた。
道端で占いをしている老婆を捕まえ指の皮を全て剥ぎ、歯を抜いた。
生まれたばかりの赤子の幸せを願って服を編んでいる母親を乱暴し、目の前で子供を殺した。
死んだ老人の為に歌っている踊り子を市中引き廻しの刑にした。
悲しみと怒りに嘆く人々に、王はこう説いた。悪魔は得体のしれない不思議な力で人々を騙し、陥れ、この世を混乱に陥れる。不妊、貧困、飢え。この世に起こる災害は、すべて悪魔のせいである。悪魔を迫害し、完全に生活から除去することで、この世は幸福に満ち溢れると。
「当時、王の命令は絶対だ。特に力の弱い民間人は、そんなクソみたいな王の権力に勝てるはずなく、泣く泣く娘やら妻やらを差し出した」
が、そんな恐怖政治がいつまでも続くはずもない。
あるときついにヘイネス王は、反乱を起こした民衆達に殺される。
胸を刺され頭を殴られ猟銃で撃たれ、体中の至るところを傷つけられ、完全に息の根を止められるのだ。
「ヘイネス王の悲劇は有名よ。最終的には城にも火をつけられて、全部燃えてしまったの。お城を見たでしょう? 修復されて、今は資料館になっているわ」
ぺらりとページを捲るたび、記されているのは悲しい記憶だ。年端も行かないような少女が兵士に髪を掴まれ引きずられ、子を奪われた母親は槍で目を突かれた。十字架に吊るされた男には足がなかった。ただの絵のはずなのに、胃液がじわじわと湧き上がってくる気味悪さがある。
青い顔で口元を抑えるオリヴィアから本をひったくり、ウィルはぱらぱらとページを捲った。
「人々はこう言った。悪魔と呼ばれ殺されたものの魂が本物の悪魔となり、残された家族に取り憑いた。怒りに震え悲しみに沈んだ家族達は魂を悪魔に売り渡し復讐をした。悪魔と呼ばれ迫害し続けられた者たちは、本物の悪魔になったんだ」
とんとんと本の上を叩くささくれた彼の指先。そこには大きめの文字でこう記されている。
『悪魔の反乱』
「復讐を終えた悪魔たちはどこへ消えたの?」
オリヴィアの問いかけに、ウィルはズボンのポケットから煙草を取り出し火をつけた。ふう、とダージリンの残り香を消し去るようにして煙を吐き、言った。
「悪魔に取り憑かれた云々ていうのは仮の話だ。反乱のあまりの激しさに、そう比喩をしているだけのことだ」
「そうなの……」
「けれどこういう話もある。反乱に加わった人間の中にひとりだけ、本物の呪術師が存在をしていたと。彼が悪魔を呼び出して、本当に悪魔に魂を売り渡したと」
ウィルはそこで、今まで開くことのなかったもう一冊の書物を手に取った。ぱらぱらとページを捲り、ぱっ、とオリヴィアの前に差し出した。
「ヘクター・バイリー。かつて悪魔狩りで、へイネス王に妻と娘を殺された男だ」
そこにいたのは、四十代ほどの男であった。痩せ形で、髪の薄くなりかけた男。恐らくあまり裕福ではないであろうその男が、黒い瞳でじい、とこちらを見つめていた。
「ヘクターはただの農夫であったが、妻と娘を殺されてから悪魔学にのめり込むようになる。次第に言動がおかしくなり気が狂い始め、家の地下室に籠り切りになるんだ。一説によると、この反乱の主導者は彼であるとされているが真実は定かではない――まぁ、俺が言いたいのはそういうことではなくてだな─―俺が言いたいのは――」
彼はふぅ、とまた長い煙を吐いて、ページを捲った。
「こいつの家が、お前の家とそっくりなんじゃないか、っていう、そういうこと」
そこに記された一枚の写真に、オリヴィアは、は、と息を飲んだ。
大きな家の前で、とある一家が笑っている。ヘクターを中心に、右に妻、左に娘。頬をくっつけ合い、満面の笑みを浮かべている。幸せな家庭だ。何も知らなくとも、それだけは充分伝わってくる。それ以上に彼女を印象付けたのは家だ。白黒なので正確な色はわからないが、恐らくは白いであろうその建物には、ひどく見覚えがあった。
「これって……」
「もう百年も昔の家だ。他の誰かが住んだり改装したり、多少外観は変わって仕方ねぇな。でも似てるだろ?」
「そっくりよ……」
じっとりと染み出てきた手汗を握り、スカートの裾でぐっと拭った。使用人に見つかったら、みっともないと言われるであろう仕草だが、今ここには、咎めるものは誰もいない。
「ねぇ見て。ここ、時計台が見えるでしょう。ここから見る時計台が綺麗だからここに決めたの。お姉ちゃんが、時計台が綺麗だね、って。風景が素敵ね、この家の丘からは、街が全部見渡せるのね、ってそう言ったから決めたのよ」
オリヴィアの必死な訴えに、ウィルは苦々しく眉を寄せた。ふらりと煙草を口から離し、
「どうでもいいよ時計台は。俺が言いたいのは、ぬいぐるみどうこうじゃなくて、あの家根本的に問題があるんじゃないかっていう、そういうこと。俺の予想。家に問題があるっていうのは大方合ってると思うぜ」
「どうして?」
「前、お前んちの地下室見ただろ。あれ、昔の拷問器具。ヘイネス王の死後、気狂いしたヘクターは何人もの人間を自宅に連れ込み、儀式と称して惨殺していったそうだ。最終的には絞首刑になったそうだがな」
信じられないことを言いながら平然と煙草を吸い続けるウィリアムとは対照的に、オリヴィアは愕然とした。なんということだ。もしもそれが本当ならば、自分たちはなんという場所に住み続けていたことになるのだろう。
オリヴィアはウィルの煙草を彼の唇からひったくると、勢いよくそれを灰皿に叩きつけた。突然の衝撃に、ウィルはサングラスごと吹っ飛びそうになる。
「おい!」
「ねぇ、お願い、どうにかして!」
二人が同時に叫んだだめ、お互いの意思が全くもって通じ合わない。
そこで漸く、じっと話を聞いていたエドガーが口を開いた。
「家に問題がある場合は、そう簡単に解決はできないぞ?」
混乱をした頭に飛び込んできた、冷静な低い声。それにより熱の上がった彼女の脳の処理能力は一気に下がっていく。
「どうしてですか?」
幼児のような彼女の問いかけに、ウィルは再び煙草を取り出して口に咥えた。
「規模がでかすぎるだろ。準備が大掛かりになりすぎる」
「あなた、お姉ちゃんの部屋で儀式してたでしょう」
「あれ失敗しただろ。シャルルの奴も同じだ。あいつの場合、何かしらの反応は起きてたみたいだけど、大方あれも失敗だな」
「手伝いはするわ」
「無理いうなよ。廃屋ならまだしも、人住んでるだろ。お前と、お前の父親だけじゃなくて、その他に使用人が何十人も。第一、お前あの親父を説得できるのか。お前一応、家出かなんかしてきたんだろ。家出娘のいうことを聞いてくれるのか。あの堅物な社長さんが」
オリヴィアはぐい、と下唇を噛んだ。悔しいが正論だ。自分には、あの父親を説得することは99%無理だろう。あまりにもふがいなく情けない。
半分涙目になってきているオリヴィアに、エドガーが救いの手を差し伸べた。
「あまりお嬢さんをいじめるなウィリアム。可哀そうだろう」
「いじめてねぇよ。社会の厳しさを教えてやってるの」
「碌に学校も出ていないくせに偉そうなことを。子供の悪戯じゃないのか」
「子供じゃないですー。成人してますー」
などという彼の行動の幼さと言ったらない。持っているものは煙草であり、身長も体型も大人のそれなのに、なぜ、どうして、彼は時々、こうも子供っぽいのだろうか。
ウィルは短くなった煙草をぐりぐりと灰皿に押し付けて、ぐい、と大きく背伸びをした。
「どっちにしろ、今すぐにっていうのは無理だな。問題が多すぎて、儀式まで行くのに時間がかかる。なんか対策考えないと駄目だぞこれ」
「……」
「そんな顔するなよ。不細工な顔が更に不細工になる」
黒光りするサングラスをじっと睨みつけ、オリヴィアはぷいとそっぽを向いた。
ウィルは広げられた二冊の本を閉じ、言った。
「ありがとうなエドガー。忙しいところ悪かった」
「帰るのか?」
「ああ。用事は済んだし、あと腹減った」
「ここの食堂があるだろう」
「ここの飯、シェフが変わってからまずいんだよ。カツレツなんて固くて、食えたもんじゃなない」
彼はすっと立ち上がり、そのままぐー、と背伸びをした。それにつられるように立ち上がったエドガーに気が付いて、オリヴィアも急いで続く。
「次はいつ来るんだ?」
「どうかな。シェフが変わったら来るわ」
「……十年は先のことになるぞ」
「事務所に要請出しておいてくれよ。会社の飯がまずいってな」
「検討しておこう」
そう言って交わされる別れの握手はひどく自然なものだ。ウィルから離れたエドガーの右手がオリヴィアに向けられたと気が付くまでほんの少しばかり時間がかかる。温かい手だった。大きく、広くて、すべてのものを包み込むような優しい手だ。
「ウィリアムのことをよろしく頼む」
手と手が離れる瞬間に見た黒い瞳に、オリヴィアは尾を引かれるような思いに駆られる。けれどウィルは、すでに扉の向こうで待っている。
「おい、行くぞ」
彼女は扉を開けて待っているウィルと、うっすらと微笑みを浮かべ立っているエドガーを交互に見て、それからエドガーにぺこりと頭を下げた。
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