第4話
ホークウッドが王都として栄えた理由は三つある。一つは、大陸の中心部に存在をするから。もう一つは、かつては王の宮殿が存在をしていた場所だから。それももう三百年以上前の話だ。幾度にも置ける戦争と改革を経て、そんなものとっくの昔に廃れてしまった。三つ目は、港が近いこと。港が近いということはそれだけで便利だ。なぜならそれだけ船が行き来をし、人が訪れるのだから。
だというのにわざわざ汽車を使い半日以上掛けて移動したのは、ただ単に交通の便の問題であった。
「もう、船を使えばすぐに着くのに」
「仕方ねぇだろ、カスターニャ市には港がないんだから。大体なんで俺がお前の荷物持ってるんだよ」
「女の子の荷物持つくらい当たり前よ」
などと胸を張るお嬢様の意見に顰めっ面を返しながら街を歩く。
太陽の光を反射させる高いビル。ショーウィンドウには、流行の先を行く洋服達が立ち並び、それを着て歩く若いカップルは仲睦まじい。すれ違う中年世代も皆一目で高級とわかるくらい上等な服を着こんでいて、その指先に光るのは一体いくらするのであろうというくらいの大きな宝石だ。正午を知らせる鐘の音に驚いて振り向けば、そこにそびえるのは時計台。この、地上数十メートルにもなる時計台は、もう百年以上もこの街の中心で歴史を刻み続けている。
普段彼の生活している、山や田畑に囲まれた田舎町とは全く違う。行きかう人の気配や建物の煌びやかさに、思わず眩暈を起こしてしまいそうだ。
田舎丸出しできょろきょろと視線を彷徨わせるウィルに、オリヴィアが忠告をする。
「あまりきょろきょろしないで。田舎者だと思われるわ」
長い時間を汽車で共にするうちに、オリヴィアの敬語はどこへやら飛んでしまっていた。「俺の方が年上だぜ」という彼の主張は「とてもそうは見えないわ、だってあなた、落ち着きがなさすぎるもの」と却下された。
「だって実際田舎もんだし。わ、あれ、ヘイネス王の城跡じゃねーか。初めて見た」
ウィルの指先が指し示す方向にあるのは、巨大な城跡。ノートやカメラを持った子供達の集団が、引率の教師らしき人物について吸い込まれるように入っていく。
「そうよ。あなたも知っているでしょう? かつてこの地を収めていたヘイネス王は、自分勝手が過ぎたせいで反乱を起こした民衆達に殺されてしまうの……まさか、知らないわけないでしょう?」
じっとりと睨むようなオリヴィアの視線など気にもせず、ウィルは楽しげに観光を続けている。持ってもいない写真機の代わりに、両手の指で枠を作り、答えた。
「知ってるよ。稀代の狂人、殺戮王ヘイネス。学生のテストに出題されるくらい有名だ」
指枠の中を覗きながら、一歩二歩と後退りしながら答えるウィル。さも当然というような表情であるが、その恰好は滑稽だ。そして、
「あたっ」
そのまま躓いて転けた彼と、くすくすと湧き上がる笑い声。間抜けとしか言いようがない彼の姿に、オリヴィアは他人のふりをするのが精一杯だった。
街中に広がる潮の香りは、カスターニャ市では感じることのできないものだ。港に止まった巨大な船から、見るからに裕福であろう人達がスーツケースを持ち降りてくる。そこを抜けて坂道を登ると、賑やかな帝都はまた一つ色を変える。青い空には太陽がさんさんと輝き、笑顔を見せる。海は宝石のように美しく、目に映るものすべてが絵画のようにも見えた。
宙を踊るカモメにうっとりと目を奪われていると、先を行くオリヴィアにせっつかれた。
「何をしているの、早く」
エマリエル家は、街の中心部から少しばかり離れた場所に存在した。人の足だけで移動するには少しばかり困難な距離の坂道を登った先にある、丘の上。生い茂る木々。職人の手により芸術的に整えられた庭園には蝶が舞い、至る所に設置された女神の像が微笑みかける。その先に静かに佇む家は民家というよりも屋敷であり、一目で上流階級の人間の住処であるとわかるその作りに、暫しの間唖然とした。
「……エマリエル家ってマジで金持ちなんだな」
「何馬鹿げたこと言ってるの」
オリヴィアはインターホン越しに誰かに語り掛けている。
『はい。どちら様でしょうか』
「オリヴィアよ。開けて」
彼女が言うとほぼ同時、ギイィイィ……という重厚な音を立て、扉が開かれる。本のような展開に目を丸くしているウィルの前を、オリヴィアはとっとこ歩き出した。一メートルほど距離が出来たところで我に返り、スーツケースを転がしながら小走りで追いかける。
「金持ちこえー……」
「何言ってるの?」
「まさか玄関開けたらお辞儀ウェーブとかないだろうな」
「……そんなことあるわけないでしょ」
ウィルの脳内で繰り広げられたお辞儀ウェーブは、どうやら妄想の範囲内で収まってくれたらしい。実際いたのは数十人の使用人ではなく精々十数人という程度。両手の指に足の指を足せば数えるに足るだろ。玄関が開けられると同時にお辞儀ウェーブをするわけでもなく、オリヴィアの姿が見えると同時に腰を折りながら挨拶をするというただそれだけ。
長旅の疲れからか、スーツケースを抱えたままその場に座り込んだウィルの耳に、会話が入ってくる。
「おかえりなさいお嬢様!」
「ただいま」
「一体どちらに行かれていたんですか」
「ええ、ちょっと所要があって……パパは?」
「もう数日は帰られないかと」
「そう」
「お荷物をお預かりしますね」
そこでウィルが寄り掛かっていたキャリーケースが動かされ、彼の後頭部が勢いよく床に着地する。
「あでっ!」
そこで初めて、使用人達の視線がウィルに向けられる。
「お嬢様、この男は一体……」
「不審者発見! つまみ出せ!」
「警察に連絡を!」
「えっ、ちょ、ちょっと」
弁解の余地なく、使用人二人に両腕を掴まれずるずると運ばれるウィル。彼の体が玄関の外に放り出されたところで漸く、オリヴィアによる静止が入る。
「待って! その人は私が呼んだの!」
あと数センチで完全に閉じるというタイミングで、両端から押される扉の動きが止まる。
完全に警戒態勢に入っていた使用人達は、目を真ん丸に見開いて令嬢を見つめた。
オリヴィアは胸の前でその傷一つない真っ白な両手を握りしめると、祈るようにこう言った。
「わたし、が……呼んだの……わたしが……この家を、どうにかしたかったから……」
「お嬢様!」
固まる使用人達の間を、甲高い女性の声が走る。
上等なスーツを来た中年の女性は、つかつかとハイヒールを鳴らしながらオリヴィアの前までやってくると、その低い身長を背一杯伸ばして、自身よりも身長のある令嬢を睨みつけた。
「何を言ってらっしゃるのですか! その件につきましては、旦那様が精力を尽くし解決策を考えてくださっているではありませんか!」
「でもポーレット、あれでは意味がないわ!」
「何を! いいですかお嬢様、シルヴィアお嬢様が亡くなってしまったからには、このエマリエル家はオリヴィアお嬢様が――」
「ポーレット!」
叱咤するかのような彼女の呼名。小さな背丈に広い横幅を持つ子豚のような女性は、そこで、は、と息を止めた。ブラウンの瞳に強い意志を宿らせるオリヴィアから一歩分の距離を取り、こほんと一つ喉を鳴らした。
「……お転婆なのもいい加減にしてくださいね。何しろお嬢様には、このエマリエル家を立派に継いで頂くという立派な任務がありますから」
ポーレットはそのハムのような足の先を玄関の外に転がっているウィルに向けると、まるで家畜でも見るかのような冷たい瞳を作り上げた。
「お嬢様。この男はお嬢様の客人と伺いましたが」
「ええ、とても腕の立つエクソシストで……私が依頼したの」
ウィルはよろよろと立ち上がると、打った腰と後頭部を摩りながらポーレット女史に手を差し伸べた。
「どうも。ウィリアム・レッドフィールドです」
にこ、と彼にとっての最上級の笑みを浮かべたつもりだった。が――
「……ハッ」
鼻で笑われて、終わる。
「お嬢様、この方はどちらでご宿泊を?」
「暫くはうちにいてもらおうと思うんだけど」
「まぁ! 婚姻前の男女が一つ屋根の下で暮らすなんて、破廉恥この上ない!」
「寝室は勿論別よ」
「エマリエル家の令嬢ともある方が、ああ情けない……そこのあなた、変な気を起こさないでくださいよ」
「しねーよ!」
頭の後ろに大きなコブを作ったまま、ウィルは力一杯そう叫んだ。
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