純白のA.V.C

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第1話万能性とその危険

  日本のとある研究施設、そこである日歴史を塗り替えるほどの大発見がなされた。医学系の大学院であるそこで発見されたものの名は『A.V.C』、万能変異細胞化ウイルスと呼ばれる細菌で、人間の細胞にあらゆる変化を起こすことのできるそれは医学界に大きな衝撃を与えた。

 だがしかし、あらゆる病をも治癒させる希望の光と呼ばれたそれは、ある重大な『欠陥』により、万能薬となることはできなかった。


 人間の精神状態が肉体まで影響を及ぼすことを知る者も多いだろう。そう、A.V.Cは、強い精神的高揚によって勝手に変異する、という問題を抱えていたのだ。全身を変異細胞に蝕まれたものは、もはや人間とは程遠い姿となってしまう。さながら、パニックホラーの化物だろうか。

 そして、A.V.Cは取り込まれた人間の中で進化を重ね、感染を繰り返し拡大していった。A.V.C変異体となったモノを、人々は『ガイスト』と呼んだ。


 時は流れ、今では変異体に対抗することを生業とする者たちも出てきた。大きな二本の駅ビルが目立つ都会の外れ、都会の過疎地とでも言えそうなその場所でもまた、そんな者たちが今まさに『仕事』を行っている最中であった。鷹のような鳥が空を舞っているその下で、一人の青年が少女の手を引き何かから逃げている。


『センパイ、そっち行っちゃいましたっ!! お願いしまっす!!』


 短く整えた銀髪にキリっとした切れ長の目で、整った顔立ちの二枚目といった印象の青年は、黒を基調としたジャケットをまといその手にハンドガンを携えている。彼は耳につけたインカムから聞こえた活発そうな少女の声に、ビクッと反応すると自信なさげな表情になった。


「な、なに!? 荒事は奈子の担当だろう!?」


 うろたえるような様子で言ったあと、青年はちらりと後ろを見る。自分の服の裾をつかみ、頭を押さえてカタカタと震えるか細い少女の姿。白いワンピース姿でセミロングの黒髪を汗で濡らす少女は、ひどく怯えている様子だ。


『もう来てるぞ、上だ!!』


 インカムから別の声、中年男性のような低い声が聞こえたその時、猛々しい咆哮が響き渡る。青年が顔を向けると、民家の上に異形の化け物の姿を見た。形こそ人間のようなそれではあるが、規格外の体格に鋭い爪と牙を持つその化物はファンタジーから飛び出してきたトカゲ人間とでも言える風貌だ。


「その女を、よこせエエェぇぇッ!!」


「く……、やはりこの子が目的か!? ふ、ふはは、いいいいいだろう、を、俺の真の力を見せてひゃろ……、やろう!!」


 激昂した様子で吠えるガイストにタジタジの上噛みまくりの青年の後ろで、ビクッと体を震わせた後、はあっ、はあっと息を荒げ始める少女。その様子を見て青年は少しだけ落ち着くと、それでも冷や汗を垂らしたままポンポンと彼女の頭を叩き、微笑んで軽口を叩く。


「心配するな、必ず何とかしてやる。 安心するがいい!!」


 左腕をかばうように出して前にぐっと出る青年に、軽やかに跳躍し地面へと降り立ったガイストが突進する。青年はハンドガンを構え、猛獣が如く迫り来るそれに狙いをすませた。

 パン、パンと乾いた音が響き、ガイストは胸に二発分の傷を刻まれた。しかし、その突進のスピードは全く衰えることがない。


「効果なし!! 死ぬ!! 奈子のやつ、何をしているぅ!?」


 先程までのどことなく頼りになりそうな雰囲気も、ものの数秒しかもたなかった様子だ。慌てふためくように泣き言を漏らすが、しかし背後の少女を守るという意志は揺るがない。少女を自分ごとなぎ払い襲わんと伸びる豪腕からかばうように、少女の腕を引きながら避ける。ガイストの一撃を腕に受けながら、カウンターを決めるようにそのこめかみに至近距離から銃弾を撃ち込む。苦しそうに頭を押さえよろけるガイストは、さらに凶暴さを増し半狂乱といったところか。


「邪魔をするなら小僧、貴様から始末してやるああァァァ!!」


 圧倒的な殺気につい一歩引く青年だったが、何かの気配に気づいた様子ではっとする。その直後、襲い来るガイストと二人の間に、人影が颯爽と入り込んだ。


「お待たせしたっすセンパイ!! あとはお任せを!!」


「奈子か、ナイスタイミングだ!! 手柄は譲ってやろう!!」


「はいはい、ありがとうございますー」


 奈子と呼ばれたスレンダーなポニーテールの少女は、細い体に見合わぬ50cm程の大きさの機械を右腕に携え、それを使ってガイストの一撃を受け止める。謎の機械はシリンダー状の本体の側面部にレバーがあり、それを引くと先端の棒が引っ込み、開放するとバネの反発力でそれが一気に飛び出す、パイルバンカーなどと言われるような物だ。右腕前腕部にベルトで添木状に固定され、握りの部分にバネ開放のレバーがある。

 奈子は若干苦しそうに受け止めたその一撃をサイドステップしながら流す。そしてガイストが荒々しく拳を振り下ろすとそれをヒョイっと華麗に避け、その腕を足場にして背中に回り込むように跳躍すると、レバーを引いて武器の先端を引っ込めた。


「さあ、トびなッ!!」


 そして肩甲骨の間辺りに武器の先端を押し付けると、一気にバネを解放し強烈な一撃を叩き込む。ガイストはたまらず咆哮を上げ、白目をむいて倒れこんだ。


「センパイお疲れ様っす。 よく死ななかったっすね」


「ふん、この程度どうということもない。 軽くちびりそうになっただけだ」


「勘弁してくださいっす……」


「冗談だ。 よし、では浄化に入るとしようか」


 そう言うと青年は、ナイフを取り出して自分の左腕に浅い傷を刻んだ。そしてその血をガイストの体に垂らすとそこに手を当て、瞑想するように目を閉じた。

 するとしばらくして、そこを中心とするようにガイストの体に変化が現れる。ボコボコと沸騰するように皮膚が蠢くと、次第に人の姿を取り戻していく。元々はごく普通の男性だったようだ。


「……、ふう。 まあ俺の手にかかればこんなものだな」


 額の汗を拭うと、青年は一息つくように息を吐いた。その様子を見ていた少女、先程カタカタと体を震えさせていた少女が、突如興奮した様子で彼に迫る。


「浄化型A.V.C!! あなた、浄化者ピュリティアーなのッ!?」


「へっ!? まあ、そうだが……」


 少女の言葉に青年は引き気味に同意する。そして、何故か奈子のほうが自慢げに話し出す。


「センパイはすっごい浄化性能の高いA.V.Cを持ってるんすよ? 戦闘はダメな代わりに浄化能力だったら右に出るものはいないんすから!!」


 A.V.Cはもともと万能変異細胞化ウイルスと呼ばれた代物なだけあって、その中には他の型のA.V.Cを駆逐し正常な細胞へと変化させる特性を持つ物も存在するのだ。説明したあとふふん、と得意げに鼻を鳴らす奈子を青年は呆れ顔で見ている。

 しかしその直後、少女が信じられない行動に出る。未だに体を震わせ落ち着かない様子の少女は、青年へと駆け寄ると、その頬を両手でしっかりと支え、唐突にキスをした。

 完全に動揺するふたりをよそに、少女は満足そうに口を離すと、すっきりした様子で息を吐いた。


「ふう、すっきりした。 あと少しで暴走するところだったわ、危ない危ない」


「なっなっなっ……!! いきなり何、を……」


 テンパりまくりの青年は、顔を真っ赤にすると、ついにそのままその場に倒れこんで気を失ってしまった。


「センパイ!? ちょっとー!?」


 体を揺すっても全く反応しない彼を、結局は女子二人で事務所らしき建物まで引きずっていくこととなった。




 大きな交差点の真ん中、胸の中心から血を流した青年が天を仰ぐように倒れている。青年はガイスト化の影響がそこかしこに見られ、腕と足、顔の一部が狼のように獣化していてゴワゴワした黒い毛が覆っているのが見える。

 傍らにしゃがみこむ友人と思われる黒いシャツの青年はその顔を涙に濡らし、くしゃくしゃのひどい泣き顔だ。

 ガイスト化している様子の青年は虫の息ながら、精神は暴走していないようだ。


『なに泣いてんだ健……、国定浄化士になってがっぽり稼ぐんだって笑ってたじゃねえか。 そんな顔してんじゃ、ねえよ』


『ならない……っ!! お前を助けられないのならそんなもの……!!』


『ばーか、簡単に諦めてんなよ……。 俺が果たせなかった夢を……、お前だけでも……』


 日もすっかり傾いた頃、過去を夢に見ていた青年は固いソファの上で目を覚ましガバッと身を起こした。荒い息を整え目をこすり起き上がると、ガラス机を挟んで向かいのソファに奈子と件の少女の姿。彼が目を覚ましたことに気づくと奈子は嬉しそうに話しかけてきた。


「センパイ、やっと目が覚めたんすね!! ずっと待ってたんすから!!」


「全く、あなたをここまで連れてくるの、大変だったのよ」


 状況が把握できない青年は、混乱しながら説明を求める。


「むっ……、君がどうしてここにいる? 偶然襲われているのを見かけたから助けただけだと思ったんだが……」


「首突っ込んだのなら最後まで面倒見る気はないかしら? 頼れる人もいないし。 あなたたちガイスト浄化業者なんでしょ?」


「それは依頼、ということでいいんだな? それではとりあえず自己紹介を済ませるとしよう」


 そう言うと、青年は自分のプロフィールをスラスラと述べていく。


「俺が所長の成海健なるみつよし。 変異体の細胞を元に戻す作用を持ったA.V.Cを保菌する浄化係だ。 それで、こっちはガイスト制圧担当の水沢奈子みずさわなこ。 見かけによらず奈子は腕っ節が強く、たいていのガイストは簡単に制圧できる」


「健に奈子、ね。 私は……、霧島一輝きりしまいつき


「一輝か、まあとりあえずよろしく頼む。 それで、何故ガイストに追われていた?」


 少女、一輝はしばらく眉間にシワを寄せ、苦い顔で無言だったが、ふぅと一息吐くと重い雰囲気で口を開いた。


「……、家出してきたのよ。 あのガイストは私を連れ戻そうとしていたの」


「まさか!? 奴は明らかに暴走状態だっただろう。 暴走したガイストは獣同然、なにか目的を持って行動するなど……」


「できるのよ。 いや、正確にはさせられていた、かしらね。 奴らの持つ改良型A.V.Cなら……」


「君は一体何者だ……?」


 健の質問に、一輝はうつむきがちになり答えようとはしない。困ったように頭をかくと、健はとりあえず、と違う話題を出す。


「とりあえず、依頼なら手続きをせねばならんから、この紙に必要事項を記入してもらおう」


「お金なんてないわよ」


「ほほう、それはいい度胸だ……。 自慢じゃないがこちらもここ数日間食卓に毎日もやし炒めが並ぶ生活をしているのだ。 見たところそれなりに育ちがいいようだが……、君にそれが耐えられるか?」


「私は燃費がいいから平気よ」


「そうか……。 いやしかし待て、そうなるとその分俺と奈子の取り分が……」


 ひとまず依頼が来て一安心していたのだろうか、一輝の言葉に少々うろたえる健に、一輝は意地の悪い笑みを浮かべて言う。


「いいじゃない、可愛い女の子にキスしてもらえるんだから、十分すぎるご褒美でしょ?」


 状況把握に気を取られて今まですっかり忘れていた話題だったが、一輝の一言で思い出した健は一瞬で真っ赤に染まり更にうろたえる。


「そっ、そうだ、あれは一体何のつもりだ!? 恋人同士でもない男女がき、キス、など……」


「ちょっとした挨拶がわりじゃない、可愛いわね、そんなに赤くなって」


 妖しい笑みを浮かべてからかうように言う一輝。よくよく見れば整った顔立ちに起伏に富んだ体つきで、薄手のワンピースという軽装の彼女は、先程からの態度であからさまに女慣れしていない様子の健をからかうには十分に性的なのであろう。

 そんな彼女とは対照的な体つきの奈子が、若干不満そうというか、少しのいらだちを見せて仲裁した。


「はいはい、センパイはいつもかっこつけてる割に童貞力53万のチェリーなんでからかうのはやめてあげて欲しいっすね」


「あら、あなたは彼のガールフレンドじゃないのね」


「いやあ、勘弁して欲しいっす」


 呆れたように返す奈子だが、よく見れば若干顔が赤い。

 突然のキスについては、一輝の振る舞いを見るに単にからかうためだけにあんなことはしないだろうと言い切れないところもあるのだが、そうだとしたら不可解な点がある。とりあえず奈子は何かしら意図があるのか問いただす。


「そういえばあなた……、あのキスの後いきなり様子が変わったっすよね。 一体何したんすか?」


「隠したままじゃ協力はしてもらえないし仕方ないかしら……。 私もA.V.C保菌者なのよ、それもとびきり強力なね」


 一輝の告白に、話を聞いていた二人の顔色が変わった。しかし驚くのもほどほどに、健は訝しげに当然の疑問を投げかける。


「ならば俺に浄化の依頼をすればいいだろう。 どれだけ強力だろうと問題ない。 俺は天・才!! だからな。 浄化だけなら特別価格でさらにツケにしておいてやろう」


「残念ながらそれは無理だわ。 私のA.V.Cは特別なの。 ただ、経口で誰かに押し付けて一時的に体内の菌を減らすことが出来るわ」


「何っ!? つまり、体内の菌を減らすために俺にウイルスを押し付けたというのか!?」


「強力なピュリティアーのあなたなら、一日一回くらいは移しても菌に侵されることはないわ。 時間が経てば菌はそのまま死滅するはず。 私のA.V.Cを無力化できる程のピュリティアーはそういないから、ちょうど良かったわ。 これからしばらく、よろしくね」


 当然のように言い放つ一輝。その言葉に、健はすかさず食いかかった。


「待て待て待てい!! まさかこれからしばらく毎日き、キスさせるつもりか!?」


「可愛い女の子をガイストに変えるわけにはいかないでしょう? もう初めてでもないんだからいいじゃない」


 一輝は健の顎を指でくいっと上げると、挑発的な微笑みを浮かべながら軽く屈んで彼を見上げる。赤い顔で彼女の目を見る健だが、どうしても本能的にそのやや下に目線が行ってしまうようだ。

 ごまかすように首を振ったあと、赤い顔のままで健は一輝に提案をする。


「ええい、とりあえずはやってみてからだ。 額を出せ!!」


「無理だと思うけど、いいわよ」


 そう言って一輝が前髪を上げると、健は指先を軽くかんで彼女の額に血で小さく一文字を描き、そこに手を当てる。しかし先ほどガイストを浄化した時のような変化は起こらず、血文字の部分はシュワシュワと小さく泡を立てるだけにとどまり、手を離すなり薄くなって消えてしまった。


「特に体に変化もなし、予想通りね」


「ば、馬鹿な……、この俺が浄化できないA.V.Cだと……?」


「浄化するときは心臓付近……、胸のあたりに手を当てて行うのが一番効果的って聞いたことあるけれど……、やってみる? ふふっ」


「なっ……!? なっ、はあっ!?」


 からかうようにワンピースの肩紐に手をかける一輝に、健は面白いくらい動揺してそのまま言葉に詰まっている。そんな時ふと、中年男性風の声が聞こえてきた。


「何をやっとるんだお前たち。 襲ってきたガイストについて聞いてきてやったぞ」


 三人が声に反応するようにその方向を見るが、その先には人間の姿はない。かわりに、というか、開いた窓の枠に大きな鷹が止まっているだけだ。しかし不思議そうな表情でキョロキョロしている一輝をよそに、奈子は当然のようにそこに止まっている鷹に向かって話し出す。


「ああ、鳥林のおっちゃん。 おつかれさまっす」


「鳥林と言うな!! まったく、年長者を使いっぱしりに出した挙句のその態度、育ちが知れる」


「まあまあ、それで、一体あいつなにものだったんすか?」


 普通に話を進めていく二人だったが、そこに困惑した様子で一輝が割って入った。


「ちょ、ちょっとまって……。 喋ってるのは、その鳥……、よね?」


「おっと、自己紹介が遅れたな。 俺は西林にしばやしケイ、ここに諜報及び潜入要員として所属してる。 まあ、簡単に言えばA.V.Cによる細胞変化でこの体になった元人間だ」


「人間が、鳥に……、ね」


 想像の斜め上を行く存在に、呆れたような半笑いで、一輝は渋々納得せざるを得なかった。


「警察であんたを追っかけてたガイストについての情報を盗み聞きしてきたんだが、どうやらガイスト化以前の記憶が曖昧でろくに覚えちゃいないみたいで、なんのことはないごく普通の会社員だったようだぜ」


「でしょうね。 ……、足がつくようなことはしないわ。 いいように操られていただけでしょうね」


「よくわからんが、随分込み入った事情がありそうだなお嬢ちゃん。 ……、健、この嬢ちゃんを匿うつもりか? ろくな見返りもないぞ」


 西林の冷静な言葉に、一輝は苦い顔で言葉に詰まった。しかし、問いかけられた健はそんな彼女に一瞬目線をやると、腕を組んで格好つけるように鼻で笑い言う。


「このまま放っておいてガイスト化されても後味が悪い。 それにだ。 厄介事ならばそれを解決することでうちの評判も上がるだろう!! そして徐々に口コミで有名になりゆくゆくは国のお抱えピュリティアーすら一歩引くほどの大物に……」


「センパイ妄想力高いっすねー。 そんなになるまでにどれだけ苦労しなけりゃならないか……」


「まあ面倒事が起きても戦うのは奈子だからな。 問題はない」


「今度はピンチになってても放っておくことにするっす。 手柄譲ってあげますよ」


「じょ、冗談だろう、本気にするな」


「わかってますって。 センパイが困ってる人放っておけない理由も、しっかりね」


 二人のやりとりを、西林は呆れたように見ていた。本当は深く考えてなどおらず、性根が優しい健が断れずに、しかし素直にそれを認めるわけでもなく照れ隠しでそれっぽいことを言っているだけという事なのだろう。とりあえずは依頼を受ける流れとなったようであるが、健はふと思うことがあり一輝に疑問を投げた。


「ところで、この依頼は何がどうなれば終了なのだ? 一般人をガイスト化してけしかけてくるのならば戦って倒したところで無意味だろう」


「ほとぼりが冷めるまで匿ってくれればいいわ。 しばらくしたらあとは自分でなんとかしてみる」


 一輝の要求は思ったよりも難しくないように聞こえる。彼女を事務所から出さないようにしてしばらく経つのを待てばいいだけ、とも思えるだろう。しかしそう簡単にもいかないようだ。顎に手を当ててしばらく悩んでいた様子の健は、難しい顔でつぶやいた。


「ふむ……、しかし相手も馬鹿ではない。 けしかけたガイストがやられたと知れば、このあたりでガイスト浄化業をしている者たちを洗い出すだろう。 この事務所もいずれ目に止まるだろうな」


「駅前の激戦区であるこの辺じゃうちなんか弱小もいいとこなんで、後回しにされてしばらくは大丈夫だと思うっすけどねー」


「この天才擁するわが事務所が弱小とは聞き捨てならんな」


「はいはい、まともにスタッフの給料出せるようになってからそういうこと言ってくださいねー。 で、どうするんすか?」


 奈子の問いかけに、しばらく天井を見上げるようにして考え込んだ後小さく頷き言う。


「ふむ、久しぶりに……、遠出でもするか?」


 ニヤリと微笑む健の一言に、奈子はあっけにとられたような表情だ。



 その次の日、朝早くから荷物をまとめ、昼過ぎに事務所入口に休業中の張り紙をすると、建物の前で全員集合し一息ついてこれからの事を話す。全員とは言っても人間だけで、西林の姿は見えないようだ。


「ケイには我々の行く先に先回りして怪しい連中がいないか調べてもらうことにした。 では行くぞ」


「ではって、何処に向かうんすか?」


「奴らがまだこのあたりでうろついているうちに、セントレア、国際空港まで行く」


「へっ!? なんで空港!?」


「目的地については一輝と話し合って決めたことなのでな。 彼女に話してもらおう」


 健はやや真面目なトーンで一輝に話を振り、彼女は小さく息を吐いたあと、静かに話しだした。


「もう家に帰るつもりはないわ。 一気に何処か遠くまで行って、新しい人生を歩むわ。 A.V.Cを何とかする為にそっちで別のピュリティアーを捕まえなければならないけどね。 それだけなんとかなれば……」


「聞いちゃいけないのかもしれないんすけど、そこまでして家族から逃げる理由って……」


「空港を発つ直前になったら、教えてあげる。 っと、出かける前に……」


 出発直前になって、一輝はカバンを探って何かを取り出す。最初に出会った時から持っていた物で、30×25cm程の四角い肩掛けカバンの中には、カバンのサイズとほぼ同じくらいの大きななにかのケースが入っていた。

 それを開けると中に入っていたのは、たくさんの注射器だった。等間隔でずらりと並ぶそれに、健もなこも驚きを隠せない様子である。一輝は慣れた手つきでその中身を左腕へと注射しながら、二人に説明をする。


「これはA.V.Cの作用を抑えるための薬。 おかしなものじゃないわ」


「け、今朝A.V.Cの受け渡しをしただろう」


「素直にキスって言えないのね、可愛い。 しばらく目立つ行動は避けたいから今のうちにできるだけA.V.Cを抑えておかないと。 一日に何度もキスで移していたらさすがのあなたでも耐えられないでしょうし、何より……、チェリー君には刺激が強すぎるものね?」


「昨日は不意打ちだったから動揺してしまっただけだ……。 負の感情にとらわれなければA.V.Cが変異することもない、心をしっかりもて。 俺たちが必ず君を無事に送り届ける。 ……、注射を打っているのを見るのは苦手なんだ。 自分が苦手なものだからな」


「ふふふ、じゃあ空港に着くまでは打たなくてもいいように頑張るわ。 だから私を……、安心させてね」


「ふん、俺を誰だと思っているのだ」


「戦うのは奈子だけど、ね?」


「そ、それを言うな……」


 言い返せず詰まる健を見て、奈子と一輝は楽しそうに笑っていた。



 それから、定期的に健が通信機のようなもので西林に状況確認を行いつつ先へと進んでいく。道程としては、歩きで20分ほどかけて駅まで向かい、直通の電車で空港まで向かうだけの単純なものだ。途中ショッピングモールで一輝の変装用に安物の服と伊達メガネに帽子を買って着替え、できるだけ見た目を変える。髪を後ろで上げて留め、キャップにTシャツ姿の彼女は若干ボーイッシュに見えるが、プロポーションのせいで余計目を引くようになったように思わないこともない。


「まあ、同じ服着てるよりかはマシだろう」


「ショッピングなんて久しぶりだわ、本当はもっとゆっくり見て回りたいけれど」


「状況が状況だからな。 俺の財布はもう限界だ」


「そっちの状況なのね」


 その後順調に駅へと近づいていく三人だったが、駅近くのコンビニのあたりで西林の方から通信が入った。


「各出入り口にいかにもな黒服がいやがる。 一回駅ビル入ったあとに駅ん中に降りろ」


「悪いな、助かった。 こっちももうすぐ着く、とりあえず駅近くのコンビニあたりで合流するぞ」


「またカバンに押し込むつもりだな? ったく」


 そしてそのまま西林と合流するなり用意しておいた大きめのカバンの中に身を隠させ、彼の言ったとおりに駅ビルから駅中へと入る。三人はできる限り人ごみに紛れるように行動し、なんとか空港直通の電車のホームまで来ることができたようだ。

 その後割といいタイミングだったようですぐに電車が到着し、何事もなく乗り込むことができた。平日だからか、シートも割と空席が残っているようだ。三人は周りに人のいないシートに腰を下ろした。


「ここまでは順調ね。 私の考えも見透かされているんじゃないかって少し不安だったけど」


「上手く逃げられたらどういう生活をするのだ?」


「落ち着いて……、のんびりと平和に暮らせればそれでいいわ。 もう疲れてしまったもの」


「研究ばかりの毎日に、か? 霧島一輝、いや……、佐渡一輝」


 突如違う名前で呼ばれた一輝は、驚愕のあまり言葉を失った様子で健を見た。


「ど、どうして……」


「詮索するつもりはなかったが、黒服の一人が口を滑らせたらしくてな。 ケイに聞いた。 佐渡譲一さわたりじょういち博士、A.V.Cの発見者にして現在は手配され逃亡中のマッドサイエンティスト……、その娘が君だ。 ……、そうだろう?」


「……、そう。 でも私も重要参考人みたいなものだから、警察や国には頼れないわ。 浄化不能のA.V.Cを持つ私を自由にしてくれるわけもないしね」


「随分自由にこだわるな。 研究者の娘だからといって同じく研究するのが好きでもないというわけか」


「私は研究者じゃないわ。 それに関わっていた事は確かだけれど。 ……、父は私の体を使ってA.V.Cの改良実験を行っていたの。 新型A.V.Cを保菌してまともでいられるのが私しかいなかったから」


 人体実験、それも実の娘の体をいじくりまわし化物に変化しかねない体に変えてしまう。想像以上におぞましい佐渡博士の行為に健と奈子は青ざめた顔で言葉を失った。


「霧島っていうのはね、母さんの苗字なの。 母さんは私をかばってあの男の実験に協力していたけれど……、拒絶反応が出て死んでしまったわ」


「狂ってるっすよ……、そんなの。 なんでそんなことしてまで研究なんか」


「許せないんでしょうね。 世界中の重病に苦しむ人間を救う世紀の大発見とまで呼ばれもてはやされていたものが、一つの大きな欠陥によって一転病原菌扱い……、救世主から大罪人と呼ばれるようになってしまったことが。 A.V.Cの欠陥が見つかり学会から逃げ出した時から、おかしくなってしまったのよ」


 そのまましばらく、誰もが言葉を発せないまま時間が過ぎていく。気を使うような視線を向ける二人に、一輝は困ったような微笑みを浮かべて小さくため息をつくと、一転明るく振舞う。


「だから、これからは好きなように生きるの。 親切なピュリティアーを捕まえて、その人と一緒になるのもいいわね。 必要なのは毎朝の仕事前にする、行ってらっしゃいのキスだけ。 不自由なんて無いも同然でしょう?」


「あまり無理をするなよ?」


「私はあなたたちが思ってる以上には楽天的よ?」


 一輝の様子はそこまで無理をしているようには見えなかったが、もともとそういう部分を見せない性分なのだろう。まったく何も感じていないはずもないが、話題を引っ張る理由もない。健は優しい微笑みを見せたあと、それ以上は何も言わなかった。

 その後は特に何も起こることなく目的地である国際空港へと到着することができた。電車を降りたあと、アクセスプラザと呼ばれる場所へ出ると、出発口まではもうまもなくだ。あらかじめ手続きは済ませてあるようで、時間が来ればもうそのまま出発できる。

 出発までのわずかな時間、三人とカバンの中の一羽は別れの挨拶を交わす。わずか二日のみの付き合いではあるが、一輝の境遇を知った以上どうにも心配になってしまうのも仕方ない。

 一輝も一輝で、助けてもらった恩に加えて、何か思う事があるようだ。


「ありがとう、短い間だけどお世話になったわね。 落ち着いたら連絡を入れて必ずお礼はするわ」


「無事に着いたらとりあえず報告はしてくれ。 元気でやるのだぞ」


「ええ、あなたもね。 それじゃ……、またいつか会いましょう」


 あまりいつまでもホールに居るのも良くないので、挨拶は手短に済ませる。一輝は奈子とも簡単に挨拶をして握手を交わすと、そのまま三階の出発口の方へと歩いて行った。

 その後ろ姿を名残惜しく見送っているそのとき、静かにカバンの中でじっとしていた西林が大きく声を荒らげた。


「嬢ちゃん下がれ!! ガイストの匂いがしやがる!!」


 西林の叫びに素早く反応し後ろへ飛び退いた一輝の目前に頭上から急降下してきた何かが、轟音を立てて地面をえぐる。それは、先日と同じような大トカゲのガイストであった。

 状況を把握した奈子は円柱形のカバンの中からパイルバンカーを取り出すと慣れた手つきで素早く右腕へと固定し、全速力で一輝のもとへと駆け出した。

 そのまま走りながらレバーを引いて装填すると、自分の方へと向き直って拳を振るったガイストの拳と触れる瞬間バネを解放した。パイルバンカーの強烈な一撃で拳を砕かれたガイストが唸り声を上げ、拳を押さえ怯んだ隙に再度装填すると、懐に入り込んでみぞおちへ当てたそれを再び放つ。

 攻防は一方的なまま、瞬く間に終わりを迎えた。


「流石だな、奈子」


「はあ、この人もどうせ一般人っすよね……。 容赦なくボコっておいてなんですけど、なんだか申し訳ないっすね……」


 ひと安心して息を抜く二人に、西林が厳しい声をかける。


「ぼさっとすんな、まだ嫌な気配が消えてねえぞ!!」


「何……? まだどこかにガイストが潜んでいると……」


 言いながら健がキョロキョロと辺りを見回しているその最中、異変が起こる。遠巻きに様子を見ていたギャラリーの一部が苦しそうに頭を抱えて呻き出したのだ。今起こった事柄と西林の言葉から、何が起こるのかは容易に想像できる。

 さすがの奈子も引き気味で焦ったように冷や汗を流すが、ここで逃げ出しガイストを暴れさせれば大変なことになるだろう。


「センパイも一輝さんも下がっててください……!! 雑魚の群れ程度何とかしてみせるっす……!!」


「奈子、無理をするな!!」


「無理? この程度で舐めないで欲しいっすね……ッ!!」


 うめき声をあげていた者たちが変異して新しく生み出された四体のガイストはやはり同じような姿のトカゲ型だが、一般的なものより少し小さく170cm程の成人男性くらいのサイズだ。それでも鋭い牙と変異により作り上げられた筋骨隆々とした体は一人の少女が相手するには荷が重すぎるようにしか思えない。

 咆哮を上げ突っ込んできた先頭の一体の大振りなパンチを紙一重で避けると奈子は懐に入り込んで体制を低くし、装填したパイルバンカーをアッパーとともに顎に叩き込み一撃で仕留める。しかし、すぐさま次に続く一体が襲い掛かり、次は装填する隙などない。バッバッと縦横無尽に素早くステップしながら二体がかりで絶え間なく爪を突き立ててくるガイストの攻撃を凌ぐ。


「さすがの彼女でもあの数じゃ……」


 一輝は心配しながらも、何もできない自分がもどかしかった。しかし、奈子の腕前は彼女の想像を凌駕していたのだ。ステップした後小さく息を吐くと、次に繰り出されたパンチをバックステップして適度に威力を殺しつつ、未装填のパイルバンカーの頭の部分で受けた。

 なんと、敵の拳の威力を利用し先端を引っ込めて装填させたのである。着地後すぐさま距離を詰めると右へステップし敵の振り下ろされた拳をよけ、すぐに切り返してフックの要領でこめかみに向けてパイルバンカーを放つ。そして二体目を落とされて相手が一瞬怯んだ隙に再装填し、不敵に微笑む。

 怯みながらも二体で咆哮を上げ突進してくるガイストたち、奈子に近い一体が勢いをつけて放った拳を避けたあと、彼女はわざわざ二体の間に入り急停止すると右足を軸とするようにくるりとその身を翻し、背を向けるガイストにパイルバンカーを放った。しかしその一撃はガイストの振り返りながら振るった腕と接触しはじかれる。

 そしてその直後もう一体のガイストが奈子へと飛びかかるが、彼女は少し膝を曲げて勢いをつけると、ひらりと飛び上がって敵の背後へ回るようにそれを避ける。見守るものたちがかろやかな動きに見とれる中で奈子がそのまま空中で装填している頃、飛びかかったガイストは勢いのままもう一体と衝突し二体一緒に体勢を崩してしまった。

 奈子はよろけた無防備な背中の中心めがけて、パイルバンカーを向けた。


「すごい……、国の抱えるガイスト制圧士でもあそこまでのはそういないわよ……」


 崩れ落ちる仲間を払い除けた最後の一体は、ニヤリと微笑みを浮かべてジリジリと近づいてくる少女に恐怖を覚えながらも、振り払うように雄叫びをあげ飛びかかった。しかし、もはや勝敗は見えているだろう。

 爪は空を切って地面をえぐり、敵を見失ったガイストは周囲を見回している間にその意識を失った。崩れ落ちるその背後には、右腕を突き出すようにして立つ奈子の姿が。

 ギャラリーは事情を把握できているはずもないが、圧倒的不利を覆してみせたか細い少女の姿に、皆興奮したように歓声を上げた。その中のひとりは、彼女のそばまで行き感心したように声をかけている。照れて顔を赤くしながら対応している奈子を見ながら、ひと安心した様子の健と一輝が話す。


「さすが、この天才の相棒を務める制圧士だな」


「さっきまで心配するあまり挙動不審だったのに」


「手のひらは返すためにあるのだ。 それよりも、騒ぎで飛行機が止まったりしなければいいが……。 俺たちといると面倒に巻き込まれる。 通りすがりでたまたま暴走したガイストの相手をしたということにしておくから、君は今のうちに早く離れろ」


「ええ、ごめんなさいね…。 最後に一つ聞きたいのだけれど……、どうして会ったばかりの私にここまでしてくれるの?」


「……、親友がいたのだ。 俺が浄化士、奴が制圧士として組み、共に有名になろうと夢見ていた」


 ポツリと過去の話をこぼす健の言葉を、一輝はまっすぐ目を見つめ真剣に聞いていた。


「だがある日奴がA.V.Cに感染し暴走した。 近くには奇跡的にも制圧士と浄化士がいたが……、命令がなければ動けないと、何もしてはくれなかったのだ。 ……、奴はわずかに残った理性で、自らの手をもってその胸を貫いた」


「そんな……」


「助けを必要とする人間を助けられる仕事をする。 俺はそれだけを信念とし浄化士になった。 ……、奈子は奴の妹さ」


「それで、私のことを……」


 ふざけたようなことばかり言う健の、想像を超える重い過去に裏付けられた信念に一輝はしんみりとしたように俯いた。

 しかし、そんな彼女の表情がふと奈子の方へと顔を抜けた瞬間一気に険しい物へと変わった。健が訝しげに呟く。


「一輝……?」


 一輝の顔が青ざめていく中、先程まで和気藹々と奈子と話していた彼女の正面に立つ人物、サングラスをしたスーツの男はニヤリと微笑むと、突如奈子に向かって殴りかかった。不意をつかれたものの、咄嗟にパイルバンカーを盾にするよう構え側面で受け止めるが、男の一撃はガイスト並みの怪力を持って放たれ、奈子はガードを崩され小さく吹き飛ばされた。


「今の力はガイストの……!? いや、でも感情の変化があった様子は微塵も……」


 着地後男を見た奈子と、周囲に居る者たちすべてが異様な光景を目にする。豹変した男は、右腕のみが変異し肥大化していたのだ。


「まさかあの数をひとりで潰すとはバケモノみてえなガキだぜ。 だが、この俺は雑魚どもとは違え」


「あのレベルの変異を起こしていて自我があるどころか、精神に全く影響を受けていないんすか……?」


 肯定するように鼻で笑ったあと、男が両拳を打ち付けると一気に全身が変異し異形の怪物と化す。犬のような頭部に肥大化した筋肉を持ち、先ほどの者たちよりも明らかに大きい。男は不敵に微笑むとそのまま奈子に向けて急接近する。奈子も余計な疑問は一度捨て、装填を行い迎撃態勢に入った。

 素早いワンツーパンチを体を揺らすように避けた後、繰り出されたタックルをサイドステップで凌ぐが、小さくかすっただけで肩に激痛が走る。まともに意識を保っているだけあって、敵も動きに無駄が少ない。

 しかし痛みをこらえて体を大きくひねりながらすれ違いざまに敵の背中へとパイルバンカーの先端を押し当てる。


「くっ!? このガキ……!!」


「終わりだっ!!」


 叫びながら、そのレバーを握る。しかし、それが打ち出されることはなかった。


「ま、さか……、さっき受けたときに壊れて……!?」


 二人とも状況把握に一瞬の隙ができてしまったが、それでも先に体が動いたのは男の方だった。


「残念だったなァクソガキィっ!!」


 歪な笑みとともに打ち出された拳は武器を構えた奈子を大きく吹き飛ばし、彼女は案内ブースのカウンターに背中から激突し動けなくなってしまった。

 痛みに顔を歪め呻く彼女をそのまま放っておき、男は一輝へと向き直る。一輝はたじろぎながらも、男へと話しかけた。


「ここまで派手に動くとはね……、久しぶりね、慎二叔父さん」


「兄貴の研究で世界を変える為に、お前が必要なんだよ一輝ィ……。 実験にモルモットは不可欠だろォ?」


 慎二と呼ばれた男の言葉に、一輝は顔を歪め、息を荒げ始めた。その様子を見た慎二はいやらしい笑みを浮かべて嬉しそうに言う。


「怒ってる怒ってる、A.V.Cが暴れだしたぞォ? こっちに来ればお前が持ってる薬よりも強力なものがある。 一瞬で収めてやれるぞ?」


「実験動物に戻ることと引き換えに、でしょう……。 そんなのゴメンだわ。 私は……、実験動物なんかじゃないっ!!」


「それは結構だが、いま暴走を抑える手段があんのか? んん?」


「それはこの薬で……、っ!?」


 出かける前に薬を取り出したカバンからは、なにか液体が滴っていた。焦ってその中身を確認するためケースを取り出し開くと、中の薬品は注射器が割れて全部ダメになってしまっていた。


「最初のガイストに襲われた時に……!?」


「選択肢は二つだ。 俺に従ってついてくるか……、ここで浄化不能の化物になって処理されるか……」


 慎二の言葉に、絶望したような表情で一輝は更に息を荒げる。全身の力が抜けてそのままヘタリこもうとする彼女、しかしその時、健がその肩を支えた。

 すがるように自分を見る彼女に優しく微笑むと、彼はその唇にそっとキスをした。驚き抵抗しようとする一輝だが、健は彼女の頬を離すことなく続けた。慎二も彼の行動に驚き固まっている中、そっと唇を離された一輝がまくし立てるように言う。


「ば、馬鹿じゃないの!? いくらあなたでも一日に何度も新型A.V.Cを受け取ればただでは済まないわ!!」


 珍しく動揺を隠せない様子の一輝だが、暴走は収まった様子だ。興奮する彼女の頭をポンポンと叩くと、健は優しく話しかけた。


「大丈夫だ、俺を誰だと思っている……」


「健……、あなた……」


 軽口を叩く健であったがその直後、強く鼓動が脈打つのを感じ胸を押さえると、苦しそうに呻きだした。しばらく静観していた慎二は、彼の様子を見て再び歪んだ笑みを浮かべる。


「はははは、当然だ!! 大方ピュリティアーが自分の能力を過信したんだろうが、そいつのA.V.Cは超強力な新型だ、普通の人間なら感染しただけで感情が昂揚し変異体になる」


「そんな……」


「お前たち、あのバカが変異して暴れだしたら一輝を捕えて離脱するぞ」


 慎二が部下と思われる黒服を呼びつけ指示を出していると、ついに雄叫びをあげながら健の全身が変異する。変異体であることは確かであるにしろ、筋骨隆々ではあるがほぼ完全に人型を保っていたり、顔の部分は恐竜を模したマスクのように見えたり、全身を赤を基調としたヒーロースーツのようなデザインで統一されていたりとなんだか普通のガイストとは一線を画する雰囲気だ。

 しかし慎二は彼に目もくれることなく、一輝のもとへと近寄っていく。そしてその部下が、彼の指示のもと彼女の手を掴み連れ去ろうとする。


「いやっ、いやあっ!!」


 抵抗むなしく、手を引かれる彼女。その時、声が響いた。


「いやがる女性を無理やりエスコートとは、感心できんな」


 その声に反応したように慎二とその一行が健のいた方へ目を向けるが、そこには誰もいない。そしてその瞬間、一輝の手を引いていた黒服が派手に吹っ飛んだ。

 誰もが状況を把握できない中、黒服を殴り飛ばした変異体は一輝の手を引き傍らへ寄せる。一輝は恐る恐るその顔を見上げながら話しかけた。


「健あなたまさか……、意識があるの?」


「ば、馬鹿な!! そんなことがあるわけがねえっ!! なぜ意識を保っていられる!?」


 一輝を後ろに下がらせてかばうように立つと、健はいつものように軽口を叩く。


「全く、当たり前のことにそんなに大げさに驚いて……、さては貴様らリアクション芸人かなにかだな?」


「訳のわからねえことを……!!」


「だってそうだろう? 何故かといえば答えは一つしかない。 貴様らの研究の成果とやらを……、この天才!! 成海健の才能が凌駕した、ただそれだけの単純なことだろう!! ふはははは!!」


「こんな馬鹿みてえな野郎が……」


「馬鹿を馬鹿にするな、馬鹿は風邪をひかんと言うだろう、A.V.Cの精神汚染すら弾き飛ばす俺はその上位互換という事だな」


「馬鹿馬鹿うるせえんだよこの馬鹿があッ!!」


 興奮して殴りかかった慎二の拳を、健はいとも簡単に手のひらで受け止める。慎二がどれだけ力を込めようとも、健の体は微動だにしない。


「こんなはずがあるかっ!! この俺がァッ!!」


「新型A.V.Cは精神の侵食と引き換えに強力な変化を得るものと見た。 いかにも凡人の貴様が正気でいられるということは貴様のは効果を抑えた量産型といったところだろう。 力比べなぞ、する意味もないっ!!」


 お互いに拳を振りかぶり同時に殴りかかる。しかしその力の差は歴然、頬に受けた拳をものともせず健はそのまま慎二を殴り倒し地面へと叩きつけた。

 慎二はそのまま動く様子はなく、完全に気を失っている。一息つくと同時に、健は体の変化が解けていき元の姿へと戻った。


「ふむ、自分自身のA.V.Cは精神が落ち着けば死滅させられるようだな。 さすが」


 冷静に自画自賛の言葉を呟く健に、一輝が抱きかかる。涙を浮かべている彼女に、健は困ったように微笑みを浮かべた。

 その後フラフラとしながらも、動けるようになった奈子も二人のもとへ合流する。

 しかし一息つく暇もない。空港内に常駐している警察官が騒ぎを聞きつけてきたのだ。


「これは一体何ごとだ、誰か!!」


 状況説明を求める警官に、ギャラリーはしばらく口をつぐんでいたが、そのうち一人が恐る恐る口を開いた。


「そ、その銀髪の男もガイストだ!!」


 誰が声を上げたのかわからないが、そのまま騒ぎは波及していき、すべての視線が健と一輝のもとへと集まった。流石にこのままこの場所に居座るのはまずいと判断し、一輝は声を上げた。


「と、とりあえず逃げるわよ!! 奈子、走れる?」


「っ、大丈夫っす!! 行きましょう!!」


 そう言って、ダッシュで元来た道を引き返し駅の中へと向かう。しかし、一輝と奈子はいいのだが、健は二人からみるみる離され中年警官に追いつかれそうだ。


「走るの遅っ!?」


「ああ……、センパイは見た目とA.V.C以外はスペック低いっすからねー」


 のんきに言っていると、やれやれといった様子で西林が警官の顔へと飛びつく。怯んだ警官が尻餅をついてしまった隙に、一気に駅へと向かった。ホームへ着くと、ちょうど電車が出発する寸前であったようだ。西林をカバンに押し込みながら彼らが駆け込んだ瞬間に紙一重でドアが閉まった。



 その後、電車は特に止まったりもせず順調に進んでいった。普通に考えて、人の姿の健がガイストだと言葉で言われても警官も信じきれなかったのだろうか。とっさの事で追っては来たものの、それ以上は特に何も起こらなかった。三人はシートに健を挟むようにして並んで座った。

 ガタガタと電車の心地よい揺れを受けながら、奈子がポツリとつぶやいた。


「飛行機代、無駄になっちゃったっすね」


「ごめんなさいね……、ただでさえお礼をするあてもないのに。 これからどうすればいいのかしら……」


「一輝さん……」


 奈子も重い雰囲気に負けて黙ってしまったようだ。しかし、空気を読まずに健はいつもどおりのトーンで話し出す。


「悪いが、これ以上は逃走に関する援助はできん。 いや、単純にもう金がないのだ。 仕方ない」


「ええ、あとは自分でなんとか……」


「しかしだ」


 落ち込んだ様子で返す一輝の言葉を遮るようにして、健はさらに続けた。


「俺たちは依頼を果たしていない。 未達成の依頼をそのまま放り出すのは俺のプライドが許さん」


「センパイにプライドとかあったんすね」


「黙れ奈子。 しかし、今の俺に君の願いを叶えられる手段はないのも事実。 ……、だから、俺が依頼を果たすその時まで君には無事でいてもらわねばならん。 おかしな話になるが、君の力があれば俺は君を守ることができるのだ」


 一輝は健の言わんことを理解すると、少し嬉しそうに微笑んだ。


「君を送り届ける余裕が出来るまで何があっても死守すると誓おう。 まあ、その代わりに仕事に手を貸してもらうがな。 オブジェクトと化しているパソコンで事務仕事を頼みたい。 残念ながら今のメンバーでまともに学のある人間がいないのでな。 ケイが人型だったら良かったんだが」


「ここには鳥と鳥頭しかおらんからな」


 カバンから毒舌をこぼす西林にくすくすと笑い声をこぼすと、一樹は含み笑いで尋ねる。


「あなたのところのお仕事は衣食住の保証はつくのかしら?」


「もやし炒めでよければ保証しよう」


「ふふふ、じゃあ、私も仲間に入れてもらおうかしらね」


 健の冗談に苦笑いした後小さく息を吐くと、一輝は手を差し出した。健はニヤリと微笑みを浮かべ、しっかりとその手を握り返した。



 数日後、高い駅ビルの目立つ都会の外れで、必死になにかから逃げる男の姿。半分パニックに陥ったような様子で必死に走るその背後には、彼を追う虎のような姿のガイストが。

 みるみる距離を詰められあわやその爪に裂かれるかというところで、男が叫び声を上げるとほぼ同時にガイストが何かに殴られるように大きく吹き飛んだ。

 ガイストを殴り飛ばしたと思われる、腕に兵装を装備した細い少女が軽く後ろに下がり、尻餅をついた男と目が合い微笑みかけたとき、男の後ろからさらに別の声がした。振り向くと、そこにはふたりの男女の姿。


「ガイストにお困りならば力を貸そう。 サービス価格で当社比三割増だ」


 なにげに金額が増えているのだが、男は自慢げに腕を組んで鼻を鳴らすと不敵に微笑んだ。

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