第5話
考えてみれば自然なことだ。
片や大陸全土に名を轟かせる有名会社の社長令嬢、片や定職についていない日雇い生活のフリーター。見た目からして二人の格差は明白だ。服も靴もハンカチの一つも、今彼が歩いている長い廊下の材質だって違うのだ。身内でなくとも、そんなやつとは付き合うなといいたくはなる。
「ごめんなさいね。ポーレットは私達の家庭教師で……小さい頃から面倒を見ていてくれた人なの。だから余計口うるさくて」
隣に並び歩くオリヴィアから謝罪を聞きながら、ウィルは軽く首を振った。
「気にしてない。つうか、当たり前の反応だからな、あれが」
ウィルの言葉に、オリヴィアがほっと安堵の息を漏らした。
「ポーレットはね、私達のお母さんのような人なの。うちは母親が小さいころに亡くなって、それからずっとポーレットが育ててくれたの」
「へぇ」
「父も忙しい人だから、母が亡くなってからは尚更家に寄り付かなくなったわ。だから、怒るのも褒めるのも全部ポーレット。私が壁に悪戯をしたらポーレットが走って私を叱りに来て、お姉ちゃんが新しい歌を覚えたら真っ先に褒めてくれたの」
「随分きかん坊なお嬢だったんだな」
「小さい頃の話よ……そんな人だから、お姉ちゃんが亡くなった時も、誰よりも一番悲しんでくれたわ。父よりも、もしかしたら私よりもね」
こつこつと廊下を叩いていた彼女の靴底が、歩くことをやめる。代わりに動いたのは彼女の右腕。扉には「シルヴィア」というネームプレートが掛けられていた。
「ここよ」
オリヴィアの姉、シルヴィア・エマリエルの部屋は綺麗なものだった。
白いベッド。机と、そこに並べられたいくつもの本。写真。デスクボードに整列をするハートのクッションは、部屋の主が女性であるという何よりの証だ。
「……お姉ちゃんが亡くなったときのままにしてあるの。少し片付けようって意見もあったんだけど、どうしても片付けにくくて。私も、ポーレットも」
オリヴィアに言われるがまま部屋に踏み込み、辺りを見回す。服の匂い。化粧品の匂い。甘い香水の匂い。誰かがこの部屋で生活を営んでいても全くおかしくはないような、人の匂い。整えられた机の上にいくつもの写真立てが置かれている。家の前で撮ったもの、どこかへ出かけたらしい高原のような場所で撮ったもの。ベッドの上、姉妹二人で撮ったもの。
「これ、お前の姉貴?」
「ええ」
事実、シルヴィア・エマリエルとオリヴィア・エマリエルはよく似ていた。
流石双子の姉妹というべきか、栗色の髪も、はっきりとした目元も身長さえも同じものだ。もし二人が入れ替わったとしたらなかなかわからないだろう――そのくらい、二人の容姿は同じものであった。
(でも)
写真の中のシルヴィアは、幽閉された姫のようですらあった。
透けるような白い肌と、対照的に赤い唇。健康的に日に当たり、時として生意気な、時として高飛車な表情を作りオリヴィアとは対照的に、こちらに向かって微笑む彼女はまるで繊細な花びらのようだ。
「……よく似ているでしょう?」
写真に見入るウィルの手元を、オリヴィアが覗き込んできた。
「ああ。でも、こっちのほうがおとなしそうだ」
「小さい頃はもっとよく似ていたのよ。それこそ、入れ替わっても誰もわからないくらい。父もポーレットも騙して、よく一緒に怒られたわ」
懐かしそうに目を細め、過去に思いを馳せる。写真に這わす指先は、きっと思い出の数だろう。ゆっくりと元の位置に戻されたそれを見送り、ベッドの中ですやすやと眠るそれに気が付く。
「なぁ、あんたが言ってた人形ってこれ?」
そこにいたのは、クマのぬいぐるみであった。
大きさで言えば五十センチほど。茶色い毛皮に黒い瞳の愛嬌のあるクマであり、赤いリボンで蝶ネクタイが結んである。
「紳士的だな」
「お姉ちゃんが結んだのよ。私がピンクで、お姉ちゃんが赤なの」
「でも、お前失くしたんだろ?」
「そうだけど……」
居心地悪そうに下唇を噛む彼女を置いて、ベアをベッドから抱き起こす。クマ。ただのクマ。なんの変哲もない、どこにでもあるような、ただのクマ。持ち主に愛され、大切にされていたことが目にわかる幸せなぬいぐるみだ。
「……これ、ハッピードールじゃねぇか」
クマの足裏に肉球代わりにしっかりと押されていた商品名に気が付いたウィルの言葉に、オリヴィアが応答する。
「そうよ」
「このシリーズってクソたけぇんだぞ? 一万モールとかする」
「それは特注で作ったやつだからもっと高いわ。五万モールはするんじゃないかしら」
「うわ! まじかよ。怖いわー、金持ち怖いわー」
「あなた、うるさいわ」
「こんな高級なもんを失くすとかお前マジでクソだな。本当に金持ち怖すぎるわ」
「ほっといてよ」
頬を小さく膨らませそっぽを向く彼女は、幼く見えて可愛らしい。
「これ、名前とかあんの?」
「ラミントンよ」
「らみ……?」
「チョコレートケーキの一種よ。お姉ちゃんの好物だったの」
「ふぅん」
ちょいちょいと少しだけほつれた耳を撫で、ウィルはひょいと首を傾げた。
「別に、そんな変な感じなしないけど」
「でも、事実……」
「ま、悪魔も馬鹿じゃないから、そう簡単に尻尾を出したりはしないわなぁ」
ねー、などと言いながらビーズの瞳を覗き込み、ちょい、と黒い鼻を押した。
それから肩越しに振り返り、今思いついたというようにして軽い口調で提案した。
「降霊でもしてみる?」
一口に降霊術と言っても、その方法は星の数ほど存在する。
鏡を使う方法、四人で部屋の隅に座り込む方法、頭に蝋燭をつけて呪文を唱えながらひたすら木の枝を振り回す方法。
その中でも、ウィルの行う降霊術は極スタンダードなものであった。
部屋の中心に椅子を置き、クマことラミントンを座らせる。塩水と果物ナイフは掛盤に乗せ、椅子の足元に置いておく。
ウィルに言われた通り、オリヴィアはたっぷりと水の入ったバケツをえっちらおっちら運んでくると、部屋の隅に置いた。
「ねえ、本当にこんなものでいいの?」
「こんなもんて?」
「だって、降霊術でしょ? 聖水とか魔法陣とか、豚の生き血とか必要なんじゃないの?」
「アホか。聖水っつうのは聖職者による特殊な儀式が必要なんだよ。そんな簡単にホイホイ手に入るもんじゃねぇの」
「でもあなた、エクソシストなんでしょう?」
「俺はエクソシストじゃねぇし、聖水っつもんは飲み水感覚で持ち運びするようなもんじゃねぇの。豚の生き血とか、俺にそんな生臭いことやれってか。第一床に魔法陣書こうとしたら落書きすんなって言ったのお前だろ」
「そうだけど」
自分の無知を恥じるように、オリヴィアは軽く下唇を噛んだ。
そんな彼女の様子など気にも留めず、ウィルは着々と準備を進めていく。クマの座った椅子の周りに円を描くよう蝋燭を並べる彼の背中。まだ火もつけられていないのにもくもくと煙が立っていることに気が付いて覗き込むと、彼が咥えている煙草の先から登っていた。
「……煙草って、体に良くないのよ。何度も注意されてたけど、父は結局やめなかったわ」
いくらか呆れたようなオリヴィアの言葉に、ウィルはくつくつと喉を鳴らした。
「だろうね」
ふはー、と室内にも関わらず軽快に煙草の煙を吹かす青年に、オリヴィアは軽蔑したように腕を組んだ。
「あなた、性格があまりよくないわ」
「そうか? 俺ほど性格のいい人間はなかなかいないと思うけど」
「論外ね」
オリヴィアは簡潔な否定の言葉を述べると、腕組みをしたまま頬に手を当て首を傾げた。
「あなたに頼んだことが間違っていたんじゃないかっていうくらいに不安よ」
「本当に腕のいいエクソシストに頼みたかったのなら、その考えは当たってるな。まず前提が違う。俺はエクソシストじゃない」
「じゃあ……」
「でも悪魔とか悪霊の類が相手なら大正解だ。何にだって専門分野っていうものがある。菓子を作るなら菓子屋、家を作るなら大工。あの世に送るなら神父で祓うならエクソシストってな」
「……どういうこと?」
理解できないというようにして頭上に疑問符を浮かべる彼女に、ウィルは右の口角を軽く上げた。
ウィルに言わせれば、降霊術に置ける物質の効果なんてそれほど対したものではない。どれほど高級な蝋燭を置いても鶏の生首を捧げても処女の生き血を啜ったとしても、使う人間に力がなければそれらの準備は全て無意味だ。逆に蝋燭が誕生日パーティーの残り物だろうと刃物が人参も切れないほど錆びきっていても、ある一定以上の能力がある人間が使えばその効果は間違いなく100%発揮される。最高級の包丁をただのホームレスに渡したとしてもそこには何の価値もない。真の価値というものは、価値のある人間が行ってそこで初めて発揮される。
火の消えた煙草をバケツに放り投げて、蝋燭に火を灯してゆく。使い捨てライターでも皆同じ。時刻で言えばすでに夜。一滴の光も入らないように閉めきった室内で赤々と燃える炎は見事なものだ。
さぁ始めるかというようにして、ウィルがペンダントを首から外した。そこでオリヴィアはあることに気が付いて、問いかけた。
「ねぇ、そのペンダント」
「あ?」
「十字架、逆さまなのね。それが、アルビオンから追放された証ってこと?」
ウィルの手の平で輝くペンダントは神に捧げる祈りの形こそしているのだが、どういうわけかその思いが少しばかり歪んでいるらしい。
行儀よく椅子に座るクマに祈りを向け、儀式が始まる。
「死の神タナトスの名に置いて、我は汝を召喚する。死せたものよ。地獄の王より頂いた力を込めて汝に命ず。昼の女神へーメラと夜の女神ニュクスによって、太陽の女神ソールと月の神マーニによりて、運命の三姉妹ウルド、スクルド、ヴェルタンディによりて……
言葉を口にすればただちにその命令を成し遂げられん御方によりて汝に命ず。永久と無限を浮遊する哀れな魂に救済を与えん。我が与えた肉体にて可視の姿となり、従順として我に語れ」
暗闇の中揺れる炎に照らされて、ぬいぐるみのビーズの瞳が怪しく揺れる。翳された神の祈りが空気に触れ、肌の温度を一度下げた。永遠に続くような静寂の中聞こえるのは蝋燭がゆっくりと溶ける音だけ。
そして、彼らに訪れたのは――
「……あれ?」
何も起こらないことに拍子抜けした、馬鹿みたいなウィルの声だけであった。
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